盲者と王女の建国記
第21話 結びの霹靂
都市ベルグ内に、正午の鐘楼の音が鳴り響いたのはもう半刻も前のことだ。
ひゅうと吹いた一輪の風が、不安げな表情を浮かべる麗人の、栗色の髪を巻き上げた。
「……ねぇ、ヅィーオ。お嬢様、少し遅すぎるとは思いません?」
馬車馬から降り、街区南の廃墟を見渡しながら。
『使用人服』に身を包んだリセリルカの従者、エリーは。
同じく隣に立つ従者、ヅィーオに話しかける。
「突入から一刻以上は優に経ってるなぁ」
刻々と皺の刻まれていったであろうその肌を撫でながら、彼はエリーに返答した。
ヅィーオの顔つきは、エリーの深刻そうなものとは対照的に、余裕そうな笑みが浮かべられている。
主に敬虔な使用人は、その態度を見咎めた。
「あなた……従者として、主が戻らない事が心配ではないのですか?」
「いやまあ、心配してないわけではないがな? ただ想像ができなくってなあ……リセリルカ様が戦って敗れることが」
エリーも、もっともだと思ったのかヅィーオに視線を飛ばしたまま閉口した。
直後、彼のその言葉に呼応するかのように。
――青天に、金色の雷が霹靂いた。
「金色の雷 ――お嬢様、相手はそれほどの?」
「《迷宮》中部辺りからか……リセリルカ様、本気のようだな」
エリーとヅィーオは、轟く雷鳴を聞きながら互いに顔を見合わせる。
その後どちらともなく、同じ意味合いの言葉を発した。
「行っては邪魔になりますか……歯がゆいですが、大人しく待っていましょう」
「行かん方がいいだろうな……儂は巻き込まれて死ぬのは御免だ」
二人の従者。
第五王女の力を最も良く知るであろう男女は、鳴りやまない雷鳴を聞きながら互いに苦笑し合った。
***
「……好きにするといいとは言ったが、店からは出てくれないか? これから客人が来る予定があるんだ、君に居座られると俺としても困る」
ツィリンダー魔法具店。
その木で作られた店の床に、いつまでも虚ろな目で座り込む少女が居た。
身に纏う黒外套のフードから、無造作に伸ばされた燃える様な赤髪が零れ落ちている。
店内の床には凄惨な戦闘を物語る、赤い血糊の跡がいくつもあり。
負傷もしくは死亡した盗賊団員達は、既に店主によって排された後であった。
エイシャは自身に声を掛けた、魔法具店店主であるテイン・ツィリンダーの方へ顔を向ける。
だが、出てくる言葉は存在せず。暫くの間、両者の間に沈黙が流れた。
「……」
「……」
先に折れたのは、テインだった。
短い緑髪の生えた頭を軽く掻き、戦闘時にあれほどの無表情を貫いたヒトとは思えないような、困り顔を見せる。
赤髪の少女は、ゲリュドを嵌めた店主を殺してやると息巻てくるでもなく、ただポツンと魂が抜けてしまったかのように座り込んでいるだけ。
職人気質のテインは、そんな少女の扱い方が分からない。
「……何か言ってくれないか? 俺はこの通り、ヒトの心の機微なんて分からないんだ」
その言葉に、ぼんやりとテインを見つめたまま。
傷だらけの少女が、ぽつりぽつりと思いを零す。
「――私を……ううん、エイシャをもういっそ、殺してくれませんか」
何の感慨もなく、殺してくれと懇願する彼女に。
テインは、無言で言葉の先を促した。
エイシャは外套の袖をまくり上げ、傷だらけの腕をさらけ出す。
暫くそれを見つめていた彼女は、傷の一つ一つを指でなぞりながら言葉を紡いでゆく。
「エイシャは……あの時に。お父さんとお母さん、村の皆が蟻の魔物に食べられたその時にきっと、もう死んでしまっていたんです」
消えない傷跡は、彼女の壮絶な過去を決して忘れさせない。
刻まれた心の傷を癒すには、仮初でもなんでも、居場所が必要だった。
それが例え、親しいヒト達を殺した相手の元であったとしても。
「私は……村の皆を魔物を使って殺した、ゲリュドに。憎くてたまらないはずのヤツに。ずっと復讐するために生きてきた、はずだったのに……」
エイシャが、自身でも知らずの内に噛み締めていた唇から、血が垂れた。
それはまるで、枯れた涙の代わりだとでもいうかの如く。
「可笑しいですよね、殺すどころか、守ってしまうんです。本当に、馬鹿みたい……ただ私は――独りが怖かっただけ」
自嘲的な笑みを浮かべ、誰にも明かさなかった心の内を吐露する。
復讐を誓ったときから動きを止めていた、エイシャのヒトとして当然の感情が。
寂寥感だったり、罪悪感だったり。麻痺してしまっていた当たり前が。
目に見える居場所の崩壊がキッカケで、氷解していた。
「……いっぱいいっぱい、間違えました。復讐心で何も見えないふりをして、盗んで、殺して」
罪の意識は、いくら当人が何も感じないふりをしていても、拭いきれない。
どこかで必ず、無視し続けたそのツケを払うことになる。
エイシャの場合は、これから生きることを諦めてしまうほどに、それは大きかった。
「もう、いいんですよ……沢山なんですよ。私はなんて、無意味だったんでしょう、無価値だったんでしょう」
復讐を誓い、それが果たせず。
今までしてきた間違いに、今更後悔して。
――そんなの、どうしようもなく無意味じゃないですか。
私は、何だったんでしょう、何がしたかったんでしょう。
これからも、無意味を重ねて生きていくのならば、そんなことを繰り返していくのならば。
ここで、終わってしまいたい――
「――お願いします、エイシャを、ここで終わらせてください」
首を垂れて、少女は懇願した。
そうなる未来を示唆するように、フードの奥から床に垂れる真っ赤な髪が、首筋からあふれ出る鮮血ようだ。
エイシャが言葉を紡ぎ終え、再び沈黙がその場を支配する。
テインは、口を開きかけては、何度も閉じるのを繰り返し――ようやく、一つの台詞を口にした。
「……付いてこい、工房を見せてやる」
そう言ってテインは、エイシャの返事も聞かないまま店の裏手に歩いてゆく。
「……」
自分の懇願に何も答えなかったテイン。
沈黙と行動という返答に、エイシャの足は彼の後ろを追っていた。
*
無言で魔法具店の裏口から外に出る店主を、私はゆっくり追いかけてゆく。
店から外に出ると、庭の青草にぽかぽかとあたたかい日差しが降り注いでいて。
ひどく、暗くて湿った場所が似合う私には居心地が悪い。
店主が、庭に埋め込まれた石畳を一定のリズムで踏みしめて歩いていく。
先ほどの魔法具店内よりも少し大きいだろうか、きっとこれが工房だろう。
手慣れた手つきで彼は懐から石を取り出し――工房の石扉にかざすと。
紫色の魔法陣がうっすらと浮かび上がり、ひとりでに扉が開いてゆく。
火魔法を使っているわけでもないだろうに、店主が工房に入ると部屋全体が黄色がかった優しい光に包まれる。
木材と石で作られた彼の工房には、中央の床に大きな魔方陣が彫り込まれている他には、特に特徴がなく――
それよりも私は、部屋の隅に無造作に積み重ねられている木箱の中身、おびただしい数の魔法具に目を奪われた。
「――すごい、これ全部魔法具……!?」
さっきまで殺してくれと言っていた自分が、魔法具を見て少し興奮してしまっている。
そんな状況に恥ずかしさと情けなさを覚えていると、店主は私に背を向けたまま苦笑した。
「……見たいなら、好きに手に取ってみるといい。それらは全部、失敗作だが」
木箱の一番上に、畳まれた灰色の布が置いてある。
言われるがまま、私はそれを無造作に取ってみた。
「……これは?」
私がそう問いかけると、寡黙だった店主が饒舌に語りだす。
心なしか、声が弾んでいるような気がして。
「魔力を吸収する布の試作品だ。将来的に、布単品で魔法を無効化したり、魔力を再利用したりするのを目標としている」
「……破魔の石ではダメなのですか?」
魔法を無効化と聞いて、ピンと来るのは破魔の石だ。
罪人を入れる牢屋や、奴隷を縛る足枷によく使われていて、触れているものが魔法を使えないようにする石。
私のその言葉に、店主は首を横に振る。
「あれは、魔法を破壊した後に魔力を霧散させてしまうんだ。無効化した魔法に内在する魔力を溜めることができるなら、もっといろんな用途に使えると思わないか?」
そう話す彼は、とても楽しそうで。
私みたいな暗い、復讐なんていう目標でなく、好きなことにまっしぐらに向かっているような。
ひどく明るくて、眩しい。
「……魔法具一つ作るのに、俺は何度も失敗をする」
積み上げられた失敗作の山を見て、店主は目を細める。
その視線からは、過去の自分への憤りや、情けなさなどは微塵も感じられない。
「失敗して、改善して。また失敗して、改善して。そうして繰り返していくうちに、だんだんと解っていく」
自分の経験を語る彼は、失敗作の山から視線を移し。
私の顔を隠していたフードをそのゴツゴツした手で外して、目を合わせた。
氷のような澄んだ水色の瞳が、確かな感情を私に訴えかける。
「俺は、耐えられない――失敗作を作ることじゃなく、一回の成功をこの目で見られないことが」
一回の、成功。
言葉少なな店主は、私に何を言いたいのだろう。
「――君は、どうなんだ?」
夥しい数の失敗を重ねて。
一度の成功もないまま。
――君はそれでいいのか? どうなんだ?
そのまま、何も成せないで死んでしまって、私はそれでいいのか?
「私は……エイシャは」
失敗したと思うのなら、次に向けて改善すればいい。
そうやって、一回でも何かを成せたのならば――
「俺は今まで、子供を殺したことはない。彼らは――いや。君はまだ、何にでも成れるのだから」
「……すまん。これで、伝わってくれ」
難しい顔をして頭を掻く店主の顔が、滲んでぼやける。
――気づけば、ぽたぽたと私の顔から何かが滴り落ちていた。
「ひっく……うぁっ……うわぁぁぁぁああああん……!!」
とうに枯れたと思っていた涙が、どうしようもなく溢れて落ちる。
何度もせぐりあげて、お父さんとお母さんに叱られて泣いた時のように。
私の心模様を表したのか、青天の空に似合わない、雷の音が轟いた。
***
深々と広がるのは、日の光を受けてなお暗緑の遮光幕。
都市ベルグの外壁の外『森林迷宮』の中層に入ろうかという場所で、ヒトの形をした何かが、予備動作無しに剣を振り出す。
――ビュウ、と。
ゲリュドという名だった者が振るった剣はしかし、風切り音と共に空を切った。
直後――眩い程の金色が、暗緑のカーテンの内を照らし上げる。
『集魔香』で周囲に集まっていたはずの魔物が、霧散していくほどの魔力と轟音。幼い少女を中心に、渦巻いていた。
「『金色の霹靂神』」
発現した魔法は、神の名を騙る過生不敬。
しかれど、名に恥じぬ絶大な力を秘めている。
――リセリルカは、何気ない所作で片足を踏み出す。
その場に残ったのは、凄まじい威力で踏み抜かれた地面だけ。
金色の描いた軌跡を追えば、ケルンが倒れ伏している巨木の膝元に、彼女は不可視の速度で移動していた。
金色の電鞭が、王女の全身を染め上げ。
その美しい長髪が翻り、はたたく。
圧倒的な電力に、速度。それだけでは、決してなった。
――ジュゥゥウと、雷鳴とは異なる音がリセリルカの傷口から発されている。
赤黒く染まる全身の打ち身も、剣に貫かれた肩口の傷も。自らで潰した両目も。
体の至る所に刻まれたすべての怪我が、急速に癒えてゆく。
「はぁ……痛ったいわね。何時ぶりかしら、こんなに傷を負ったのは」
嘯きながら、リセリルカは。
――その金色に光る瞳を、見開いた。
「ケルン、待ってて頂戴――一瞬で、終わるわ」
にこり、リセリルカは愛嬌のある笑顔を気絶しているケルンに向ける。
――隙を伺っていたわけではないだろうが、ゲリュドはそのタイミングで王女へ向けて跳躍していた。
「『雷霆万金』」
あらぬ方向に手足が向いた大男の突貫、それに見向きもしないで。
呟かれた一声と共に、リセリルカは片手を向け金色の雷を放つ。
――暗緑の森一面を、金色が染め上げた。
極太の稲妻が、真横に。
ゲリュドへ向けて不可避の速度で、範囲で、すでに突貫を終えていた。
一瞬遅れ――ドガァァァァアアアアン!!!!!!
大音声が、《森林迷宮》および都市ベルグを劈いた。
飛電が通り終えた森林内の、至る所で火の手が上がる。
強すぎる電力は、通り終えた後にも火焔という爪痕を残す。
それは、ゲリュドも例外では無かった。
強制的に絶命まで追い込む電撃が、ゲリュドを貫き。
彼の体を操っていた、エルヴィーラの『幻金糸』が焼け落ちる。
最早動かなくなった体を、燃え盛る焔が蹂躙して――
「『雷騰雲奔』」
――音と結果だけが、彼女が"動いた"証だった。
燃え盛る巨体からは、首から上が消え去っていて。
綺麗な断面から、血が玉のように浮かぶ。遅れて――ビュウッッ!!!! と剣を振るう音が森に木霊していった。
やがて、切断面からは、勢いよく液体が噴き出し。
ケルンの元から一歩も動いていないように見える、王女。
リセリルカの剣を握っていない片手には、ゲリュドの頭がぶら下げられていた。
ひゅうと吹いた一輪の風が、不安げな表情を浮かべる麗人の、栗色の髪を巻き上げた。
「……ねぇ、ヅィーオ。お嬢様、少し遅すぎるとは思いません?」
馬車馬から降り、街区南の廃墟を見渡しながら。
『使用人服』に身を包んだリセリルカの従者、エリーは。
同じく隣に立つ従者、ヅィーオに話しかける。
「突入から一刻以上は優に経ってるなぁ」
刻々と皺の刻まれていったであろうその肌を撫でながら、彼はエリーに返答した。
ヅィーオの顔つきは、エリーの深刻そうなものとは対照的に、余裕そうな笑みが浮かべられている。
主に敬虔な使用人は、その態度を見咎めた。
「あなた……従者として、主が戻らない事が心配ではないのですか?」
「いやまあ、心配してないわけではないがな? ただ想像ができなくってなあ……リセリルカ様が戦って敗れることが」
エリーも、もっともだと思ったのかヅィーオに視線を飛ばしたまま閉口した。
直後、彼のその言葉に呼応するかのように。
――青天に、金色の雷が霹靂いた。
「金色の雷 ――お嬢様、相手はそれほどの?」
「《迷宮》中部辺りからか……リセリルカ様、本気のようだな」
エリーとヅィーオは、轟く雷鳴を聞きながら互いに顔を見合わせる。
その後どちらともなく、同じ意味合いの言葉を発した。
「行っては邪魔になりますか……歯がゆいですが、大人しく待っていましょう」
「行かん方がいいだろうな……儂は巻き込まれて死ぬのは御免だ」
二人の従者。
第五王女の力を最も良く知るであろう男女は、鳴りやまない雷鳴を聞きながら互いに苦笑し合った。
***
「……好きにするといいとは言ったが、店からは出てくれないか? これから客人が来る予定があるんだ、君に居座られると俺としても困る」
ツィリンダー魔法具店。
その木で作られた店の床に、いつまでも虚ろな目で座り込む少女が居た。
身に纏う黒外套のフードから、無造作に伸ばされた燃える様な赤髪が零れ落ちている。
店内の床には凄惨な戦闘を物語る、赤い血糊の跡がいくつもあり。
負傷もしくは死亡した盗賊団員達は、既に店主によって排された後であった。
エイシャは自身に声を掛けた、魔法具店店主であるテイン・ツィリンダーの方へ顔を向ける。
だが、出てくる言葉は存在せず。暫くの間、両者の間に沈黙が流れた。
「……」
「……」
先に折れたのは、テインだった。
短い緑髪の生えた頭を軽く掻き、戦闘時にあれほどの無表情を貫いたヒトとは思えないような、困り顔を見せる。
赤髪の少女は、ゲリュドを嵌めた店主を殺してやると息巻てくるでもなく、ただポツンと魂が抜けてしまったかのように座り込んでいるだけ。
職人気質のテインは、そんな少女の扱い方が分からない。
「……何か言ってくれないか? 俺はこの通り、ヒトの心の機微なんて分からないんだ」
その言葉に、ぼんやりとテインを見つめたまま。
傷だらけの少女が、ぽつりぽつりと思いを零す。
「――私を……ううん、エイシャをもういっそ、殺してくれませんか」
何の感慨もなく、殺してくれと懇願する彼女に。
テインは、無言で言葉の先を促した。
エイシャは外套の袖をまくり上げ、傷だらけの腕をさらけ出す。
暫くそれを見つめていた彼女は、傷の一つ一つを指でなぞりながら言葉を紡いでゆく。
「エイシャは……あの時に。お父さんとお母さん、村の皆が蟻の魔物に食べられたその時にきっと、もう死んでしまっていたんです」
消えない傷跡は、彼女の壮絶な過去を決して忘れさせない。
刻まれた心の傷を癒すには、仮初でもなんでも、居場所が必要だった。
それが例え、親しいヒト達を殺した相手の元であったとしても。
「私は……村の皆を魔物を使って殺した、ゲリュドに。憎くてたまらないはずのヤツに。ずっと復讐するために生きてきた、はずだったのに……」
エイシャが、自身でも知らずの内に噛み締めていた唇から、血が垂れた。
それはまるで、枯れた涙の代わりだとでもいうかの如く。
「可笑しいですよね、殺すどころか、守ってしまうんです。本当に、馬鹿みたい……ただ私は――独りが怖かっただけ」
自嘲的な笑みを浮かべ、誰にも明かさなかった心の内を吐露する。
復讐を誓ったときから動きを止めていた、エイシャのヒトとして当然の感情が。
寂寥感だったり、罪悪感だったり。麻痺してしまっていた当たり前が。
目に見える居場所の崩壊がキッカケで、氷解していた。
「……いっぱいいっぱい、間違えました。復讐心で何も見えないふりをして、盗んで、殺して」
罪の意識は、いくら当人が何も感じないふりをしていても、拭いきれない。
どこかで必ず、無視し続けたそのツケを払うことになる。
エイシャの場合は、これから生きることを諦めてしまうほどに、それは大きかった。
「もう、いいんですよ……沢山なんですよ。私はなんて、無意味だったんでしょう、無価値だったんでしょう」
復讐を誓い、それが果たせず。
今までしてきた間違いに、今更後悔して。
――そんなの、どうしようもなく無意味じゃないですか。
私は、何だったんでしょう、何がしたかったんでしょう。
これからも、無意味を重ねて生きていくのならば、そんなことを繰り返していくのならば。
ここで、終わってしまいたい――
「――お願いします、エイシャを、ここで終わらせてください」
首を垂れて、少女は懇願した。
そうなる未来を示唆するように、フードの奥から床に垂れる真っ赤な髪が、首筋からあふれ出る鮮血ようだ。
エイシャが言葉を紡ぎ終え、再び沈黙がその場を支配する。
テインは、口を開きかけては、何度も閉じるのを繰り返し――ようやく、一つの台詞を口にした。
「……付いてこい、工房を見せてやる」
そう言ってテインは、エイシャの返事も聞かないまま店の裏手に歩いてゆく。
「……」
自分の懇願に何も答えなかったテイン。
沈黙と行動という返答に、エイシャの足は彼の後ろを追っていた。
*
無言で魔法具店の裏口から外に出る店主を、私はゆっくり追いかけてゆく。
店から外に出ると、庭の青草にぽかぽかとあたたかい日差しが降り注いでいて。
ひどく、暗くて湿った場所が似合う私には居心地が悪い。
店主が、庭に埋め込まれた石畳を一定のリズムで踏みしめて歩いていく。
先ほどの魔法具店内よりも少し大きいだろうか、きっとこれが工房だろう。
手慣れた手つきで彼は懐から石を取り出し――工房の石扉にかざすと。
紫色の魔法陣がうっすらと浮かび上がり、ひとりでに扉が開いてゆく。
火魔法を使っているわけでもないだろうに、店主が工房に入ると部屋全体が黄色がかった優しい光に包まれる。
木材と石で作られた彼の工房には、中央の床に大きな魔方陣が彫り込まれている他には、特に特徴がなく――
それよりも私は、部屋の隅に無造作に積み重ねられている木箱の中身、おびただしい数の魔法具に目を奪われた。
「――すごい、これ全部魔法具……!?」
さっきまで殺してくれと言っていた自分が、魔法具を見て少し興奮してしまっている。
そんな状況に恥ずかしさと情けなさを覚えていると、店主は私に背を向けたまま苦笑した。
「……見たいなら、好きに手に取ってみるといい。それらは全部、失敗作だが」
木箱の一番上に、畳まれた灰色の布が置いてある。
言われるがまま、私はそれを無造作に取ってみた。
「……これは?」
私がそう問いかけると、寡黙だった店主が饒舌に語りだす。
心なしか、声が弾んでいるような気がして。
「魔力を吸収する布の試作品だ。将来的に、布単品で魔法を無効化したり、魔力を再利用したりするのを目標としている」
「……破魔の石ではダメなのですか?」
魔法を無効化と聞いて、ピンと来るのは破魔の石だ。
罪人を入れる牢屋や、奴隷を縛る足枷によく使われていて、触れているものが魔法を使えないようにする石。
私のその言葉に、店主は首を横に振る。
「あれは、魔法を破壊した後に魔力を霧散させてしまうんだ。無効化した魔法に内在する魔力を溜めることができるなら、もっといろんな用途に使えると思わないか?」
そう話す彼は、とても楽しそうで。
私みたいな暗い、復讐なんていう目標でなく、好きなことにまっしぐらに向かっているような。
ひどく明るくて、眩しい。
「……魔法具一つ作るのに、俺は何度も失敗をする」
積み上げられた失敗作の山を見て、店主は目を細める。
その視線からは、過去の自分への憤りや、情けなさなどは微塵も感じられない。
「失敗して、改善して。また失敗して、改善して。そうして繰り返していくうちに、だんだんと解っていく」
自分の経験を語る彼は、失敗作の山から視線を移し。
私の顔を隠していたフードをそのゴツゴツした手で外して、目を合わせた。
氷のような澄んだ水色の瞳が、確かな感情を私に訴えかける。
「俺は、耐えられない――失敗作を作ることじゃなく、一回の成功をこの目で見られないことが」
一回の、成功。
言葉少なな店主は、私に何を言いたいのだろう。
「――君は、どうなんだ?」
夥しい数の失敗を重ねて。
一度の成功もないまま。
――君はそれでいいのか? どうなんだ?
そのまま、何も成せないで死んでしまって、私はそれでいいのか?
「私は……エイシャは」
失敗したと思うのなら、次に向けて改善すればいい。
そうやって、一回でも何かを成せたのならば――
「俺は今まで、子供を殺したことはない。彼らは――いや。君はまだ、何にでも成れるのだから」
「……すまん。これで、伝わってくれ」
難しい顔をして頭を掻く店主の顔が、滲んでぼやける。
――気づけば、ぽたぽたと私の顔から何かが滴り落ちていた。
「ひっく……うぁっ……うわぁぁぁぁああああん……!!」
とうに枯れたと思っていた涙が、どうしようもなく溢れて落ちる。
何度もせぐりあげて、お父さんとお母さんに叱られて泣いた時のように。
私の心模様を表したのか、青天の空に似合わない、雷の音が轟いた。
***
深々と広がるのは、日の光を受けてなお暗緑の遮光幕。
都市ベルグの外壁の外『森林迷宮』の中層に入ろうかという場所で、ヒトの形をした何かが、予備動作無しに剣を振り出す。
――ビュウ、と。
ゲリュドという名だった者が振るった剣はしかし、風切り音と共に空を切った。
直後――眩い程の金色が、暗緑のカーテンの内を照らし上げる。
『集魔香』で周囲に集まっていたはずの魔物が、霧散していくほどの魔力と轟音。幼い少女を中心に、渦巻いていた。
「『金色の霹靂神』」
発現した魔法は、神の名を騙る過生不敬。
しかれど、名に恥じぬ絶大な力を秘めている。
――リセリルカは、何気ない所作で片足を踏み出す。
その場に残ったのは、凄まじい威力で踏み抜かれた地面だけ。
金色の描いた軌跡を追えば、ケルンが倒れ伏している巨木の膝元に、彼女は不可視の速度で移動していた。
金色の電鞭が、王女の全身を染め上げ。
その美しい長髪が翻り、はたたく。
圧倒的な電力に、速度。それだけでは、決してなった。
――ジュゥゥウと、雷鳴とは異なる音がリセリルカの傷口から発されている。
赤黒く染まる全身の打ち身も、剣に貫かれた肩口の傷も。自らで潰した両目も。
体の至る所に刻まれたすべての怪我が、急速に癒えてゆく。
「はぁ……痛ったいわね。何時ぶりかしら、こんなに傷を負ったのは」
嘯きながら、リセリルカは。
――その金色に光る瞳を、見開いた。
「ケルン、待ってて頂戴――一瞬で、終わるわ」
にこり、リセリルカは愛嬌のある笑顔を気絶しているケルンに向ける。
――隙を伺っていたわけではないだろうが、ゲリュドはそのタイミングで王女へ向けて跳躍していた。
「『雷霆万金』」
あらぬ方向に手足が向いた大男の突貫、それに見向きもしないで。
呟かれた一声と共に、リセリルカは片手を向け金色の雷を放つ。
――暗緑の森一面を、金色が染め上げた。
極太の稲妻が、真横に。
ゲリュドへ向けて不可避の速度で、範囲で、すでに突貫を終えていた。
一瞬遅れ――ドガァァァァアアアアン!!!!!!
大音声が、《森林迷宮》および都市ベルグを劈いた。
飛電が通り終えた森林内の、至る所で火の手が上がる。
強すぎる電力は、通り終えた後にも火焔という爪痕を残す。
それは、ゲリュドも例外では無かった。
強制的に絶命まで追い込む電撃が、ゲリュドを貫き。
彼の体を操っていた、エルヴィーラの『幻金糸』が焼け落ちる。
最早動かなくなった体を、燃え盛る焔が蹂躙して――
「『雷騰雲奔』」
――音と結果だけが、彼女が"動いた"証だった。
燃え盛る巨体からは、首から上が消え去っていて。
綺麗な断面から、血が玉のように浮かぶ。遅れて――ビュウッッ!!!! と剣を振るう音が森に木霊していった。
やがて、切断面からは、勢いよく液体が噴き出し。
ケルンの元から一歩も動いていないように見える、王女。
リセリルカの剣を握っていない片手には、ゲリュドの頭がぶら下げられていた。
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