英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第14話「交わる思い」

繰り返される激しい剣戟に、観客は息を飲んだ。


黄金色の美しい髪をなびかせながら、舞い散る火花に目もくれず、観客達が視線を寄せる会場の中央でせめぎ合いを続ける。


衝突した魔力によって吹き荒れる風が、激しい動きによって上気した身体を優しく撫で熱を攫っていく。


「はァァァ!」
「だァァァ!」


背筋を震わせるような金属音が、空気中を伝播して鼓膜を叩く。高鳴りが中耳に残響し、ほんの僅かだが脳への信号伝達を阻害する。


試合開始から五分が経過していた。魔力による身体強化で動き続けるセレナに対して、ケディンは部分的に強化はしているが、ほとんど純粋に肉体だけでセレナの攻撃に対応している。


魔力量の観点からすれば圧倒的にセレナが有利な状況だが、遠距離攻撃まじゅつを封じ、かつ魔道具を使う機会を与えなければ、ケディンにも勝機は大いにあった。


しかし、それには大きな問題がある。そう、ケディン自身が常に近距離で攻撃し続けなければならないという点だ。


試合時間はわずか十分とはいえ、全力を賭して戦えば、たとえ如何なる猛者といえど十分ですら過酷なものとなるだろう。


剣を振るう事だけには余裕があるケディンは、機動力を重視して脚部だけを身体強化。剣を打ち合う度に振動が骨身に伝わり鈍痛となるが、今はそんな事に感けている暇はない。


試合時間が半分を切った。だというのに、互いに有効となりそうな一撃を与えられていない。


堅実に攻撃を防ぎ続け、隙を見て最良の一撃を相手の急所に放つケディン。
敏捷性で鋭い攻撃を掻い潜り、精度よりも手数で攻め続けるセレナ。


先の見えない戦いに、次第に二人ともが焦りを感じるようになる。この戦いの勝利を得るための、確実となる証拠を手に入れんがために。


「く……っ」


距離を置いて魔術戦を展開しようと試みるが、一定の距離を維持して離れないケディンに苦悶の声を漏らす。これだけ近いと、かえってベルトポーチから術符や魔石を取り出しにくい。


かといって詠唱などしている余裕は無いし、詠唱に意識を向けていると剣術が疎かになり、ケディンに勝機を与えてしまう。


……結局、こうなるのね。


アランが言った通り、やはりケディンは終始剣術のみで戦うことに心血を注ぐらしい。魔術という対極的な技術においては、ケディンは学院生であるセレナにすら敵わないからだ。


特にセレナの切り札【顕現武装フェルサ・アルマ】は、使われてしまったが最後。まともに戦いなどと呼べるような試合にはならないだろう。


だが、学院生という未熟な存在であるセレナは、高速で剣を打ち合いながら安定した魔力で流れるように詠唱を口ずさめるほどの余裕はない。ケディンもそれは勘付いているようだ。


もし、セレナがそれほどの技術を有しているのならば、間違いなく一昨日のゼリア=ダー・カルダシアとの一戦は勝てていただろうし、ユリアとも互角以上の実力を見せているはず。


現状で剣術と並行して魔術を使えないセレナには、近接戦闘を続ける方が得策という訳だ。


不完全とはいえ、この一週間近くで『観察する』という事を会得したケディンは、自分なりの結論を持ってこの戦いに挑んでいる。


全ては願いを叶えるため。


努力も苦労も惜しまない。


……何がなんでも、勝つ!


「おォォォ!」


凄まじい覚悟が、剣にまとわりつく。


心意は力、決意は重さだ。


今までの数倍、もしかしたら数十倍の重さを感じたかもしれない。剣の重さも剣撃の速度も大して変わっていないというのに、何かがセレナに与える負荷を増加させる。


『おおっとぉ!?   今まで均衡していた両者の実力に、ついに縺れが生まれたか!?   ケディン帝国騎士の激しい剣撃ぃ!』


などと実況の声も耳に届くが、セレナはそんな事に気をやる余裕はなかった。


感じたのだ。僅かだが、詳細には摑み取れなかったが。それでも、確かにケディンと交えた剣から、振り下ろされた刃から。


セレナに似た想いを感じたのだ。


……貴方も私と同種って訳ね。


セレナの追い続ける夢。それは、言えば決して誰も、義母とすら言えそうなほどに親しいユーフォリアですら「諦めろ」と言うほどの過酷なものだった。


イフリア大陸に聳えるオルゼア山脈の最高峰にある、白亜の謎の古城。人呼んで、『フリーゲルの幻想城』。


未だかつて、誰もが到達し得ない謎の古城。それに合わせ、オルゼア山脈の周囲には上位魔獣が跋扈する『迷い殺しの森』を始まりとして、さまざまな障害が万人を拒むように命を狙ってくる。


人類最強とさえ言えるリカルドですら、森の向こう側を見たことが無いのだ。それは過酷という言葉で表現する事すら、常軌を逸脱しているほど危険なのだ。


だが、セレナは挑まなければならない。


フリーゲルの幻想城にいる事を、セレナは知っていた。どういった経緯でそこなのかは定かでは無いが、幼いころに聞き耳を立てた時、確かにそう言っていたのを幼いセレナは覚えていた。


では彼は、人智を超えた存在であるリカルドを超える人物なのか?   ーー否。そんなはずがある訳がない。


彼は非力だった。もしかしたら、以前のセレナよりも弱かったかもしれない。そんな人物が上位魔獣の跋扈する森に入れば、一刻とせずに骸と化すだろう。


だがそれでも、彼がそこに向かった事に変わりはない。ならば、確かめる必要がある。そのためにはどうしても帝国騎士、しかも上位の権限が必要になる。


権限を手取り早く手に入れる方法。それがこの魔剣祭レーヴァティンに優勝する事だ。


……貴方の想いに比べれば、私の意志はまだまだ軽いのかもしれない。


ケディンの想いはきっと、彼が今年で二十歳となり、来年からの魔剣祭への出場条件から外れてしまう事もあろう。


今年でその背中にのし掛かった重荷を離さんがために、勝たなければならない。世界で一番愛している母親の心身に残った傷を癒すため。


そのためならば何でもするという覚悟が、セレナ以上に全身から溢れ出ていた。


でも、とセレナは歯をくいしばる。


……私だって、負けられない!


酷使している身体に更なる鞭を打ち、さらに強化。どれだけ魔力で表面上の力を底上げしたところで、実質的な身体能力は微塵として変わらない。おそらくこの強化は、セレナの身体に少なからずの痛みを伴わせただろう。


それでも、セレナは行った。


「ァあああ……っ!」


「っ!?」


鈍痛となって襲いかかる痛みを堪えながら、ケディンの剣撃を押し返す。速度と威力、その二点において絶対的な優位に立つケディンは、気迫のみで押し返してくるセレナに少しだけ圧倒される。


その一瞬をセレナは逃さない。


ベルトポーチから術符を取り出す。表面に描かれた魔術方陣は【五属の風】、しかも雷属性だ。


セレナの魔力を吸収した術符は、描かれた魔術方陣に従って現象を発動。雷を伴った竜巻が、範囲を絞り局所的に大地を抉る。


「う、ぐッ!?」


浮き上がりそうになったその身を、剣を地面に突き立てる事で抵抗するが、代わりに電撃と飛来する小石がケディンを襲う。


術符に仕込まれた魔術の発動時間は少ない。取り込んだ魔力量からして、あと三秒もすれば何事も無かったかのように、竜巻は霧散してしまうだろう。


だが、三秒もある。


次の手としてセレナは左手に魔石を、右手に新たな術符を取り出した。左手の魔石で五分強の試合の間に消費した魔力を回復しつつ、右手の術符を発動させた。


術符は二枚。まず最初の術符が発動して、今にして竜巻から解放されたケディンの身体を膨大な量の水が波状となって襲い、ケディンの反撃を阻害する。


それとほぼ同時に、もう一枚の術符も発動。覆い被さるようにケディンを襲っていた水の塊が一瞬にして凍結。ケディンを拘束した。


それでもケディンならば、ものの十数秒でこの束縛から解放されて反撃を試みるだろう。しかしセレナは、最初からその十数秒を狙っていたのだ。


「《炎獅子よ、我は永久より在らしめる聖火の霊王なり。この身この腕は万象一切を灰塵に変え、人類の暦に終止符を唄うーーーー」


溢れ出る魔力を右手の甲に集中。膨大な量の魔力に呼応するかのように、紅の蝶の形をしたその証が姿を現した。


魔剣祭が始まってから、セレナは一度として奥の手である【顕現武装フェルサ・アルマ】を使っていない。それは帝国騎士の誰もが警戒していると推測しての結論だ。


それにも関わらず、セレナは論外な力には頼る事なく、純粋な実力でここまで上がってきた。いよいよ敵も、セレナが使った謎の魔術だけが彼女の強みとは言えなくなった訳だ。


腰から提げている不可視の剣に目をくれること無く、セレナと対峙した相手は、抜き晒された視認できる剣のみを注視する。そうして相手を策略に陥れる。


【顕現武装】は使わないという誤認に陥れる。


それが最良のタイミングだとでも言わんばかりの笑みを、アランも浮かべている。どうやらセレナ個人の判断はあながち間違ってもいなかったようだ。


すぅと息を吸い込み、完全なる詰みチェックメイトを語る。想いを込め、熱意を込めて。誰もが熱く見守る中で、その言葉を口ずさむ。


「ーーーー我は終末より生まれし赤き聖女なり》」


セレナの勝利が確定した瞬間だ。









「ぐ……っ」


十三秒ほどして、ようやく氷の牢獄から脱出したケディン。しかしその顔は苦悶に満ちていた。


氷塊を生み出す魔術ならば、【アイスピラーズ】のように、それなりの数の魔術が存在する。


氷結、流砂、呪縛、催眠。こういった行動を阻害する魔術は、戦場では命の危機を示す訳で、新米帝国騎士が戦場で一度は歩む、死地の一つという訳だ。


ケディンもここしばらくで、そういった魔術には注意しろという言伝を耳にした。もちろん聞き流しなどするはずが無い。


だが、これは予想外だった。


水は氷と違い形が無い。常識はずれの馬鹿力があれば、迫ってくる水の大波を真っ二つにする事なども可能だろうが、いかんせんケディンはほぼ凡人。剣才には恵まれていようと、その領域には達していなかった。


抗う術なく大波に飲み込まれたケディンが次に受けたのは、救護でよく用いられる、対象の熱を急速に奪うという【アイシング】の魔術だ。


その魔術方陣を少し改良して、ケディンに纏わり付いていた水から、凝固点になるまで一瞬にして熱量を奪取したのだ。さすがのケディンもこれには対応できなかった。


氷の牢獄に閉じ込められている最中、ケディンはふと考えた。これも、アランが考えた作戦なのだろうかと。


だが、氷の向こうから見えたセレナは、幾ばくかの緊張と不安を混ぜ込んだような瞳をケディンに向けていた。失敗するかもしれないという疑惑が、彼女を惑わせているのだろう。


そこでようやく理解した。これは彼女が考えて実行に移した作戦なのだと。即興でも何でも、彼女がこれならばと思案した作戦なのだと。


……考える力、ですか。


今になって思い出す。第三騎士団に入団した当時のことを。最初の朝礼の時に、新米帝国騎士達の前でシェイドが語った言葉を。


ーー考えろ。それが人間の武器だ。


きっと彼はこの事を言いたかったのだろう。常識や概念、過去のあり方に囚われる事なく、自分で考え行動する。それこそが帝国騎士というものを強くするのだと。


燃え盛る火柱。その中心には少女の影が朧げに写っている。言うまでもなくセレナだ。


その光景は一度見た。二週間ほど前、彼女の親友であるユリア=グローバルトと手合わせをしていた時だ。


膨大な魔力。緋色と茜色を混ぜ合わせたような炎の柱が天を駆け、瞬時に空気が熱風を帯びて乱気流を発生させる。


凄まじい熱波が喉を焼き、じりじりと発汗を促し、極度のストレスを与えてくる。戦士にとって、これ以上に調子を狂わせてくる相手はそうそういないたろう。


だが、その炎の中から顕現した少女はーー


「ーー美しい」


純金を溶かしたような黄金色の長髪は、ツツジの花のような鮮やかな紅色に染まり。まるでサファイアのように美しい青色の双眸は、おぞましくも魅入ってしまうほどに真紅に染まっていた。


完成された美。背筋が震えるほどの美しさに、思わずケディンは微苦笑を浮かべながら身を震わせた。恐怖からではなく、美しさゆえに。


だが、忘れてはならない。こうなった彼女は、ただ美しくなった訳では無い。人智の領域から逸脱し、更なる高みへと至ったのだ。


「…………」


剣を構える。一瞬たりとも気を緩めない。挙動の一つそれぞれが、次点における命取りになると思え。目を見開き、ケディンは歯を食いしばった。


だが、それを凌駕する。


「はーーーー」


やい、とは続かない。高速で移動を実現したにもかかわらず、セレナの寸前まで立っていた大地は何ら変わりない。砂埃も亀裂も、移動したという記録が残らない。


まるで最初から目の前にいたように、セレナは瞬間的にケディンの懐へと潜り込んだ。


「ふッ!」


打ち上げるようにセレナは拳を振り上げる。拳速はもはや残像すら見える速度で、回避は理論的に不可能。防御の一択だった。


ミキミチと骨と筋肉が傷付くような音を立てながら、ケディンは腕を盾する事で攻撃を防ぐ。しかし、腕に与えられたダメージは予想以上に大きかったらしく、脂汗が額に浮かび上がった。


さらにセレナはここからは独壇場だとでも言うように、追撃を仕掛けた。


剣の間合いを捨て、さらに前方へ。膝が触れ合える程度にまで近付いてしまえば、剣術では有利であるケディンも、器用に剣は振るえない。


「ざァァァ!」


絶え間なく拳を叩き込む。基盤が少女並みの筋力とはいえ、霊格の昇華によってその威力は桁外れ。岩盤程度ならば余裕で砕ける拳だ。


そんなものを連続して防ぎ続けるケディンの腕は、魔力で強化する事でなんとか耐え凌いでいるという感じか。相変わらずケディンの鼓膜には骨身が軋む音が伝播する。


一般人には知覚できない領域での攻防戦が繰り広げられる。落雷のような劈く音を連続的に鳴り響かせながら、何度も、何回でも繰り広げられる。


『ーーーーーーーーーーーー!』


ラパンが何か言ったようだが、耳にして理解している余裕がない。「にふん」と聞こえたので、おそらく残り時間が二分を切ったという事だろうが。


残り百二十秒。【顕現武装】のセレナと拳を交えたのがいつからかは定かではない無いが、それほど長時間でもないことも確かだ。


日常的な一秒と比較しても、今のそれは圧巻するほどに密度が高い。呼吸する間が恋しく、瞬きが待ち遠しい。


「だァァァ!」
「ぜァァァ!」


セレナの右ストレートに対して、ついにケディンは左腕を犠牲にして拳を突き出した。メキメキという骨折音を二人の耳に届かせつつも、魔力の付与された拳はセレナの腹部に直撃。


「がはァッ!?」


剛拳によって臓器が衝撃を受け、セレナは吐血した。大した量では無いとはいえ、今まで味わったことのない鈍痛がセレナの視界を歪ませ、重心を不安定にさせる。


【顕現武装】の権能の一つ、超速再生があるとはいえ、再生されるのは肉体の損傷であって痛覚は消失しない。


痛みに慣れていないセレナは、四つん這いになりそうになって、思わずバックステップで距離を取った。口内が血の味で埋め尽くされ、不快感が魔力の流れに影響している。


対してケディンも無事では済んでいない。権能の一つ、属性概念によってケディンの腕は所々が火傷を負い、右手に至っては壊死したように真っ赤に腫れている。どうやらケディンの魔力装甲よりも、セレナの魔力の方が強かったらしい。


「やはり……難しいですね」


眉間に皺を寄せながら。手詰まりな現状へ憤慨するように、ケディンは愚痴を漏らす。


残り時間は一分強。左腕は半ば骨折状態で、右腕は感覚を失いかけている。剣を持つこともやっとだろう。すぐに降参をして治療をしなければ。


だが、それでもケディンは負けを認めない。


プライドではない、意地だ。何としてでも勝たなければならないという彼の決死の思いが、「諦め」の二文字を彼の脳裏から破棄させる。


しかし精神論だけではどうしようもない。肉体は既に限界の一歩手前まで到達しており、魔力もそろそろ底をつきそうだ。


もはや勝算はない。ならばとケディンは鞘から剣を抜き放ち、痛みを堪えながらも剣を構えた。


「これが、最後です」


残り時間の一分を捨て、次の一撃に全身全霊を賭して繰り出すつもりだ。言い終えると同時に、ケディンは今までとは比にもならないくらい強い気迫でセレナを睨んだ。


紅き炎に包まれながらも、凄まじい敵意を身に受けたセレナは、反射的に剣を鞘から抜き放ち、固唾を飲みながら中段に構えた。


……この一撃、絶対ヤバい。


学院生徒枠大会でのユリアへの敗北。あれからというもの、セレナは【顕現武装】の鍛錬を積み重ねて色々と進歩した。


魔力の調整をして使用時間も格段に向上したし、属性概念の顕現だって以前よりも威力が増した。この調子で強くなり続ければ、いづれはアランの横に立てるまでになると、アラン自身が言っていた。


だがそれでも、危険な存在だとか死の予感といったものは、本能的に認識してしまう。未熟な心を萎縮させてしまう。


それではいけない。そんな事は分かっている。だが、理性だけでは心は平静を取り戻してくれない。余計な考えが脳裏をよぎる。


ーー回避し切れなくて、敗北。


そんな事はない、そんな事にはならない。百も承知な事実を脳だけは否定する。その証拠は?   それを証明する理論はどこ?   と。


今の状況からして、誰が見てもセレナが勝つ事は目に見えている。セレナがほぼ無傷なのに対し、ケディンは既に満身創痍。彼の言葉を鵜呑みにするならば、これが最後の攻撃となる。


いかにケディンが素早い動きで攻撃を仕掛けてきても、今のセレナは人間の感覚を超越しており、ケディンの攻撃を回避しながら反撃をすることだって可能だ。


だが、その先が見えてこない。


反撃の後にどうなるのか。いかにケディンが満身創痍だとはいえ、彼自身が最後だと宣言しているとはいえ、隙あらば攻撃してくるかもしれない。


潔く負けを認めるのか、それとも嘘をついてセレナの油断を誘おうと言うのか。いくら考えても答えは一向に出てこない。些細な不安がセレナの思考を狭め、剣に迷いを生じさせる。どうするべきか、どうしたらよいのか。助言を求めるも応じるものは誰もおらず、次第に心は暗みを帯び始めーー






「アホか!!」






と、そんな時だった。観戦席の方角から声がした。


「……アラン?」


そう、そこにいたのはアランだった。衆目に姿を晒すことが嫌いなはずなのに、そんなこと知らないとでも言わんばかりの声を会場全体に響かせながら観戦席の淵に足をかけて、及び腰になりかけているセレナを睨み付けていた。


「不安要素?   もしもの可能性?   気にするな、そんな事はその時に考えろ!」


暴言にも罵声にも聞こえるその言葉。それに対して、司会者が適切な対応を取った。


『え、えー……ただいまセレナ学院生の師匠であるアラン帝国騎士から、なにやら助言が飛びましたが……ダメですからね!   次やったら、問答無用でセレナ学院生を強制敗退にしますから!』


ラパンから注意を受けてもなお、仁王立ちをしながらセレナの方を見つめ続けるアラン。その側にユリアやシルフィアがいる事もあって、注目はよりいっそうに強まる。


「自分勝手な言い分……」


毒づきながらも不敵な笑みを浮かべるセレナ。思考が逸れた、それだけで頭をリセットするには十分な要因だった。


冷静さを取り戻したセレナは思案する。ケディンは今にも駆け出して来そうだが、顕現状態のセレナの思考速度は、凄まじいほど速い。


見る。観察する。


物理限界を超え、常識を覆す。それが今のセレナーー【顕現武装】の為せるわざだ。


見えるはずだ。知り得るはずだ。それが化け物の為せる業でも、今のセレナは間違いなく化け物なのだから。


ケディンが地を蹴った。速度的に考えて、到達までおよそ二秒といったところか。中段に剣を構えて腕を引いた様を見て、剣の軌道はセレナの胸部あたりを狙っていると思われる。


剣速は確かに凄まじい。おそらく顕現状態の今でも、見えるのはほぼ一瞬といったところだろう。具体的な速度は例えようが無いが、とにかく途轍もなく速い事は間違いない。


懐へと近づきながら剣を横に薙いでいる。なるほど、速さに任せて剣の重みを打ち消しているのか。それならば腕の力だけで十分に攻撃可能だ。


だが、その動きはもはや賭けだ。攻撃自体が大振りな一撃なので、回避することは何もそれほど難しい事ではない。バックステップで今にでも一歩退がれば、攻撃は命中不可。そのまま反撃に向かえば、セレナの勝利は確固たるものとなるだろう。


普通ならば、誰もがそうする。実直であろうと卑屈であろうと、それが最適解なのだから。躊躇うことなく誰もが身を引くだろう。


でも、本当にそれで良いのか?   ケディンの決意のこもった一撃を、ただ冷静に冷酷に回避するのか?   それはなんとも物寂しいではないか。


剣を交える事だけが、魔術を競い合う事だけが帝国騎士なのではない。そんな事はずっと昔から知っていた事実だ。卑怯でも卑劣でも、勝った者が正しいのだから。


だが、それは嫌だ。


なんとも形容し難いが、心がそれではいけないと訴えている。立ち向かえと叫んでいる。


だから、セレナはーーーー


「やァァァァァァァァ!!」
「うおォォォォォォォォ!!」


剣を、交えた。


この先がどうなるのかは分からない。何が正しかったのかは後で知ることだ。今は思考を捨て、無我夢中で剣を振り下ろし、ケディンの剣に叩きつけた。


一瞬にして熱のこもった温風が、会場どころか帝都全体を包み込む。その温かさはほんのりと優しく、まるで幼き頃に抱かれた母親の腕の中のようだった。


わずか数秒の間に伝播したその温風は、臣民、商人、旅客、その他の人々に優しさを伝えると同時に、懐かしさをほのめかした。


だが、多くの人々が心震える中でも、二人の競り合いは収まらなかった。火花を散らし、歯を食いしばり、最後の一瞬まで気を抜かない。


周囲の観衆達とは裏腹に、二人の心は闘争心という炎で燃え盛っていた。後先を考えることなく大量に魔力という名の薪を投げ込み、限界を超えてなお、二人の気迫は収まらない。


それから、どれくらい時間が経っただろう。


三十秒?   十秒?   もしかしたら、一秒も経っていないかもしれない。それくらいに濃密な剣撃だった。


そして、その瞬間はやってきた。まるで示し合わせたように二人の魔力波動は同時に霧散して、荒れ狂うようなに吹いていた風は、一瞬にして停止した。沈黙が次第に広がる。


観衆達の視線は、無論ながら二人に集中した。無言で剣を重ね合わせる二人を見つめ、その瞬間を今かと待ち侘びる。


そしてーーーー


「おみ、ごと……です」


残り滓のような最後の気力を振り絞ったケディンは、賞賛の言葉を対峙するセレナに伝え、微笑みながら前のめりに倒れた。


死んではいない、魔力限界リミットアウトが訪れたのだ。負けたというのに、それ以上に満足そうな顔を浮かべながら、静かに寝息を立てている。


「か……勝った……」


対するセレナも顕現状態を解除し、肩を上下に揺らしながら息をしている。眼前で倒れ伏すケディンを呆然と見つめながら、ぽつりとそう呟いた。


気迫同士の衝突。初めての体験に身体は未だに震え、高揚感が止まらない。勝ったという事実が未だに信じられないくらい、興奮していた。


そんなセレナに代わって、ラパンは言った。


『決着ッッ!   セレナ学院生がケディン帝国騎士から勝利を勝ち取ったァァァ!!』


湧き上がる歓声。鳴り響く拍手の嵐。きっとこの瞬間を、セレナは一生を通して忘れないだろう。






セレナのーーーー勝利だ。

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