英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第12話「見えない未来の話」

懐かしく、夢を見た気がする。


ただ補足をするならば、ここは夢であり、そして現実でもあった。


「ーーーー」


炎のように赤く染まった空の下に、呆然と立ち尽くすようにアランはいた。夢なのだから唐突に物語が始まるのが定石だが、それはなんとも現実味を帯びた夢だった。


目を見開くと、そこには地平線の彼方まで広がる黒い、いや赤黒い海。夢ゆえに潮の臭いは無く、揺れる感情さえ持たない。何を発する訳でもなく、静かに海を眺めていた、その時だった。


プカリとまるで泡が膨れ出たように、謎の白い物体が海面へと姿をあらわす。それは次第に二つ、三つと増え続け、終いには海面全体を覆い尽くした。


これはーー死体か。


血の気を失った幾百幾千もの死体が、血のような海の海面に浮かび上がり、眼前に例えようのない地獄を生み出した。


「ぃだいよぉ……」


声が聞こえた。悶え苦しむ余りに、見えもしない何かに縋り付くような、惨めさが際立ったような声がアランの鼓膜を震わせる。


「血が、血がぁ……」
「誰が助けてェェェ!」
「息子が、あそこに息子がいるの!」
「ぐるじぃ……ぐるじぃよ……」
「ごろじでぐれ……もう、いぎだぐない」
「ママぁ……」
「腕が、俺様の腕がァァァ!?」
「ビュー………ビュー………」
「アガぁ!?」
「じぬ、ごれはまじでじぬ……」
「神様気取りか、アァ!?」
「……疲れた、一思いに殺してくれ」
「こんな事をして良いと思ってーー」
「目っ、めェェェ!?」
「ヒャヒャヒャ!   血だ、俺の血だぁ!」
「この……っ、俺が相手ガぁ!?」
「やめてくれ。俺を殺さないでくれ……っ」
「最低だァ、テメェは最低なクズだ!」
「お願いします。どうか、どうか娘だけは……っ」
「あ゛ァァァァァァァァァァァァ!」
「パパぁ……ママぁ……どこぉ……」
「殺してくれ、殺してくれ。早く、早く早く俺をその剣で殺してくれェ……」
「これが血の味かァ……ったく、なんて甘ったるいんだか……」
「こんの人殺しが!」
「貴様の心には思い遣りは無いのか!?」
「ははっ、俺が死ぬっていうなら、お前も道連れにしてーー」
「助けて……ねぇ、助けてよぉ……」


絶えず聞こえてくる悲鳴と嗚咽と奇声。それらは全て、死者の声だった。さらに正確に指摘するならば、アランが殺した人々の断末魔だ。


助けが間に合わなくて殺してしまった。
助けなくて殺してしまった。
助けられたのに殺してしまった。
選択を強いられて殺してしまった。
その場から逃げ出す事によって殺してしまった。
戦闘に巻き込んで殺してしまった。
自分の手で命を刈り取り殺した。
他人に手を貸す事で間接的に殺した。


そんな人々の断末魔が集約し、凝固し、記憶の一部に停滞する事で、こんな悲惨な夢を作り出している。単純明快に悪夢と言うことすら憚られた。


そう、これは夢であり現実。過去のあったあらゆる殺戮と後悔を綯い交ぜにして作り上げた、アラン=フロラストという人間の凄惨な夢である。


こんな夢、早く目覚めて見たくも無いというアランの気持ちに反する様に、視線はまっすぐ海へと固定され、身体はピクリとも動かない。まるで自分では無くなったような気分だ。


収まりを感じさせない断末魔と、身動きが出来ない事に不快感を覚え、呼吸は荒くなり、腹部の辺りから何か冷たい物が込み上げてくる。それを堪えようと深呼吸をしていると、唐突に声がした。


『やあ、俺』


視界に映らない事から、おそらく声の主は自分の背後にいるであろう事を理解し、と同時にその主がアランの一部ーー心の紙片カルマコードである事を理解した。


そんな聞き慣れた声は何か楽しそうな風に弾んでおり、何がそれほど楽しいのかと考えるだけで頭が痛い。


『久し振りに自分の過去を見つめる気分は、いったいどんな感じだい?』


最悪だよ、とアランが心で語るだけで向こうには即座に伝わった。


『だろうね。俺はお前だ、お前が感じる全てを俺はそのまま感じる。見て聞いて話して触って感じて……俺はお前の全てを知っている』


クックックと笑う心の紙片に憤りを覚えたアランだが、首を横に振って(実際には振っていないが)心を入れ替える。


『今日はなんのつもりかって?   ーー別に、ただ単に問い質すだけさ』


何を問おうというのか。先も言った通り、心の紙片にはアランの全てが理解できる。すなわちアランが知る事は全て知り、知らない事は全く知らない。


だが心の紙片は、相変わらずアランの視界に姿を見せる事なく背後からスッと近寄り、そして囁くように耳元でこう言った。


ーーこれでもまだ、進むのかい?


二年前にも同様に、問われた言葉だった。その時にはアランは何も言えず、ただただ口を固く閉じ眼前に広がる死者の海原を、見つめ続ける事しか出来なかった。


心の紙片は楽しんでいる。その答えを知りながら、アラン自身の口で言わせようと企んでいる。本当に憎たらしい存在だ。


では、答えは?   そんなの決まっている。


答えはーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー未だ、見つからない。









朝日が昇りきっていない、そんな早朝。


朝の早い商人達は既に目を覚まし、朝市に間に合わせるため、せっせと身体を動かし強制的に睡魔を排除していた。小鳥の囀りと野太い声が、澄み切った空気に伝播している。


そんな人気の少ない中、既にアランとセレナは目を覚まし、明日の試合に向けて特訓を開始していた。


「正直に言って、次の相手はそれほど強く無い。昨日の次男坊と比較すれば、あからさまに雑魚だし」


「けど油断するな、でしょう?」


昨晩はさんざんに泣いてスッキリしたのか、セレナの目には強い信念が宿っていた。アランの言葉通りに立ち直ってくれて心の端でホッとする。


「相手の名前はケディン=ペグメンソン。この間、エルシェナがこっちに来ていた時、第三騎士団の新人と手合わせしただろう?   ケディンはその中の一人だ」


「ごめん、覚えてない……」


「心配するな、あの時は俺も知らなかった」


情報収集能力の低さを嘆くようにため息をこぼすセレナを見て、気にするなとでも言うように、アランも事実を述べた。


あらかじめ、敵方はオーソドックスな戦い方を好むであろう事は予測していたので、あの時は相手の情報など微塵として集めてなどいなかった。だが、今回の件で色々と新たな発見をした。


ケディンの母の実家であるペグメンソン家は、六貴会ヘキサゴンの一端であらるジャニール家と血縁関係にあたる。家系図を見ると、ジャニール家のエリーカとケディンは再従兄妹になるわけだ。


だが生まれながらにして魔力量の乏しかったケディンは、魔術を用いた遠距離攻撃戦ではなく、剣と身体強化によって繰り広げられる剣戟をひたすらに追求した。


故に純粋な剣術だけならば、もはや新米帝国騎士の中でも上位に君臨するだろう。


だが残念なことに、ケディンが学院生の頃から現在にいたるまで、どうにも頭でっかちな学者達が『魔術至上主義』を高く評価しており、ケディンを見る目はとても冷たいものであった。


辛くも第三騎士団に入団できたケディンだが、同期にこの間の模擬戦で手合わせをしたリーダー面をしていた男の所為で、ガラの悪い新米達と一纏めにされた挙句、模擬戦でコテンパンに打ちのめされる。


だがケディンは折れなかった。アランという同年代の青年が、自分では歯が立たないほどに強いという事実を知って、ケディンはさらに修練に励んだ。時に先輩である中堅の帝国騎士と手合わせをしたり、また時には自ら志願して魔獣の討伐任務に赴いたり。


わずか一週間ばかりとはいえ、その実力は一週間前までとは比べものにならない程に研ぎ澄まされていた。その努力は、賞賛に値するものであろう。


「けどそれは、弱者が一つ上のステージに上がっただけで、実際には大した事は起きていないんだ」


そう、ケディンが強くなったのは元が弱かったから。弱者が鍛錬を積めば強くなるのは自明の理。ケディンはまだ、アランの先に立つ真の強者を見たことが無い。


ケディンの団長であるシェイド=カルツォも、確かにアランの先に立つ人物ではある。だが団長となって以降、戦闘よりも第三騎士団としての任務が優先になり、ほとんど前線に立たなくなったシェイドの実力を知る者は少ない。


ゆえにケディンは確かに強くなったが、それは未だ先日のセレナの相手ーーゼリア=ダー・カルダシアには遠く及ばない。


「ユリアと対峙した時は、小細工を使って同等以上の戦いを見せたようだが……今回は向こうも正々堂々と戦ってくるはずだ。そこでーー」


剣の代わりに木剣を握るアラン。その仕草がなんとも様になっており、一瞬であるが本物の剣と間違えてしまうほどに、鋭い威圧を切っ先から感じた。


「相手の土俵で勝負する、ってこと?」


固唾を飲んだセレナの疑問に対し、アランは不敵な笑みを浮かべながら首肯し、木剣を一振りセレナに投げ渡す。


普段のアランならばわざわざ敵の土俵で戦う必要など無いと言い放って、今回の場合なら、如何に魔術戦で優位に立ち回り続けるかを教えてくれる。


だが今回は違う。敵の得意分野ーー剣術で戦えと強要している。それに何の意味があるのか、セレナには分からない。だが、


……意味はある。そうなのよね?


心中で呟いたが故に応えは返ってこないが、それでもアランの眼差しに、諦めの文字は存在していない。


実際に意味はあった。先日の試合でゼリア=ダー・カルダシアに負けた時点で、以降セレナと戦う相手のほとんどが剣術を主体に攻めて来る事は確実であろう。ならば今後一層のこと、戦術の修練を積まなければならない。


だがセレナには、次の大会までにそれほどの時間は存在しない。そこで敢えて剣術を鍛えることで、他の選手に剣術が決して弱点では無いことを伝え、かつ今後剣術が得意な相手と出くわしても上手く立ち回れるようにするため、今回は一日という短い期間で、可能な限り剣術の向上を試みた。


「セレナ。お前は頭で覚えるのは早いが、やっぱりと言うべきか、身体で覚えるのはどうにも時間がかかる。そこで今回は剣の捌き方を、その身に徹底的に刷り込ませる。異論は認めん、良いな?」


「りょ、了解……」


「歯切れが悪いなぁ……」


嘆息を漏らしたアランは、一拍おいて三メートルほどの距離を取った。木剣を中段に構え、深く息を吸うとーー


「ーーっ」


魔力が迸る。殺意などは感じないが、単純な魔力圧が呼吸を抑えつけ、酸素が全身に回らず視界がぐらつく。慌ててセレナも魔力で全身を覆った。


すると今度はアランが木剣に魔力を付加し、真剣に劣らない切っ先からの威圧がセレナを襲った。同じくセレナも魔力を木剣に付加して準備完了。


冷え冷えとした風が二人の足元を撫で、緊迫した雰囲気が辺りに充満する。


「しッ!」


先に動いたのはアランだった。一度の跳躍で三メートルの距離を詰め、魔力が付加されて木剣を振り上げる。


「く……っ!」


辛くも動きに対応して木剣の腹を盾にしたセレナ。まるで大剣と棒切れのような重量の差に、思わず実力差を鑑みてしまう。


だがそこでセレナは終わらない。角度を調整してアランの剣撃を捌くと、左足を軸にしてアランの顔面向かって右足を蹴り上げる。


微弱に魔力を纏った蹴撃。顎に直撃したならば、顎骨の破砕は免れないだろう。だがアランはそれを左手で受け止め、その威力を活かし再び木剣を切り上げる。


捌けない。そう判断したセレナの回避行動は迅速であった。だが、それを見越したようにアランはグイッと掴んでいた右足を引っ張った。


強制的に斬撃上へと身を移されたセレナ。木剣による防御は間に合わない、体勢が悪くて身体を動かそうにも不可能だ。


直撃する。そう確信したセレナ。


だがその前に、アラン自身が腕を止めた。


急停止した剣からは旋風が生まれ、わずかに砂埃がセレナの背で舞い上がる。セレナの鼻先とわずか数センチほどの幅。まさにギリギリだ。


「相手の体格差を把握しろ。力技が得意そうな奴には、真正面からぶつかるな。身体の一部を掴まれたら、術符で即座に魔術戦に切り替えろ。掴まれている限りは、動きに制限が付く。可能な限り蹴り技は使わないこと」


たった一瞬、一度の手合わせで、セレナに欠けているであろう箇所を指摘する。そして再び三メートルほど距離を取り、木剣を構えた。もう一度、という意味だろう。


……剣術の訓練、なのよね?


なのにどうして、魔術を使えと言われなければならないのだろうか。そんなアランの言葉の矛盾に苦笑するセレナ。だが、そんな事を口で発している余裕はなかった。


次がーー来る。


「ざァッ!」


今度は真正面からの振り下ろしーー、と見せかけてのアッパーカット。はなからそんな予感をしていたセレナは首を後ろに引き、ヒュンという音が鼻先で奏でられる。


拳が完全に振り上げられたのを見て、セレナは抜刀術の感覚で左から右に一線。アランの脇腹に木剣が直撃した。


「硬……っ」


だが、どういう事か。アランの腹部へ確かに木剣は直撃したというのに、接触面から感じた硬さは鉄の盾のそれに匹敵する。


よく見ると、アランは全身に宿していた魔力を、一瞬にして接触面に集約。その箇所を一時的に限界にまで強化する事により、鉄に負けず劣らずの硬度を有したのだ。


荒技だが、再現不可能な技術でもない。ただ、無意識に等しい感覚で魔力を即座に集約し、かつセレナが確実に当ててくるであろう箇所を目測する知能が必要になる。


さらにわずか十数センチずれただけで、魔力を伴った木剣の直撃を生身で受けなければならないという恐怖に、怖じける事なく立ち向かえる度胸が試される技術でもある。


……実力差が大き過ぎるっ。


苦汁を舐めたような顔になりながら、直撃な反動で仰け反るセレナ。無論、体勢は大きく崩れているので回避は不可能。


アランからの反撃がやって来ると悟ったセレナは、アランの動きを補足せんと視覚強化を施す。


「あからさまな攻撃は即座に回避!   同時に相手の隙を突いて一撃を叩き込め!」


だが、アランは攻め入る事もなくその場に仁王立ちし、セレナが体勢を整えるのを見つめていた。あまりの余裕な態度に屈辱を覚え、歯をくいしばるセレナ。


そんな感じで、明日に向けて訓練を始めたアランとセレナ。朝霧の佇む空に、木剣の乾いた音が反響する。


負けじと二時間に及び奮闘するセレナだったが、アランに一撃を叩き込む事は出来なかった。









朝食を食べ終えたセレナは、屋敷へとやって来たユリアとともに訓練を開始した。ちなみにユリアは、フィニア帝国の現皇帝の孫娘ーーエルシェナが帝国へと帰国すると同時に、自宅へと帰っている。


さっそく準備運動を終えた二人は、アランお手製の木剣を構えて真剣な眼差しで対峙していた。


ユリアは昨日の試合も勝利し、現在二勝している。よって明日の試合も勝利すると、三勝となり準決勝に進出する事になる。


同じくユリアの姉ーーシルフィアも類い稀なる才能を活かして連勝し、明日の試合に勝つとユリア同様に準決勝に進出。


グローバルト家の姉妹、恐るべし。


だがセレナは明日の試合に負けると、現在二連勝しているカルダシア家の次男坊ーーゼリアが、準決勝に進出することが確定してしまう。まさに背水の陣である。


「…………」


だが、アランの顔はいつになく険しい。まるで何かを懸念しているような表情だ。


「アランさん。どうかなさいましたか?」


すると、それを察した侍女ーーユーフォリアが、アランの元に紅茶の入ったティーカップを置きながら尋ねてきた。表情は相変わらず歪むことなく淡々としているが、やはり主人の側近としては尋ねずにはいられないのだろう。


そんなユーフォリアの顔を見つめて、これは応えなくてはならないなと悟ったアランは、苦々しく微笑みながら言った。


「カルダシアの次男坊がさ。いま、二勝しているだろう?」


「はい、その話なら私も耳にしております」


「となると、明日の試合で次男坊がまた勝ってしまうと全勝して、準決勝進出が確定する。それが実現しそうな今、今年の魔剣祭を優勝するのは絶望的だな、とな」


「そう……ですね……」


アランの言葉を聞いたエルシェナの表情は、どことなく暗い。


カルダシア家の次男坊ーーゼリアは、新米帝国騎士と定義付けられる位の中で、間違いなく頂点に君臨する存在だ。ガタイも良く、魔力量もセレナに劣らないだろう。貴族だという事に驕りを抱かず、いち学院生として初等部、中等部、高等部の計十年間で積み上げた実力は語るまでもない。


その実力の鱗片を、実体験で知ったであろうセレナも確信しているはずだ。ゼリアという壁を越えない限りは、いつまで経ってもアランには届かないと。


事実、アランはゼリアの実力を遥かに凌駕している。最終奥義【顕現武装フェルサ・アルマ】など使ってみれば、わずかコンマ数秒で勝敗は決する。


帝都に舞い戻ってきた頃とは異なり、魔獣や人と戦う事で帝国騎士としての感覚を取り戻したアランには、もはやユリアですら擦り傷一つが限界だろう。


そんなアランに鍛えられたセレナだったとしても、明日の試合でゼリアが勝利してしまえば、準決勝へは進めない。


ちなみに明日のゼリアの相手はクローラ=パムティン。魔剣祭の初日にセレナが戦った第一騎士団の帝国騎士だ。


第一という事もあって実力は折り紙付きだが、ゼリアの真の実力には少し及ばない。良くても持久戦の末に、魔力切れでクローラが先に倒れるのがオチだろう。


「クローラが絶対に勝てないとは言い切れないが、客観的に見つめると、やはりな……」


「この事を、お嬢様には?」


「言ってない。言うと多分、すっげぇ落ち込むと思うからな」


「賢明な判断です」


適切な対応をしてくれたアランに微笑むユーフォリア。だが、セレナとてそれほど馬鹿ではない。時間が経つにつれて、この事実に気付く事だろう。


こういった事柄は、後になればなるほど、返ってくる衝撃が大きくなる。特に確固とした精神を抱いていない少年少女には、とりわけ大きな精神攻撃となるはずだ。


要するに、それまでに如何にセレナが納得できる答えを見つけられるかが問題だ。しかもそれを見つけるのはアランやユーフォリアではなく、セレナ自身だ。


他人に与えられた理由というのは極めて脆く、そして貧弱だ。その理由を理由にして、現実逃避してしまう奴だって存在する。


対して自分で得た理由は、自尊心が高い奴ほど反故にする事が少なく、劣等感という悔しみを噛み締めながら、心を強く鍛えてくれる。


無論、人によってそれは千差万別だが、間違いなくセレナは自分の言葉に偽りを抱かないタイプの人間だ。ならば理由を与えるのではなく、理由を探させるべきだとアランは思っている。


「つっても時間が全くない事だし……。あ、そういや魔剣祭レーヴァティンの後って、出場した学生は特別に、二週間の休暇が与えられるんだっけか?」


思い返したかのように紅茶を啜りながら言ったアランに、横に立つユーフォリアが首肯する。


「ええ。正確には、魔剣祭レーヴァテインを通じて得たものをレポートにして提出、という課題を与えられた上での休暇ですが」


「レポートかぁ……まあ、それは俺が手伝うとして二日三日程度で終わるだろうし……。どうせならユリアでも連れて、どこかに旅行にでも行こうかねぇ……」


久しく旅行というものをしていなかったアラン。無論、食材を買いに遠方の村町や漁港などには何度も顔を出したが、はたしてそれを旅行と言っても良いものか。


ともあれ、休暇が二週間もあるのならば隣国に旅行する事も可能だろう。


自然と人種が豊かなカルサ共和国や、数多くの伝説を輩出してきた伝統あるフィニア帝国。海路を使えば、温泉観光で有名なミトゥーラ王国などにも向かうことが出来る。


ミトゥーラ王国は小国ゆえに、アルダー帝国やカルロス魔術国といった、隣接した国々とは不戦条約を結んでおり、かつ国内における他国者同士の諍いを禁止にしているため、誰もが安心安全に旅行を楽しめる場所として有名だ。


太古から『薬湯の国』として有名で、かの『名無き勇者の物語』でも勇者が傷を癒しに湯浴みをしたとして、露天販売の中には『勇者饅頭まんじゅう』やら『いさみ焼き』といったお土産も並んでいる。


血の気の多い輩とそこかしこで出会うのが少々嫌なところだが、それに慣れてしまえさえすれば、至って平和な国だ。


「どうせなら、リアも行くか?」


「ええ、その時は是非。ーーですがその前に、きちんとお嬢様の特訓に付き合ってくださいね?」


微笑みながら視線を動かすユーフォリア。視線の先を見れば、セレナとユリアが絶え間なく激しい剣戟を繰り広げていた。


カァン、カァン、と木剣を打ち付け合う事で鳴り響く乾いた木々の音がアランの鼓膜を揺すり、微睡んでいた意識を徐々に引き摺りあげる。


ユリアの剣術は確かに帝国騎士にも通用する実力だが、技術まだまだ荒く、アランのように芸達者ではない。ケディンと比べても技術という一点においては劣っているだろう。


今朝あれだけアランと剣を交えた所為か、セレナの剣捌きは目を見張るほど鮮やかで凄まじいものとなっている。だが、相変わらずユリアの剣撃の重さは衰える事なく、セレナに攻撃への転換を許容しない。


二人とも素晴らしいほどの成長速度だ。さすがは悪名高い『英雄殺し』が教鞭を握っただけの腕前と言うべきか。


……この分なら、きっと。


ユーフォリアに悟られないように影でひっそりと微笑んだアラン。椅子の側に立て掛けてあった木剣を掴み取り、ゆったりとした動作で二人の元へと歩み寄る。


「おーし。そんじゃあ次は俺とやるぞー」


「分かったわ。次こそは一撃与えてやるんだから!」


「いえっさー」


笑顔でアランを受け入れる二人。だが、アランの心情を知る者は誰一人としておらず、時は刻々と過ぎていく。






この時はまだ、
『その時』が来るとは誰もが予感していなかった。

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