盲者と王女の建国記

てんとん

第19話 一歩目

「……っは、ッ」


俺は、息苦しさに耐えきれず、一度大きく呼吸をする。


――どく、どくっと。
鼓動の音が、うるさい程に鳴り響いている。
手足の震えが止まらない。平衡感覚がどこかおかしく――地面と足の接地点が溶けて曖昧になってくるようだ。
だけどその中で、唯一鮮明に。


――俺の手足から伸びる雷がそれに触れ、鋭い感触が走る。
ヒトの命を奪う、剣という道具だけはうるさく存在を主張してきていた。


「……俺は」


非力だった。
無意味だ、無価値だった。
何もできない、どうしようもない盲者だった。


でもそれは、ついさっきまでだ。
俺を、肯定してくれるヒトがいる。
それでいいのかと、叱ってくれるヒトがいる。
隣を歩けるくらい、強くなって見せろと、


――期待してくれる、ヒトリセリルカがいる。


そんなの、もう、戻れないだろ。
非力で、無意味で無価値で、何もできない、ケルン・ツィリンダーではいられないだろ。
知ってしまったから、彼女のことを。
隣を歩きたいと、思ってしまったから。


……だからこそ、そんな大切なヒトが。
俺の目の前で誰かを殺す、そのとがを背負うこと。
それを許容することが、俺には、どうしてもできないんだ。



――鼓動の音が鳴り響く、震えがさらに大きくなる。
それでも、伸ばす手は、止まらない。



「――」



鉄剣の柄に、俺の指が触れた。
震えが剣に伝わって、チャキチャキと小刻みに音を鳴らす。
大男の手に馴染むよう巻かれた剣の握りグリップは、俺にとっては大きすぎて、満足に握り締めることができない。
片手でなく両手で握りグリップを持ち、地面から引き抜いた。


「重い」


始めて持った剣は、とても重かった。
荷物運びすら、満足にしたことが無かったんだ。
ましてや、命を奪う剣なんて。
両手でも支えきれず、バランスを崩してしまう。


ガランと音を立てて、鉄剣が地面を打つ。
その音に反応して、リセリルカが静かに声を発した。


「……ケルン、私の剣を貸してあげましょうか? ゲリュドのは重いでしょうし」


『殺すのが心苦しいのなら、やらなくていい』、そんな言葉を決して発さないリセリルカ。
俺のちっぽけな『覚悟』を尊重してくれる彼女に、少しだけ勇気づけられる。

「――いや、いいよ。重くて構えれないけど、引きずってでも歩いていく」


取るに足らない自尊心かもしれない。
それでも今は、何にも、一歩も退きたくない。
少しでも退いてしまえば、覚悟が鈍ってしまうだろうから。



***



――――鈍痛が優しく、全身を包んでいた。
浅く息を肺に取り込めば、胃の奥から嘔吐感が迫り上ってきて。
嘔吐えづく事もなく、容易に液体が食道を駆けのぼる。


「――ゴボッ……ァ……」


ツンと、鉄分の香りが鼻腔を撫でまわす。だらしなく開いた口から、赤黒い体液がとめどなく流れ落ちてゆく。
身じろぎする度に、体の奥が鈍痛を訴えて――。
遠くなりそうな意識を繋ぎとめる様に、鉛のように重い瞼を開く。
――優しい黒が開けた、その眼前には。


漆黒の髪の少年がその手を震わせながら、鉄剣を引きずっていた。
ぼんやりとそれを眺め――やがてゲリュドは悟る。


(……あぁ、なるほど――これが、これがの終わりか。夢が潰え、盗賊のまま、王族でもなんでもない、名も知らねぇガキに討たれて終わることが)


少年はその顔に恐怖を滲ませながら、歯を食いしばって一歩、また一歩とゲリュドへ向かってくる。
足取りは重く、見えないはずの白磁の双眸には涙すら浮かんでいた。


(……はっ、なっちゃいねぇな。剣を握ったことすらねぇって面ぁしてやがる)


ぜぇぜぇと息を切らしながら、震える体を引きずって、それでも。
少年は、盗賊の頭の枕元へとたどり着いた。
両手で剣の柄を逆手に握り、ケルンは力いっぱいに持ち上げる。
その切っ先をうつ伏せで寝転がっているゲリュドの背中に――心臓の真上にあてがった。


背中に冷たさを感じながら、ゲリュドは思う。


(――こいつぁ、どうして俺を殺すんだろうなぁ? ……俺ぁ、なんでヒトを殺してたんだろうなぁ。いろんなものを、奪ってたんだろうなぁ)


エルヴィーラに命令されたから、そうしたのだろうか。
あの金糸雀色の少女に出会っていなかったのなら、違っていただろうか。
ゲリュドが本当に欲しかったものは、そんなものではなかったはずだ。
王族に仕えることに憧れていた。
誰かから信頼されることに憧れていた。


感情の源泉は、単純だった。
――誰かから、エルヴィーラという少女から、ゲリュドは必要とされたかっただけなのだ。
必要とされるような、居場所が欲しかっただけなのだ。



(……あァ、そうか。なぁんだよ、結局、俺もガキじみてんなぁ)



誰しもが、ヒト種である限り誰もが。
独りでは、生きられない。
心の支えとなる、何かが、誰かが要る。
『死にたくない』じゃなく、『このために生きたい』と思えるような、そんな理由を探し求めている。


――ギリリ、ケルンの柄を持つ手に力が籠る。
彼が一度荒れた息を整え、一瞬の静寂が《森林迷宮》内を支配した。

ケルンは、歯を食いしばり、腹に力を込める。



「――ッ、うわああああぁぁぁぁァァァァッ!!」



顔をぐしゃぐしゃに歪めて、少年は叫んだ。

命を奪う鉄剣が、ゲリュドの皮膚を突き破り――それだけだった。



「――ッ、なんッで……なんで、なんで出来ないんだよッ!?」



意思とは乖離して震える手足、どれだけ息んでも、体はヒト殺しという行為をどうしようもなく拒んでいた。


「動け、動けよォ!!!! コイツは、俺の父さんを殺そうとして、それでッ!! いっぱい、沢山のヒトを殺してきたんだよッ……理由なら、それで十分だろっ!?」


――ホントウニ、ソウナノカ?
お前には、何ら被害が及んでいないじゃないか。
実際のところ、お前の父親は生きているじゃないか。
お前は、只盗賊に馬鹿にされただけ。
本当に、ゲリュドを恨んでいるのか?


ヒト殺しをするには、理由が足りないんだろう??????????
――自分に殺しの罪悪感を感じさせない程に、自分にとってソイツが『悪』である理由を、見つけられていないんだろう??


「――なんで、出来ないんだよ……動かないんだよっ!!」


歯をすり潰す勢いで、固く食いしばる。
それでも、何か強大な力に固定されているかの如く、鉄剣は一MMミリメルトも沈んでいかない。


「……くそ、ッ。 動けェェぇぇぇぇぇぇ!!」


――ふわり。


それでも叫び上げ、無理に体を動かそうとするケルンを、金色の少女が後ろから抱きしめた。
鉄剣の柄を握り締める少年の手を、自身の華奢な手でリセリルカは優しく包み込む。


「……違うわ、ケルン。それじゃあ心が、壊れてしまう」


「……リセ」


「言ったでしょう? 気高く狂いなさいって。心を壊すことは、許されないのよ――殺した事実とその罪を、正しく受け止められなくなるから」

彼女が放つのは、弱者を救う優しい言葉ではない。
同じ道を歩みたいと望む少年への、その一歩を歩ませるための言葉を紡ぐ。


「怖いときほど、笑うのよ。殺す理由があったのかとか、事ここに至れば些事だわ。どうせ殺した後で、吐くほど考えることになるのだから――殺さなければ、殺されるだけよ、ケルンが踏み出したいのは、私の隣は、そういう世界」


「笑う」


「そう、狂ってしまいなさい――」



――俺は、何をやっていたんだろう? ああ可笑しい、可笑しい。
何を悩んでいたんだ、苦しんでいたんだ。
ただ、剣を振り下ろすだけじゃないか。
盲者とか、何も関係ないじゃないか。
誰でもできることだ。



「――っ、はっ……ッハハハハ!!!!」


口角を痛い程に釣り上げて、どうしようもなく可笑しいといった風に。
けたたましく笑い声を上げながら、ケルンは。
リセリルカと共に、ゲリュドの体に剣を突き立てた。



***



黒髪の少年が、金色の少女に抱かれながら剣を振り下ろす。
ゲリュドはそれを、他人事のように見ていた。


(――ああ、お前は良いなぁ。そうやって、気にかけて貰えて……でもなぁ。王族の隣ってぇのは、生半可なもんじゃぁねぇんだぞ)


皮膚を剣先が突き破り、骨を抉ってゆく。


直後――グシャリ。

致命的な響きが、体の内側から迸ったのを感じた。


(なぁ、黒髪のガキよぉ……? もしお前と俺が逆だったなら、俺も……)


――ちょっとは、そんな風に、抱きしめて貰えたりしたのかなァ。



ゲリュドが命を散らすその場所には、闇に鈍く光る糸くずが。
視界が暗転する直前、彼は自らの足で地面に踏みつけた金糸雀色の糸くずを手繰り寄せ、無意識の内に握り締めていた。



***









『あらぁ……? 糸、切れちゃったわねぇ』


『あの子、なかなか強くなってるみたいだわぁ……ふふっ、ゲリュド』


『――――ワタクシが上げた糸、大事に持ってくれているといいのだけれど』









ピクリ、と。
心の臓を貫かれたゲリュドの指が、動き――あらぬ方向へ、ひとりでに折れ曲がる。
何かに操られるように、剣に貫かれている体を物ともせずに。
ヒト種の物とは思えない力で、強引に起き上がろうとする。

「――なッ」


ケルンの手を握りながら、ゲリュドの体を貫いたと確信したリセリルカは驚愕の声を上げた。
あれだけ打撃を加えた上に、『紫電纏繞』の雷も何発かモロに当てているのだ。
動けるはずがない――異常な事態に、脳がけたたましく警鐘を鳴らしていた。


「ケルン、下がってなさ――」


リセリルカが握っていた宝剣が、予期せぬ方向から強引に奪われる。
それは、あり得ない事態で。
ゲリュドが起き上がった事実より、リセリルカは衝撃を受けた。



「――っハ、ハハハッ!!!!!!」



――リセリルカの宝剣を掻っ攫ったケルンが、ゲリュドの喉元に斬りかかっていた。

          

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