盲者と王女の建国記
第2項12話 忘れ人の宴Ⅱ
それは、星々の瞬きが薄れてゆく夜明け前。
都市ベルグから5KMも離れない、『森林迷宮』の浅部にて。
最下級、駆け出しの証である木等級の階級章を下げた二人の冒険者が、それぞれ法衣と革製の鎧を土に塗れされ、匍匐状態で周囲を伺っていた。
周囲には、頭を吹き飛ばされたヒト――いや、肌は余すことなく赤黒く、みすぼらしい恰好をしたヒトに似た怪物が数十匹転がっている。
「『万物に揺蕩う光の聖霊よ。ウィルオウィスプの白光よ。我が祈りを聞き届け、細やかな木漏れ日を只人に。どうか小さき霊験を――』」
声を抑えながらも、幼さを残した舌っ足らずな詠唱が魔法を紡ぐ。
白と黒。修道女の法衣を纏った少女が、うつ伏せながらも木製の長杖を握り締め、光の精霊に細やかな祈りを捧げている。
「『治癒』」
少年は匍匐状態で、患部である腕を出していた。
酷いもので、小麦色だったであろうその皮膚は赤黒い斑点が広がっている。しかもそれは、生きているかのように動き広がり続けていて。
修道女の少女が唱えた『治癒』の光魔法が、腐りかけのようなその表皮に染み込み、本来の色をみるみる取り戻させてゆく。
「っ、はあ…………」
長い安堵の溜息が弾みになり、少年の額から首にかけて大粒の汗がだらりと一筋流れ落ちた。
軽く確かめるように、彼は腕を開閉。
問題なく動くことを確認すると、淀みない動作で金属製の弾倉を引き抜き、相棒である長銃の引き金を引いて空撃ち。
「ありがと、クララさん。まだ魔法は使えそうかな?」
動作を終えて、銃士の少年は修道女の少女に問うた。
「いいえ……ごめんなさい、もう。魔力が空っけつで、使えそうになくって」
力なく首を振る少女を横目に、少年は腰帯に通した雑嚢から幾つかの道具を探る。
が、探していた手ごたえが伝わって来なかったようで、彼は軽く唇を噛んだ。
「回復薬も、もう底をついてる。僕の長銃の弾も尽きてるし……応戦は絶対無理だね、隙を見て逃げるしかないかな」
「ごめんなさい、クーが攻撃魔法を――『聖光』を賜ってさえいれば、こんなことには……!!」
――「クーの方も、無いです……買ってこなかったですし、予備の一つは飲まれてしまって」と少年に習って道具の確認を行った彼女は、力なく首を振った。
それを聞いて、銃士の少年は長銃の上にマウントされている照準器を覗き込む。
凡そ百M先の木々の隙間から見え隠れするのは、ちぐはぐな動作をする、ヒトの形をした何かだ。
「いや、あの数はどうしようもないよ。幾ら光魔法が奴らの弱点属性っていってもさ……それに、いい機会だったじゃないか。君がずっとパーティ組んでたあの二人、碌なやつじゃなかっただろ?」
照準器の先に居るのは、ヒト種の形を成した何かだけではなかった。
ビクビクと小さく痙攣を繰り返すのは、手足が赤黒く染まった同胞二人。
その体に纏うのは、金をかけたのであろう小奇麗な鋼製の装備群。
彼らの首に掛かる階級章は、白の混ざった土気色をしていて。銃士と修道女よりも一つ高位の陶磁級だ。
「っ……でも、屍人に噛まれてそれで終わり、だなんて。あんまりですよ!!」
法衣を纏った少女は、耐えきれないといった風に。照準器を覗いて状況を見ている少年の服の裾を掴む。
屍人は分類的には魔族に入る。
死んだヒト種を火葬せずに放置すると、稀に死霊ハ・デスから分かたれた魔力が魂と混ざり、死して尚動き出す屍となる。
主に生死不明の冒険者が屍人となっていて、そしてそれはいつどこで発生してもおかしくはない。
厄介なのは、彼らに噛まれると――体液が健常なヒト種の体内に入ると、魔族に堕ちてしまうということだ。
屍人を放置すればヒトを襲い、襲われた者は屍人となる。増えていくのは必至だ。
「っ……解毒薬も、魔力回復薬も、金ケチって買わせなかったのはアイツらだろ!! 自業自得だ!! それに、忘れたわけじゃないよねっ、あの二人は、僕ら後衛を囮に逃げようとした……!!」
「それは……っ」
いささかヒトが良過ぎる修道女に、少年は空の雑嚢を勢いよく開いて見せる。
いつもは単独で依頼を受けていた銃士の少年は、今回初めて彼女達の一行に入り。
そして、修道女が組していた一行の異常さに気づいた。
構成は修道女の他に、前衛である剣士と斧戦士。どうやら、剣と斧の手合いは修道女よりも随分年上であったらしい。体躯も彼女の凡そ1.5倍、大人と子供位の差だ。
回復役である彼女には、依頼達成の報酬もきちんと配られていなかったのだろう、証拠に修道女が内に着込むのは粗雑な作りの皮鎧。
挙句の果てに金をケチって、依頼前に回復薬の類を買わない始末。最後には回復役である修道女を囮に、逃げる方向も分からず飛び出してゆき屍人の群れに突っ込んでいった。
「いいか、僕らは運が良かったんだ。クララさんも見てみろよっ……!? これが僕らを囮にアイツらが逃げた先、数百は居た屍人の群れだ!! どう見たって、自然発生する量じゃない!!」
クララへの怒りではなく、追い詰められている現状と馬鹿な連れへの思いを少年は吐き捨てる。
雑に放られた長銃を受け取って、おそるおそる彼女は照準器を覗き込んで。
ひぃっ、と小さい悲鳴がその細い喉から漏れた。
「っ、どう見ても異常事態、ですね。あ……つい二月前に『都市台』様が代わられたばかりですが、きちんと対応して下さるのでしょうか?」
はっ、はーっと呼吸を落ち着け、クララと呼ばれた修道女がゆっくりと話す。
「異常事態だってことを知らせるためにも、僕らはベルグへ戻らないといけないんだ。クララさんが修道女で、仲間を――いや、そうは呼びたくないけどさ、アイツらを見捨てて逃げることに抵抗があるのは分かるけど。もう彼らは手遅れだ、屍人と化してるよ……」
――「それに何より、こんなところで終わるのは御免だ」と銃士の少年は噛み締めるように言う。
こくりとその言葉に重く頷いた法衣の少女は、ぎゅうと長杖を握り締めた。
「ああ、光の聖霊よ。死して尚導かれぬ哀れな魂に、どうか慰めの光束をお当て下さいませ……」
クララは別れの餞別の代わりに、教義たる光の精霊に祈りをささげる。
修道女は精霊から光魔法を戴くという教えから、単なる魔法の詠唱すらも『祈り』が必要だと信じてやまない。
事実、彼女らの詠唱を用いた光魔法は、常人が扱うそれとは効力が段違いだ。
下級光魔法で、体の傷だけでなくある程度の状態異常までも治してしまう。
「さっき戦った感じだと、屍人は足が遅い。空になった弾倉でも、投げつけて頭に当たればよろけてくれると思う」
「長杖は何かを叩くものでは無いですけど……仕方ないですよね」
二人は匍匐からしゃがみ状態になり、互いの持ち物から打開策を探る。
腐っても、最下級でも、駆け出しでも。彼らは冒険者だ。
冒険――苦境に向かうその顔には、悲壮な面持ちはまるでない。
先に待つのは破滅か、それとも栄光か?
「ベルグは此処から5KM程度。僕かクララさん、どちらかが噛まれたらそれで終わりだ。誰かを呼んで助けに戻る間にも、屍人になり果てる」
「……なんとしてでも、潜り抜けないと――冒険、ですね、アルフレッドくん」
長杖を軽い風切り音と共に振ったクララは、初めて銃士の少年の名を呼んだ。
使い物にならない長銃を銃床を上にして持ち替えた銃士ははにかんで頬を掻く。
「はは……気が抜けるから、アルフって呼んでよ」
「じゃあクーのことも、クララと呼び捨てに」
こつん、と軽く互いの獲物をぶつけ合わせ、二人は頷きあう。
「一緒に切り抜けよう」「はい、この異常事態を伝えなくては」
音を立てないよう、尚且つ素早く。
二人の冒険者はベルグへ向かった。
星の瞬きは薄れ、白光が山際から滲みだす――夜明けだ。
都市ベルグから5KMも離れない、『森林迷宮』の浅部にて。
最下級、駆け出しの証である木等級の階級章を下げた二人の冒険者が、それぞれ法衣と革製の鎧を土に塗れされ、匍匐状態で周囲を伺っていた。
周囲には、頭を吹き飛ばされたヒト――いや、肌は余すことなく赤黒く、みすぼらしい恰好をしたヒトに似た怪物が数十匹転がっている。
「『万物に揺蕩う光の聖霊よ。ウィルオウィスプの白光よ。我が祈りを聞き届け、細やかな木漏れ日を只人に。どうか小さき霊験を――』」
声を抑えながらも、幼さを残した舌っ足らずな詠唱が魔法を紡ぐ。
白と黒。修道女の法衣を纏った少女が、うつ伏せながらも木製の長杖を握り締め、光の精霊に細やかな祈りを捧げている。
「『治癒』」
少年は匍匐状態で、患部である腕を出していた。
酷いもので、小麦色だったであろうその皮膚は赤黒い斑点が広がっている。しかもそれは、生きているかのように動き広がり続けていて。
修道女の少女が唱えた『治癒』の光魔法が、腐りかけのようなその表皮に染み込み、本来の色をみるみる取り戻させてゆく。
「っ、はあ…………」
長い安堵の溜息が弾みになり、少年の額から首にかけて大粒の汗がだらりと一筋流れ落ちた。
軽く確かめるように、彼は腕を開閉。
問題なく動くことを確認すると、淀みない動作で金属製の弾倉を引き抜き、相棒である長銃の引き金を引いて空撃ち。
「ありがと、クララさん。まだ魔法は使えそうかな?」
動作を終えて、銃士の少年は修道女の少女に問うた。
「いいえ……ごめんなさい、もう。魔力が空っけつで、使えそうになくって」
力なく首を振る少女を横目に、少年は腰帯に通した雑嚢から幾つかの道具を探る。
が、探していた手ごたえが伝わって来なかったようで、彼は軽く唇を噛んだ。
「回復薬も、もう底をついてる。僕の長銃の弾も尽きてるし……応戦は絶対無理だね、隙を見て逃げるしかないかな」
「ごめんなさい、クーが攻撃魔法を――『聖光』を賜ってさえいれば、こんなことには……!!」
――「クーの方も、無いです……買ってこなかったですし、予備の一つは飲まれてしまって」と少年に習って道具の確認を行った彼女は、力なく首を振った。
それを聞いて、銃士の少年は長銃の上にマウントされている照準器を覗き込む。
凡そ百M先の木々の隙間から見え隠れするのは、ちぐはぐな動作をする、ヒトの形をした何かだ。
「いや、あの数はどうしようもないよ。幾ら光魔法が奴らの弱点属性っていってもさ……それに、いい機会だったじゃないか。君がずっとパーティ組んでたあの二人、碌なやつじゃなかっただろ?」
照準器の先に居るのは、ヒト種の形を成した何かだけではなかった。
ビクビクと小さく痙攣を繰り返すのは、手足が赤黒く染まった同胞二人。
その体に纏うのは、金をかけたのであろう小奇麗な鋼製の装備群。
彼らの首に掛かる階級章は、白の混ざった土気色をしていて。銃士と修道女よりも一つ高位の陶磁級だ。
「っ……でも、屍人に噛まれてそれで終わり、だなんて。あんまりですよ!!」
法衣を纏った少女は、耐えきれないといった風に。照準器を覗いて状況を見ている少年の服の裾を掴む。
屍人は分類的には魔族に入る。
死んだヒト種を火葬せずに放置すると、稀に死霊ハ・デスから分かたれた魔力が魂と混ざり、死して尚動き出す屍となる。
主に生死不明の冒険者が屍人となっていて、そしてそれはいつどこで発生してもおかしくはない。
厄介なのは、彼らに噛まれると――体液が健常なヒト種の体内に入ると、魔族に堕ちてしまうということだ。
屍人を放置すればヒトを襲い、襲われた者は屍人となる。増えていくのは必至だ。
「っ……解毒薬も、魔力回復薬も、金ケチって買わせなかったのはアイツらだろ!! 自業自得だ!! それに、忘れたわけじゃないよねっ、あの二人は、僕ら後衛を囮に逃げようとした……!!」
「それは……っ」
いささかヒトが良過ぎる修道女に、少年は空の雑嚢を勢いよく開いて見せる。
いつもは単独で依頼を受けていた銃士の少年は、今回初めて彼女達の一行に入り。
そして、修道女が組していた一行の異常さに気づいた。
構成は修道女の他に、前衛である剣士と斧戦士。どうやら、剣と斧の手合いは修道女よりも随分年上であったらしい。体躯も彼女の凡そ1.5倍、大人と子供位の差だ。
回復役である彼女には、依頼達成の報酬もきちんと配られていなかったのだろう、証拠に修道女が内に着込むのは粗雑な作りの皮鎧。
挙句の果てに金をケチって、依頼前に回復薬の類を買わない始末。最後には回復役である修道女を囮に、逃げる方向も分からず飛び出してゆき屍人の群れに突っ込んでいった。
「いいか、僕らは運が良かったんだ。クララさんも見てみろよっ……!? これが僕らを囮にアイツらが逃げた先、数百は居た屍人の群れだ!! どう見たって、自然発生する量じゃない!!」
クララへの怒りではなく、追い詰められている現状と馬鹿な連れへの思いを少年は吐き捨てる。
雑に放られた長銃を受け取って、おそるおそる彼女は照準器を覗き込んで。
ひぃっ、と小さい悲鳴がその細い喉から漏れた。
「っ、どう見ても異常事態、ですね。あ……つい二月前に『都市台』様が代わられたばかりですが、きちんと対応して下さるのでしょうか?」
はっ、はーっと呼吸を落ち着け、クララと呼ばれた修道女がゆっくりと話す。
「異常事態だってことを知らせるためにも、僕らはベルグへ戻らないといけないんだ。クララさんが修道女で、仲間を――いや、そうは呼びたくないけどさ、アイツらを見捨てて逃げることに抵抗があるのは分かるけど。もう彼らは手遅れだ、屍人と化してるよ……」
――「それに何より、こんなところで終わるのは御免だ」と銃士の少年は噛み締めるように言う。
こくりとその言葉に重く頷いた法衣の少女は、ぎゅうと長杖を握り締めた。
「ああ、光の聖霊よ。死して尚導かれぬ哀れな魂に、どうか慰めの光束をお当て下さいませ……」
クララは別れの餞別の代わりに、教義たる光の精霊に祈りをささげる。
修道女は精霊から光魔法を戴くという教えから、単なる魔法の詠唱すらも『祈り』が必要だと信じてやまない。
事実、彼女らの詠唱を用いた光魔法は、常人が扱うそれとは効力が段違いだ。
下級光魔法で、体の傷だけでなくある程度の状態異常までも治してしまう。
「さっき戦った感じだと、屍人は足が遅い。空になった弾倉でも、投げつけて頭に当たればよろけてくれると思う」
「長杖は何かを叩くものでは無いですけど……仕方ないですよね」
二人は匍匐からしゃがみ状態になり、互いの持ち物から打開策を探る。
腐っても、最下級でも、駆け出しでも。彼らは冒険者だ。
冒険――苦境に向かうその顔には、悲壮な面持ちはまるでない。
先に待つのは破滅か、それとも栄光か?
「ベルグは此処から5KM程度。僕かクララさん、どちらかが噛まれたらそれで終わりだ。誰かを呼んで助けに戻る間にも、屍人になり果てる」
「……なんとしてでも、潜り抜けないと――冒険、ですね、アルフレッドくん」
長杖を軽い風切り音と共に振ったクララは、初めて銃士の少年の名を呼んだ。
使い物にならない長銃を銃床を上にして持ち替えた銃士ははにかんで頬を掻く。
「はは……気が抜けるから、アルフって呼んでよ」
「じゃあクーのことも、クララと呼び捨てに」
こつん、と軽く互いの獲物をぶつけ合わせ、二人は頷きあう。
「一緒に切り抜けよう」「はい、この異常事態を伝えなくては」
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二人の冒険者はベルグへ向かった。
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