盲者と王女の建国記
第25話 赤と白
魔法具店の、工房としてはいささか閑散さが過ぎる空間で、ヒト種が二人。
店主テインが床に伸びている隣で、顔を突き合わせていた。
「私はエイシャです、だたのエイシャ。家名は、ありません」
燃える様な赤髪の少女が、事のあらましをひとしきり話し終える。
同時に、ふわふわとカールする白髪を持つ女性に向けて名を名乗った。
盗賊団として魔法具店を襲い、その店主であるテインに返り討ちにされ。
一人残ったエイシャは、殺してくれと彼に懇願したが、諭された。
自分に一体何ができるのか、これからどうなるのか。
先の不安はいくらでもある、それでも――
――何か、何か一つを成す前に死んでたまるものか。
エイシャの中に、小さな種火が灯っていた。
それは、明日を生きるための糧であり、確かな『覚悟』の証だ。
幾万の失敗を乗り越えて、エイシャは必ず、一つの成功を手にするのだという小さな『覚悟』の。
エイシャの灼眼の瞳が煌々と強い輝きを放ちながら、ミゥを見据える。
その目に力強さを感じたミゥは、たおやかな微笑を浮かべた。
「……うん、よろしくね、エイシャ。――ええと、多分こっちの方が名が通ってて分かりやすいと思うから。《白の堅守》、白魔法研究者のミゥ・ツィリンダーです」
「――えっ!?」
ミゥの名前と"白魔法"という単語を聞いて、エイシャは瞠目する。
――自分が使える唯一の魔法、白魔法の基礎、『魔法壁』。
盗品の中の魔法書で学んだ、無能だった自分が誇れる唯一の利用価値。
確か、その魔法書は、著者の名前と共にこう結ばれていた――
『白魔法は、守りの魔法である。私が書き記した魔法が、君の大切なモノを守ることができたのなら、幸いだ』、と。
「あの、あの!! ……本を書かれてませんでした!? 『白魔法のススメ』っていう!!」
「うん、確かケルンがお腹にいる時に書いた本……あの時は、あんまり動き回れなかったから内職がてら。ケルンだけは、絶対守りたいって思ってて、その思いを書き綴ったのを覚えてるなぁ」
遠い目をしながら懐かしそうにするミゥの肯定を受けて、エイシャは体を震わせた。
誰かを守る力、それはエイシャが欲して止まなかったものだ。
もし、あの時――鋼殻蟻の群れが村を襲ったとき、その力が自分に備わっていたのならば、村の皆を助けられたのかもしれない。
気づくのが、あまりに遅すぎた。
何もかもを失って初めて、取り返しようのない失敗をして初めて、自分がいかに無価値かを思い知ったのだ。
「こんな事って……っ――!!」
――もう、間違えたくない。
もう二度と、私の前で大切な誰かを殺させない、傷つけさせない。
だだ一度なんて言わない、必ず、必ず成功を手にして見せる!!
なんて、巡り会わせだろうか。
なんて、数奇な運命だろうか。
死ぬなと諭されて、何かを成す決意して――すぐに、こんな。
見逃せるわけがない、見過ごせるわけがない。
欲しいんです、それが。喉から手が出るほどに――誰かを守る、その力が!!
エイシャは目を閉じ、両手から、白い魔法陣を生み出した。
優しい白光が、ミゥのその髪を更に純白に染め上げる。
紡ぎ出された魔法を見て、彼女はその白磁の双眸を細めた。
「――初級白魔法、『魔法壁』。エイシャ、私の本を読んだんだね? それにしても、すごいなぁ……詠唱省略なんて、本には書いてなかったはずなのに」
エイシャは更に、魔法陣を二つに分離して空中で自在に操作して見せる。
「分離まで――独学で……!?」
驚きを含んだ声に、こくりと無言で頷いたエイシャは、魔法を解き閉じていた目を薄く開いた。
そのまま、震える手を床に這わせ、頭を下げる。
「……盗賊団として。テインさんと、あなた方の息子を襲っておいて……とても、厚かましいとは思いますが、ミゥさん、あなたにお願いがあります――!!」
――がばっ、と顔を勢いよく上げ、決して退かないという覚悟を滲ませて。
「もう、嫌なんです……誰かが、目の前で居なくなるのだけは。私の、手の届く範囲だけでいいんです。全てをだなんて傲慢は言いません。――ただ、欲しいの!! 誰かを守れるくらい、強い力が!!」
「――お願いします!! 私を、エイシャを、弟子にしてください!!!!」
どうしようもない熱さが、ぽつりとエイシャの胸の奥に生まれた。
小さな種火は、赤い、赤い意思の炎となって燃え盛る。
燃え盛った赤い炎は、空に輝く白光に向けて手を伸ばす――
***
喧騒で賑わうベルグ東の通り。
豪奢な馬車が、路地に沿うようにゆっくりとその車輪を回す。
蹄と車輪の重低音が、とあるこじんまりとした店の前でぴたりと静止した。
「ごめんなさいね、ヅィーオ。面倒な役回りばかりで」
申し訳なさそうな声で、一人馬に乗るヅィーオに、リセリルカが声を掛ける。
ツィリンダー魔法具店には馬車を付ける場所がなく、やはり一人は見張りが必要だったのだ。
「俺からも、ごめんなさい……小さな店なので、馬車をつけるところがなくって」
「少年……いや、ケルン君。そんなに気にすることではない。お嬢様も、儂をこき使う位が丁度いいというものです。どっしり構えていてくれないと」
「――それに、女性が見張りというのもどうかと。馬車を襲ってくれと言っているようなものですから」
些細なことで謝るなと、豪快に笑うヅィーオに続けて、エリーが言葉を引き継いだ。
***
ヅィーオを除いた三人が、魔法具店の破壊され、見る影もなくなった扉の前まで足を運ぶ。
――ピクリ、と。
魔法に覚えのある王女と使用人が、その体を微かに震わせた。
「……白魔法かしら」
リセリルカが、乾いた血糊が付いた手を店内への入り口へ伸ばす。
が、コツンと軽い音を立てて、その手は弾かれた。
「そうですね、おそらくは……ただ、魔法だけでなく物理も防ぐ白魔法となると、ちょっと聞いたことが無いですね……」
「母さんの魔法です。昔同じように扉が壊れたことがあって、その時と同じだ。俺、ちょっと呼んできます」
ケルンはそう言うと、足元を確かめる様に一歩一歩進んでいく。
先ほどリセリルカの手が弾かれたにもかかわらず。
「ちょっとケルン!? ぶつかるわよ――って」
――スッ、とまるで魔法など無いかのように、不可視の壁をすり抜けていくケルンに、リセリルカとエリーは絶句した。
「どうなっているんでしょうね……一体? ミゥ様の魔法がケルン様を通したのか、ケルン様がこじ開けたのか」
「さあね……何にせよ。私は、ツィリンダー家を敵に回さない様に立ち回るわ」
エリーとリセリルカは、苦笑しながらケルンを見送った。
*
「母さーん!! 父さーん!!」
長い間、随分長い間、今日は外にいたと俺は思う。
慣れた店内の匂いに、微かに血臭が漂っていて、やっぱり全て現実なんだといまさら実感して。
……一度も、考えなかったのが不思議なくらいだ。
いくら、自分のことで一杯いっぱいだったとはいえ――父さんと母さんが、無事とは限らないということに。
「いないのかな。……もしかして、っ」
言葉の先は、怖くて口にできなかった。
言ってしまったら、それが本当になるような気がして。
俺は、探る様にして裏口への扉に手を当て、ドアノブを捻った。
扉を開けると、外の喧騒が耳に届いてきて。
囀る鳥の声に、客呼びするヒトの声。足音、風の音。
そして、ぽつりと。
工房の方から、聞きなれたふわふわとした声が聞こえて来た。
「母さーん!! いるんでしょー!! 帰ったよー!!」
「――ケルン!? ケルンなの!?」
俺が工房にも聞こえる様に、大きな声で母さんを呼ぶと。
焦ったような、慌てたような声と共に、バタバタと足音が近づいてきて――
がばっ、と。
いつもの、柔らかいにおいと共に、全身が包まれた。
「母さん、俺。やりたいこと、出来たんだ」
「……そうなんだ、でも、最初に言わせて欲しいの」
そのまま強くぎゅううと、俺の体を包み込みながら。
微笑みを声に乗せて。
「おかえり、頑張ったね、ケルン」
「っ、ただいまっ!!」
ありきたりで当たり前、だけどかけがえのない。
それを持っているという幸せを、俺は改めて噛みしめた。
店主テインが床に伸びている隣で、顔を突き合わせていた。
「私はエイシャです、だたのエイシャ。家名は、ありません」
燃える様な赤髪の少女が、事のあらましをひとしきり話し終える。
同時に、ふわふわとカールする白髪を持つ女性に向けて名を名乗った。
盗賊団として魔法具店を襲い、その店主であるテインに返り討ちにされ。
一人残ったエイシャは、殺してくれと彼に懇願したが、諭された。
自分に一体何ができるのか、これからどうなるのか。
先の不安はいくらでもある、それでも――
――何か、何か一つを成す前に死んでたまるものか。
エイシャの中に、小さな種火が灯っていた。
それは、明日を生きるための糧であり、確かな『覚悟』の証だ。
幾万の失敗を乗り越えて、エイシャは必ず、一つの成功を手にするのだという小さな『覚悟』の。
エイシャの灼眼の瞳が煌々と強い輝きを放ちながら、ミゥを見据える。
その目に力強さを感じたミゥは、たおやかな微笑を浮かべた。
「……うん、よろしくね、エイシャ。――ええと、多分こっちの方が名が通ってて分かりやすいと思うから。《白の堅守》、白魔法研究者のミゥ・ツィリンダーです」
「――えっ!?」
ミゥの名前と"白魔法"という単語を聞いて、エイシャは瞠目する。
――自分が使える唯一の魔法、白魔法の基礎、『魔法壁』。
盗品の中の魔法書で学んだ、無能だった自分が誇れる唯一の利用価値。
確か、その魔法書は、著者の名前と共にこう結ばれていた――
『白魔法は、守りの魔法である。私が書き記した魔法が、君の大切なモノを守ることができたのなら、幸いだ』、と。
「あの、あの!! ……本を書かれてませんでした!? 『白魔法のススメ』っていう!!」
「うん、確かケルンがお腹にいる時に書いた本……あの時は、あんまり動き回れなかったから内職がてら。ケルンだけは、絶対守りたいって思ってて、その思いを書き綴ったのを覚えてるなぁ」
遠い目をしながら懐かしそうにするミゥの肯定を受けて、エイシャは体を震わせた。
誰かを守る力、それはエイシャが欲して止まなかったものだ。
もし、あの時――鋼殻蟻の群れが村を襲ったとき、その力が自分に備わっていたのならば、村の皆を助けられたのかもしれない。
気づくのが、あまりに遅すぎた。
何もかもを失って初めて、取り返しようのない失敗をして初めて、自分がいかに無価値かを思い知ったのだ。
「こんな事って……っ――!!」
――もう、間違えたくない。
もう二度と、私の前で大切な誰かを殺させない、傷つけさせない。
だだ一度なんて言わない、必ず、必ず成功を手にして見せる!!
なんて、巡り会わせだろうか。
なんて、数奇な運命だろうか。
死ぬなと諭されて、何かを成す決意して――すぐに、こんな。
見逃せるわけがない、見過ごせるわけがない。
欲しいんです、それが。喉から手が出るほどに――誰かを守る、その力が!!
エイシャは目を閉じ、両手から、白い魔法陣を生み出した。
優しい白光が、ミゥのその髪を更に純白に染め上げる。
紡ぎ出された魔法を見て、彼女はその白磁の双眸を細めた。
「――初級白魔法、『魔法壁』。エイシャ、私の本を読んだんだね? それにしても、すごいなぁ……詠唱省略なんて、本には書いてなかったはずなのに」
エイシャは更に、魔法陣を二つに分離して空中で自在に操作して見せる。
「分離まで――独学で……!?」
驚きを含んだ声に、こくりと無言で頷いたエイシャは、魔法を解き閉じていた目を薄く開いた。
そのまま、震える手を床に這わせ、頭を下げる。
「……盗賊団として。テインさんと、あなた方の息子を襲っておいて……とても、厚かましいとは思いますが、ミゥさん、あなたにお願いがあります――!!」
――がばっ、と顔を勢いよく上げ、決して退かないという覚悟を滲ませて。
「もう、嫌なんです……誰かが、目の前で居なくなるのだけは。私の、手の届く範囲だけでいいんです。全てをだなんて傲慢は言いません。――ただ、欲しいの!! 誰かを守れるくらい、強い力が!!」
「――お願いします!! 私を、エイシャを、弟子にしてください!!!!」
どうしようもない熱さが、ぽつりとエイシャの胸の奥に生まれた。
小さな種火は、赤い、赤い意思の炎となって燃え盛る。
燃え盛った赤い炎は、空に輝く白光に向けて手を伸ばす――
***
喧騒で賑わうベルグ東の通り。
豪奢な馬車が、路地に沿うようにゆっくりとその車輪を回す。
蹄と車輪の重低音が、とあるこじんまりとした店の前でぴたりと静止した。
「ごめんなさいね、ヅィーオ。面倒な役回りばかりで」
申し訳なさそうな声で、一人馬に乗るヅィーオに、リセリルカが声を掛ける。
ツィリンダー魔法具店には馬車を付ける場所がなく、やはり一人は見張りが必要だったのだ。
「俺からも、ごめんなさい……小さな店なので、馬車をつけるところがなくって」
「少年……いや、ケルン君。そんなに気にすることではない。お嬢様も、儂をこき使う位が丁度いいというものです。どっしり構えていてくれないと」
「――それに、女性が見張りというのもどうかと。馬車を襲ってくれと言っているようなものですから」
些細なことで謝るなと、豪快に笑うヅィーオに続けて、エリーが言葉を引き継いだ。
***
ヅィーオを除いた三人が、魔法具店の破壊され、見る影もなくなった扉の前まで足を運ぶ。
――ピクリ、と。
魔法に覚えのある王女と使用人が、その体を微かに震わせた。
「……白魔法かしら」
リセリルカが、乾いた血糊が付いた手を店内への入り口へ伸ばす。
が、コツンと軽い音を立てて、その手は弾かれた。
「そうですね、おそらくは……ただ、魔法だけでなく物理も防ぐ白魔法となると、ちょっと聞いたことが無いですね……」
「母さんの魔法です。昔同じように扉が壊れたことがあって、その時と同じだ。俺、ちょっと呼んできます」
ケルンはそう言うと、足元を確かめる様に一歩一歩進んでいく。
先ほどリセリルカの手が弾かれたにもかかわらず。
「ちょっとケルン!? ぶつかるわよ――って」
――スッ、とまるで魔法など無いかのように、不可視の壁をすり抜けていくケルンに、リセリルカとエリーは絶句した。
「どうなっているんでしょうね……一体? ミゥ様の魔法がケルン様を通したのか、ケルン様がこじ開けたのか」
「さあね……何にせよ。私は、ツィリンダー家を敵に回さない様に立ち回るわ」
エリーとリセリルカは、苦笑しながらケルンを見送った。
*
「母さーん!! 父さーん!!」
長い間、随分長い間、今日は外にいたと俺は思う。
慣れた店内の匂いに、微かに血臭が漂っていて、やっぱり全て現実なんだといまさら実感して。
……一度も、考えなかったのが不思議なくらいだ。
いくら、自分のことで一杯いっぱいだったとはいえ――父さんと母さんが、無事とは限らないということに。
「いないのかな。……もしかして、っ」
言葉の先は、怖くて口にできなかった。
言ってしまったら、それが本当になるような気がして。
俺は、探る様にして裏口への扉に手を当て、ドアノブを捻った。
扉を開けると、外の喧騒が耳に届いてきて。
囀る鳥の声に、客呼びするヒトの声。足音、風の音。
そして、ぽつりと。
工房の方から、聞きなれたふわふわとした声が聞こえて来た。
「母さーん!! いるんでしょー!! 帰ったよー!!」
「――ケルン!? ケルンなの!?」
俺が工房にも聞こえる様に、大きな声で母さんを呼ぶと。
焦ったような、慌てたような声と共に、バタバタと足音が近づいてきて――
がばっ、と。
いつもの、柔らかいにおいと共に、全身が包まれた。
「母さん、俺。やりたいこと、出来たんだ」
「……そうなんだ、でも、最初に言わせて欲しいの」
そのまま強くぎゅううと、俺の体を包み込みながら。
微笑みを声に乗せて。
「おかえり、頑張ったね、ケルン」
「っ、ただいまっ!!」
ありきたりで当たり前、だけどかけがえのない。
それを持っているという幸せを、俺は改めて噛みしめた。
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