盲者と王女の建国記
第2項20話 集落跡
「……」
エリーの言葉を受けて、ケルンは押し黙る。
その小さな両手が微かに震え、彼は手に持った剣で、盗賊の長の心臓を貫いたときの感触を思い起こした。
命を奪う瞬間の手ごたえは、落ちない汚れとなって掌中にこびりついている。
(ゲリュドは、俺のような弱っちい子供に殺されるとき、どんな顔をしていたんだろうか。目が見えなかったあの時と今は違う……俺はもう、殺す相手の顔が見えてしまう)
絶命の表情はきっと、一生消えない記憶となって残ることだろう。
屍人や魔物を殺すのとは訳が違う、同族を手に掛けるという罪の恐怖は、ケルンの心を蝕んでゆく。
ケルンは考えることに耐えられなくなり、口を開いた。
「……エリーさん。魔族とヒトは、どうしても相容れないんでしょうか?」
エリーは、言葉を発したケルンにちらと視線を向ける。
纏う魔力の様子から、索敵を怠っているわけではないことを確認した使用人は、森林迷宮上を少年を抱えて飛翔したまま返答する。
「今回の魔族を認めるということは、森林地域中のヒト種が屍人になることを容認するということです。……いかなる理由が魔族側にあったとしても、私達は元凶を倒さねばなりませんね」
――「恐らく大規模な討伐隊が組まれます。ケルン様だけが魔族に剣を向けるのではないですよ」と。
たとえヒトに近しい知性体を殺すことになったとしても、その責任の所在は誰もに等しくあるのだと諭す。
それを聞いて暫く考え込んでいたケルンは、エリーの方に申し訳なさそうな顔を向けて問う。
「……こんな事聞くのはどうかと思うんですけど。エリーさんは、ヒトを殺したことがありますか?」
「冒険者時代に二人ほど。当時敵対していた一団と殺し合いが起きまして……今でもよく覚えています」
「怖いって、思わないですか。ヒトを殺すのが」
「思いますよ、とても。今でも、後悔をしています……でも、大切なヒトが害されるかもしれない状況に陥れば、私はやはり容赦なく相手を手に掛けるでしょう」
少年より歳と経験を少なからず重ねている王女専属の使用人は、淡々と答えてゆく。
上級風魔法『飛翔』の推進力を一旦停止させ、エリーはその場に停止飛行した。
微笑みながら、彼女は小さな少年に説く。
「強さとは、誰かを守るためにあるのです。それだけ忘れなければ、きっと大丈夫。ケルン様は、誰かを傷つけるために剣を振っているのではないでしょう?」
エリーは、抜き身の長剣をぶら下げるケルンの手に軽く触れた。
ピクリと、微かに少年の体が震える。
「いえ……俺はただ、リセに追いつきたいって。いつの日か彼女の隣に立っていたいって、それだけで」
「ふふっ……では何故、さっき屍人と戦っていたのですか? わざわざ命の危険を冒してまで、何故?」
「それは……」
口ごもるケルンを見て、エリーは栗色の髪を揺らして笑う。
本来、エイシャとケルンはベルグ東門の外に居るはずがなかったのだ。
ベルグ外壁の向こうは森林迷宮が広がり、様々な魔物が闊歩しているような土地。
冒険者でもなく、修練中の身で何も持たずに外に飛び出すなど、自殺行為以外の何物でもない。
(恐らく、ケルン様は空間魔法で東門の向こうの状況――屍人が迫っていることに気づき、エイシャ様と共に慌てて助太刀に入ったというところでしょうか。強い冒険者を呼ぶなり、もう少し懸命な判断はあったと思いますが……結果的に、彼らが居なければマズかった)
「ケルン様は言動こそ弱気ですが、お嬢様ととても良く似た考え方をされています。自分の行動に理由を求め、悩んでおられる。いつでも、考えうる一番正しい行動がとれるようにと」
「本当に、そんな大層なものじゃないですよ。俺は、間違えるのが怖いだけです……これまでは、馬鹿みたいに間違え続けて来たって思うから」
「きっと、怖いままでもいいのではないですか?」
そう言うエリーに、ケルンはキョトンとした顔を向ける。
ケルンが思い浮かべる強さとは、盗賊の塒で出会った王女リセリルカのそれだ。
少なくとも、彼女が何かに恐れているところはケルンには想像がつかない。
目指すべきは何事にも恐れず動じない心だ、と勝手に思っていた黒髪の少年は、エリーの言葉に虚を突かれた。
「怖いと思えないのは、とても怖いことですよ。そして、恐怖を感じないヒトなど、どこかタガが外れてしまっている狂人です。だから、ケルン様はそのままで良いと思います」
「え……リセも、何か怖いと感じることがあるんですかね?」
本気で驚いたような顔をするケルンに、エリーは呆れ声を滲ませて返答した。
「貴方はお嬢様を何だと思っているのですか……当たり前でしょうに」
***
第五王女専属の使用人にその体を支えられ、緑に茂る森林迷宮の上空からケルンは地上を見る。
見ると言っても、彼は盲目。
少年の目の役割を果たすのは、『視界』という空間魔法だ。
不意に――ケルンの白黒で構成される視界に、生い茂る木々以外のモノが写り込む。
所々欠けた家屋の形、対魔物用であろう穴が開いた防衛柵。
かつてそこで行われていたであろうヒトの営みが、風化してケルンに伝わってきていた。
「……!! エリーさん、少し止まって下さい」
「何か見つかりましたか?」
「家の……残骸、のようなものがあります。遺跡?」
ケルンの言葉に、エリーは上級風魔法『飛翔』の高度を落としてゆく。
木々の葉の隙間を縫うようにして、使用人と少年は空を塞ぐ緑の天蓋の内側に降り立った。
魔法再構成の手間を鑑みて、地面から少し浮く程度で『飛翔』を発動しながら、エリーは当たりを見回す。
「これは……恐らく滅んだ集落跡でしょう。森林迷宮内には、数百人のヒト種が住んでいる集落が点在していますから」
「それ、不味くないですか!? ヒトの死体があったら屍人の温床になりますよね!?」
ケルンが焦りを含ませながら、言葉を紡ぐ――と同時に、その光景が『視界』に映り込んできた。
辺り一面に無造作に放り投げられた、雑な作りの石板。
その石板に刻まれた、森林言語――ヒト種一人一人の固有名詞。
極めつけには、石板の数とピッタリ同じだけ、ヒト一人がすっぽり入るだけの穴が地面に開いている。
その光景が表す意味に思い至り、ケルンは口を閉ざした。
「……手遅れでしょう、もうすでに。見て分かる通り大量の屍人は十中八九、集落跡で生み出された。集落では独自の文化があったりしますから、このように火葬でなく土葬であることも稀ではないですし」
長い睫毛を伏せ、栗色の髪を左右に揺らしながら、エリーは感情を押し殺した声でケルンに言う。
屍人がどうやって生まれてくるのか。
分かったつもりでいたケルンだったが、実際に彼らの過去を目の当たりにすると、何か他に手はなかったのかという後悔が湧いてくる。
「くそッ……そういえば俺が最初に戦った二匹の屍人は、動きが緩慢というか、素人じみてました……」
「斬ったのは……屍人になった冒険者でなく、墓を暴かれた集落の元住人だった、という訳ですか」
長剣の柄を握るケルンの手が、力の込めすぎで色白になってゆく。
悔しいような、やるせないような。
ケルンの態度から、ブレンドされた負の感情がにじみ出していた。
「……」
「気に病まないでください、ケルン様は何も悪くない……最悪の気分ですね、唾棄すべき行為だ」
エリーは吐き捨てるように呟き、短杖を振り上げた。
ケルンとエリー、二人の感情は一致している。
「見つけましょう、エリーさん」
「もちろんです。早急に黒幕の居場所を掴み、排除しなければ」
二人は、集落跡から飛び立った。
エリーの言葉を受けて、ケルンは押し黙る。
その小さな両手が微かに震え、彼は手に持った剣で、盗賊の長の心臓を貫いたときの感触を思い起こした。
命を奪う瞬間の手ごたえは、落ちない汚れとなって掌中にこびりついている。
(ゲリュドは、俺のような弱っちい子供に殺されるとき、どんな顔をしていたんだろうか。目が見えなかったあの時と今は違う……俺はもう、殺す相手の顔が見えてしまう)
絶命の表情はきっと、一生消えない記憶となって残ることだろう。
屍人や魔物を殺すのとは訳が違う、同族を手に掛けるという罪の恐怖は、ケルンの心を蝕んでゆく。
ケルンは考えることに耐えられなくなり、口を開いた。
「……エリーさん。魔族とヒトは、どうしても相容れないんでしょうか?」
エリーは、言葉を発したケルンにちらと視線を向ける。
纏う魔力の様子から、索敵を怠っているわけではないことを確認した使用人は、森林迷宮上を少年を抱えて飛翔したまま返答する。
「今回の魔族を認めるということは、森林地域中のヒト種が屍人になることを容認するということです。……いかなる理由が魔族側にあったとしても、私達は元凶を倒さねばなりませんね」
――「恐らく大規模な討伐隊が組まれます。ケルン様だけが魔族に剣を向けるのではないですよ」と。
たとえヒトに近しい知性体を殺すことになったとしても、その責任の所在は誰もに等しくあるのだと諭す。
それを聞いて暫く考え込んでいたケルンは、エリーの方に申し訳なさそうな顔を向けて問う。
「……こんな事聞くのはどうかと思うんですけど。エリーさんは、ヒトを殺したことがありますか?」
「冒険者時代に二人ほど。当時敵対していた一団と殺し合いが起きまして……今でもよく覚えています」
「怖いって、思わないですか。ヒトを殺すのが」
「思いますよ、とても。今でも、後悔をしています……でも、大切なヒトが害されるかもしれない状況に陥れば、私はやはり容赦なく相手を手に掛けるでしょう」
少年より歳と経験を少なからず重ねている王女専属の使用人は、淡々と答えてゆく。
上級風魔法『飛翔』の推進力を一旦停止させ、エリーはその場に停止飛行した。
微笑みながら、彼女は小さな少年に説く。
「強さとは、誰かを守るためにあるのです。それだけ忘れなければ、きっと大丈夫。ケルン様は、誰かを傷つけるために剣を振っているのではないでしょう?」
エリーは、抜き身の長剣をぶら下げるケルンの手に軽く触れた。
ピクリと、微かに少年の体が震える。
「いえ……俺はただ、リセに追いつきたいって。いつの日か彼女の隣に立っていたいって、それだけで」
「ふふっ……では何故、さっき屍人と戦っていたのですか? わざわざ命の危険を冒してまで、何故?」
「それは……」
口ごもるケルンを見て、エリーは栗色の髪を揺らして笑う。
本来、エイシャとケルンはベルグ東門の外に居るはずがなかったのだ。
ベルグ外壁の向こうは森林迷宮が広がり、様々な魔物が闊歩しているような土地。
冒険者でもなく、修練中の身で何も持たずに外に飛び出すなど、自殺行為以外の何物でもない。
(恐らく、ケルン様は空間魔法で東門の向こうの状況――屍人が迫っていることに気づき、エイシャ様と共に慌てて助太刀に入ったというところでしょうか。強い冒険者を呼ぶなり、もう少し懸命な判断はあったと思いますが……結果的に、彼らが居なければマズかった)
「ケルン様は言動こそ弱気ですが、お嬢様ととても良く似た考え方をされています。自分の行動に理由を求め、悩んでおられる。いつでも、考えうる一番正しい行動がとれるようにと」
「本当に、そんな大層なものじゃないですよ。俺は、間違えるのが怖いだけです……これまでは、馬鹿みたいに間違え続けて来たって思うから」
「きっと、怖いままでもいいのではないですか?」
そう言うエリーに、ケルンはキョトンとした顔を向ける。
ケルンが思い浮かべる強さとは、盗賊の塒で出会った王女リセリルカのそれだ。
少なくとも、彼女が何かに恐れているところはケルンには想像がつかない。
目指すべきは何事にも恐れず動じない心だ、と勝手に思っていた黒髪の少年は、エリーの言葉に虚を突かれた。
「怖いと思えないのは、とても怖いことですよ。そして、恐怖を感じないヒトなど、どこかタガが外れてしまっている狂人です。だから、ケルン様はそのままで良いと思います」
「え……リセも、何か怖いと感じることがあるんですかね?」
本気で驚いたような顔をするケルンに、エリーは呆れ声を滲ませて返答した。
「貴方はお嬢様を何だと思っているのですか……当たり前でしょうに」
***
第五王女専属の使用人にその体を支えられ、緑に茂る森林迷宮の上空からケルンは地上を見る。
見ると言っても、彼は盲目。
少年の目の役割を果たすのは、『視界』という空間魔法だ。
不意に――ケルンの白黒で構成される視界に、生い茂る木々以外のモノが写り込む。
所々欠けた家屋の形、対魔物用であろう穴が開いた防衛柵。
かつてそこで行われていたであろうヒトの営みが、風化してケルンに伝わってきていた。
「……!! エリーさん、少し止まって下さい」
「何か見つかりましたか?」
「家の……残骸、のようなものがあります。遺跡?」
ケルンの言葉に、エリーは上級風魔法『飛翔』の高度を落としてゆく。
木々の葉の隙間を縫うようにして、使用人と少年は空を塞ぐ緑の天蓋の内側に降り立った。
魔法再構成の手間を鑑みて、地面から少し浮く程度で『飛翔』を発動しながら、エリーは当たりを見回す。
「これは……恐らく滅んだ集落跡でしょう。森林迷宮内には、数百人のヒト種が住んでいる集落が点在していますから」
「それ、不味くないですか!? ヒトの死体があったら屍人の温床になりますよね!?」
ケルンが焦りを含ませながら、言葉を紡ぐ――と同時に、その光景が『視界』に映り込んできた。
辺り一面に無造作に放り投げられた、雑な作りの石板。
その石板に刻まれた、森林言語――ヒト種一人一人の固有名詞。
極めつけには、石板の数とピッタリ同じだけ、ヒト一人がすっぽり入るだけの穴が地面に開いている。
その光景が表す意味に思い至り、ケルンは口を閉ざした。
「……手遅れでしょう、もうすでに。見て分かる通り大量の屍人は十中八九、集落跡で生み出された。集落では独自の文化があったりしますから、このように火葬でなく土葬であることも稀ではないですし」
長い睫毛を伏せ、栗色の髪を左右に揺らしながら、エリーは感情を押し殺した声でケルンに言う。
屍人がどうやって生まれてくるのか。
分かったつもりでいたケルンだったが、実際に彼らの過去を目の当たりにすると、何か他に手はなかったのかという後悔が湧いてくる。
「くそッ……そういえば俺が最初に戦った二匹の屍人は、動きが緩慢というか、素人じみてました……」
「斬ったのは……屍人になった冒険者でなく、墓を暴かれた集落の元住人だった、という訳ですか」
長剣の柄を握るケルンの手が、力の込めすぎで色白になってゆく。
悔しいような、やるせないような。
ケルンの態度から、ブレンドされた負の感情がにじみ出していた。
「……」
「気に病まないでください、ケルン様は何も悪くない……最悪の気分ですね、唾棄すべき行為だ」
エリーは吐き捨てるように呟き、短杖を振り上げた。
ケルンとエリー、二人の感情は一致している。
「見つけましょう、エリーさん」
「もちろんです。早急に黒幕の居場所を掴み、排除しなければ」
二人は、集落跡から飛び立った。
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