英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第24話「義姉と義妹 その2」

いつから私は、可愛い妹ーーユリア=グローバルトを、敵とみるようになったのだろうか。


そう、あれは確か私が八歳の頃の話だ。


その頃ユリアはまだ三歳で、ようやく足元が落ち着いてきた、とてもか弱い存在だった。だからこそ私は、ユリアのことを可愛い妹だと思ってた。


ほっぺたぷにぷにで、こっちを見るたびに「おねーたん」って言ってくれて。何この子、天使ですか!?   って叫びそうなほどに可愛かった。


そんな私達だが、貴族の家系では大抵が三歳を迎えると同時に、剣の持ち方を学ぶ傾向がある。私の家も多分に漏れずその家系の一つだった。


私はリカルドという父親がいながらも、それほど剣術の才能には恵まれず、代わりといっては何だが魔術と勉学の才能だけを持ってた。どうやら私は母親に似たようだ。


最初はそれで良いと思ってた。時代は魔術を選んだ。走って敵に近づくよりも、遠方から高火力の魔術を放てる方が優遇される。


しかも、同い年のアランなんて何も持たない凡人なのだから、私は私の持つ才能で頑張れば良いのだと、そう思っていた。


学院でその才能を披露すると、同級生は憧れの視線を、先生は感心の視線を。私はすぐに学院で人気者になった。


それからしばらくして、ユリアも剣の扱いについて学び始めるようになった。初めて剣を持ったユリアも、例に漏れず最初の頃は剣を握る事すらおぼつかなく、振るうことすらまともに出来ない子供だった。


学院に通うかたわらで、私はユリアがひたむきに剣と向き合う日々を見つめていた。私はそれが何を意味していたのかは分からない。


私はただ怠惰に、自分という才能に溺れながら鍛錬も研鑽も無い日々を過ごしていた。


だけど、そんな幼いユリアの隠れた才覚が開花するは、あっという間だった。


一年。


そう、たったの一年。それだけでユリアは剣術の基礎を学び終えた。父ですら三年もかかった基礎を、その圧倒的な早さで修了した事は、瞬く間に帝国騎士達へと伝播した。


その噂は学院にも広まり、そのせいあって姉である私も剣術の才覚を期待された。無いことが分かってすぐに終わった話だけど。


怖くなった。自分の持っていた魔術や勉学の才能が、本当はとてもちっぽけな物なんじゃないかと思ってしまった。根拠は無かったが、導かれる答えも無かった。


人生は果ての無い広大な海のようだと、誰かから聞いたことがある。何もしなければただ沈み、がむしゃらに励まなければ前には進まない。


私は現状維持に満足して、その場から前に動こうとしなかった。だから気付いた時にはもう、全身が海の底へと飲み込まれていた。


ユリアは着実に、少しずつでも前へと進んでいる。いずれは私を追い抜いて、父すらも追い抜いてしまうのだろう。ユリアの後ろに立つ私の姿を連想した。情けない姉だと思ったが、それでもいいと、どこかで諦めていた。


けど、それを許さない人物がいた。それが同い年ながらも義弟という立場に収まった、戦災孤児のアランだった。


何の才能も無いのに、とても平凡な部類なのに。誰よりも真摯に、誰よりも必死に足掻いていた。努力なんて言葉で片付けては、多くの学生が行ってきたものが霞んで嘲笑されてしまうほど、凄まじい鍛錬の積み重ねだ。


そんな努力がどうなるのだと、私は侮っていた。毎朝目を瞬かせながら素振りを続け、全身を傷だらけにしながらも鍛錬を絶やさない。いくつもの難しい本を読みながら、寝食を忘れて没頭した。そうしてまで自分を苦しめる行為を続ける意味が理解できなかった。


けど、その結果が現実になるのはそう未来のことではなかった。


十歳の時。私はついにアランに負けた。


完敗だ。一対一の真剣勝負。魔術の使用も許可された戦闘だというのに、私は擦り傷一つすら与えることができなかった。アランはそれほどにまで強くなっていた。


凡人だと思っていた義弟が、誰よりも平凡だと思っていたアランが、倒れ伏す私をどんな目をもって見つめているのだろう。そう思っただけで、心が凍てつくような気分だ。


その日、私は夜通しで泣いた。ついにここまで堕ちたのかと、泣いて喚いて苦しんだ。私の過去の中で、最も恥ずかしいと思えるエピソードの一つだ。


夜通し泣いた後、目を腫らせながら、私はこの生き方を変えようと思った。魔術だけでは足りない、勉学ができてもまだ足りない。全てを学び取り入れて、その上で自己流に発展させる。


もちろん軌道をいきなり変更したせいあって、しばらくはまともに成長なんてしなかった。この期間が私にとって最も辛い時期だった。それでも続けたのは、私のプライドが許さなかったからだろう。


そうして高等部に進学する頃には、私は学院でも名の知れた実力者となった。その時にはアランはすでに戦場にいたと聞いたけど、私は大丈夫だと信じていた。


あれから五年。私は変わらず鍛錬を続けて、第二騎士団の部隊長を任される立場になった。


けれど、それを私は誇りに思わない。アランはさらに前へ、父と肩を並べるくらいにまで進んでいる。


そして私が進んだぶんだけ、ユリアも私に向かって歩いている。それも私が進んだ以上に。


追いつかれるのは決して駄目だ。追いつかれては、私がシルフィアわたしである理由が無くなってしまう気がする。ユリアの姉であり、尊敬する存在であるためには、常にユリアの前を歩かなければならない。


だから私はユリアを敵視する。勝たなければならない相手として、負けてはならない相手として。共に同じ願いを抱く同胞として、その願いを最も阻害する宿敵として。


私は、ーーーーユリアを倒す。









いつから私はシルねぇーーシルフィア=グローバルトを、怖いって思うようになったのだろうか。


思い返せば、私のまわりはすごい人でいっぱいだ。


お父さんは大陸中で語られるほどの騎士、お母さんは学者に負けないくらいに頭が良い。シルねぇは魔術を使えば帝国の中でも上位に座するくらい強いし、アルにぃに至っては戦争を終わりに導いた影の英雄だ。


すごい、私の家族はみんなすごい。


だからこそ、私は私の存在意義を持たずにいた。私は何なのか、それがずっと気掛かりで仕方がない。


私は昔から、シルねぇの背中を見て生きてきた。それはきっと、一番近しい存在だからだったんだと、今になって私は思う。


シルねぇのように魔術の才能は無かったけど、ひたすらな努力は無駄じゃないことをお母さんが教えてくれた。


だから努力は惜しまなかった。魔術は勿論のことながら、唯一と言って良い剣術の才能も無駄にしないように、お父さんやジェノラフの小父さんにも色々と教えてもらった。


人生は果ての無い広い海だって、誰かが言っていたのを覚えている。足掻こうとしない限り一向に変わらないんだって、誰かから聞いた話だ。


私は歩き続けた。沈んでしまわないように、ゆっくりとゆっくりと、それでも立ち止まらないように。


その頃の私は、それがあまりにも順調過ぎて、それが当たり前なんだと思っていた。誰かに指し示されて進む道が最適なのだから、それが正しいのだと信じていた。


そう、正しいのだ。示された道の通りに進むことは、決して間違いなどではない。だから私は大いに自信を持って進み続けた。


けれど、シルねぇはそうじゃなかった。


誰かに示された道順ではなく、自分で歩き、幾度と迷い、そして進んでいた。とても非効率的な行動にもかかわらず、シルねぇはそれを曲げることは決して無かった。


もちろん、そんな生き方をしていれば多くの葛藤が心を蝕む。それでも止めなかったのは、ひとえにアルにぃの存在あってこそだろう。


そして、七年と続けてきたシルねぇの努力は、高等部で一年生の頃から実力者として名を知らしめ、三年連続して魔剣祭の本戦へと進んでいる。


強い。私の感覚では測りきれないほどに強い。それはアルにぃやお父さんと同じ領域に、シルねぇが到達したということだ。


ほんの少し前まで、私の側にいた憧れのお姉ちゃんは、あっという間に雲の上の存在となってしまった。


追いかけても追いかけても、まったく近づいている気配は無く、まるで私がちっとも強くなっていないのでは、とさえ感じてしまう。


アルにぃとお父さんは元から遠い存在だったから、その距離がさらに伸びようとも大した変化ではない。


けど、シルねぇは違う。すぐそこに背中が見えていた存在が、まるで霞を掴んだかのように消えていく感覚。その場にぽつんと独り残される感覚は、嫌でも私の心を恐怖で満たした。


遠く、だんだん遠くなっていく。


その時に私は気がついた。このままでは何も変わらない、と。


私は自分を見つめ直して、まず訓練を自分で考えるようにした。お父さんに言われるがままではなく、自分のことをよく見つめ考えて、その上で自分に足りないものを補強する。


けどそれは、私が今まで味わったことの無い未知の世界。何をすれば良いのかまったく分からず、ただ私は呆然と鍛錬を続けた。


こんなにも綿密なことを続けていたのかと、私は素直に感心するしかできなかった。結局私は半年でそれを諦めてしまった。


しばらくしたある日、アルにぃが帰ってきたことを知り、私はアルにぃに強くしてもらおうと考えて親友の家を訪ねた。


やっぱりアルにぃはすごい。あれほど弱かったセレナを、たった数週間で私と戦えるほどに強くした。


だからこそ、アルにぃの側で学べばきっと私もーー。その考えが、私に喜びを与えるとともに、私に停滞を与えていたことを、私は後に知った。


何も変わっていない。確かに剣術はさらに磨きがかかり、魔術や他のことに関しても多くを知ることができた。


けど、それは与えられた強さであって、ユリア=グローバルトとしての強さでは無い。私はまた、頼れる家族がいることに甘えてしまったのだ。


そう、私の心はまだ何も変わっていない。十年以上経った今でさえ、アルにぃをどこかで心の拠り所にしている。とても、途轍もなく私は脆い。


対してシルねぇはどうだ。助けてと叫べば差し伸べてくれる手など幾らでもあった。取り付く島など、手の届く範囲に幾つでもあった。目の前には確かに道はあった。


それでもシルねぇは、それを拒むように異なる道を進んだ。それが正解なのか、それが自分にどのように作用するのか。報酬は?   対価は?   ここまで来た自分は正しいの?   心が揺れるタイミングなんて、幾百とあったに違いない。


だけど、シルねぇは進み続けた。


未開の地を歩くには勇気が要る。そしてそれ以上に覚悟と決意が要る。それらはきっと、私が持っていないものだ。私が知らなかったものだ。


だから、私が最初に感じた強さは大きな間違いなんだと、その時初めて気がついた。それに気がついたのは、ほんの数日前のことだ。


強いのは心だ。誰かに折られることなく、真っ直ぐに聳える絶対の想い。甘い言葉で心を転ずることなく、ひるがえすこともない。それこそが決意であり、覚悟であり、勇気なのだ。


そして理解する。数日後に対面する相手は、私を構成する全てにおいて、遥かに格上の存在なのだと。ようやくその理解に到達した。


途端、私は怖くなった。


いや違う。この感覚は、私が独りを恐れた時に感じた恐怖と酷似していた。そうして私は最後の理解に至る。


独りが怖いのではない。何も無いと実感してしまうほどに弱くて脆い、誰かに期待してしまうほどに甘くて柔い、そんな自分に恐れていたんだ。


前言撤回。だからきっと、私が怖いと感じていたのはシルねぇじゃない。怖いと感じたのは、度が過ぎた私の心の弱さにだ。


こうして私は認めた、自分の弱さと愚かさを。そして、だからこそ私は、シルねぇという圧倒的に格上の相手に、全力で相対しなければならない。


私には夢がある。アルにぃと共に暮らすという、私が小さい頃に想った唯一の願いだ。それももしかしたら、私の弱さが生み出した願望なのかもしれないけど、それでも私の心に変わりはない。


誰かと結ばれるために魔剣祭を優勝する。それはとても非常識な考えかもしれない。それでも私は、そんな恥知らずなことをしてでも、アルにぃがそばに居て欲しい。


けど、その願いをただ一人(お父さんは除く)だけ邪魔する人がいる。それがシルねぇだ。


私の初まりを作ってくれた人。
私に背中を追わせてくれた人。
私の弱さに気づかせてくれた人。
だれよりも尊敬できる立派な人。
そして、私のお姉ちゃん。


対戦表を見たときは残酷だと思った。けれども、今はそれすらも必然だと思えてくる。


きっと私は、シルねぇに勝つことなく魔剣祭に優勝したとしても、私は願いを叶えることに躊躇したかもしれない。


為すべきことを為して、その上で魔剣祭を制覇しなければ、私はきっとアルにぃと結婚した後も、後悔に溺れたかもしれない。


だからこれは機会なんだ。シルねぇーーううん、シルフィア=グローバルトと戦うための、私に与えられた決戦の場なんだ。


覚悟は持った、決意は定めた。あとは、前に踏み出すための勇気だけ。とてもちっぽけな勇気だけ。それを手にするために。


私は、ーーーーシルねぇに勝つ。









会場の中央では、両者一歩も退かない激しい戦いが繰り広げられていた。シルフィアの多彩極まる戦術によって繰り出される攻撃を、ユリアはその手に持つ剣で切り伏せる。


湧き上がる歓声。だが二人は対照的とも言えるほど、波一つ立っていない水面のように落ち着いていた。


ここまで過去にも数えるほどしか無いくらいの激しい戦闘を繰り広げてきた二人だが、残念なことに二人はまだ、ーーーー本気を出して・・・・・・いなかった・・・・・


開始から四分が経過。


ここまでは、自分の力でどこまで通用するのか、それを試したかったユリアの思い。


どれほどが、ユリアだけで培われた実力なのか、その身で知りたかったシルフィアの思い。


侮りなどではなく、単なる好奇心と確認を伴った子供のような行動。それを知り得た者は、おそらく今頃、呆れるように微笑んでいることだろう。


だが同時に、痛感する。


……このままだと、勝てない!
……これだけじゃ、勝てない!


四分という短い時間の戦闘で知り得た実力。底が見えないという曖昧な答えが、二人の脳裏をよぎった。


だが、これで終わりでは無い。


さあ、これより始まるのは第二幕。ユリアとシルフィアによる、常識を超越し、規格を逸脱した化け物同士による戦い。


後に、歴史書ではこう語る。










それは、神々の戯れのようだ、と。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品