ボクが『ボクっ娘』好きのアイツにチョコを送るまで

てんとん

ボクが『ボクっ娘』好きのアイツにチョコを送るまで

茅夜ちよちゃん、今作ってるチョコ誰にあげるの?」


ボクは、隣で楽しそうに砕いたホワイトチョコレートを湯煎にかける友人、白珠しろす 茅夜ちよに話しかけた。
女の子らしいピンクのエプロンに、美容室帰りのふわふわのショートボブ。おまけに家庭的で、ボクみたい意地が張ってなくって、素直な子。彼女みたいないい子が、どんな男の子に思いを寄せるのか、ちょっぴり気になって。
可愛らしくちょんと立った肩がふるりと震え、はにかみながら彼女が振り向く。


「あまみんこそ、誰にあげるのさ~!」


肘でちょいちょいとボクの二の腕辺りをつつきながら、茅夜ちゃんは声のトーンを上げる。
他人事じゃないや、ボクも、チョコを……そう思ったら顔がかああっと熱を帯びてきて。


「ボクは……その、義理で……」
「あは。あまみん照れると唇キュッて結ぶよね~」


茅夜ちゃんがボクの唇に人差し指をくっつけて言う。この癖を知ってるのは、千代ちゃんと……今日チョコを渡す相手だけ。


「ひよひゃん、ひゃへれなひよ!(千代ちゃん、喋れないよ!)」
「ごめんごめん、拗ねないで。あの『ボクっ』好きの変態さんでしょ? あまみんがチョコをあげるのは」


――『ボクっ娘』好きの変態さん。
ホントに、それな!!と声を大にして言いたい。だけど、ボクは馬鹿だから、そんなあいつに惚れてしまっている。
にやにや顔の茅夜ちゃんは、ボクのそんな気持ちはお見通しなのだろう。観念して先ほどの問いにこくりと首を縦に振った。
変だ変だと、『ボク』っていう一人称について言われ続けてきたボクにとって、あの言葉はがつんと、どうしようもなく響いてしまってた。


***


ボク・・苦水くみず 甘美あまみといいます、よろしくお願いします」


自己紹介を終えた瞬間、教室内がざわついたのを覚えている。
――ああ、やらかしてしまった。中学でさんざん男子にからかわれた忌まわしい『ボク』。
どこから仕入れて来た知識なのか、『ボクっ娘』とかいうあだ名が付いた。
高校では、『私』で通そうとしていたのに、緊張して心の中での一人称が出てしまった。
誰とも視線を合わせないようにして自席にもどって、唇を結んで俯いて。
そんな時だった。


「僕は織屋おりや つむぎです……一言いいですかね?」


簡単なもので終わると思ってた、後ろの席の男子の自己紹介。
……もしかしたら、ボクが変にしてしまった教室内の空気を、何とかしようとしてくれてるのかも。
そう思って、伏せていた顔をちょっと上げて彼を見た。
結果から言えば、教室内の空気は確かに何とかなった。なっちゃった。
人間の記憶は、より鮮烈なものに上書きされるんだなあと、現実逃避にしみじみと思うくらいには、何とか、いやどうにかなってしまったのである。


「いいですか皆さん、僕はッ!! 『ボクっ娘』が好きなんです!!」


――バンと教卓を叩く音が教室に響き渡る。
注目を一身に集めながら、彼は熱弁を始めた。
彼以外の誰も意味を理解できないまま、言葉を続ける。


「言わば、希少種、絶滅危惧種なんですよ……『ボクっ娘』は!! 高校にいるなんて僕はッ……思いもしなかった!! 通常小学校、中学校で『ボクっ娘』は一人称を変えてしまいます。自身の一人称が名前の女の子が少なくなるのと同じように!!」


何を、ボクたちは何を聞かされているのだろう?
当事者たるボクですら、ぽかんと口を開けざる負えなかった。ただ一つ、分かるのは。
こいつは、やばい人だということ。関わってはいけない人種だ。


「苦水さん!!」
「ひゃい!?」


そりゃあ、そんな人から苗字を呼ばれればそうなるだろう。声が裏返ってしまった。
そして、意味不明なお願いをされるのだ。


「繰り返します、僕は『ボクっ娘』が好き、好きなんです、どうか、どうか今のままのあなたでいてください!!」
「や、あの、ごめんなさい!! なんかほんと色々と意味わかんないので……無理です!!」


いや本当に、こう……何だろう?理解したくない類の……何かだった。
そのやり取りがどうやら、高校生の多感な心を捉えたようで……。
くすり、と女子の一人が笑ったのを契機に、どっと教室中に爆笑が広がった。
結局、ボクの一人称がどうだとかは些細なことになってしまったのだが、当時のボクは、つむぎがこれからどうなってしまうのか気になっていた。
彼が自己紹介で、『ボクっ娘』が好きだ、と初めから言おうとしていたのならいいんだけど、もしボクのせいで言いたくもない、適当な嘘だったりしたらそれは申し訳ないと思って。
考え出したら止まらないのが、ボクの悪いところだと思うんだけど。
最初の印象をどうにか自分の中で押さえこんで、紡に話しかけた。


「あの、織屋おりやくん、なんかごめん。言いたくないこと言わせた様だったのなら、謝ります」


そしたら紡は、なんか妙にいい笑顔で、こんなふうに言葉を紡いだ。


「大丈夫、僕はちゃんと『ボクっ娘』が好きだよ。純粋に苦水さんに他の一人称を使ってほしくないなって思った。『ボク』を使う苦水さんは、魅力的だ」


これが、紡に心境を聞いた時の言葉。真っすぐ目を見て、言われた。
ああ、どうしてボクは紡に話しかけてしまったのだろうか。スルーしておけばよかったのになあ。
思っても、後の祭りだった。


***


**


「何それ、変態じゃん織屋くん」


高校2年生になり、茅夜ちゃんと出会って。
その話をしたら、彼女はころころ笑いながらそんなことを言った。
本当に、ボクもそう思っていたんだけど。
――『ボクっ娘』が好き。そんな言葉を言われたのは、思えば初めてだった訳で。それを契機に紡とはよく話すようになった。
紡の『ボクっ娘』趣味以外は正直、いや結構良いかなって思う――顔、は別に普通だけど、笑うと爽やかだし。運動もできるし、勉強だって悪い方じゃないし、真面目で誠実なところとか、恰好良い、し……って、思ってる時点でもうやられちゃってるんだろうなぁ。
なんか、そのころから紡に最初言われた言葉が、理解したくない何かじゃなくなってきて。ボクを危ないところから救い出してくれた魔法の言葉、みたいな。
繰り返すようだけど、考え出すと止まらないのが、ボクの悪いところだ。
もうそのころには、紡のことを、慕ってしまっていた。
なんでこんな『ボクっ娘』好きの変態を。きっと、紡はあの時ボクに呪いをかけたのだ。
ボクだけを殺す呪いを……なんて。


**

「あまみん~? 帰ってきて~! もう湯煎は十分だよ~!」


茅夜ちゃんに肩を揺すられ、はっとする。どうやら、ボクは妄想の世界に入り浸ってしまっていたらしい。彼女の家の壁掛け時計は、その長針を3つほどずらしていた。
3分も茅夜ちゃんほったらかして考え事とか、大丈夫なのだろうかボクは。


「あまみんが溶かしてるのはビターチョコか、らしくていいねぇ」
「らしいって?」
「このさらさらロングの黒髪にぃ、普段言動が塩対応なのに照れると分かりやすいところとか。まさに苦みの中に甘みって感じだよね、『ボクっ娘ビター』だよ!」


茅夜ちゃんは、背中まであるボクの髪を手櫛で弄びながらそんなことを言う。


「茅夜ちゃん……つむぎ化してる。言動が変態のそれだよ」


それに、ビターを選んだのは紡があまり甘いのは苦手だって言ってたからで。
……ちょっと待って、今の話だとビターチョコ=ボクという図式が完成するのでは。
そして、それを食べるのは、紡な訳で。
おかえりなさい、アナタ?ご飯にする?お風呂にする?……それとも、みたいな。


――『紡ぃ、ボクを……食べて?』


そんな言葉が、ボクの中で、ボクの声で再生された。


「うぇゃぁ……っっ!! バカ、バッカじゃないのかボクは!?」
「え、何!? どうしたのあまみん!? 過去最大に唇がギュウッと結ばれてるよ!?」
「……はぁ、いやうん、何でもないよ茅夜ちゃん、チョコ作りの続きしよ」
「う、うん。なんか、チョコ渡す前に死なないでねあまみん」


気を取り直して、チョコづくりを再開。
ボクと茅夜ちゃんが作るのは、トリュフチョコだ。チョコの湯煎と同時にある程度暖めた生クリーム。その中にちょっと溶かしたチョコを入れ、泡立て器で混ぜていく。
チョコが完全に溶け、生クリームと一体になったら冷蔵庫に入れ、いい硬さになるまで寝かせる。


「今のうちに包装用意しといて……と」


がさごそと茅夜ちゃんがビニール袋から、9つに区切られた段ボール製の小箱と包装用紙を取り出す。

「で? 問題の織屋くんはどこで待ち合わせ?」
「……駅で、19時に」
「……頑張ってね、あまみん!」


ああ、そういえば結局、茅夜ちゃんがチョコをあげる相手は誰なんだろ。


「茅夜ちゃん、結局誰にチョコあげるの?」
「……あまみんだけには、教えたげるよ。年上の、従兄のお兄ちゃん」


普段からは想像もつかない茅夜ちゃんの真剣な声と表情。
ああ、本気なんだなって、そう思った。


「なんか、勇気が出たよ。ボクも頑張らないとって……ありがとう、茅夜ちゃん。頑張って」


ボクがそう言うと、茅夜ちゃんはぶるりと一度身震いして。
――がばっと、ボクに抱き着いた。


「あまみんほんとにいい子! 私が男だったら間違いなく言い寄るのに~!」
「なにそれ」


――こっちの台詞だよ、茅夜ちゃん。ボクが男だったら、茅夜ちゃんをほっとかない。ありがとう。





茅夜ちゃん宅を出て、駅に向かって歩いていく。紡は二駅前の町に住んでいるので、電車でこちらに来ると言っていた。
街はバレンタイン一色で、今日期限のチョコが売られる最中、何かイベントの様な物をやっている。カップル限定のそんなイベント。
いつかボクも、紡と参加できるといいなぁ。照れて死んでしまいそうな気がするから、夢物語かもだけど。
そんなことを考えながら歩いていると、駅前の噴水が見えてきた。バレンタイン用に水色にライトアップされた水飛沫が、とっても幻想的だ。
噴水の裏にある駅口に足を運ぼうとしたところで、スマートフォンの着信が鳴り響いた。
画面を見ると、発信者は茅夜ちゃんだ。
ボク、何か彼女の家に忘れ物をしたかな……そんなことを思いながら、スマートフォンを耳にあてがった。


『あまみん!! 今ニュースで、ええと!!』


慌てたような、茅夜ちゃんの声。ボクは落ち着いて、こう返す。


「どうしたの茅夜ちゃん、落ち着いて」

その声に茅夜ちゃんは一息入れて、言葉を紡いだ。



『う、うん……ニュースで、電車が事故を起こして停止中だって……』



頭の中が、真っ白になった。
言われた言葉が、入ってこない。上手く意味を、かみ砕けなかった。


『……線で接触事故があり、電車の到着が遅れております。お客様には多大なご迷惑をおかけいたします』


駅口から、追い打ちのようにアナウンスが鳴り響いた。
耳元で、茅夜ちゃんがボクの名前を何度も何度も呼んでいた。
頭では何も考えられないのに、ボクの口は心を表すかのように。


「やぁ……いやだよ……」


悲鳴が漏れた。口にすると、不安や、怖さが雪崩のように押し寄せてきて。
――紡が、怪我をしてしまっていたらどうしよう!?
――紡が、恐怖で震えていたらどうしよう!?


――紡が、死んでしまっていたら?――


涙が、出て来た。
なんだ、これ。なんなんだこれ。そんなこと、万に一つで、あるはず無くて。
でも、そうだったら?
不安が、恐れが、止まらない。


「紡ぃ……いやぁ」


どうしようもなくて、口からも、目からも、感情が零れて落ちた。
ホントに、ボクはバカなんじゃないだろうかって、思うんだけど。
こんな、あり得ない想像して、不安になって……でも、でも!!


――不意に、耳元で声がした。


「あま? どうしたの?」


恐る恐る振り向くと、ボクより10センチほど背が高くて、不安そうにこちらを見ている彼がいた。
「あま」って、ボクの渾名を呼んでくれる、ボクをこんなにした張本人。

「……紡? どうして? 事故は?」
「いや、なんか落ち着かなくなって……バレンタインの呼び出しだから。一本前の電車に乗ってきてたんだよ。あまが誰かと電話してたみたいだったから、終わったら声かけようと思ってさ」


――ああ、良かったぁ……。ほんとうに。


「……ボク、紡が事故に巻き込まれたんじゃないかって、不安になって、それでなんかね?」


あれ、なんか安心したら、足から力が抜けて……。
地面にへたり込んでしまいそうになって、紡の腕を掴んでしまう。
弱ってるボクを見て、心配になったのかな……?
がばっと、ボクが崩れ落ちるのを、紡が両手で支えてくれた。


「ごめん、すぐ声かければ良かった」


ポケットからハンカチを取り出そうとした紡だけど、持ってきてなかったみたいで。
恰好が付かないといったふうに苦笑して、ボクの涙を手ですくってくれた。
『ボクっ娘』好きの変態、だったはずなのに。
ほんと、こんなの、聞いてないよ。


「――ボクね、バレンタインチョコを、作ってきたんだ……その、良かったら、受け取ってほしい」


自分でも、唇をきつく結んでいるのが分かる。
それもそうだ。だって、このチョコを渡すのは、告白と同義なんだもん。
早鐘を刻む心臓、その心音が、紡に伝わってしまいそうで。
でも、目は紡から離せなくて。
どうしようもないんだ。
紡は、ボクのその言葉を受けて、一度深呼吸をして、言葉を紡いだ。


「ねぇ、あま。僕は最初さ、『ボクっ娘』が好きって言った」
「……うん」
「撤回するよ……僕は、ボクっ娘が好きなんじゃなくて、ボクっ娘のあまが、好きなんだ」


そういって紡は、ボクのバレンタインチョコを受け取ってくれた。
驚きすぎて、「嬉しい、ありがとう」みたいな反応ができずに。
何も言えずに、またぽろぽろと泣いちゃったんだけど。
――祝福するかのように上がる、水色にライトアップされた噴水が、ボクの気持ちを代弁してくれたんだ。





後日談というか、落ちというか。
ボク、気が動転しすぎてて、スマートフォンの通話を切りわすれてたみたいで。
ぜーんぶ、茅夜ちゃんに聞かれていた。
ホントに恥ずかしいっ……爆死だよ爆死。
「ボクっ娘のあまが、好きなんだ」このセリフをずっと、事あるごとにからかわれて。
だから、ちょっぴりだけ、あの『ボクっ娘』好きの変態を恨んでいる。
……まあ、ほんとはどうしようもなく、大好きなんだけど。

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