盲者と王女の建国記
第15話 金糸雀色の悪魔
「……チィ、追って来てやがるかぁ」
ぽつりと、勝手知ったる《森林迷宮》の中で、魔物達の叫びに紛れて呟かれた声があった。
初級火魔法『点火』で、魔物を集める香りを放つ『集魔香』を燻ぶらせるのは、無精髭の大男ゲリュドだ。
十分に着火された『集魔香』を、粗い網目の麻袋に包んで遠くへ放り投げながら、ゲリュドは追っ手について考えていた。
盗賊団の部下から聞いた情報では、敵は金髪金眼の幼女一人らしかった。
普通ならば、鼻で笑うような状況だ。命知らずのガキが一人、見張りの目を逃れて迷い込んだだけ。
だが、魔法具店から塒へと逃げかえった直後というタイミングで、偶然そんなことが起きるのかという疑問が、ゲリュドから彼女と応戦するという選択肢を奪っていた。
それに、髪色が――金色であること。
ゲリュドは、似た髪色をした人物を少なくとも一人、知っている。
美麗さと淑やかさの中から滲みだすどす黒い狂気を、いっそ悪心を感じるほどに、思い出すだけで身震いをするほどに。
大男は、そんな金糸雀色の髪の悪魔に心当たりがあった。
それが、キッカケだった。
ゲリュドという少年が、盗賊などという、暗澹とした何かに成ってしまったことの。
***
都市ベルグから東へ数100KMの位置に、ウィールと呼ばれる木の都が存在する。
都市ベルグが、木材を切り出して加工し家を建築するのに比べ、ウィールでは木々の成長を魔法でコントロールし、家の形にしている。
それゆえ木都ウィールの街並みは、ベルグの舗装され整っているものとは打って変わり、自然が前面に押し出されているのだ。
獣人の素の運動能力が他のヒト種より高いということもあり、ウィールでの生活がし易いのだろう。人口割合はベルグよりやや獣人が多めである。
そんな木の都の中央には、一際大きく聳え立つ『大塔木』と呼ばれる大樹が見えた。
凡そ都市と呼ばれる場所には、その都市を治める者が住まう建造物が存在する。
ウィールでいうその建造物が、『大塔木』だ。
そして、その『大塔木』の中に王家の宝具、その一部が保管されている場所があった。
「……これが、『宝具の間』か」
王族以外の立ち入りを禁じているその場所に、当時その能力を認められ、警備兵として配属されていたゲリュドの姿があった。
何も、盗みを働こうという訳ではなく。ほんの好奇心と興味で、非番の夜中にこっそりと木の根が複雑に絡み合い、固く閉ざされている宝具保管庫へと足を運んだのだ。
「木の、根? もしかしたら、中の宝具が見れるかもしれねぇ」
当然、保管庫への入り口はびくともしなかった。
得意にしていた火魔法でも、自慢の剣術でも。木の根一本はおろか、傷一つつけることは出来ない。
中の宝具は見ることが出来なかったが、何か――王家の大きな力の一端にでも触れることができたような気がして、ゲリュドは満足げに踵を返そうとした――――が、
「――――ぁ??????????」
それは、唐突に。
ゲリュドの全身を、筋肉が攣ったような感触が襲った。
手足はおろか、開ききった口を閉じることもできず、みっともなく涎が『大塔木』内の床にぽたぽたと垂れる。
立っていることがままならなくなり、彼は両手両足を地面に擦りつけながら倒れてしまう。
四つん這いで犬のような体勢になりながら、辛うじて動く眼球だけを必死に動かして、ゲリュドは通路の先から一人の少女が歩いてくるのを見た。
彼女の表情は、悪だくみをする子供のように無邪気で。
容姿は、まるで精緻な人形のように整っており。
聞くものを安心させるような声を持っていて――――
それでいて、ゲリュドが今まで見てきた何よりも、不気味だった。
「あの、ワタクシね? 大っ大、だぁ~い好きなのですよぉ? アナタみたいな悪ぅいヒトのことぉ」
――ころころ、ころころ。
金の鈴を、金糸雀色の髪を持つ少女が自身の喉でころころと転がしていた。
愉快そうに、興味深そうに、口に手を当てながら上品な笑い声を上げるのは、ゆるく巻き癖がついた、くすんだ金髪を後ろ髪に束ねた少女。
指一本、瞬き一度すらできないまま、ゲリュドはその、金糸雀色の少女が笑う様を見ているしかなかった。
「そんなところに這い蹲ってないで、こちらにいらっしゃぁい、侵入者さぁん」
何かを手繰るような動きで、人形のような彼女の華奢な指が、くいっと動かされる。
「こちらへこい」と手招きをする様に。
目を凝らせど、彼女がゲリュドに物理的に何かをしているとは思えない。
彼女はただ、地に這い蹲った、年の割に大きな体躯の少年を少し離れた位置から見下ろしながら、手招きをしているだけ。
――それなのに。
ゲリュドの手足は、自分の意思とは全く関係なしに、ずりずりと前へ進んでゆく。
華奢な指がしなる度、皮膚を地面に擦らせながら、彼女に引き寄せられてゆく。
もう目と鼻の先に、ソレはいた。
「何が起きてるかわからなぁい? これはワタクシの研究成果でぇ、幻糸魔法というのぉ。アナタみたいな悪ぅいヒトは、ワタクシの愛玩具にしてあげないとねぇ……とりあえず、お仕置き、してあげるっ」
――ぶんぶんと、何の意味もなく滅茶苦茶に。
「それぇ――そぉれぇっ!!」と、人形のような少女が、無邪気に両手をその場で縦横無尽に振り回す。
その動きに合わせて――ゲリュドの腕が、何度も、あらぬ方向へ折れ曲がった。
「――――ぅぅううあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっっっっ!!!!????」
無邪気な笑い声と共に襲ってくるのは、衝撃と、、、圧倒的なまでの、痛み。
バキ、ボキ、パキ、ペキ。
大きい骨が折れるおと、健が引き千切れるおと、ニクガクダケチルオト――――痛み、痛み、痛いたいいたいいたいいたいイタイイタイ痛痛痛痛痛痛!!!!????
――熱い、冷たい、こわい、コワイ。
衝撃と、胸にこびりつくような恐怖と共に。
ぶつりと、ゲリュドの意識は途絶えた。
***
ゲリュドが目覚めると、自分の脚が勝手に動いていた。自分の腕が、勝手に動いていた。
手足が、意識から乖離して何処かへと、自ずと向かって行く。
「??」
何が起きているか分からない、いや、分かることを頭が拒んでいる。
きっと、理解した瞬間に恐怖という黒い闇が、意識を奪い去ってしまうから。
ズキン、と。
勝手な行動をとる手足から、熱にも似た痛みを感じた。
顔を動かそうにも、固定されたようにビクともしないので、眼球だけを動かして手足を確認しようとする――視界の片隅に入ってきたのは、ぐちゃぐちゃに砕けた自身の手足だった。
「――――ッッ!!」
何故かそれほどの痛みもなく、それがまた己の視界の情報と乖離していて、胃から吐き気がこみ上げた。
「――――!! ~~~~!!」
えずこうにも、喉の筋肉が動かず声すら上げられない。
自身の状態がどうなっているのか恐怖を感じていると、なんの予兆もなく、
――グリンッ!!
突如として自分の首が可動域限界まで旋回し、視界に一面金糸雀色が広がった。
バチバチと視界が衝撃で灼けつく中で、人形のような少女はにこりと微笑んだ。
「――ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇね~~~~~~ぇ??」
甘い猫なで声が、狂気を含んでゲリュドの耳朶を打つ。
上目遣いで、ピクリとも体を動かせないゲリュドを見上げ、金の鈴を喉で転がしながら少女が糾弾の問いかけを始めた。
「アナタはなぁに、してたのぉ?? 『宝具の間』には、警備なんて必要ないわぁ、だってワタクシの糸が張り巡らされているんですものぉ」
――「発言することを許してあげるぅ」という少女の声が響いた瞬間、
痛み、不可思議、恐怖、吐き気、震え――そういったものが、強引に制限されていた生理反応全てが、ゲリュドの口から飛び出した。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛うゥッッッッ……うえ゛ぇぇぇぇっっっっ!!」
人気のない『大塔木』内に、叫びとも咆哮とも似つかない声が鳴り響く。
それを間近で聞いた金糸雀の少女は、両手で耳を押さえながら顔を顰めた。
「ああもうぅ、うるさいわぁ。静かにして頂戴ぁい……首、捩じ切るわよぉ?」
不機嫌そうな少女、その手が糸を手繰る様にくいくいと動く。
ゲリュドの首が可動域を越えて回り、首の骨がミシリと軋みを上げる――なにより恐ろしいのは、首を捩じ切られようとしているのに大して痛みを感じていない事だった。
――殺されるッ!!
「――っ!!!! 、、、っっ、ふッーー、ふぅっ……!!!!!!」
鮮明に、血のあぶくを吹いて死んでいる自分が想像できたゲリュドは、口からあふれ出そうとする恐怖を必死で抑え込んだ。
それをまじまじと見つめていた彼女は、機嫌がよさそうにゲリュドの頭を撫でる。
「そうそう、いい子。もう一度聞くからぁ、ちゃぁんと答えてねぇ? ――アナタは、なぁにしてたのぉ?」
「――ぁっ、『宝具の間』を、王族以外立ち入り禁止の場所を、一目見たくて……」
間違ってはいないはずだ。
ゲリュドの動機は確かに、好奇心と興味だったのだから。
だが彼が『宝具の間』の前で取った行動は、そんな可愛らしいものではなかっただろう。
そのことを、人形のような少女は撫でるような、それでいて悍ましい声でもってゲリュドに教えつける。
「うそでしょぉ?????? うそうそうそうぅっ~~そ、でしょぉ!? ワタクシの魔法はぁ、『宝具の間』を塞ぐ木の根――まぁ、幻魔法でそう見せてるんだけどぉ――それに触れないと発動しないのよぉ?? ……アナタはぁ、宝具が欲しくて木の根を力でこじ開けようとした、でしょぉ??」
「ちがっ、宝具を奪おうだなんて思ってた訳じゃねぇ!! ただっ……」
「もういいわよぉ。別にぃ、言い訳を求めてるわけではないからぁ――『口縫い』」
パチンと、金糸雀の彼女が指を鳴らした。
同時に、ゲリュドは声を奪われる。発声しようとすれば、首の筋肉が攣ったように力み、言の葉が紡がれることは無い。
「首だけを自由にしてあげるわぁ。ワタクシの言葉にぃ、頷くか首を振るかで答えて頂戴ぁい? 分かったぁ?」
少女の指先が少し動けば、ゲリュドは殺されてしまうだろう。
彼女の機嫌を損ねることはおろか、望まぬ答えを返すこともできない――いや、選択権は与えられていた。ただその代償が、自らの命だ、というだけで。
押さえられぬ恐れをその顔に滲ませながら、ゲリュドは首を縦に振った。
「いいわぁ、その表情ぉ。そうねぇ……アナタの罪を、王族、エルヴィーラ・ケーニッヒの名において明示してあげるぅ」
「――ひとぉつ、警備兵としての規律違反。ふたぁつ、『宝具の間』への侵入……罪の重複になるけれどぉ、甘んじて受けなさぁい。みいっつ、王族への不敬。ワタクシに対しての軽口を、許した覚えはないからぁ」
指を三本、エルヴィーラはピンと立ててゲリュドに優しい口調で説明する。
彼女は内二本を器用に下げ、人差し指の一本だけを残した。
「ちなみにぃ、死罪よぉ? 『宝具の間』への侵入の時点でねぇ? あは、あはははははっっ!!」
金糸雀色の少女は、ころころと喉で鈴を転がす。
その上品な笑い声が、ゲリュドには悪魔の哄笑に聞こえた。
体が、冷たく冷えてくる。
お前は死ぬと明言されて、死の実感を感じて、がたがたと勝手に体が震えだそうとする。
その震えでさえも、エルヴィーラの魔法で止められてしまっていた。
「ふふっ……ワタクシは寛大だから、死罪だけは許してあげるわぁ」
その声に、ゲリュドは久しく忘れていた息の仕方を思い出す。
動かない口でなく、鼻で粗い息をつく。鼻で取り込む空気の量のもどかしさを感じつつ、自分は生きている、と強く実感した。
「代わりにぃ――アナタの人生を、ワタクシに捧げなさい。一生、愛玩具にしてあげるぅ」
引っ張り上げられた直後に、暗い、底の見えない大穴に突き落とされたような。
ぐちゃぐちゃになった自分の手足が視界の片隅に入る。
一生、これが、彼女の気まぐれで。
いやだ、怖い、必ずいつか死んでしまう。
それでも、今よりは――今死ぬよりは。
死ぬか、一生続く痛みか。
ゲリュドは自分に与えられた二つの選択肢の内から一つを選んで――こくりと、もはや自身のものではない首を縦に振った。
          
ぽつりと、勝手知ったる《森林迷宮》の中で、魔物達の叫びに紛れて呟かれた声があった。
初級火魔法『点火』で、魔物を集める香りを放つ『集魔香』を燻ぶらせるのは、無精髭の大男ゲリュドだ。
十分に着火された『集魔香』を、粗い網目の麻袋に包んで遠くへ放り投げながら、ゲリュドは追っ手について考えていた。
盗賊団の部下から聞いた情報では、敵は金髪金眼の幼女一人らしかった。
普通ならば、鼻で笑うような状況だ。命知らずのガキが一人、見張りの目を逃れて迷い込んだだけ。
だが、魔法具店から塒へと逃げかえった直後というタイミングで、偶然そんなことが起きるのかという疑問が、ゲリュドから彼女と応戦するという選択肢を奪っていた。
それに、髪色が――金色であること。
ゲリュドは、似た髪色をした人物を少なくとも一人、知っている。
美麗さと淑やかさの中から滲みだすどす黒い狂気を、いっそ悪心を感じるほどに、思い出すだけで身震いをするほどに。
大男は、そんな金糸雀色の髪の悪魔に心当たりがあった。
それが、キッカケだった。
ゲリュドという少年が、盗賊などという、暗澹とした何かに成ってしまったことの。
***
都市ベルグから東へ数100KMの位置に、ウィールと呼ばれる木の都が存在する。
都市ベルグが、木材を切り出して加工し家を建築するのに比べ、ウィールでは木々の成長を魔法でコントロールし、家の形にしている。
それゆえ木都ウィールの街並みは、ベルグの舗装され整っているものとは打って変わり、自然が前面に押し出されているのだ。
獣人の素の運動能力が他のヒト種より高いということもあり、ウィールでの生活がし易いのだろう。人口割合はベルグよりやや獣人が多めである。
そんな木の都の中央には、一際大きく聳え立つ『大塔木』と呼ばれる大樹が見えた。
凡そ都市と呼ばれる場所には、その都市を治める者が住まう建造物が存在する。
ウィールでいうその建造物が、『大塔木』だ。
そして、その『大塔木』の中に王家の宝具、その一部が保管されている場所があった。
「……これが、『宝具の間』か」
王族以外の立ち入りを禁じているその場所に、当時その能力を認められ、警備兵として配属されていたゲリュドの姿があった。
何も、盗みを働こうという訳ではなく。ほんの好奇心と興味で、非番の夜中にこっそりと木の根が複雑に絡み合い、固く閉ざされている宝具保管庫へと足を運んだのだ。
「木の、根? もしかしたら、中の宝具が見れるかもしれねぇ」
当然、保管庫への入り口はびくともしなかった。
得意にしていた火魔法でも、自慢の剣術でも。木の根一本はおろか、傷一つつけることは出来ない。
中の宝具は見ることが出来なかったが、何か――王家の大きな力の一端にでも触れることができたような気がして、ゲリュドは満足げに踵を返そうとした――――が、
「――――ぁ??????????」
それは、唐突に。
ゲリュドの全身を、筋肉が攣ったような感触が襲った。
手足はおろか、開ききった口を閉じることもできず、みっともなく涎が『大塔木』内の床にぽたぽたと垂れる。
立っていることがままならなくなり、彼は両手両足を地面に擦りつけながら倒れてしまう。
四つん這いで犬のような体勢になりながら、辛うじて動く眼球だけを必死に動かして、ゲリュドは通路の先から一人の少女が歩いてくるのを見た。
彼女の表情は、悪だくみをする子供のように無邪気で。
容姿は、まるで精緻な人形のように整っており。
聞くものを安心させるような声を持っていて――――
それでいて、ゲリュドが今まで見てきた何よりも、不気味だった。
「あの、ワタクシね? 大っ大、だぁ~い好きなのですよぉ? アナタみたいな悪ぅいヒトのことぉ」
――ころころ、ころころ。
金の鈴を、金糸雀色の髪を持つ少女が自身の喉でころころと転がしていた。
愉快そうに、興味深そうに、口に手を当てながら上品な笑い声を上げるのは、ゆるく巻き癖がついた、くすんだ金髪を後ろ髪に束ねた少女。
指一本、瞬き一度すらできないまま、ゲリュドはその、金糸雀色の少女が笑う様を見ているしかなかった。
「そんなところに這い蹲ってないで、こちらにいらっしゃぁい、侵入者さぁん」
何かを手繰るような動きで、人形のような彼女の華奢な指が、くいっと動かされる。
「こちらへこい」と手招きをする様に。
目を凝らせど、彼女がゲリュドに物理的に何かをしているとは思えない。
彼女はただ、地に這い蹲った、年の割に大きな体躯の少年を少し離れた位置から見下ろしながら、手招きをしているだけ。
――それなのに。
ゲリュドの手足は、自分の意思とは全く関係なしに、ずりずりと前へ進んでゆく。
華奢な指がしなる度、皮膚を地面に擦らせながら、彼女に引き寄せられてゆく。
もう目と鼻の先に、ソレはいた。
「何が起きてるかわからなぁい? これはワタクシの研究成果でぇ、幻糸魔法というのぉ。アナタみたいな悪ぅいヒトは、ワタクシの愛玩具にしてあげないとねぇ……とりあえず、お仕置き、してあげるっ」
――ぶんぶんと、何の意味もなく滅茶苦茶に。
「それぇ――そぉれぇっ!!」と、人形のような少女が、無邪気に両手をその場で縦横無尽に振り回す。
その動きに合わせて――ゲリュドの腕が、何度も、あらぬ方向へ折れ曲がった。
「――――ぅぅううあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁっっっっ!!!!????」
無邪気な笑い声と共に襲ってくるのは、衝撃と、、、圧倒的なまでの、痛み。
バキ、ボキ、パキ、ペキ。
大きい骨が折れるおと、健が引き千切れるおと、ニクガクダケチルオト――――痛み、痛み、痛いたいいたいいたいいたいイタイイタイ痛痛痛痛痛痛!!!!????
――熱い、冷たい、こわい、コワイ。
衝撃と、胸にこびりつくような恐怖と共に。
ぶつりと、ゲリュドの意識は途絶えた。
***
ゲリュドが目覚めると、自分の脚が勝手に動いていた。自分の腕が、勝手に動いていた。
手足が、意識から乖離して何処かへと、自ずと向かって行く。
「??」
何が起きているか分からない、いや、分かることを頭が拒んでいる。
きっと、理解した瞬間に恐怖という黒い闇が、意識を奪い去ってしまうから。
ズキン、と。
勝手な行動をとる手足から、熱にも似た痛みを感じた。
顔を動かそうにも、固定されたようにビクともしないので、眼球だけを動かして手足を確認しようとする――視界の片隅に入ってきたのは、ぐちゃぐちゃに砕けた自身の手足だった。
「――――ッッ!!」
何故かそれほどの痛みもなく、それがまた己の視界の情報と乖離していて、胃から吐き気がこみ上げた。
「――――!! ~~~~!!」
えずこうにも、喉の筋肉が動かず声すら上げられない。
自身の状態がどうなっているのか恐怖を感じていると、なんの予兆もなく、
――グリンッ!!
突如として自分の首が可動域限界まで旋回し、視界に一面金糸雀色が広がった。
バチバチと視界が衝撃で灼けつく中で、人形のような少女はにこりと微笑んだ。
「――ねぇ、ねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇねぇね~~~~~~ぇ??」
甘い猫なで声が、狂気を含んでゲリュドの耳朶を打つ。
上目遣いで、ピクリとも体を動かせないゲリュドを見上げ、金の鈴を喉で転がしながら少女が糾弾の問いかけを始めた。
「アナタはなぁに、してたのぉ?? 『宝具の間』には、警備なんて必要ないわぁ、だってワタクシの糸が張り巡らされているんですものぉ」
――「発言することを許してあげるぅ」という少女の声が響いた瞬間、
痛み、不可思議、恐怖、吐き気、震え――そういったものが、強引に制限されていた生理反応全てが、ゲリュドの口から飛び出した。
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛うゥッッッッ……うえ゛ぇぇぇぇっっっっ!!」
人気のない『大塔木』内に、叫びとも咆哮とも似つかない声が鳴り響く。
それを間近で聞いた金糸雀の少女は、両手で耳を押さえながら顔を顰めた。
「ああもうぅ、うるさいわぁ。静かにして頂戴ぁい……首、捩じ切るわよぉ?」
不機嫌そうな少女、その手が糸を手繰る様にくいくいと動く。
ゲリュドの首が可動域を越えて回り、首の骨がミシリと軋みを上げる――なにより恐ろしいのは、首を捩じ切られようとしているのに大して痛みを感じていない事だった。
――殺されるッ!!
「――っ!!!! 、、、っっ、ふッーー、ふぅっ……!!!!!!」
鮮明に、血のあぶくを吹いて死んでいる自分が想像できたゲリュドは、口からあふれ出そうとする恐怖を必死で抑え込んだ。
それをまじまじと見つめていた彼女は、機嫌がよさそうにゲリュドの頭を撫でる。
「そうそう、いい子。もう一度聞くからぁ、ちゃぁんと答えてねぇ? ――アナタは、なぁにしてたのぉ?」
「――ぁっ、『宝具の間』を、王族以外立ち入り禁止の場所を、一目見たくて……」
間違ってはいないはずだ。
ゲリュドの動機は確かに、好奇心と興味だったのだから。
だが彼が『宝具の間』の前で取った行動は、そんな可愛らしいものではなかっただろう。
そのことを、人形のような少女は撫でるような、それでいて悍ましい声でもってゲリュドに教えつける。
「うそでしょぉ?????? うそうそうそうぅっ~~そ、でしょぉ!? ワタクシの魔法はぁ、『宝具の間』を塞ぐ木の根――まぁ、幻魔法でそう見せてるんだけどぉ――それに触れないと発動しないのよぉ?? ……アナタはぁ、宝具が欲しくて木の根を力でこじ開けようとした、でしょぉ??」
「ちがっ、宝具を奪おうだなんて思ってた訳じゃねぇ!! ただっ……」
「もういいわよぉ。別にぃ、言い訳を求めてるわけではないからぁ――『口縫い』」
パチンと、金糸雀の彼女が指を鳴らした。
同時に、ゲリュドは声を奪われる。発声しようとすれば、首の筋肉が攣ったように力み、言の葉が紡がれることは無い。
「首だけを自由にしてあげるわぁ。ワタクシの言葉にぃ、頷くか首を振るかで答えて頂戴ぁい? 分かったぁ?」
少女の指先が少し動けば、ゲリュドは殺されてしまうだろう。
彼女の機嫌を損ねることはおろか、望まぬ答えを返すこともできない――いや、選択権は与えられていた。ただその代償が、自らの命だ、というだけで。
押さえられぬ恐れをその顔に滲ませながら、ゲリュドは首を縦に振った。
「いいわぁ、その表情ぉ。そうねぇ……アナタの罪を、王族、エルヴィーラ・ケーニッヒの名において明示してあげるぅ」
「――ひとぉつ、警備兵としての規律違反。ふたぁつ、『宝具の間』への侵入……罪の重複になるけれどぉ、甘んじて受けなさぁい。みいっつ、王族への不敬。ワタクシに対しての軽口を、許した覚えはないからぁ」
指を三本、エルヴィーラはピンと立ててゲリュドに優しい口調で説明する。
彼女は内二本を器用に下げ、人差し指の一本だけを残した。
「ちなみにぃ、死罪よぉ? 『宝具の間』への侵入の時点でねぇ? あは、あはははははっっ!!」
金糸雀色の少女は、ころころと喉で鈴を転がす。
その上品な笑い声が、ゲリュドには悪魔の哄笑に聞こえた。
体が、冷たく冷えてくる。
お前は死ぬと明言されて、死の実感を感じて、がたがたと勝手に体が震えだそうとする。
その震えでさえも、エルヴィーラの魔法で止められてしまっていた。
「ふふっ……ワタクシは寛大だから、死罪だけは許してあげるわぁ」
その声に、ゲリュドは久しく忘れていた息の仕方を思い出す。
動かない口でなく、鼻で粗い息をつく。鼻で取り込む空気の量のもどかしさを感じつつ、自分は生きている、と強く実感した。
「代わりにぃ――アナタの人生を、ワタクシに捧げなさい。一生、愛玩具にしてあげるぅ」
引っ張り上げられた直後に、暗い、底の見えない大穴に突き落とされたような。
ぐちゃぐちゃになった自分の手足が視界の片隅に入る。
一生、これが、彼女の気まぐれで。
いやだ、怖い、必ずいつか死んでしまう。
それでも、今よりは――今死ぬよりは。
死ぬか、一生続く痛みか。
ゲリュドは自分に与えられた二つの選択肢の内から一つを選んで――こくりと、もはや自身のものではない首を縦に振った。
          
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