盲者と王女の建国記

てんとん

第22話 そうして日常は動き出す

……ああ、視界は相変わらず、平常運転の真っ黒だ。
ふわふわと、意識が遠のいては覚醒して、遠のいては覚醒してを繰り返す。
まどろみの中に浸かっているような、そんな感じ。
意識が浮上するその一瞬に、知っているものや、知らないもの……いろんなが聞こえてきた。



「ケルン」


「ケルン、頑張って」



聞きなれた、俺の名前を呼ぶ父さんと母さんの声。



「……チッ、てめえ欠損者・・・かよ!!」



俺のことを罵る、『欠損者』という忌まわしい言葉……この声は、誰の声だっただろう?



「――――――――!!!!」



幾重にも重なる、絶叫に次ぐ、絶叫。命が潰える声。
……やっぱり、一つも知らない声だ。
ああ、ダメだ……眠くって、何も考えられなくなって……起きられそうもない。
完全に、意識が闇の中へ沈んでゆく――自我が途切れかけた、そのときに、



「私の隣に立ちたいなら、もっと強くなりなさい、賢くなりなさい」


「――弱者など、このリセリルカには不要よ」



聞こえたんだ、金声玉振きんせいぎょくしんの澄んだ声が――



「――――ケルン」



その声が俺の名前を呼んだ瞬間に――胸の奥が、燻ぶりかけていた情熱が、狂おしい程の叫びを上げた。


――――熱い。


俺は、何をしているんだ。
やらなければならないことが、あったはずだろ。
もう止まらないと、一秒だって無駄にしないんだと、覚悟を決めたはずだろう?
寝ている、場合かよ!!!!



「……ルン……起きて……」



微かな音が、俺の耳朶を打つ。
忘れるはずもない、リセリルカの声。
未だ見ぬ金色の声の輪郭が、次第にはっきり聞こえてくる。



「――ケルン!!」



気づけの一声が、俺の脳内を雷の如く駆け抜けた。
……リセが、俺を呼んでる。
声を出そうと、体を力ませた次の瞬間、
――全身を、これまで体験したことの無い痛みがつんざいた。


「……っ、あ!? 痛っ……!!」


「良かったわ……意識、戻ったみたいね。動かないで、多分内臓が痛んでる」


リセの声に答えようにも、痛みで上手く声が出せない。
大きく息を吸うたびに内臓が圧迫されて、重い物体が腹の上に圧し掛かっているかのようだ。
絶え間なく続く鈍痛に、涙がこぼれてくる。

「ッあ、うぁっ……!!」


「貴方、泣いて……そういえば、まだよわい八だものね――私も、ケルンも」


俺の情けない姿を見た・・のだろうか、リセがそんなことを言った。
……いや、彼女は自分で目を潰していたはずだ。それにどうやら俺の『電転』も効果を失っている。
リセはどうやって俺の状態を確認しているのだろうか?


「ごめんなさい、光魔法は苦手なのよ。詠唱省略もできなくて……もう少し、我慢してね」


言葉を発せない俺の疑問に、リセは行動と結果でもって答えた。
彼女が紡ぐ『詠唱』が、金色を奏でる唄声が、俺の耳に届く。



「『万物に揺蕩う光の聖霊よ。ルーの長腕よ。我が祈りを聞き届け、光の息吹を旅人に。どうか癒しと施しを――』」



俺の全身に、暖かな感覚が広がってゆく。
過ごしやすい乾燥した日、陽の光を感じながら眠りに落ちる時のような心地よさだ。
じんわりと優しいぬくもりと共に、痛みが引いて――



「『慈悲の光癒ライト・ヒール』」



リセが魔法名を唱え終わると同時、鈍痛が嘘のように消え去った。
同時に、疑問も氷解する。
この魔法――光魔法があれば、リセの潰れた目も治せるということだ。
つまり、彼女はもう目が見えていて、先ほどの言葉は泣いている俺を見てのものだったということ。
憧れの少女に泣いているところを見られた事実が恥ずかしくて、俺はそれを誤魔化すように立ち上がった。


「……すごい、もう全然痛くない」


立つという行為を終えてから、自分の体の軽さに驚く。
今日は、俺の短い人生で間違いなく一番体を動かしたにも関わらず、疲れが一切残っていないのだ。
体の具合を確かめる様に手足を動かしていると、リセが苦笑する気配がした。


「こんな長い詠唱、一人では戦闘中に使えたものじゃないわ。言った通り、光魔法は苦手なの。一応、辛うじて使えるというだけよ、すごくなんかないわ」


「……え、じゃあどうやって目を治したの?」


てっきりこの魔法で傷を癒したのかと思っていた俺は、そうリセに問いただしていた。


「……そうね、私の研究成果とだけ言っておくわ。切り札の魔法は、おいそれと誰かに教えられるものじゃないから――――さあ、帰りましょうか!!」


リセはそう言って、俺の手に重い物を手渡してくる。


「――?? ああ、この重さは」


手に馴染む握りやすさに、確かな重み。
多分、リセが持っていた剣だろう。


「さすがに両手が塞がっていたら、ケルンを背負えないから。持っていて頂戴?」


「……両手が塞がる? 剣以外に何か持ってるの?」


そんな俺の問いから一呼吸おいて、リセは声を低くした。
彼女から発されたと思われる衣擦れの音と共に、鉄臭さが漂って来る。
どうもリセは、手に持った何かを俺の鼻先に掲げているらしい。


「察しなさいな。誰かを討った証というのは、討たれた者の体の一部と相場は決まってるものよ」


体の一部……討たれた者。
その言葉が指す人物の声は、先ほどまで聞いていた。
俺自身が彼と対話したわけではない。リセと彼が話すのを、間接的に耳にしていただけではあるが……。


「――そっか……そうだよ。俺は、ゲリュドを」


両手に、その時の感触が蘇る。
握る剣の冷たさ、皮膚を貫いてゆく感触、そして。


「はい、待った」


耳元で聞こえるリセの声と共に。ぎゅううと、俺の体が幸せな圧迫感に包まれた。


「うぁっ……!? 何してるの、リセ!?」


「どうせ、ヒトの命を奪う一瞬が嫌でも浮かんできて、今日は眠れないのだから――考えないようにしなさい。貴方の心を守るのも、貴方自身なのよ」


俺自身が、俺の心を守らなければいけない。
心が壊れてしまったら、リセの隣に居たいなんて夢のまた夢だから――って、
リセの体、柔らかいしあったかいし……血の匂いの他にも、ほんの少し甘酸っぱいようなにおいがして――
無理無理ッ!! 真面目なことすらまともに考えられないっ!!


「……ダイジョウブ、ナニモカンガエラレナイヨ」


「ケルン……? どうしたの、貴方変よ?」


「とりあえずリセ、離れて……? 色々と刺激が……!!」


絞り出した俺の言葉に、リセはこてんと首を傾げたらしく。
同じ頭の高さから垂れる彼女の髪一房が、俺の首元をくすぐった。


「ひぅぃ!?」


「ああ、なるほどねっ。刺激ってそういう……!!」


何とか察してくれたのか、リセは俺から体を離して――
こつん、と軽く俺の額を小突く。


「あいたっ」


「――ケルンの、えっち」


~~~~~~っ!! ああ、ダメだ。
声音に恥ずかしさを乗せて、そんなことを言うリセに対して。
胸の奥がくすぐったくなるような、落ち着かないような。
そんな感情が溢れてきて、止まらない。


「ほら、後ろに乗りなさい。大体、しるしと剣を持ちながらする会話ではないのよ!!」


そう言って急かすリセの声に、俺は慌てて彼女の首元に抱き着いた。



***



「ただいま~!! って……あれま。扉、壊れたままなの?」


一人の女性が、ツィリンダー魔法具店の店先をくぐっていた。
毛先にかけてカールした、色素の薄い真白な髪がふわふわと揺れ動いている。
身なりは白と黒を基調に統一されていて、ベルグでは一般的な綿の婦人服の上に、仕立ての良い外套ローブを羽織るという出で立ちだ。


「テイン~~!! ……返事ないなぁ。うーん、やっぱり魔法具をいじってるのかな。これからリセリルカ様が来るっていうのに」


彼女はぼやきながら、慣れた様子で裏口への扉を開ける。
庭の石畳を軽い調子でとことこと歩き、テイン・ツィリンダーの工房へと扉へと向かう。
慣れた様子で扉に手を翳し、テインのそれとは違う白色の魔法陣を浮かび上がらせる。


「テイン~いる~?? 開けるよ~」


「ミゥ……!? 少し待って――――」



ミゥの呼ばれた女性の白磁の双眸が、その光景を捉えた。
――床にへたり込みすすり泣く赤髪の少女と、ミゥと少女を交互に見合わせ狼狽える緑髪の男の姿を。



「……ねぇ、テイン??」


「な、何だ??」



彼女はミゥ・ツィリンダー。
テイン・ツィリンダーの伴侶にして、ケルンの母。
主都フォルロッジ召し抱えの白魔法研究者は、工房内の光景を目にして、その優しい目を鋭利に尖らせた。



「普通の浮気ならね、私もまだ許せたかもしれないの……でもね?? 少女性愛ロリコンは、ダメぇぇぇぇええええ!!!!」


抜けた性格のミゥから繰り出される、盛大な勘違いがテインに炸裂する。
女声らしく平手でもって、怒りという思いの丈を伴侶に向け――


――バチィィン!!!!

神速で放たれた手刀しゅとうを、辛うじてテインは受け止めていた。
顔を引きつらせながら、必死で弁解を試みる。


「ご、誤解だああああ!!!!」


「現行犯だよぉ!! 現 行 犯っ!! 神様もドラゴンも精霊様も満場一致で有罪判決だよぉ!! リセリルカ様に裁いてもらうからぁ!!」


ミゥの体術はテインの防御に勝るとも劣らず、苛烈で的確な打撃を叩き込んでゆく。
冷や汗を垂らしながら、なんとかそれを捌いていたテインが、ついに工房内の壁際に追い詰められた。
もはやこれまでとやけくそ気味に。
持ち前の冷静さはどこへやら、テインは叫び散らした。


「待ってくれっ!! おい、ええとッ……エイシャ!! お前からも何か言ってやってくれぇぇぁぁああッ!!!!」


寸劇めいたやり取りの果てに、ミゥの掌底がテインの顎に炸裂した。
ゆるゆると膝から力が抜けてゆき、「またか……」と小さく呟いて床に倒れる。


あっけにとられたようにぽかんとそれを眺めていたエイシャは、一度、二度。
大きく肩を震わせた。


「……ぷっ、あははははははっ!! なんですかこれっ!! お芝居っ!?」


「え、えっ!? あれっ?? あなた、テインに襲われてたんじゃ……??」


そのとんでもな勘違いに、ツボに入ってしまっていたエイシャは更に笑わせられる。


「あははははっ、はっ……げほっ、こほっ!!」


「大丈夫!? ほら、背中さすってあげるね!!」


笑いすぎで咽てしまったエイシャを、ミゥが介抱する。
何とか笑いを落ち着かせた赤髪の盗賊団員は、事のあらましをゆっくりと。

憑き物が落ちたような穏やかな顔で、ミゥに話し始めた。

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