旅人少女の冒険綺譚

野良の猫

「見えない何かに怯える夜」


二人の少女の笑い声が、お風呂場から聞こえてきた。それは当然の話で、今は二人しか居ない。服は綺麗に折りたたみ籠に入っている。

しかしシャルルはナーシャの身体を見て改めて思う事があった。痛々しい程の、小さな少女に刻まれている傷跡と痣の数だ。幸いなのは、顔に目立った傷は無い事だろうか。


シャルルは先に、自分の身体を洗う。
その間、ナーシャは湯船に浸かりながら耳を垂れさせフニャーンと気持ちよさそうに尻尾を揺らす。猫はお風呂が嫌いと言うが、猫族となるとまた違うようだ。

「よし、私は洗い終わりーっと。ほらナーシャ。こっちおいでー?」

「にゃーん、よいしょっと...」

ナーシャは湯船から上がると、シャルルの前に置かれた椅子に座った。そして後ろを振り返る。

「ほら、髪の毛洗ってあげる。前向いてー?目に泡が入ったら大変だよ?」

「にゃーん」

ナーシャは前を向いて目を閉じた。シャルルはシャワーを後ろからナーシャの髪にかける。お湯が目に入らないように、慎重に...慎重に。

「んにゃー...」
 
と時々声をナーシャがあげた。

「大丈夫?お湯が目に入っちゃった?」

「んにゃー...?違うの......お風呂好きにゃの、私。...あそこに居たとき...お風呂場でしか休めなかったかりゃ...」

「...そっか。じゃあ私が髪の毛も身体も洗ってあげる。女の子はやっぱり綺麗にしないとねー?」

1度シャワーを置くと、石鹸を手に取りナーシャの髪を泡立ててゆく。少し癖っ毛髪のナーシャの髪を、丁寧にゆっくりと伸ばすように洗っていった。

「大丈夫?ニャーシャ。痒いところとか無い?」

「大丈夫にゃー、ありがと」

目を閉じながらナーシャは呟いた。
そして幸せそうに笑っている。きっと誘拐される前にも、ナーシャの母親が同じような事をしてくれていたのかもしれない。

シャルルは髪を洗いながら、ナーシャの幸せを奪った人達の事を考えていた。仮に誘拐だとするならば...この国の騎士に、誘拐の事を話をしてみる?...いや、あの街の人達の様子を見れば、きっと騎士達は動かない。


それならお世話になったギルドに相談するのは...?もしかしたら、手掛かりだけでも何か掴めるかもしれない。...でも今日別れを告げたばかりだ。しかもあまりギルドの人達はシャルルに対して良い印象を受けていないようだったし...。それは朝食の時も、別れを告げた時も、冷ややかな視線を受けていた。

カイウスさんに相談は...いや駄目だ。あの後ローレンスさんに報告があると言っていたからケルト帝国へ帰っているだろう。
最早、頼れる人が誰も居ない。

となれば__。
「...私が何とかしなきゃ...ね...。」

「...ニャル...?」

心配になったのか、ナーシャは目を閉じながら振り返り、シャルルの名を呼んだ。いつの間にか、髪を洗っていた手が止まっていたのである。

「ん?あぁー、ごめんね?手が止まっちゃってた。そろそろ泡流すよー?」

「にゃーん」

返事がにゃーとは...何処まで可愛いんだ猫族はと思いつつ、シャワーで髪の泡を流して行く。ナーシャは気持ちよさそうにしながらふふーんと鼻歌を歌った。

髪の泡を流し終わると、絞ったタオルで顔を拭いてあげた。目に水が入らないようにしてあげないと。ナーシャは相変わらず上機嫌で笑みを浮かべている。

「はい、次は身体ねー?」

「にゃ、身体も洗ってくれるの?」

「うん、折角だしねー。」

「にゃー、ニャルはおかーさんみたい!」

「あはは...そこはおねーちゃんって言って欲しかったなぁ」と苦笑を浮かべつつ、また石鹸に手を伸ばす。

そして手で泡立ててから、ナーシャの身体を手で洗い始めた。首元から下へと順番に、手足や身体を丁寧に、ナーシャの身体を洗う。


終始ナーシャは擽ったそうにしていた。身体をある程度洗ってあげると、一カ所洗っていない所があった。それは尻尾だ。


シャルルはナーシャの尻尾を洗おうと手を伸ばして軽く掴みそして洗おうとした時だった。

「にゃぅぅ!!」

大きな声と共に、ビクリとナーシャの身体が跳ねた。シャルルはナーシャの声と急に跳ねた身体にびっくりだ。

「ど、どうしたのニャーシャ?!」

「にゃうぅ...尻尾は..その...だめにゃの...」

「あぁー、ごめんね?痛かった...?」
心配そうにシャルルはナーシャを見た。しかし痛そうにはしていない。どちらかと言えば...

「尻尾は...だめ...にゃの...これ以上は...もうしゃわらにゃいで...お願い...我慢できにゃくなるから....」

頬を完全に赤らめて少しだけ息が荒い。
つまりは...そう言うことなのだが...シャルルはどうしたのかと心配そうにしながら、分かった...ごめんね?と告げた。

そしてシャワーを手に取り、ナーシャの身体を洗い流してゆく。その間もナーシャは頬を赤らめ息は荒いままだった。

「大丈夫?ニャーシャ。のぼせちゃったかな...心配だし...もう上がろっか。」

「にゃうぅ...」

二人はお風呂場を後にすると、シャルルはナーシャをベッドへと運び寝かせた。二人で寝るのは少し狭い。シャルルも同じくらい小さければ二人で寝ても問題はないだろうけど...。


「ニャル...?」
まだ少し頬が赤いまま、シャルルを見て名を呼んだ。

「んー?どうしたのニャーシャ...」
シャルルは少し心配そうにしつつ見詰め返す。

「...にゃ...にゃんでもにゃい...」

ナーシャは顔を隠すように枕に顔を埋めた。そして息を整えつつ、身体を丸める。シャルルはベッドに座り、ナーシャの頭を撫でた。

「さっきはごめんね...?」

「にゃう....」

「今日はゆっくりベッドで寝てね...おやすみなさい、ニャーシャ...」

頭を撫でられながら、ナーシャは小さく丸くなる。そして数分後。いつの間にかナーシャは寝息を立てていたのであった。


_____○○。。。○○○。。。。○○○


【ヴェデルティア王国、貧困街にて__】

真夜中の貧困街を黒い影が数人、夜道を走り回る姿があった。それは黒いローブを羽織った怪しい集団だ。報告をしあう集合場所に集まったのか、ローブを羽織った怪しい人達の会話が聞こえてくる。

「あの猫族は見付かったか...?確かパン屋の親父があの猫族を見たのは確か屋台街だ。逃げるなら 多分この辺りだ。」



「いいや、まるで見つからねぇ...姿を見たって奴は沢山居たんだが。全く...いつの間に逃げ出しやがったんだ...?あの雌猫は...」

「あれだけの鎖の手錠と首輪を付けてたんだ...。一匹で逃げ出せる筈がねぇ。誰か手助けしたに違いない...」

「確か赤い服を着た奴が、猫族のあいつを庇っていたって話を聞いたぜ。そいつが奴を逃がしたんじゃねーか?」

「何言ってんだ。お前も見ただろ?屋敷の地下牢には、余所者が入った痕跡は残っちゃいなかった...ただ綺麗に...枷と鎖が切られてはいたが...」

「切れていた?それなら部外者の仕業に決まってる...。あの雌猫が刃物を手に入れる事は出来ねぇ筈だぞ...それに、手に入れてもきっと刃物さんざ使えねーよ。きっと赤い服の野郎だ」

「いやしかし__。一匹で逃げた可能性は充分ある...。ビーストと言えば...高い魔力と純度の高いマナを持つとされてんだ...。しかもやつは猫族。しかも雌猫だ。覚醒すりゃ、あんな鎖...簡単に断ち切っちまうぞ...本当に覚醒しちまってんなら俺達を細切れにすることだって__。」

「は。覚醒したとしても、猫族は弱点だらけじゃねーか...。尻尾を掴めば、力も魔力も、何も出せねぇ上に、あいつに限っては、尻尾は完全に性感帯。しかも感度をこれでもかって変えられてんだ。触っただけで直ぐに発情しちまうような雌猫だぞ?」

「...それでも。それでもだ。覚醒した猫族は俺達の手に負えない...。実際鎖やら鉄格子は簡単に斬られてたんだ。奴が覚醒した可能性は高い...。捕まえるなら、何か作戦を考えた方が良いかもな...」

「情けねぇなビースト相手に。なーに、恐れるに足らずだ。またあの雌猫を捕まえてから、対策は考えりゃ良い。さっさと探すぞ。あいつの身体は、客に売れば良い金になるからな__」

「...首飛ばされても知らねーぞ...?」


静かな貧困街に不穏な黒き風が、静かに流れていた。

_____○○。。。。○○_______

そんな中。狭い部屋の狭いベッドで小さくなりながら眠る1 人の少女。


ナーシャは追われる身となっているとは思っていないだろう。そしてシャルルも、必然的に追われる身となっているのを、当然知らない。猫族少女は、何も知らないまま幸せそうに眠る。シャルルはと言うと、ソファーに座り、少しかけ始めた月を、ぼんやりと眺めていた。妙に胸騒ぎがしていて、眠ろうにも眠れなかったのだ。

「.....なんだろう。この感じ...。凄く...凄く嫌な予感がする...。」

月が雲に隠れ、月明かりが消える。
シャルルはソファーからゆっくりと立ち上がると、静かに部屋を後にした。

そして誰も居ない街を歩く。
手を剣に当てて、いつでも戦闘が出来るように身構えた。

静かな街に、少し冷たい風が吹き抜ける。
そこには確かに、見えない何かが居る気がした。シャルルは大きく深呼吸して前を見た。


そしてシャルルはゆっくりと剣を抜く。


見えない何かに怯える夜。
その何かが、目の前に現れていた。
























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