盲者と王女の建国記

てんとん

第21話 結びの霹靂

都市ベルグ内に、正午の鐘楼の音が鳴り響いたのはもう半刻も前のことだ。
ひゅうと吹いた一輪の風が、不安げな表情を浮かべる麗人の、栗色の髪を巻き上げた。


「……ねぇ、ヅィーオ。お嬢様、少し遅すぎるとは思いません?」


馬車馬から降り、街区南の廃墟を見渡しながら。
使用人メイド服』に身を包んだリセリルカの従者、エリーは。
同じく隣に立つ従者、ヅィーオに話しかける。


「突入から一刻以上は優に経ってるなぁ」


刻々と皺の刻まれていったであろうその肌を撫でながら、彼はエリーに返答した。
ヅィーオの顔つきは、エリーの深刻そうなものとは対照的に、余裕そうな笑みが浮かべられている。
主に敬虔な使用人メイドは、その態度を見咎めた。


「あなた……従者として、主が戻らない事が心配ではないのですか?」


「いやまあ、心配してないわけではないがな? ただ想像ができなくってなあ……リセリルカ様が戦って敗れることが」


エリーも、もっともだと思ったのかヅィーオに視線を飛ばしたまま閉口した。
直後、彼のその言葉に呼応するかのように。



――青天に、金色の雷が霹靂はたたいた。



金色こんじきの雷 ――お嬢様、相手はそれほどの?」


「《迷宮》中部辺りからか……リセリルカ様、本気のようだな」


エリーとヅィーオは、轟く雷鳴を聞きながら互いに顔を見合わせる。
その後どちらともなく、同じ意味合いの言葉を発した。


「行っては邪魔になりますか……歯がゆいですが、大人しく待っていましょう」


「行かん方がいいだろうな……儂は巻き込まれて死ぬのは御免だ」


二人の従者。
第五王女の力を最も良く知るであろう男女は、鳴りやまない雷鳴を聞きながら互いに苦笑し合った。


***


「……好きにするといいとは言ったが、店からは出てくれないか? これから客人が来る予定があるんだ、君に居座られると俺としても困る」


ツィリンダー魔法具店。
その木で作られた店の床に、いつまでも虚ろな目で座り込む少女が居た。
身に纏う黒外套のフードから、無造作に伸ばされた燃える様な赤髪が零れ落ちている。


店内の床には凄惨な戦闘を物語る、赤い血糊の跡がいくつもあり。
負傷もしくは死亡した盗賊団員達は、既に店主によって排された後であった。


エイシャは自身に声を掛けた、魔法具店店主であるテイン・ツィリンダーの方へ顔を向ける。
だが、出てくる言葉は存在せず。暫くの間、両者の間に沈黙が流れた。


「……」


「……」


先に折れたのは、テインだった。
短い緑髪の生えた頭を軽く掻き、戦闘時にあれほどの無表情を貫いたヒトとは思えないような、困り顔を見せる。
赤髪の少女は、ゲリュドを嵌めた店主を殺してやると息巻てくるでもなく、ただポツンと魂が抜けてしまったかのように座り込んでいるだけ。
職人気質のテインは、そんな少女の扱い方が分からない。


「……何か言ってくれないか? 俺はこの通り、ヒトの心の機微なんて分からないんだ」


その言葉に、ぼんやりとテインを見つめたまま。
傷だらけの少女が、ぽつりぽつりと思いを零す。


「――私を……ううん、エイシャ・・・・をもういっそ、殺してくれませんか」


何の感慨もなく、殺してくれと懇願する彼女に。
テインは、無言で言葉の先を促した。
エイシャは外套の袖をまくり上げ、傷だらけの腕をさらけ出す。
暫くそれを見つめていた彼女は、傷の一つ一つを指でなぞりながら言葉を紡いでゆく。



エイシャ・・・・は……あの時に。お父さんとお母さん、村の皆が蟻の魔物に食べられたその時にきっと、もう死んでしまっていたんです」



消えない傷跡は、彼女の壮絶な過去を決して忘れさせない。
刻まれた心の傷を癒すには、仮初かりそめでもなんでも、居場所が必要だった。
それが例え、親しいヒト達を殺した相手の元であったとしても。



は……村の皆を魔物を使って殺した、ゲリュドに。憎くてたまらないはずのヤツに。ずっと復讐するために生きてきた、はずだったのに……」



エイシャが、自身でも知らずの内に噛み締めていた唇から、血が垂れた。
それはまるで、枯れた涙の代わりだとでもいうかの如く。



「可笑しいですよね、殺すどころか、守ってしまうんです。本当に、馬鹿みたい……ただ私は――独りが怖かっただけ」



自嘲的な笑みを浮かべ、誰にも明かさなかった心の内を吐露する。
復讐を誓ったときから動きを止めていた、エイシャのヒトとして当然の感情が。
寂寥感だったり、罪悪感だったり。麻痺してしまっていた当たり前が。
目に見える居場所盗賊団の崩壊がキッカケで、氷解していた。



「……いっぱいいっぱい、間違えました。復讐心で何も見えないふりをして、盗んで、殺して」



罪の意識は、いくら当人が何も感じないふりをしていても、拭いきれない。
どこかで必ず、無視し続けたそのツケを払うことになる。
エイシャの場合は、これから生きることを諦めてしまうほどに、それは大きかった。



「もう、いいんですよ……沢山なんですよ。私はなんて、無意味だったんでしょう、無価値だったんでしょう」



復讐を誓い、それが果たせず。
今までしてきた間違いに、今更後悔して。


――そんなの、どうしようもなく無意味じゃないですか。
私は、何だったんでしょう、何がしたかったんでしょう。
これからも、無意味を重ねて生きていくのならば、そんなことを繰り返していくのならば。
ここで、終わってしまいたい――



「――お願いします、エイシャを、ここで終わらせてください」



首を垂れて、少女は懇願した。
そうなる未来を示唆するように、フードの奥から床に垂れる真っ赤な髪が、首筋からあふれ出る鮮血ようだ。


エイシャが言葉を紡ぎ終え、再び沈黙がその場を支配する。
テインは、口を開きかけては、何度も閉じるのを繰り返し――ようやく、一つの台詞を口にした。



「……付いてこい、工房を見せてやる」



そう言ってテインは、エイシャの返事も聞かないまま店の裏手に歩いてゆく。



「……」



自分の懇願に何も答えなかったテイン。
沈黙と行動という返答に、エイシャの足は彼の後ろを追っていた。





無言で魔法具店の裏口から外に出る店主を、私はゆっくり追いかけてゆく。
店から外に出ると、庭の青草にぽかぽかとあたたかい日差しが降り注いでいて。
ひどく、暗くて湿った場所が似合う私には居心地が悪い。


店主が、庭に埋め込まれた石畳を一定のリズムで踏みしめて歩いていく。
先ほどの魔法具店内よりも少し大きいだろうか、きっとこれが工房だろう。
手慣れた手つきで彼は懐から石を取り出し――工房の石扉にかざすと。


紫色の魔法陣がうっすらと浮かび上がり、ひとりでに扉が開いてゆく。
火魔法を使っているわけでもないだろうに、店主が工房に入ると部屋全体が黄色がかった優しい光に包まれる。
木材と石で作られた彼の工房には、中央の床に大きな魔方陣が彫り込まれている他には、特に特徴がなく――
それよりも私は、部屋の隅に無造作に積み重ねられている木箱の中身、おびただしい数の魔法具に目を奪われた。


「――すごい、これ全部魔法具……!?」


さっきまで殺してくれと言っていた自分が、魔法具を見て少し興奮してしまっている。
そんな状況に恥ずかしさと情けなさを覚えていると、店主は私に背を向けたまま苦笑した。



「……見たいなら、好きに手に取ってみるといい。それらは全部、失敗作だが」



木箱の一番上に、畳まれた灰色の布が置いてある。
言われるがまま、私はそれを無造作に取ってみた。



「……これは?」



私がそう問いかけると、寡黙だった店主が饒舌に語りだす。
心なしか、声が弾んでいるような気がして。


「魔力を吸収する布の試作品だ。将来的に、布単品で魔法を無効化したり、魔力を再利用したりするのを目標としている」


「……破魔の石ではダメなのですか?」


魔法を無効化と聞いて、ピンと来るのは破魔の石だ。
罪人を入れる牢屋や、奴隷を縛る足枷あしかせによく使われていて、触れているものが魔法を使えないようにする石。
私のその言葉に、店主は首を横に振る。


「あれは、魔法を破壊した後に魔力を霧散させてしまうんだ。無効化した魔法に内在する魔力を溜めることができるなら、もっといろんな用途に使えると思わないか?」


そう話す彼は、とても楽しそうで。
私みたいな暗い、復讐なんていう目標でなく、好きなことにまっしぐらに向かっているような。
ひどく明るくて、眩しい。



「……魔法具一つ作るのに、俺は何度も失敗をする」



積み上げられた失敗作の山を見て、店主は目を細める。
その視線からは、過去の自分への憤りや、情けなさなどは微塵も感じられない。



「失敗して、改善して。また失敗して、改善して。そうして繰り返していくうちに、だんだんと解っていく」



自分の経験を語る彼は、失敗作の山から視線を移し。
私の顔を隠していたフードをそのゴツゴツした手で外して、目を合わせた。
氷のような澄んだ水色の瞳が、確かな感情を私に訴えかける。


「俺は、耐えられない――失敗作を作ることじゃなく、一回の成功をこの目で見られないことが」


一回の、成功。
言葉少なな店主は、私に何を言いたいのだろう。


「――君は、どうなんだ?」


夥しい数の失敗を重ねて。
一度の成功もないまま。
――君はそれでいいのか? どうなんだ?

そのまま、何も成せないで死んでしまって、私はそれでいいのか?


「私は……エイシャは」


失敗したと思うのなら、次に向けて改善すればいい。
そうやって、一回でも何かを成せたのならば――



「俺は今まで、子供を殺したことはない。彼らは――いや。君はまだ、何にでも成れるのだから」


「……すまん。これで、伝わってくれ」



難しい顔をして頭を掻く店主の顔が、滲んでぼやける。
――気づけば、ぽたぽたと私の顔から何かが滴り落ちていた。


「ひっく……うぁっ……うわぁぁぁぁああああん……!!」


とうに枯れたと思っていた涙が、どうしようもなく溢れて落ちる。
何度もせぐりあげて、お父さんとお母さんに叱られて泣いた時のように。


私の心模様を表したのか、青天の空に似合わない、雷の音が轟いた。



***


深々と広がるのは、日の光を受けてなお暗緑の遮光幕。
都市ベルグの外壁の外『森林迷宮』の中層に入ろうかという場所で、ヒトの形をした何かが、予備動作無しに剣を振り出す。


――ビュウ、と。
ゲリュドという名だった者が振るった剣はしかし、風切り音と共に空を切った。

直後――眩い程の金色が、暗緑のカーテンの内を照らし上げる。
『集魔香』で周囲に集まっていたはずの魔物が、霧散していくほどの魔力と轟音。幼い少女を中心に、渦巻いていた。

「『金色の霹靂神はたたがみ』」


発現した魔法は、神の名を騙る過生不敬かしょうふけい
しかれど、名に恥じぬ絶大な力を秘めている。
――リセリルカは、何気ない所作で片足を踏み出す。
その場に残ったのは、凄まじい威力で踏み抜かれた地面だけ。
金色の描いた軌跡を追えば、ケルンが倒れ伏している巨木の膝元に、彼女は不可視の速度で移動していた。


金色の電鞭が、王女の全身を染め上げ。
その美しい長髪が翻り、はたたく。


圧倒的な電力に、速度。それだけでは、決してなった。
――ジュゥゥウと、雷鳴とは異なる音がリセリルカの傷口から発されている。
赤黒く染まる全身の打ち身も、剣に貫かれた肩口の傷も。自らで潰した両目も。
体の至る所に刻まれたすべての怪我が、急速に癒えてゆく。


「はぁ……痛ったいわね。何時ぶりかしら、こんなに傷を負ったのは」


うそぶききながら、リセリルカは。
――その金色こんじきに光る瞳を、見開いた。


「ケルン、待ってて頂戴――一瞬で、終わるわ」


にこり、リセリルカは愛嬌のある笑顔を気絶しているケルンに向ける。
――隙を伺っていたわけではないだろうが、ゲリュドはそのタイミングで王女へ向けて跳躍していた。


「『雷霆万金らいていばんきん』」


あらぬ方向に手足が向いた大男の突貫、それに見向きもしないで。
呟かれた一声と共に、リセリルカは片手を向け金色の雷を放つ。


――暗緑の森一面を、金色が染め上げた。
極太の稲妻が、真横に。
ゲリュドへ向けて不可避の速度で、範囲で、すでに突貫を終えていた。


一瞬遅れ――ドガァァァァアアアアン!!!!!!

大音声が、《森林迷宮》および都市ベルグをつんざいた。
飛電が通り終えた森林内の、至る所で火の手が上がる。
強すぎる電力は、通り終えた後にも火焔という爪痕を残す。
それは、ゲリュドも例外では無かった。


強制的に絶命まで追い込む電撃が、ゲリュドを貫き。
彼の体を操っていた、エルヴィーラの『幻金糸』が焼け落ちる。
最早動かなくなった体を、燃え盛る焔が蹂躙して――


「『雷騰雲奔らいとううんぽん』」


――音と結果だけが、彼女が"動いた"証だった。
燃え盛る巨体からは、首から上が消え去っていて。
綺麗な断面から、血が玉のように浮かぶ。遅れて――ビュウッッ!!!! と剣を振るう音が森に木霊していった。


やがて、切断面からは、勢いよく液体が噴き出し。


ケルンの元から一歩も動いていないように見える、王女。
リセリルカの剣を握っていない片手には、ゲリュドの頭がぶら下げられていた。

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