英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第13.5話「ケディンの過去」

ケディンの実家ーーペグメンソン家は、旧皇帝時代の頃に男爵家として、北東のそれなりに大きな町を統治していた。


ケディンの母方の祖父母である二人の間には、残念な事に男児は生まれる事なく、仕方がなしに外部から婿養子を迎える事となった。


しかし、長女は既に伯爵家の次男と婚約を済ませており、次女は恋路に興味を示さず武の道へと走った。結果として、末っ子である三女ーーソーフィアに婚約するように迫ったのだ。


だが、当時まだ十歳になったばかりのソーフィアは、結婚が如何なるものか具体的には知らず。さらに言えば、結婚相手と一度すらも会っていなかった。


それにも関わらず首を縦に振ったのは、両親の期待に応えたかったという彼女の良心からであろう。だが、その選択がペグメンソン家を後戻り不可能なほどいびつにさせた。


しばらくして、縁談は始まった。


ケディンの父ーーグリアはとある子爵家の次男坊であり、幼い頃から高名な魔術師であった父親による英才教育のせいで、魔力量の多さが何よりの力であると信じている『魔術至上主義』の崇拝者であった。


それ故あって、自分が貴族である事に強いプライドを抱いており、自分よりも価値が低い末っ子の婿養子となった事に、強い憤慨を抱いていた。


グリアがアルカドラ魔術学院を卒業するまでは待つという誓約のもと、あっという間に五年が経ち。十八歳となったグリアと十五歳になったソーフィアは、町で婚姻式を挙げた。


ソーフィアは町民達にとても愛されており、その日の婚姻式では涙を流さない者はほとんどいなかったという。


だが、大変なのはここからだ。十八歳でソーフィアは長男のケディンを生んだものの、その子はてんで魔力量が少なく魔術師としての才能に乏しい。その筋の人から言えば、まったくと言って良いほどに無価値な存在だった。


『魔術至上主義』の彼にとって、自分の息子がそのような雑魚だという事実に辛抱ならなかった。幾度と策を立てて闇に葬ろうとしたことか。その度にソーフィアは涙ながらにやめて下さいと、訴えたことか。


母の慈愛のみで育つこと五年。次に生まれてきた次男のラッセルは、父の期待に応えるように魔力量に恵まれ、魔術師の才ある子供だった。それだけあって、よりいっそうケディンの存在を疎んだ。


五歳にもなれば、色々と仲睦まじく見えた両親の裏側も知るようになってくる。たとえば、毎晩のようにケディンについて口喧嘩をしているとか。


いつだって父グリアはケディンを道端の雑草程度にしか見ておらず、母ソーフィアはそんな事はないと首を横に振っていた。


最初のうちはなんとなく見つめていたケディンも、父との楽しい思い出など無く、むしろうじ虫を見つめるような目で睨んでくる事を思い出して、月日が経つにつれて父に対する嫌悪感を抱き始めた。


それから三年が経つと、八歳になったケディンもアルカドラ魔術学院に入学した。父は入学金を一銭も出さなかったが、祖父母が密かに貯めていた財産を削ってまで出してくれた。魔術師としての才能が無かったとしても、二人にとってケディンは可愛い孫だった。


その頃から、ケディンは一人の男性に憧れていた。当時、傭兵としてリカルドと共に帝国を守護していた剣士ーージェノラフ=ゴドレットだ。


彼は魔力量はそれなりに有しながらも魔術の扱いが不得手で、宝の持ち腐れとして当初は知られていた。だが、それを補い余るほどの剣術によって、彼は英雄と肩を並べるほどの傭兵として名を馳せていた。


けれどもジェノラフだって、最初から剣の扱いに長けていた訳ではない。『魔術の才能』などという無い物に縋らずに、剣術を死ぬほど努力をして、今こうして『不動の白狼』という二つ名を知らしめているのだ。


ケディンは夢を見たのだ。魔術なんか使えなくたって、魔力量が乏しかったって。何かにひたすら没頭して研鑽を積めば、強くなれるのではないかと。


その夢を叶えるために、ケディンはひたすら鍛錬に時間を費やした。もちろん、学院の勉学を怠る事はなく、ゆっくりと着実に積み上げた。


その結果、初等部を卒業する頃には、剣術は同級生の中で上位に君臨する腕前となっていた。まだ初歩的な魔術しか習っていないとはいえ、魔術を重視する同級生を相手に優位に戦えたのは、とても清々しい気分になった。


これで父の見る目も少しは変わるかもしれない。そんな切ない想いを、十二歳のケディンは抱いていた。


だが、そんな想いを踏み砕くように、中等部からはさらに過酷な日々だった。主義思想の偏りによって、剣術よりも魔術を重点的に教え込む授業形態となり、得意だった剣術は二の次だ。


しかも、身体の成長につれて徐々に他の生徒も十分な筋力を手に入れ、剣の扱いにも慣れてきた。実力差は着実に詰まってきていた。ケディンはそれに焦らずにはいられなかった。


初等部の頃以上に鍛錬を重ねた。だが、素人から経験者と、経験者から達人への上達速度は圧倒的に前者が早い。剣術という一つのものしか得なかったケディンは、見る見るうちに平凡な生徒の中に姿を隠した。


やがて中等部第二学年生の頃になると、弟のラッセルも学院に入学した。ラッセルは父の性格をまるごと写したかのように、ケディンの事を酷くけなす傾向があった。


グリア同様にラッセルも幼い頃から英才教育を受け、その実力は瞬く間に学院中に広がった。


下へ下へと落ちていく絶望感と、五歳年下の弟が学院内で有名になっていく焦燥感。いつか夢見た、ジェノラフのような剣士になる願いは、時を経るにつれて色褪せていった。


それでも学院を退学しなかったのは、心の底にあった父親への復讐心であろう。このまま辞めてしまえば、入学を薦めてくれた母親に、入学金を手配してくれた祖父母の面汚しになる。せめて一矢報いなければという決意が、ケディンの心を奮わせた。


そんな光景を嘲笑う父親を心に思い浮かべ、歯を食いしばりながらも、落ち続けながらも自分を律して鍛錬をひたすらに続けた。


そして、十五歳の時にその事件は起きた。イフリア大陸を震撼させた『アステアルタ魔術大戦』、そして皇帝ゲーティオ=オルフェリウス・バルダガッハに反旗を翻した『英雄革命』である。


立て続けに起きた二つの事柄によって、皇帝は新たにオーディオルム家が引き継ぐ事となり、共に戦った隣国のカルサ共和国とフィニア帝国とは、平等な条件で和平を結んだ。


オーディオルム家が皇族となり、ヴィルガが皇位を得たと同時に発布されたのは、なんと無能貴族の排斥だった。


カルサ共和国やフィニア帝国と戦争を行わなくなった今、もっとも重要視すべきなのは戦力ではなく国民の安定した生活だ。


そのためには、必死に働く国民から無駄に税を搾り取る貴族の数を減らし、必要最低限の税を村々で集めて、帝都にある厳重な金庫に貯蔵するシステムを作ったのだ。


無論、爵位を捨てられる事に反発する貴族は少なくはなかった。二百近くあった貴族達は、上位の貴族に吸収されたり、皇帝に決闘を挑んで負けたり。


当然ペグメンソン家もその中の一つだった。ただし、ソーフィアの母がジャニール家の前当主の妹だったという事もあって、ジャニール家の分家という形に収まった。


自分の実家より伯爵という爵位の中では下位に当てはまっていたジャニール家に嫉妬するグリアは、よりいっそうソーフィアに鬱憤を晴らした。


二ヶ月に一度、帝都に赴いて会いに来てくれる母の白い肌には、いつもどこかに青い痣が見えていた。何があったのかと尋ねても、何も無いよと苦く微笑みながらそう言い返すだけだった。


正直な話、父が母に暴行を振るっているのは明確だった。帝都にやって来る商人達からは、実家のある町に関する嫌な噂を聞いたし、弟のラッセルからも父が酔いに身を任せて暴れているという事も耳にした。


父がついに狂った。そう判断したケディンは、父を止めるべく一週間の休学届を出して故郷へと足早に帰った。


そこで目にしたのはーーーー無残に荒れ果てた、懐かしの故郷だった。


土壌は死に絶え作物の実りは少なく、町の中央を流れていた壮大な河川も、汚濁した水がほんのわずか流れるだけ。町に暮らす民のほとんどは町に愛想を尽かして別の町に移り、残っているのは移住ができない老人のみ。


五年ぶりに帰ってきた故郷は、もはや町とも村とも呼べる状況では無くなった。そんな虚しい現状に、どれほど目頭が熱くなった事か。


そして、その元凶は屋敷に帰ると同時にすぐ分かった。


まるでそこだけが別世界のように鮮やかな色に溢れ、悪臭など全く無く。屋敷には周りを囲むように二メートルほどの高い塀が作られ、その外周を私兵が警備していた。


私兵達を一瞥しながら屋敷内へと足を踏み入れたケディンは、執事や侍女の手厚い待遇を受ける事もなく、額に青筋を浮かび上がらせながら、父がいるであろう書斎へと向かった。


そこは、地獄だった。


若い娘が何人も全裸で絨毯の上に寝転がり、ベッドを覆う白い天蓋の向こう側からは未だ喘ぎ声が聞こえてくる。しかもそれは、聞き覚えのある母のものでは無かった。


ケディンは吼えた。天蓋を力任せに破り捨て、ベッドの上で行為に耽る父に拳をくらわせた。


状況を理解しきれなかったようで、呆然とするグリアに向かってケディンは母の所在を訪ねた。すると十数秒ほどして、ようやく現状を把握したグリアは下卑た笑みを浮かべながら言った。


ーーあの木偶でくか?   飽きたから捨てたよ。


その言葉を耳にした瞬間、ケディンの視界は白に染まった。キーンと耳鳴りが酷く、少し感じていた喉の渇きも感じなくなった。


思考と動作が切り離された感覚。筋肉が動いた感覚はあるが、それが何をする為なのかが全く分からない。白い世界の中で、ケディンはただ無言で視界が戻るのを待ち続けた。


そして、視界が戻ったその時に見たものは、血溜まりに虚ろな目をして寝転がる父の姿だった。息は無く、既に死んでいた。


その手に持つ剣を見て、自分があやめたのだとすぐに理解できた。だが、自分の父を自分で殺めたというのに、心は全く揺らいではいなかった。


慌てて駆けつけた執事や侍女は、その光景を見て瞳孔を大きく見開いた。中には悲鳴をあげて逃げる者もいた。


数分して私兵達が駆け付けて来た。あまりの気怠さに、ケディンは抵抗の意を見せる事なくあっさりと捕まった。


捕らえられたケディンは、新設したばかりの第三騎士団の団長であるシェイド=カルツォに父親殺しの事情を尋ねられた。だからケディンも話した。ぽつりぽつりと丁寧に。


三日間の熟考の末に出された決断は、無罪放免というものだった。どうやら革命で皇帝が変わった今、それほど面倒ごとにしたく無いらしい。


それと同時に、グリアの所業について許されざる部分もあったからだろう。グリアが書斎に連れ込んでいた若い娘達は、全て私兵達に頼んで村や町から誘拐して来た者達だったらしい。


無論、私兵は全て処断された。だが極刑ではなく第三騎士団に所属するというものらしい。被害を受けた娘達にすれば悪人同様だが、そこはシェイドがどうにかするらしい。


らしい、というのは知らないからだ。これら全ては、牢に閉じ込められている際にシェイドから聞いた事で、実際に見たわけでは無い。そもそも、そういった事に興味を持つことすら、今のケディンには無かった。


最も心の支えとなっていた母の行方が知れず、もしかしたら野垂れ死にしているかもしれないという恐怖に、寝付ける事はなかった。


虚脱感に苛まれながらも、学院に戻って学院生としての責務を全うすること三ヶ月。ついに、第三騎士団からソーフィアが見つかったと報告が来た。


吹っ飛ぶように走ったケディンは、母が運ばれたとされる病院へと向かった。


瀕死の重体だった。


無一文で放り出された挙句、そこは魔獣が多く生息する地域だったらしく、左腕は魔獣に噛まれてほとんどが壊死しており、両足は火傷が酷く、見るも無残な姿に成り果てていた。


息はしているが意識は戻らない。ほぼ植物人間状態となった母の前で、嘆くようにケディンは哭いた。母に代わって既に父には復讐を果たした。この憤りを費やすべき者は、誰一人として存在しない。


そこで、シェイドから提案が出た。魔剣祭レーヴァテインに出場して、母を治さないかと。


その頃、高等部へと進学していたケディンは、魔剣祭への出場資格を果たしていた。魔術はほとんど使えず、ここしばらくは何の鍛錬もしていなかったが、希望を手に出来ると知って大いに喜んだ。


だが、その年の魔剣祭は予選敗退に終わった。仕方がない、鍛錬を怠っていた自分が弱かったのだから。


翌年も予選敗退に終わった。鍛錬を重ねて限りなく強くなったと思ったが、それでもまだ届かないようだ。この敗北を噛み締めて、更なる鍛錬をケディンは決心した。


そして、学院生としての最後の魔剣祭。学院生徒枠の準々決勝戦で勝ち進んだものの、またしても負けた。相手はシルフィア=グローバルト、かの英雄の娘だ。


高等部での魔剣祭優勝は叶わなかったものの、それでもまだ、ケディンは諦めなかった。


しばらくして第三騎士団への入団を果たし、任務と鍛錬の毎日を過ごすケディン。同期の何人かは、ケディンを出来損ないとして見ていたようだが、そんなものは既に気にしていなかった。


だが、帝国騎士となったものの、魔剣祭への出場資格を手にする事はとても難しかった。出場資格が与えられるのは、わずか四名。


資格を得んと、ひたすら努力を重ねるケディン。魔剣祭への出場条件に二十歳以下というものがある限り、ケディンが資格を得られる可能性はあと三回。


一回目は、先輩の帝国騎士達が資格を手にした。当然だから仕方がは無いと心に思って、ケディンは再び鍛錬を続けた。


二回目は候補にまでは挙がったものの、実力が相応しくないという理由で、資格は手に出来なかった。


二度も資格が与えられなかったとなると、三回目も危ういと感じたケディンは、第三騎士団所属の帝国騎士という志を忘れ、ひたすら鍛錬に没頭した。


その所為あって、不真面目な奴と思われたケディンは、シェイドの命令でフィニア帝国の兵士と、オルフェリア帝国の学院生と新米帝国騎士による混合チームと戦う事になった。


正直なところ、ケディンは侮っていた。フィニア帝国兵は帝国騎士よりも実力では劣るし、学院生は言わずもがな。新米帝国騎士はたったの一人というから、これは確実に勝ったとケディンを含んだ味方の誰もが思っていた。


だが、負けた。惨敗だ。


何が凄かったのか、と問われれば文句なしにチームの連携、そして新米帝国騎士の実力だ。


彼は自分と同じ二十歳らしい。詳しくは知らないが、卓越した剣術と、自分と戦いながらも周囲に警戒を回せるほどの余裕からして、彼は戦場を、殺し合いという舞台を幾度と味わった事があると、即座に理解した。


剣を交えながらケディンは畏怖した。だが、同時に彼の剣から感じた実直さは、どこか既視感があった。


そう、彼もまた努力によってその域まで成し得た人間だったのだ。天才や異才が立つ世界とは違う、自分と同じ領域に立つ人間だったのだ。


素直に憧れた。自分の進む先に、こんな素晴らしい人間が待っているのかと目を輝かせた。自分の続けてきた結果を肯定してくれるような人物に、経緯を抱いた。


その時からケディンは彼を、アランという帝国騎士を師として影ながら仰いだ。先達者として敬った。


剣を交えて以来、ケディンは率先して帝都外の魔獣討伐任務などに参加した。ただ剣を振るうのではなく、戦うことで感覚として正しい動作を感じ取り、目で耳で感じることで常に思考能力を使う。


こうして暗に『戦術』としての大まかな概念を学習したケディンは、結果としては強くなった。だが、アランがセレナに言った通り、新人帝国騎士がようやく『帝国騎士』としての土俵に立っただけ。


その本質は何として変わってはいなかった。


そして三年目の魔剣祭。最後の機会となるその年に、ようやくケディンは帝国騎士としての出場資格を手に入れた。


第三騎士団の中では不満の声も少なくはなかったが、シェイドのひと言で重鎮も首を縦に振ったのであった。


そして現在、ケディンはセレナと剣を交えていた。


戦果は二戦して、一勝一敗と後がない状態だ。司会者であるラパン=パルサーの言う通り、この試合が自分にとって大きな節目となる事に他ならなかった。


会場に立つ自分の手には緊張が漲っていた。だが、握手をした際に対峙するセレナに尋ねた。貴女はどうして震えないのですか?   と。


ーーもう、覚悟は決めてますから。


そんな言葉に、ふっと微笑み手を離した。自分よりも余程大人な雰囲気を感じさせる少女に背を向けて、五歩前へと移動した。


身を翻して剣を抜く。少女の言葉を聞いた効果か、手の震えは既に無くなっていた。穏やかに魔力が全身へと広がる。


試合開始の合図とともに駆け出す。交えた少女の剣からはーーーー


ーーーー自分に似た、強い意志を感じた。

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