盲者と王女の建国記

てんとん

第13話 剣を振る理由

――ぷつん。
それは糸が切れる様な、魔法具による遠距離間での通信が切れる音。
ミゥとの通信を終え、ケルンは魔法具を懐に仕舞い直す。
衣擦れの音からそれを察したリセリルカ。
ケルンの肩に手を置き、ゲリュドの追跡という行為の先を急かした。

「ケルン、急ぎましょう。速度上げるけど、できるわね?」


「うん――いや、はい!! やってみせますっ」


拳を握り締め、震わせながらケルンは強く言い放つ。
――リセリルカ・ケーニッヒは王族である。
先のミゥとの会話でそれを知ったケルンは、砕けた口調を自戒じかいした。
これまでが異常だったのだ。
魔法の名家――貴族という高い位に居るヒトであるならば、普通無礼な態度は許されるものではない。
それも王族ともなれば、なおさらだ。
平民であるケルンの失礼な態度にも、寛大だったリセリルカ。
きっとリセリルカという少女は、とても優しいのだ。
しかしだからと言ってそれに甘んじて、失礼をし続けるわけには行けない。
ケルンは、彼女について行こうと決めたのだから。リセリルカという自分と同い年の女の子から、多くを学ぼうと誓ったのだから――


――そんな思いで紡がれたケルンの言葉は、


「ちょっ――うぇぇ……鳥肌が立ったわッ!! 止めて頂戴な、気持ち悪いわケルン」


心底嫌そうに吐き捨てたリセリルカによって振り払われた。
「止めて」と言われてもやはり、高位のヒトに対し口下手くちべたでいるのは抵抗があるケルンは、さっきまでの言葉遣いをするのを躊躇う。


「いや、でもさ……」


「今更敬語になられても困るのよ。気持ち悪いし、気持ち悪い……そう、気持ちが悪いものね」


「そんなに!? 今三回言いましたよね!?」


心底嫌そうな声調で連呼するリセリルカに、ケルンは堪らず声を荒げる。
それでも敬語が抜けない少年に、王女はふっと息を抜く。


「今まで通りリセリルカと――いや、リセって縮めて読んで頂戴?」


にこりと愛嬌のある笑顔をするリセリルカ。
潰れた目から流れる血のおかげで、泣き笑いの様な表情になっていた。


ケルンにとってリセリルカは、敬称抜きで名前を呼ぶことですら躊躇われる相手。
そんなヒトをあまつさえ愛称で呼べなどと。
流石に無理だと考えるケルンは、リセリルカに向けて語勢を荒げた。


「そんな、畏れ多いっ!!」


本当ならば、一も二もなく従わなければならない王女の言葉。
頑なに頷かないケルンに、リセリルカは嬉しいやら腹立たしいやら、微妙な表情を浮かべた。


「うぅん、畏れ多いねぇ……?? 私、貴方に体をまさぐられたわあ、馬鹿とも言われたわよね、それに、『お前』って呼び捨てにされたわぁ……今更なのよ、この馬鹿!!」


ケルンのそれ以上の苛烈な語勢で、リセリルカが返す。
びりびりと大気を震わすような声に、ケルンはビクリと肩を跳ねさせた。


「ハイィっ!! すみませんっ!!」


「――だから、敬語をやめなさいッ!!」


もはや有無を言わせぬリセリルカの苛烈さに、ケルンもやけくそ気味に叫び返す。


「分かったぁっ!!」


「……よろしいっ!!」


嬉し気に笑ったリセリルカのその笑顔は、年相応で。
はじめてできた同年齢の友達と一緒に居るのが楽しくってしょうがない。
そんな思いが滲み出していた。


***


黒い稲妻が二人の足元を染め上げ、紫電が周囲に舞う。
地下通路には緩やかに上り勾配が付き始め、リセリルカは長い走駆そうく役の終わりを予感した。


「――――やっとね……抜けるわ」


ケルンによる足元の探知はすでに、目で見るよりも鮮明に伝わってくるようになっていた。
凹凸はもちろん、その硬度まで。それも走る速度が上がっているのに、だ。
最初は探知とリセリルカにしがみつくことの両立ができず、振り落とされそうになっていたケルンだったが、今では走行中に話しかける位余裕ができている。


「通路が終わるの?」


「ええ、どうやら――ほら、ね」


リセリルカはケルンを負ぶったまま階段状になっている通路の終わりを駆けあがり、生暖かい風が吹き込む出口を突破する。

鼻をつくのは、濃厚な草木の香り。
生い茂る緑の天井に、日の当たらない地面。
小さく木霊する唸り声は、獣か魔物か。
都市ベルグの外壁は、遠く彼方に置き去りにされていた。


『森林』地域が、そう呼ばれる所以。
冒険者間で呼ばれる名称は《森林迷宮》。
未開拓地域の緑の迷宮は足を踏み入れるものを迷わせ、その生命を養分にせんと内に飼う魔物や獣に襲わせるのだ。

リセリルカは自身が置かれている状況を理解した瞬間、『紫電波レーダー』の魔法を最大出力で放った。
生体を感知する紫の波が、バリバリと凄まじい音を上げて緑の迷宮を駆けてゆく。
半径3KMキロメルト、『紫電波』の届く限界距離。
処理しきれない生体の多さに、リセリルカは苦い顔をして自分の背中にいるケルンに問うた。


「ケルン、分かる・・・?」


聞かれて、ケルンは返ってくる紫の電波を己が黒い雷で受ける。
頭の中に浮かぶのは、生体の姿形と、自分たちからの距離。
見たことも無い生体の形がぼんやりと頭の中に浮かぶのは、リセリルカの魔法を介しているせいだと、ケルンは考えた。


「……うん。母さんや父さん聞いたことしかないけど、多分犬……が十五。で、多分虫が二十二。あとは――ヒトが一人、居る」


『電転』でケルンの感覚を共有したリセリルカは、その生体情報の精密さに苦笑する。
リセリルカは、すぐにその顔を真面目な表情に変えた。
自分が負ぶっている同齢の少年へ向けて、覚悟を問うように。


「ほんとに貴方、有能ね――ケルン、私は今からゲリュドを殺しに行くけれど」


――貴方はどうする?
続くはずだったリセリルカの言葉は、ケルンの腹を決めた声にかき消された。


「俺も行くよ」


「――そう。じゃあ止め・・は、貴方がやりなさい」


まるで、日常の中で交わされる挨拶の様。
いとも簡単に発された、リセリルカの言葉に――――


――――ぐにゃぁぁぁぁっっっっ、と。


見えないはずのケルンの視界が、揺らぐ。


――トドメ、トドメ?
ぐわんぐわんと耳鳴りのする中、言葉の意味をかみ砕いて、飲み込んで。
臓腑に落ちた意味を理解した時、ケルンの決めたはずの覚悟が、いとも簡単に揺らいだ。


――ヒトを、殺す?
ダレガ? ……俺がか?


「……」


言葉を発さなくなったケルンを背に乗せたまま、王女はしばらく足を止めた。
"殺し"というのは、等しく悪だとリセリルカは考える。
それも、同種の生物であるヒト種を殺すことは、同族殺しと呼ばれる、誰もが忌避する行為だ。
「殺せ」と他人に言われて「はい、わかりました」と即座に行動に移せるヒトは、どうしようもなく狂っている。
そういう面で、ケルンは正常だ。
それでも、どこかで必ず。
誰かを殺さなければならない状況というのは、やってくる。


ケルンは、幾度も"殺し"をしてきたリセリルカの隣に立ちたいと言った。
それならば、ここで経験をしておくべきだ。
現実というのは、待ってくれないのだから。"殺し"について、本当に吐くほど、悩むことができるのは、誰かを殺してしまった後だけなのだから。
背に負う今は弱者の少年に向け、リセリルカは口を開く。


「――いい? 貴方と貴方の父親、テインはゲリュド含む盗賊団に殺されようとしていたの。もちろん、そうはならなかったわ。現にこうして、貴方も生きている」


ケルンは、ゲリュドを殺さなければならない理由を持っている。
殺されそうになったのならば、殺さなければならない。
それは、正義だの悪だの以前の問題だ。
それすらできない者のことを、『弱者』と呼ぶのだから。
盲目の少年は、弱者で在ることを拒んでいるのだから。

「仮にだけれど、ゲリュドを生かしておけばどうなると思う?」


「どう、ってっ……つ、捕まえるとかじゃダメなの? 何も、殺さなくっても」


リセリルカは、ケルンに向けて理詰めをかける。
確かに、捕縛でも一時は問題の解決になるだろう。
だが根本的には、終息はしない。


「盗賊に限らないけど、ヒトは集団で悪事を働きたがるわ。集団にはが要る。そして頭が無事ならば動き続けるのよ、虫みたいにね……だから頭たるゲリュドは、殺すの」


言っていて気持ちが悪くなってきたのか、王女は顔を歪めた。


――リセリルカ・ケーニッヒというヒト種は、自分の隣に立って欲しいがために、ケルン・ツィリンダーという友人に『同族殺し』をさせようとしている。


彼の為を思って、だけでは当然ない。
リセリルカにも、きちんと打算がある。
ケルンの潜在能力と、研究者と魔法具職人を両親に持つ家系。
予感がするのだ、ケルン・ツィリンダーは必ず強者になるという予感が。
魔法は母であるミゥに、剣術は父であるテインに習えばいいだろう。テインの剣の腕がいかほどかは知らないが、人並みに振れてくれればそれでいい。


ただ、魔法でヒトを撃ち殺すのと、剣で斬るのとでは感覚が大きく違う。
前者は実感があまり湧いてこないのだ、自分で手を汚したという手ごたえがない。

ケルンの素質は十分。
だからリセリルカは、ケルンが魔法を得る前に知っておいて欲しかったのだ、剣でもって。
ヒトを斬る感触を、手ごたえを。
殺した、という実感を。


何より、ケルンは望んでいる。
血塗れの王女たるリセリルカの隣に立つことを。どす黒く汚れた手を隣で握ることを。


「話を戻しましょう。生かしておけば、第二、第三の貴方達のような家族が出てくるわ。でもきっと名も知らない彼らは、強くない。きっと殺されてしまう」


――自身の為にも、他人の為にも。
理由は、あるぞ。お前が人を殺す、理由は。どうするんだ、弱者?
剣を取るのか、また地に這いつくばるのか。――


ケルンは、葛藤する。


「弱者から何かに成る為の、その一歩目を踏みなさい。ケルン・ツィリンダー」


――どうすればいいのか。
リセリルカの言葉に、従っていいのか。


「殺される前に、殺すの。奪われる前に、奪うのよ」


彼女の言うことは、正しいのか。
殺されるなら、殺してもいいのか。


「何か守るということは、何かを奪うことだと知りなさい」


ケルン・ツィリンダーは、何を守りたいのか。


「早いか遅いか、よ。私の隣に来たいのならば、いつかは誰かを殺す時が来る」


「貴方には、ゲリュドを殺す明確な理由があるでしょう?」


「盲者だからと、馬鹿にされたでしょう? 父親を、殺されかけたでしょう? 誰でもない。今誰かを守るのは、貴方なのよケルン。ゲリュドを殺して、自分や家族、名も知らない他の誰かを守りなさい」


誰かを守るとか。
誰よりも弱いケルンにとっては、まるで実感のない話だった。
ずっと守られる立場だったのだから、当然だ。


――ただ、俺がゲリュドを殺さなければ。
リセが。
父さんと母さんが。


ヒトを、俺の代わりに殺してしまう。


それで、ケルン・ツィリンダーはいいのか??


「……ッッ、俺はッ――――」


答えを置き去りにしたまま、リセリルカは深い森の中、疾駆を始めた。
その背にケルンを乗せたまま。

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