英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第10話「可能性の警告」

切った、切ってしまった!


してはいけない事を、首部を、その剣で、容赦なく切ってしまった。


青緑の液体が吹き荒れる。辺りに刺激臭に似た異臭を漂わせながら、ザクログモの胴体は力無く地に伏せる。


残り時間はあとどれくらいだ?   十秒?   五秒?   それ以下か?   分からない、分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からないーーーーーーーーが、


「逃げろォォォォォ!」


懇願するような、グウェンの心の奥底からの言葉が森の中で残響する。空間を走り鼓膜を震わせ、その言葉が何を意味しているのか、ザクログモの首を叩き切った本人である新米帝国騎士に理解させるまでに、およそ何秒の時間を要するだろう。


彼は愉悦に浸っていた。彼は勝利に酔いしれていた。アランに絶対的な信頼を送っていたグウェンに対して、してやったという快楽的な興奮によって脳を麻痺させていた。


それが命取りになるとも知らずに。


「行くぞ!」


「は、はぁ!?   テメェ、俺に指図出来るような立場じゃねぇだろうが。こんな雑魚も倒せなかった奴が偉そうにしてんじゃーー」


急かすアランの言葉に背くように、新米帝国騎士は彷彿とした笑みを浮かべてグウェンの方を見やる、その時だった。


ブチブチッと何かが食い破られるような音と共に、ザクログモの腹部が脈打つように暴れ出す。亀裂が走った表面から体液が舞い散り、咀嚼音のような生めかしい奇妙な音が迅る鼓動と重なる。


誰もが唖然として見つめる数秒間。そして。


『kshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


腐ったリンゴのような悪臭を漂わせながら、圧倒的な数の脅威が姿を現した。母親であるザクログモをその小さな口に頬張りながら、一匹二匹と外界にその身を晒す。


身体中が体液によってベットリとしているにも関わらず、未だ失せない食欲を満たすために食す。ただひたすらに貪り、噛み砕き、啜り、一時の悦を手に入れる。


食らって食らって喰らい尽くして、見る見るうちに母体であったザクログモは、その概形を失っていく。


だが、足りない。まだ足りない。食っても食っても腹が、喉が、歯が、舌が、口が、まだ足りないと主張する。悦楽を浸すためには、母体の肉だけでは足りなさ過ぎる。どこか、どこかに何かーーーーーーーーあった。


『kshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』


「ひぃ……っ!?」


「ちぃッ!」


ターゲティングされたアランと新米帝国騎士。食欲を満たさんと放つ無垢なる眼光に対し、アランは舌打ちをしながら撤退。だが新米帝国騎士は負けじと剣を握り、魔力を迸らせた。


……馬鹿が!


枝の上で魔力を極力抑えているグウェンは、新米帝国騎士の愚策に憤然としていた。魔獣は魔力に引かれる。そして魔力が多ければ多いほど、濃ければ濃いほど集まる習性がある。それはまさしく、燃え盛る炎に群がる虫のごとく。


今のままでは新米帝国騎士がまさしく炎だ。だが彼に全ての小蜘蛛を蹴散らせるような実力は当然ある訳がない。無論のことながらグウェンは逃げるように叫びかける。


「命令だ、ーー逃げろ!」


「だ、大丈夫です!   この程度なら俺一人でもーー」


「馬鹿が!」


無理やりにでも連れて行こう、などと考えたがその時にはもう遅い。津波のような小蜘蛛の大群が新米帝国騎士に襲い掛かった。


「ぜェだァらァァァァァァ!!」


小蜘蛛自体はやはり弱い。昆虫型の魔獣の弱点を熟知してさえすれば、目を瞑っていても容易く一撃で倒せる。体長は十センチメートル程度という事もあって、目を瞑ることは出来ないが。


凄まじい勢いで小蜘蛛が両断されていく。……が、それでも終わりの兆しが見えてこない。それどころか肩や膝に小蜘蛛が飛び乗り鋏角を突き立てて肉を貪る。


「あがァ!?」


同族を殺されたところで、小蜘蛛達には敵討ちの概念が存在しない。竦みあがる心も存在しない。たとえ自分の兄弟がそばで切り殺されようとも、自分の食欲だけを優先する。


食べる事に特化した精神。無我夢中で喰らい続けるその姿はまさしく悪魔たる獣。新米帝国騎士の背筋に冷や汗がつたい、恐怖が神経に迸った。


ついにグウェンの鼻腔にまで、腐ったリンゴの臭いに混じって人間の血の臭いが届く。しかもそれは次第に濃さを増す。


小蜘蛛の攻撃を受けて動きが鈍り、さらに被害を受け、だが変わらず立ち向かい、被害と対峙を繰り返す。視界が歪み、薄赤色に染まり、嘔吐感を催す。それでも剣を振るう腕は休めない。


しかし、何百を蹴散らそうとも相手はその数十倍もいる。わずか五秒程度に及ぶ攻防の末に、その均衡も容易く崩れ、そしてーーーー


「さ、せる、かよォォォッ!」


そこにアランが割り込んだ。死なせない、無駄に死なせてたまるか。決死の思いを抱きながら剣を振り、飛び掛かってくる小蜘蛛を払い、新米帝国騎士のもとへと駆け寄った。


「て、めぇ……」


「黙って目を閉じろ!」


言うや否や、アランは足元に魔石を放った。刹那辺りを光が覆い尽くし、小蜘蛛達の動きが鈍る。それを見逃さずアランは新米帝国騎士を抱えて、小蜘蛛の平原を強行突破。そのまま逃走する。


「は、なせぇ……」


「小蜘蛛にも少量で微弱だが毒がある。無理せずに寝てろ」


「ち……くしょ、が……」


ようやく毒が回ってきたのか、新米帝国騎士は悔しげに言葉を吐き捨てながらゆっくりと瞼を閉じた。息はある、死んだ訳では無さそうだ。


「グウェン、水属性の魔術で足止め!」


「ーー広範囲型の【アイスピラーズ】でどうだ」


「それ頼む!」


フンと鼻を鳴らすとグウェンは詠唱を開始した。湯水のように魔力が溢れ出ると、小蜘蛛達はそれに反応してザワザワと群行を始める。


ザクログモとは違い速力は低く、全力で走る二人との差は開き続けるが、小蜘蛛達の恐ろしさは依然として潰えない。鑢で木を撫でた時のような音が大地を通じてアラン達の鼓膜を震わせ、数千の赤い複眼がこちらを見つめ続ける。


「《ーー生えよ林木の如く、大地を貫きその身を現せ》ッ!」


詠唱完了。と同時に大地から幾十もの氷塊が出現し、小蜘蛛達の進路を拒んだ。氷塊は結合し、およそ一メートル半の氷の壁を生成。さすがの小蜘蛛といえど氷点下にいたる氷を触れてまで通ろうなどーー


『kshaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!』


「止まんないの!?」


前陣の小蜘蛛が氷に触れ、登ろうと試みるもそのまま身体の奥底まで凍てつき死に絶える。だがその死骸を足場にした小蜘蛛が更に上へと登り、またしても凍死する。


そうした繰り返しによって形成された足場を数千という小蜘蛛がよじ登り、わずか数秒にして【アイスピラーズ】の壁は、いとも容易く踏破されてしまった。


無論、凍死した小蜘蛛の死骸を貪るとも考えたが、やはり多くの魔力を持つアラン達の方が養分として魅力的なのか、群行は止まらない。


「グウェン!   他に何かないか!」


「無い!   お前こそ、何かないのか!」


「ねぇよ!   仕方ねぇ、このまま森の外まで突っ走るぞ!   他の討伐隊とリリアナさんに連絡!」


「討伐隊には済ませてある!   連絡中の牽制は任せたぞ!」


「うぃっす!」


しかし任されたもののアランは現状、新米帝国騎士を抱えた状態だ。グウェンは魔接機リンカーを使用中はどうしても速力が鈍るし、小蜘蛛に追いつかれるのも時間の問題。


生半可な魔術ではそれこそ愚策というもの。適切で適量な魔術を、広範囲に展開する必要がある。


……久々に本気出しますか。


ならば全力で足止めを行おう。アランは覚悟を決めると同時に魔力を放出した。


先ほどのグウェンなど比にならないくらいの魔力の奔流。魔力圧によって木々がざわめき大地が震えるが気にしている余裕はない。


「《其の冷気に万物は凍てつき、限りの時は永劫に至る。時には神すら抗えぬ、則ち其は神羅超越の奥義なりーー》」


詠唱開始と同時に、辺り一帯の温度が急激に下降する。空気中に潤沢した水蒸気は見る見るうちに靄へと変貌し、足元の草には霜が立ち、吐く息は白に染まる。


「おいアラン!   それはーー」


グウェンが制止を呼びかけるが知った事ではない。そして口は詠唱を綴った。


「《ーー魔女の息吹は大地を渡り、血潮を固めて汝に死の口付けを与えよう。凍れ凍れ万物よ、私は全てを拒絶する》」


アランの手のひらに現れた極大な魔術方陣は、アランの魔力を根こそぎ吸い尽くし、世界の終わりと言わんばかりの冷気をもって、辺り一帯を白の世界に包み込んだ。


体感温度にして氷点下十度といったところか。魔術の効果範囲外にいた魔獣達もさすがに危険と感じたのか、距離を置くように散り散りに去って行く。大地を叩く魔獣の足音だけが、アラン達の鼓膜を震わせた。


水属性最上位魔術【アイスヘル】。使用者の魔力に応じた空間一帯を、一瞬にして氷点下へと至らしめる魔術である。世界でもほとんどの魔術師が詠唱の途中で魔力の底が尽きてしまうが、アランはそれを魔石によって補った。


「ーーっ、アラン!」


白の世界にグウェンの怒声が鳴り響く。どうやら気に召さなかったようだ。


「別に良いだろう?   俺達はあんまし寒く無いし」


そう、アラン達が着る騎士服には、防寒と防暑の魔術方陣が刻印されている。騎士服を着た状態で魔力を迸らせれば、ほとんどの状況で刻印魔術は発動状態となり、暑くも寒くも無いのだ。他にも多様な性能が施されているが、今回は横に置こう。


「俺が言いたいのはそこでは無い!   貴様、また一人で危ない真似を……っ!」


【アイスヘル】は最上位魔術。すなわち一人で詠唱して発動するような事は、魔力どころか自身の生命力すら糧にしてしまう恐れがある。最上位魔術は平均的な一人の魔力ではどうにも出来ないので、最低限五人で詠唱を行ない発動する。


もしも詠唱の途中で魔力が尽きてしまった場合、使用者が魔力限界リミットアウトに至って強制睡眠状態に陥っても、大抵の魔術は魔術方陣が消失するが、最上位魔術は存在を維持するために変わらず魔力を奪い続けるのだ。


では足りない魔力を補うには何を奪うか。かつて実験を行い、その身を犠牲にして結論を得た者がいた。結論として奪われたのは生命力ーーすなわち寿命だ。


今回の【アイスヘル】の場合、最大で二十年もの寿命を奪われる危険性があった。たった一度の防衛のためにそれほどの年月を消費するなど、正気の沙汰ではない。グウェンはそこに怒り覚えたのだ。


だがアランは白い息を吐き出すと、


「まあ、今の俺じゃあこの程度が限界だし。あんまし気にすんな」


などと、まるで他人行儀な感じで言った。そこに再び苛立ちを覚えたグウェンだが、その前にリリアナから念話が入り、そちらに集中する。


そう、アランの言う通り辺り一面を凍てついた世界に変貌させても、【アイスヘル】という魔術は完璧に再現されていない。


整った魔力供給、大規模な準備、熟達した魔術師十人以上。これらで発動した【アイスヘル】は、現状を遥かに凌ぐ威力を誇る。かつて起きたアステアルタ魔術大戦では、半径十キロメートル周辺が絶対零度にまで至り、物理大佐によってあらゆる生物が一瞬にして塵と化した。


それと対比すれば、アランの【アイスヘル】が如何に劣化版なのかがはっきりとしている。木々は冷気によって氷結しているものの、完全に死んだわけではない。【アイスヘル】が森全域を包んでいるわけでもなく、範囲はごく限られた場所だけ。


魔術学者達が見れば「戯れ事だ」と唾を吐くようなものであろう。


とはいえこの【アイスヘル】が小蜘蛛達に微塵も通用しないかといえば、むしろ急所を抉るかのように覿面てきめんなのだ。


昆虫型の魔獣は、そこら辺の木っ端魔獣よりも外皮が硬く、故に魔獣という括りの中ではそれなりに強く扱われている。


だがそれは、あくまでも学者達の見解。実際に数十回と戦ったアランにとって、それほど強い相手でもない。


昆虫型を倒す方法は二つ。一つは関節や腹部の裏側といった脆弱な部分を集中的に攻撃する方法。もう一つは凍らせて瞬殺する方法だ。


昆虫には言わずもがな、昆虫型の魔獣にも体内に骨が存在しない。よって、その巨体を支えるために必要な脚部を内部まできっちり凍らせてしまえば、動きは鈍くなり、次第に死に至る。


グウェンの生み出した氷壁を越えて来た小蜘蛛もほとんどが寒さの余りに動きを止め、残りの少数も動きを止めた小蜘蛛に押し潰される形で死に絶えていた。こちらに襲いかかってくる小蜘蛛は今のところ見当たらない。


……とはいえ、これは全体の一部だしなぁ。


母体のザクログモから現出した小蜘蛛達は波紋を広げるように分散した。数千数万とも言える数の小蜘蛛がいては、それら全てを操ることなど不可能。故にアラン達はできるだけの小蜘蛛をおびき寄せるために、魔力を使ってまで全力で走った。


結果、全体の四割程度は駆除できたが残る六割は未だ健在。森の中にいた帝国騎士達は既に撤退しているので、ザクログモを貪っているか近くにいた魔獣を襲っているかだろう。


さて、そんな小蜘蛛の大群だが、新米帝国騎士とその相方を覗いた六人だけで処理できるような数ではなく、よって増援が必要となった。


「……森を結界魔術で包んだそうだ。北の村を守護していた帝国騎士が総員で小蜘蛛の処分にかかる。俺達は新米帝国騎士こいつを村に送り次第、村の守護にあたる。異論は無いな?」


「無いでーす」


「あと、お前に話がある。……逃げるなよ」


「…………?」


どうして話すだけに逃げる必要があるのか。疑問がアランの思考を揺り動かそうとしたが、その前に身を翻して先を進み始めたグウェンを見て、即座に疑問を振り払った。


余談だがこの三時間後、二名の殉職者と多数の負傷者を発生しながらも小蜘蛛の討伐は終わりを迎え、これを機に今回の魔獣討伐任務は幕開けとなった。









「ーー正直に話せ」


アラン達が負傷した新米帝国騎士を村へと運び終え、いざ森へ行かんと身を翻した時のことだった。アランの眼前にグウェンが立ち止まり、かなり威圧感を含んだ声音でそう言った。


「…………なーー」


「『何の事だかさっぱり』などとは言わせん。今日のお前は少し変だ」


「…………」


「誤魔化しの次は沈黙か?   ……良いだろう。では、今日のお前が如何に変だったかを、事細かく教えてやろう」


手作り感溢れる木製の丸椅子に座るとグウェンは、脚を組み腕を組みアランを睨む。


「まず一つ。今朝の事だが部隊の中にいた質の悪い帝国騎士を見て落胆、もしくは嘲った。以前のお前なら、彼らを見ても何も感じなかったはずだ」


「……この二年で変わっただけだ」


「そうか。では二つ。ザクログモと対峙した時どうして即座に【顕現武装フェルサ・アルマ】を使わなかった。これはお前自身に何かあったとしか考えられない」


「気分じゃなかっただけだ」


「そういうことにしておこう。では最後に。……水属性最上位魔術【アイスヘル】。どう考えたってあの状況ならば、【顕現武装】の方が詠唱も魔力消費も短くそして少ない。そこに頭が回らないお前ではあるまい。……何を隠している?」


「……それ、はーーーー」


良い言い訳が思いつかないアランは、ついに口を閉じ視線を逸らす。だがそれではグウェンの思う壺だった。


「……昨晩の南大門における魔力の爆発的な放出。俺や団長も気が付いていた。あれはお前だろう、アラン=フロラスト?」


傍にいたからこそ、隣で戦い続けたからこそ知っている、アランの魔力の性質、質感。昨晩感じたあの魔力は、間違いなくアランのものだった。


そこに確証はない。だが本能が魔力を感じ取った瞬間に、アランに何かあったのだと察知したのだ。


グウェンの視線が刺さる。これ以上は隠さないと判断したアランは一呼吸し、心を落ち着かせると言った。


「……残弾数たまかずは二発。これ以上使い続けると、またあの時の惨状を繰り返す事になる」


「『あの時』?   ……ああ、あの事件か」


二人の会話に耳を立てる者も少なからずいたが、話の内容についていけないようで、手は休まずとも首を傾げていた。


発言に対してどのような反応をするか不安でならないアランに対し、グウェンはいたって落ち着いた表情をしている。なんとなくだが、そんな気配はしていたのだ。


「……阻止する方法は?」


「帝国騎士を辞める、これが一番手っ取り早い方法だ。あとは【顕現武装】を使わない事くらいだが……分かるだろう?」


「このまま帝都にいれば、否応無しに災難に巻き込まれる。そしてーー」


「使って、堕ちる」


その言葉が何を意味するのか。二年前の惨劇を知る二人はよく知っている。特にアランは思い出すだけで嗚咽するほど、自身に知らしめていた。


「だから、相棒として頼む。……もしも俺がそうなった場合、ーー殺せ。容赦無く、躊躇い無しに、即座に殺せ」


「…………だがーー」


「助ける手段は無い。あの時は彼女がいたが、次はそうはならない。……彼女は、死んだからな」


「…………」


今度はグウェンが黙する。その絶望を目の当たりにしたようなアランの顔を見ても、憤然としたり元気付けようとも思わない。いや、思えない。


二年前、確かにグウェン達だけではどうにもならなかった。運が良かったのか封印を得意とする帝国騎士がいた事によって、最悪の場合を免れた。


だが今回は違う。その帝国騎士は殉職し、幸運は訪れない。甘さを見せれば、結果として死ぬのは自分だけで留まらず、数千数万という人命まで奪ってしまう。


アランは覚悟を決めている。帝国騎士として、自分の命を投げ打ってまで役目を全うしようとしている。


ならば自分は?   グウェン=アスティノスという帝国騎士はどうする?   相棒のために騎士としての誇りと役目を捨て、一人のために数万人を犠牲にするのか?


ーー否、断じて否だ。


それをアランは望まない。それで助かったとしても、アランは自ら死を選ぶだろう。故にグウェンの心は既に決断していた。


「ーー俺、は……」


だが方が上手く動かない。殺してくれと切願する友人に、相棒に対して任せろなどと言いたく無い。私情がグウェンの心を容赦なく乱し、紡ぐ言葉は喉の奥底へと沈み込んだ。


「ーーおや?」


その時だった。アランのベルトポーチから魔接機リンカーが受信に反応して、魔術方陣が黄色に光り輝く。アランが持つ魔接機は一つしかないーーリカルドだ。


「出ても良いか?」


「……好きにしろ」


了承を得たという事で、アランは背を向け魔接機を取り出して魔術方陣に触れる。それとリカルドの思念が伝わって来たのは、ほぼ同時だった。


『た、たたたたた大変だアラン!』


「どうした!   帝都で何かあったのか!?」


アラン達が拠点としている村から帝都までは直線距離にして約二十キロメートルとそれほど遠くない、肉眼で城壁と皇帝城が見える距離だ。


そんな距離にも関わらず、帝都の異変に気付かなかったとなると、もはやそれは一大事としか考えられない。


そういう訳あって焦るアランに比べ、伝わってくるリカルドの思考は、それとは違った何か別のものだった。


『あ、いや、帝都は至って平和だ。今も目の前で魔獣のまの字も知らなさそうなバカップルが、いちゃこらしてやがる』


「もしや、欲求不満で誰彼構わず襲ってしまいそうだ大変だー、とか言わねぇよなぁ?」


『欲求不満なのは事実だが大変なのはそこじゃない!』


「じゃあ何だってーー」


落胆するようにため息を漏らすアランに対し、リカルドが思念として飛ばした言葉は単純なものだった。






『セレナ嬢ちゃんが負けた!』






その言葉を聞いて、グウェンの制止すら聞かず、アランはかつてない速さで夕焼けに輝く帝国の大地を駆け抜けた。

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