盲者と王女の建国記

てんとん

第16話 衝突

鍛えられた脚が力を溜め、その大きな体を一跳びで木の上へと押し上げる。
何気ないその一動作は、彼自身の弛まぬ研鑽の歴史を物語っていた。

――追跡の基本は、相手の痕跡を集めることだ。地を走るだけでは、どうしても足跡というものが残ってしまう。
視界の悪い森の中だ、100Mメルトおきにでも足跡を途切れされておけば、並大抵の相手ならば撒ける。だが、相手がもしあのエルヴィーラと同じ――王族であるのならば、油断などできようはずもなく。
無精髭を何度か撫でながら、ゲリュドは木の上で息を整えた。
耳を澄ませば、己が投げた『集魔香しゅうまこう』が集めたであろう魔物の気配が、背後の多方向から聞こえて来た。


――もしも、もしもだ、もしもの話だ。


生物を迷わす深緑の中、ゲリュドは、たらればを思う。
あの時、自分が『宝具の間』に訪れていなかったなら、まっとうに生きていられたのだろうか。
かつて夢見ていた、憧れていた。王家直属の剣士に、あるいは魔法使いになれていたのだろうか?


――いや、俺ぁ馬鹿だぁな。


人形のような少女の指が動くだけで、命が潰える。エルヴィーラ本人は『幻糸げんし魔法』という、自らの研究成果だと言っていたが、その仕組みのひとかけらすら理解できなかった。
彼女には他人の魔法も、剣も、干渉できる余地がないのだ。
魔法を紡ぐよりも、剣を振るよりも早く、指は動くのだから。
あの金糸雀かなりあ色の悪魔は、悍ましい記憶の想起は、ゲリュドに一つの事実を残酷なまでに突き付けていた。


――何が王を守る剣士だ、魔法使いだぁ??


いらないだろう・・・・・・・が、そんなものは。守ろうと思い上がった自分の滑稽さを、エルヴィーラに会うことで身をもって体験したのだから。


王族という存在は、そう。誰よりも強くて当たり前なのだから。
自分よりも強いヒトを、どうやって守るというのだろうか。

「っは」


ゲリュドは皮肉げに口を歪め、笑いを零した。
それは王族を守ろうと思いあがった過去の自分を笑うものであり、王族に一生を捧げた自分の哀れな末路を笑うものであった。


***


金糸雀色の少女は、虚空に指を這わせ、弦楽器を弾くかの如く優しく、愛撫をする様に指を動かす。
その動きに合わせて、大男の手足があらぬ方向へと曲がってゆく。
ギギギギッと曲がるゲリュドの腕、その可動域の限界でエルヴィーラは指の動きを止めた。


骨が折れるか、健が切れるか。
そのギリギリのところで、まるでおあずけをする様に静止させる。
それを一刻の間、続ける。
ゲリュドが耐える様を、その苦悶の表情を金糸雀の悪魔は視姦し続ける。
じぃ~っと、無表情に。言葉は一切発さない。
まるで、物言わぬ人形のように。


耐えきったなら、ご褒美とばかりに容赦なく手足の骨を、健を断つ。
これが悪魔と大男の日課だった。


折れてぐちゃぐちゃになった手足は、そうしたのと同じように、エルヴィーラの幻糸魔法で正しい方向、形に矯正し、上級魔法薬ハイ・ポーションに半刻ほど漬ければ元どうりだ。
エルヴィーラがゲリュドに罰を与え始めてから長い時が立ち、少年は大男に、少女はより女性らしく、可憐になっていた。
大塔木だいとうぼく』内、王族以外の立ち入りを許されない『宝具の間』の眼前。人気のないこの場所は、金糸雀色の少女が無聊ぶりょうを慰めるのに最適だった。
日課を終え、粗い息を吐いているゲリュドにエルヴィーラは話しかける。


「ゲリュドぉ、アナタ、都市ベルグって知ってるぅ?」


視線を彷徨わせながら、興味がなさそうに発される言葉は、まるで独り言だ。
だがゲリュドには、それを無視する権利は与えられていない。
彼は苦手な敬語を使い――ひとかけらの敬意も忠誠も彼女には受け取ってもらえないが――言を返す。


「いえ、聞いたこたぁ……聞いたことは無いですが」


たんたん、とんとん、と。
木の床を靴の踵で鳴らしながら、エルヴィーラは唐突に舞踏ダンスを踊り出した。
ときに流れる様に、ときに情熱的に、艶かしく煽情的に。
演者が変わる様に踊られるそれは、操者が目まぐるしく変わる人形劇だ。
ただし、操る人形も操られるヒトも同一人物。
独りよがりで、自己完結している。――――足運びステップは、MMミリメルト単位で精緻に組み立てられ、振り付けは狙った体勢でピタリと止まる。
決められた動きを完璧にこなす、美しく無機質な人形劇。
弓なりにしなった艶やかな体勢のまま、エルヴィーラは首だけをゲリュドの方へ傾けた。


「――まあ、知ってようが無かろうがどぉでもいいのだけどぉ……そこでぇ、盗賊の真似事をしてちょうだぁい? ワタクシの可愛い可愛い知り合い・・・・がぁ、今年主都からベルグに来るらしくってぇ……ちょおっと、邪魔してあげたくなっちゃったぁ」


盗賊の真似事――その実情は、エルヴィーラが木都ウィールの内政を行う上で邪魔になっていた魔法貴族関係者を、ゲリュド以下何かしらの罪を犯した者で形作られる男女の混成集団が襲うといったものだった。
仮にも魔法を扱う名家を襲うだけあって、周到に計画が立てられ、手口は工夫されていた。子息、息女誘拐には『転移石』を始めとした魔法具が用いられ、いっそ病的なほど徹底的に、足がつかないように。
もしゲリュドたちの素性が貴族達にバレれば、エルヴィーラは容赦なく彼らを切り捨てるだろうから。


金糸雀色の少女にとって、犯罪者集団を動かすのはまさしく"遊び"のようなものであったが、その軍師としての才能はお遊びながら遺憾なく発揮された。
エルヴィーラ・ケーニッヒという王族一人が背景にいる。それだけでならず者の集団は、巷を騒がす魔法盗賊団へと姿を変えたのだ。


エルヴィーラの言っていること――特に『知り合い』の部分に引っ掛かりを覚えたゲリュドだったが、言及して答えが返ってくる保証もない。
ゲリュドへ対しての命令であろう部分だけを掬い取って、言葉を続ける。


「はぁ? まぁ……分かりました、いつ頃『転移ゲート』に乗ればいいんですかい?」


ゲリュドにとって、これは願っても無い話だ。"人形遊び"と称して繰り返される、この地獄のような、終わりのない手足を折られる日課から、一時的にでも解放されるのだから。
だが、王族の庇護が当たり前となっていた状況から、何もないところへ放り出される。皮肉にも、守ろうとしていた対象から守られていたその事実は、ゲリュドの中でエルヴィーラ当人への恐怖に覆い隠されていて、まだ見つけ出せない。


明日みょうにち、お行きなさぁい――そうねぇ……アナタはぁ、ここまでワタクシの人形遊びに付き合って精神を壊さなかったのだしぃ。――――――――いいわ、そろそろ解放してあげる」


「……?? 、、、、、、、、――っ、はぁ??」


ゲリュドは始め、エルヴィーラが何を言ったのか分からなかった。
自分はずっと、このまま。彼女に人生を捧げたのだから、ずっとこのまま、このイカれた日常が続くのではないかと思っていた。
それが、唐突に。
それこそ、操られていた人形が、操者とつながる糸を切られて動かなくなるように。


「い……いいんですかぃ、俺ぁ、アンタに人生を――――」


気づけば、そんなことを言い出していて。
離れたいのか、離れたくないのか、それがもう分からなくなっていた。
エルヴィーラは、その時だけはゲリュドを真正面から見据えて、口調を正す。


もういい・・・・わよ、ゲリュド。もうおしまい。アナタと……いえ、アナタで遊ぶの、楽しかったわ」


これで終わりと、言葉だけでなく態度で。
エルヴィーラは、興味を無くした愛玩具おもちゃを見る様に、何の感慨もなく言い切った。
「あぁ、そうだわぁ」と、忘れ物を思い出したように、エルヴィーラは指を弾く。
はらりはらりと、ゲリュドの体を縛っていた彼女の幻糸が可視化されて、解け落ちた。


その糸は、闇に鈍く光る金糸雀かなりあ色だった。


「その糸ぉ、持っておくといいことがあるかも知れないわねぇ」


言い残して、いつもと変わらない様子で去ってゆく。
――本当にふざけろ、この悪魔が。
自分が差し出したのは、そんなに簡単に捨てられるものだったのか。
他人の人生を奪っておいて、飽きたらそれか。


「何だったんだろうなぁ、一体。俺ぁ、一体、何なんだろうなぁ」


その人形のような少女は。
ゲリュドがかつて、守りたいと目指した憧憬は。
気まぐれにヒトの人生を奪っておいて、飽きれば気まぐれに捨ててしまう。
それでいて、何者をも寄せ付けない程、絶対的な孤高だった。


その少年のような大男は。
憧れとは違った形で、その少女の隣にいて。
壊れた玩具のように、簡単に捨てられて。
今までは一体、これからは一体、なのか。誰からも必要とされず、求められず。ゲリュドというヒト種は、一体全体何者・・なのだろうか。
答えは、誰からも返ってこない。
それを与えることができるのもまた、自分でない誰かだけなのだから。


***


ゲリュドは、自身の手の内にある、すっかりれた金糸雀かなりあ色の糸くずを握り締めていた。
それは自分がまだ、エルヴィーラ・ケーニッヒという王族の物だった時の証。
忌々しい烙印でしかないはずのそれはしかし、その時だけはエルヴィーラという少女から必要とされていたのではないかという、一縷の希望なのかもしれない。

追憶の彼方から戻ってくるように、息を整え終わったゲリュドは木の枝から飛び降りる。
九十度ほど進路方向を変え、木の間を縫って駆けてゆく。
魔物の叫ぶ声、悍ましい程の羽音。先ほどまで騒がしい程に聞こえていたそれらが、静まり返っていることに気づけずに。


不意に――

――――バチリ、と。


空中を駆ける黒の電鞭が、ゲリュドの視界の片隅を灼く。
空から降ってきた、黒い球体としか形容できないその領域内から、


「――――ケルン、しっかりしがみ付いてなさいッ!!」


金声玉振、凛と響くその声と共に、黒を割砕きながら紫電が迸った。
大上段、空中から振り下ろされた二人分の体重が乗ったその一撃を、

「シィッッッッ――――!!!!」


腰の剣帯から抜剣する動作を利用、逆袈裟に斬り上げ――ゲリュドは、居合斬りで迎え撃つ。


――――ギャリィィィィン!!


鉄同士が凄まじい擦過音を上げ、両者いや、三者が交錯した。

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