英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第22話「予想外な結果」

八十年ほど昔の話だ。


その者は咎人であった。


数多の人をその手で殺めた。


しかし、彼はこう口にした。


「俺が殺したのは悪人だけだ。平和に生きる人々をあやめ、他者から金品を奪い取り、年若き娘達を攫い、民衆に虚偽を伝え、この貧困の世に至福を凝らす愚者を殺した。貴様ら裁定者が裁きを与えぬ悪人を殺したのだ。これを善行と呼ばずして何と言う」


「貴様らが奴らを裁くのはいつになる?   明日か、翌週か、それとも翌月か。ではその間にも死に絶える人々の苦しみを、家族・親友・恋人の恨みを、貴様らは受け止められるのか?   死んだ者どもへの償いを、貴様らは命を賭して行うと誓えるか?」


「俺は知っている、貴様らはそれを放り捨てる事を。貴様らは捕えた咎人を裁くだけで、外側へと目を向けない事を。その行為を人々はどうして善行と言えるのだろうか?   何百・何千という人々を救ってきた俺を、どうして咎人と断定できるのだろうか?」


「それでもなお、貴様らが俺に裁定を下すというのならば、俺は甘んじて受け入れるとしよう。だが、これだけは忘れるな。貴様らが俺を裁くという事は、俺がこれからも救うであろう人々の苦しみを、貴様らが背負うという事だ。罪を裁く意味を深く理解して、その槌を振り下ろすと良い」


長々と、本当に長々と語った男は、最後にニヤリと不気味な笑みを浮かべて口を噤んだ。


裁判所は沈黙に包まれた。男の語った言葉には一片の曇りもなく、また同時に彼の行いは論理的には・・・・・正しかった・・・・・のだ。


しかし、結局男は有罪となり、地下監獄でその身が朽ちるまで永劫に続く苦しみを与え続けられた。


何年も、何十年も。男は痛みを受け、血反吐を吐き、死に際に瀕し続けた。地底から響く断末魔が、いつしか怪奇と謳われるようになるまで。


それでもなお、男は罪を認めなかった。裁定を否定し、自らの行いを是と信じ続けた。


両手両足の爪を剥がされたとしても。
背中に大量の傷跡をつけられたとしても。
身体中に青い痣ができたとしても。
指先が潰されて感触が無くなっても。
歯を全て抜き取られたとしても。
両親の首を眼前に晒されたとしても。
両足の骨が粉砕されたとしても。
毛髪を全て抜かれたとしても。
両目が潰されたとしても。
耳と鼻を削ぎ落とされたとしても。
臓器の幾つかが潰されたとしても。


何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も絶望を感じても。


ーーその男は、心の芯まで傲慢であった。









剣戟が激しさを増す。


「ーーーーっ」


湧き上がる歓声が、津波のように襲いかかる魔力波動が、静まっていたはずの心を掻き立てる。


金属同士が弾けるような音がユリアの鼓膜に届いて、同時に全身の毛が逆立つような感覚に苛まれる。


……集中、集中しなきゃ。


落ち着きたい気持ちとは裏腹に、心臓の鼓動はどんどんと速度を増す。呼吸がし辛いのは、きっと身体が震えているからだ。


対戦表が発表されて以降、シルフィアやアランとは積極的に会話を絶っていたユリア。それは因縁であり宿願であるシルフィアと、対等に戦うためのお膳立て。


一応アランの名前入り証明書を手に入れて毎日帝国図書館に通い、シルフィアについても少しは調べたが、皇族の護衛が任務であり、しかも郊外に定住している第一皇女を護衛している事もあって、なにぶん情報が少ない。


去年の魔剣祭レーヴァテインには、多忙だった事もあって不参加。よって、二年もの間に成長したシルフィアの実力は不確定要素。


分かる事と言えば、シルフィアが自分よりも強いという確定した絶望的な一つのみ。


強いというのは単純で、だからこそ明快な実力差である。目に見えない数値的なものに、一瞬にして不等号を付与してくれる端的な存在。


……だが、それが戦いの全てを左右するという訳ではない。体調・気分・天候・場所・時間、あらゆる概念が総じてこそ、結果というものは発生する。


アランは言った。強いから勝つのではなく、弱いから負けるのではなく、勝つためにあらゆる手段を整えた者が勝つのだと。


戦いに絶対は無く、だからこそ人は勝つためにあらゆる方法を練り上げてきた。最適な戦略を組み上げた。戦敗の可能性を限りなく無にするために。


「そのための準備なら……!」


ユリアだって整えてきた。この一戦は因縁であり宿願であり、そして負けられない戦いでもあるのだ。


ギュッと手のひらを握り締める。


痛い。だが、その痛さが緊張を幾ばくか和らげてくれる。痛覚による麻痺のようにも思えるが、それでも、まともでいられるなら全然ましだ。


身体の震えが止まり、不安定だった呼吸が正常を取り戻す。呼吸が戻ればきっと心臓の鼓動もーーと思ったが、どうやら鼓動は変わらず激しさを保ったままだ。


だがそれは、緊張や焦りから訪れていた脈動ではなく、覚悟を決め決意を固めた者に訪れる高揚感に似た何かであった。


静かに、静かに鼓動へと耳を澄ませる。歓声や剣戟といった雑音が遠ざかり、霧散する。会場の方角から襲いかかる魔力波動に対抗せず。静かに、それでいて強さを帯びた魔力を身に宿す。


対峙するは姉ーーシルフィア=グローバルト。剣技の才能には恵まれなかったものの、それを補って余るほどの魔術の才能と才覚を有し、今や女性だからといって彼女を侮る帝国騎士はいない。


実力差は一目瞭然、語るまでもない。


だが、それでもユリアは勝ちたい。どれだけ無様に戦おうとも、どれだけ勝率が低かろうとも、姉から白星を獲得したい。


「負けられない、絶対に」


覚悟はできた。決意は定まった。気構えだけは、この時だけは帝国騎士にすら負けず劣らずのものになっているだろう。だがそれで良い。気負うことはもっとも動きを鈍らせるから。


精神的な準備が整ったところで、今度は装備の再確認だ。アラン手製の刻印魔術片刃剣に、アランから渡されたベルトポーチ。ポーチの中には魔力回復用の魔石が三つと、かく乱や目眩しといった術符が五枚ずつ。


魔剣祭の規定では鎧などの装備を着ても構わないが、魔術戦が想定されるこの祭典で鎧を着て出場する者はまずいない。せいぜい籠手といった程度か。


ユリアもアランやリカルド同様に、防御を捨てて回避を重視した速度重視型の戦法を好んで活用する。


無論ながらアランのアドバイスを受けて、戦闘着となるアルカドラ魔術学院の制服に、装備審査に引っかからない程度の刻印はすでに仕込み済みだ。


それらを確認し忘れ物がないかを確認、同時に道具や武器の耐久度・不備などを確認。どうやらこれも問題は無さそうだ。


さて、あとはその時が来るまでーーーーと思った矢先だった。




「ーーっ!?」




ズドンという鈍い音と共に、会場が微弱だが揺れた。思わず慌てふためきそうになるが、大きく深呼吸をして気を整える。


その揺れをきっかけに、試合が行われていた会場からは気味の悪い静けさが届いてきた。どうやら試合結果が出たようだ。


徐ろに立ち上がり、渇く喉に唾を流し込みながらゆっくりと会場の方へと身を進めた。舞い上がる砂埃に目を細めながら見つめると、そこには毅然と立つキャロンの姿と、


「…………は?」


ーーーー満身創痍のゼリアがいた。









試合はアランが思った通りに進んでいた。


過去の資料と五年前までの記憶から察するに、開始時は互角に戦い、時間が経つにつれてゼリアとキャロンの実力差が如実に現れ始めると予想していた。


実際にそうであったのだ。


開始から数分した頃に、ゼリアが猛攻を始め戦況を一気に傾けた。雷剣ヴェルズリを想起させる刻印魔術の施された剣撃や、攻撃の合間に放たれる古武術。


大規模な魔術による戦闘ではなかったものの、繰り広げられた凄まじい剣戟と、時折現れる雷光の輝きは、観衆を瞬く間に虜にし、あっという間に大歓声。


防戦一方のキャロンの姿を見て、これはゼリアの勝利で決まったなと、アランすら確信していたのだ。


だが、予想は大きく外れる事になった。


まるでスイッチが切り替わるように、満ちていた潮が引いていくように。今までの防戦が芝居だったみたく、キャロンは一気に形勢を覆した。


荒削りだった剣術が瞬く間に研ぎ澄まされ、今までは対処できていなかった古武術にも平然と対応してみせた。


開始時の粗雑さが嘘だったとは思えないし、形勢逆転からの繊細かつ迫力のある攻撃も、自暴自棄によるデタラメなものだとは考えられない。


まるで人が入れ替わったように、物語が終盤を迎えるように、キャロンの快進撃はその勢いが止まるところを知らず。わずか五分後には、ゼリアから逆転勝利を勝ち取ってしまったのだ。


そして現在。ゼリアの渾身の力を振り絞って放たれた斬撃を、キャロンは寸のところで躱し、そのままカウンターを土手っ腹に叩き込んだ。


幾度か地面に叩きつけられるように転がると、最後は壁にその身を叩きつけて意識を混濁とさせていた。


「ーーーーーー」


会場で毅然と立つキャロンを見て、アランは絶句した。その実力は、間違いなく殺戮番号シリアルナンバーに匹敵するであろう。ゼリアが家宝である宝具を武器にしていなかったとはいえ、ここまで圧倒的に勝ってしまっては、実力を隠していたと考えざるを得ない。


だが、その実力はとてつもなく気味が悪い。


キャロンは現在十九歳で、去年までは学院で普通の生徒として学生生活を謳歌していた。成績はそれなりだったが、ジェノラフの剣術指南のおかげあって過去の魔剣祭では学院生生徒枠として出場した経験もある。


キャロンの情報はある限り集めた。それを見た限りでは、キャロンはまだ殺戮番号の称号を手にする域には至っていない。それがアラン独自の見解だった。


……だというのに!


殺戮番号No.8、ケルティア=マクヴェンソンの指導のもとアランが学んだ推察力は確かに本物だ。しかし、推測した結果とは異なる結論。疑うべきは衰えた推察眼か、それとも不気味で不自然な技量の変化か。


「気味が、悪いわね……」


ふとアランが視線を横に向けると、そこにはセレナが顔を少し青ざめながら立っていた。どうやらアラン同様に状況の異常さを理解しているようだ。


「まるで人格が入れ替わったように攻撃の技量が上がった……。自分で考えて、そのうえで馬鹿みたいって思うような考えだけど、まるで本当に・・・別人みたい・・・・・


「……別人みたい?」


そう言われて、アランはさらなる疑問に陥った。セレナの言う通りキャロンの変貌ぶりは、例えるならば人格が切り替わったようにきっぱりとしたものであった。


まるで多重人格、いやそれ以上の高次元の何かによって生み出された異質な変化。外見はそのままで中身だけを入れ替えたような、人を玩具のような感覚で考えて創られた何か。


その時だった。


ふと、キャロンと視線が合った。その目に映る感情はどこか嬉しげで、面白げでーーーー退屈そうで。


「……っ」


「ちょっ、アラン!?」


気づいた時にはアランは身体が動いていた。何がなんだが分からないが、キャロンをこのままにしておくのは危険過ぎる気がする。


味方として、の判断ではない。
異質な存在として、の憶測だ。


「セレナはそこにいろ!   すぐ戻る!」


そう言い残して、アランは駆け出した。周囲の観衆が騒めくが、気にする事なく手短に階段を降り、一般人は立ち入る事を禁止されている選手の控え室へ向かった。


その間にも、アランは思考する。


……あれは誰だ?


アランはキャロンの人となりを知っている訳では無い。だが彼の師匠であるジェノラフは、敵であろうと礼節を重んじる人物である。そんな彼を師事するのだから、根本的までとは言わずとも、多少なりとも対戦した相手に敬意を抱くはずだ。


ならばこそ、ゼリアに向ける退屈を語るような視線は侮辱と同意である。ほんのちょっとした違和感かもしれないが、その違和感がアランの脳裏から離れてくれない。


『しょ、勝者はキャロン=スウェント選手!   決勝へと進んだのは、失礼ながら予想外にもキャロン選手となりました!   さてーーーー』


ラパンの勝利宣告がアランの耳に届く。このままではまずい。おそらくキャロンも、アランが何かに気付いたことは把握しているはず。悟られないように行方を暗ませる可能性がある。


アランのいた場所からキャロンの控え室までは、それほど距離がある訳ではない。だが、道中は安全策として走ることが禁止されているため、出来るだけ早歩きで目的地へと向かうアラン。


そんな時だった。


「やあ、そこの青年君。良かったら君の将来を占ってみないかい?」


アランに一人の女性が声をかける。アランは一旦足を止めて、声のした女性の方を振り向いた。


女性は苔色のローブを目深に被り、どうやらアランに顔を見られたく無いようだ。知人かと逡巡したが、ならばこそアランに顔を見られることがまずい人物など、思い当たる節がない。


つまりは初対面であろう。


そんな初対面の人物に今は数秒でも費やしている暇はない。アランは丁寧かつ正確に、断ろうと口を開いた。


「すみまーーーー」


だが。






「キャロン=スウェントなら、ここにはもういないよ?」






その一言に、アランの思考は停止した。なんのヒントもなく、なんの前置きもなく、相手の急所を抉るような的確な発言いちげき


女性の言葉には一切の迷いは無かった。それはまるで、最初から何もかもを知っていたかのような言い方で。


「なーー」


「『何で』かい?   そりゃあ私が君の行動を予測したからに決まっているじゃないか、アラン=フロラスト君。いや、こう言うべきかな?」


またしても。女性はアランの思考を読み取った。理解できない訳ではないが、それでも冷や汗が背を伝うのがはっきりと分かった。


心臓が高鳴る。
血の気が引いていく。
視線が狭まる。
口呼吸が荒くなる。
雑音が遠のく。
視野が揺らめく。


懐かしく味わうこの感覚。知っている、これは未知に対する単純な恐怖だ。自分の知らない領域で動く何かに怯えているのだ。


しかし、女性はそんなことお構い無しにアランの側へと歩み寄ると、その頬に手を当てて言った。






「『英雄殺し』」

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