英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第29話「輝く星の夜」

フィニア帝国、内乱。


アルダー帝国と凶悪組織「大罪教」。そして考案者オデュロセウスに感化されて集った一部フィニア帝国兵を含んだそこそこ大規模な戦争は、僅か一日という時間で終結した。


結果はフィニア帝国側の勝利。決して少なくはない犠牲を払いながらも、アルダー帝国の無尽蔵ともいえる戦力相手に勝利をもたらしたのだ。


その功績は確かにフィニア帝国兵達が奮闘したという事もあるが、それ以上に決定打となったのはオルフェリア帝国から派遣された僅か三人・・の帝国騎士による、敵勢力の殲滅だった。


フィニア帝国首都リドニカ最終防壁、通称「白璧」の東側門における危機を救い、圧倒的な数を物ともせずにおよそ二時間にてほぼ殲滅。その光景を目の当たりにした帝国兵の彼らは、それをひと時の夢だと勘違いしたに違いない。


事実、フィニア帝国騎士もアルダー帝国兵も「アラン=フロラスト」という名を聞いてはいない。ただ灰色の髪をしたオルフェリア帝国の騎士服を身に纏った青年が現れた。それだけしか語る要素がない。アランの存在は、その要素の中には無かった。


ただし、確かな結果は残せた。


死ぬはずであった数多の命を救い、フィニア帝国皇帝アルドゥニエと皇子であるオデュロセウス、果てはエルシェナの命すらをも救った。これには無論、皇帝として父として祖父として、アルドゥニエは応えなければならない。


そうと決まれば、やることはひとつ。


「……と、いうわけで。戦争お疲れさん!   今日は立場も関係も忘れちまって、飲んで食って騒いではっちゃけようぜェェェいッ!!」


『『『いえェェェェェェェェいッッッ!!!』』』


そういう訳で。皇城ではただいま、小さなパーティーが行われていた。もちろん主催者はアルドゥニエ。参加者はなんとオルフェリア帝国第一騎士団と帝国兵、その他各関係者。急な催しだったはずなのに、思ったよりも集まったことにアルドゥニエ自身も素直に驚いていた。


このパーティーが始まる前に、リーバスから敵が身を引いたのを確認したのちに颯爽と現れた第一騎士団が、生存者の治療や行方不明者の捜索、瓦礫の撤去を素早く行った結果である。


「……そういや、ウチの騎士団長は?」


「リカルドさんなら居ないぜ。皇帝陛下のお気に入りを勝手に飲んじまった罰として、向こうでこっ酷く叱られてるはずだからな」


団長いないけど、気にしない団員達である。


「このお酒お代わりぃ!   あ、出来ればもう樽ごと持ってきてぇ!!」


「リリアナさんもう止めて!?   それ以上にお酒に溺れると、婚期が無くなっちゃいますよ!?」


「知ったこっちゃあ無いのよぉ!   私が希望する男はねぇ、私のことをちゃーんと知ってる優しい優しーい男性よぉ!!」


「もしそんな人がいたとしても、これだけ飲んでちゃあ、ドン引きして逃げちゃってますよ!?」


「オサケェェェェェェッ!!」


『『『暴走したぁ!?』』』


パーティー開始から二十分ほど前。どういう訳か、リドニカで出会った年若きフィニア帝国兵に心奪われた四十路のリリアナは、思い切ってその場でプロポーズ。しかし返事は婚約者がいるので御免なさい、だったのであった。


ただいま自棄酒中のリリアナ帝国騎士。皇城に貯蔵してある酒類すべてを飲まんばかりの勢いで、ドバドバと飲み続けている。それを見て心配する弟子達。


その光景を見て、思わず苦笑いで頬を痙攣らせるフィニア帝国兵達であった。


「…………ふぅ」


「ーーーー」


また、戦場で出くわした過去の因縁との決着を晴らせず、深いため息を吐いている老戦士に貫禄を感じて無言で敬意を向けるフィニア帝国兵や、


「ーーーーーーおいし」


「「「「「はッ!?」」」」」


余りの影の薄さに、同士である団員達にすら見つけてもらえなかった追跡ストーカーが趣味なちょっと変わった女性や、


「んぅーーーーーッ!!」


「「「「黙ってろよ、このクズが!」」」」


「んっふーーーーーッ!!」


全身を縄で縛られ、目隠しと猿轡さるぐつわをされているのに気持ちよさそうに身悶える三十代間近の超絶変態などと、会場は変人臭が否応なく漂っている。さすがユリアに変人と言わせるだけの変人軍団もとい殺戮番号シリアルナンバー達である。


「……あれ。そういえばケルティアさんはどこ行ったんだ?」


そんな中、殺戮番号のなかでは至って真面目な領域にいるケルティアの姿を見かけなくて辺りを見回す騎士がいた。その声に呼応して数人が同じ様に辺りを見回す。


「おい貴様ら。どうかしたのか?」


そこにグウェンの姿が現れる。至る所を負傷しており、歩み寄ってくるその動作にも少し無理があり、ここでの戦闘がかなり激しいものだったのだと、騎士達は脳裏で理解した。


「ああいえ。来る道中一緒にいたケルティアさんの姿が見えなくて……グウェンさん、何か知りませんか?」


グウェンよりも少し歳下でケルティアの側で助手として働いている男性騎士が、ケルティアの所在をグウェンに尋ねる。


するとグウェンは即答した。


「ああ。ケルティア女医ならば今、奥の方で診察をしている。もう少しすれば出てくるだろうから、安心して楽しんでいれば良いさ」


「そう、ですか。分かりました」


上司が仕事をしているのならば手伝いたいという心根はあったものの、ケルティアが自分に何も言わずに向かったということは、現状に必要としていないという事だと悟った男性騎士は謝辞を述べて騒ぎの輪の中へと戻って行った。


それを見て、グウェンは一呼吸。


帝国騎士の第一騎士団の中でも、アラン=フロラストという帝国騎士の存在を知る者はごく限られている。しかも殺戮番号であるだなんて、ほとんどの人が知らない。


「…………」


奥の影で見えにくいところにいるであろうアランの方を向いて、グウェンは黙る。


凡夫でありながらその知識量と巧みなる魔術への技量は、もはや天才の領域に片足を踏み入れているアラン。彼が作成した術符や魔石、二重魔術方陣や【顕現武装フェルサ・アルマ】など、世に知れ渡れば魔術のありようが一変し兼ねないような情報が、アランの頭の中には詰まっている。


それだけあって、アランの存在はとても危険だ。アランの生み出した技術はいまの均衡状態を覆すに足りるほど、危険なものなのだ。もしもその知識の一端でもオルフェリア帝国に仇なす国に渡れば、数千数万それ以上の死者を生み出し兼ねない。


だからこそ皇帝であるヴィルガはアランを手の届く範囲に置きたがり、監視できる範囲に置くために帝国騎士に戻したかったのだ。


最低限の人にのみアランの存在を教え、帝国騎士であるという概念を覆い隠す。アランの危険性を減らすために、アランという存在を可能な限り消去しているのだ。


……本当に、馬鹿馬鹿しい。


一人の青年の存在が数十万の人命を左右する。馬鹿げた話だが、事実なのだから仕方がない。


アランが初めて【顕現武装】を使ったアステアルタ魔術大戦において、終戦以来、敵国であるアルダー帝国とジョバン王国は「英雄殺し」という存在を捜し続けている。


月に数度、オルフェリア帝国内に密偵を忍び込ませるほどに敵国はアランという超越的な存在を欲しているのだ。密偵の約八割は暗殺しているものの、情報が漏れている可能性もあるのでオルフェリア帝国は常に危機に晒されている。


本当ならばアラン=フロラストなどという存在を殺してしまえば済む話なのだが、


「アイツを殺す?   やってみな。そしたら俺が帝国を滅ぼすからな」


とリカルドが牽制をかけているので、迂闊にはアランを暗殺することは出来ないでいる。ちなみに暗殺賛成派は財政担当の右大臣であり、無論ヴィルガは反対派だ。


それから五年が経った。アステアルタ魔術大戦後よりは密偵の数は減ったものの、それでもゼロというわけではない。アランの存在が危険視され続けているのは、今も変わらない。


「そんなアイツのお守りをする身にも、なって貰いたいものだ」


ふんと鼻を鳴らして、痛む足を動かしながらグウェンも喧騒の輪の中へと入って行く。たった三年とはいえ、帝国騎士であるアランと接した回数が第一騎士団の中で最も多いのはグウェンだ。


アランが見た目よりも脆い事を知っている。


アランが独りを恐れている事を知っている。


アランが何も守れない事に絶望を抱いているのを痛いほど知っている。


十五歳という若さで心を削る地獄へと身を投じたアランが、普通の大人よりも戦場で平然としていられるはずが無い。三年が経つ頃には心は既にズタボロで、今にも崩れてしまいそうなほどに危険た状態だ。


……いや、だった、というべきか。


一時期はそこまで達していたという実感はあった。だがそれも彼女・・のおかげで修復は成功した。成功して……一瞬にして砕け散った。


あの時のアランは見間違いようもなく廃人と化していた。心は砕け、身は窶れ、何をするにも感情が揺れる気配は無く、その姿はまさしく巨人化したオデュロセウスのように「人形」であった。


そんな姿を、アランを知る人物達の中でも何倍も見続けてきたグウェンならば分かる。相棒であったからこそ、アランの気持ちは痛いほど伝わっている。


だからこそ、アランが帝国騎士を辞めようと言った時にはとても納得していた。辞めてくれてーー安心した。


だがアランは戻って来た。戻って来てしまった。再び身心を削る地獄へと向かって、剣を握ってしまった。


しかしそれは誰かの意思では無い。アラン自身の決めた道だ。経緯がどうであれ戦う事で守る事を選んだのはアラン自身だ。ならば自分は、相棒として壊れないように見守り続けるだけだ。


「まるで世話の焼ける弟を持った気分だ、まったく……」


毒突くようにそんな言葉を吐き捨てる。だがその顔には、どこか満更でもない笑顔が満ちていた。




◆◆◆




宴会場から少し離れた、月明かりが溢れるテラスにて。そこには上着を全て脱いで椅子に正座するアランと、アランの裸体をじっと見つめるケルティアの姿があった。


「ふぅ……む……」


ケルティアの診察はいたって単純。


て触って診てーーはい終わり。


まさしく医療界の大御所と言われるだけの慧眼の持ち主だ。しかも、たったそれだけだというのに精度は九分九厘で的を射ている恐るべき御仁。


魔術も剣術も不得意なケルティアだが、医術に関しては異常なまでの才能を持っていた。その所為あって今まで診察を行ってきた帝国騎士の数は、四十年余りで万に至る。


それだけあれば、彼女に細かな診察は必要なかった。目で見て身体の異常な箇所を探り、探った場所を今度は触れて確かめる。疲労した筋繊維や、魔力の使い過ぎで負傷した内臓などを確認出来れば即座に治療へと入る。無ければもう一度診て、大丈夫だと判断できればそれで終いだ。


「いつ診ても……気持ち悪いもんさねぇ……」


顕現武装フェルサ・アルマ】による超速再生は人智の域を超えており、常識で物を語るケルティアにとって、放っておけば勝手に治るという現象以上に悍ましい光景は存在しない。


「筋肉も血管も別段負傷はないし、魔力による内臓への負荷も全く見えない。まるで最初から何も無かったみたいにね」


「なら、大丈夫ですね」


ケルティアの口からそれだけ言ってもらえれば、表面的には健康そのものであるという事だろう。


だがケルティアの懸念はそこで終わらない。


「……あの子の魔術は壊れてないんだね?」


「ええ。思いっ切り固く封印されてますからね……無理やりにでも壊さない限りは、易々と壊れないと思いますし」


「なら、良いさね」


今度こそ太鼓判を押して貰ったアランは、そそくさと上着を纏い騎士服に腕を通す。最近では身に着けていないと、なぜか安心しないのだ。


ともかく身形みなりを整えたアランは、ケルティアに謝辞を述べてその場を後にする。向かった先は、


「ビット。少し話があるんだが」


殺戮番号No.6、金と時間の亡者ビット=グレルスキンだ。アランに話し掛けられると興味深げに金縁眼鏡を指の腹で押し上げ、眉間に若干の皺を寄せた。


「……ツウィーダ=キメラニスに関する話か?」


「話が早くて助かる」


ビットは帝国騎士になる以前、アルダー帝国の「生体兵器研究所」に勤めていた。つまり彼は敵国からの亡命者だ。


十八歳の時に研究所に勤め、二十五歳の時にアルダー帝国から逃亡。同時にヴィルガとリカルドにその才能を買われて帝国騎士として就任。現在三十三歳、第一騎士団の資金管理を勤めている。


たった七年とはいえ、ビットが亡命を決断したその年にツウィーダは歴史上から姿を消している。ならば参照人としては彼以上に相応しい人物はいないだろう。


近場にあった水の入ったコップを片手に、バルコニーの縁に背を傾けた。ビットもそれに倣って横に立つ。


「手短にいこう。ツウィーダが死んだのは確認したか?」


「ああ。俺は奴が開設した研究所に勤めていたからな。一応は恩師という事で死体の確認はした。あれは間違いなく本物だった」


「確かお前が亡命した頃には、まだ合成獣の理論は机上だけの話だったんだよな?」


「奴はそれだけを残して死んだからな。それが俺が亡命した翌年には完成していたとなると……その時には既に、奴を名乗る何者かがいたということか」


「だが、俺が感じた限りだとあれは間違いなく本物だ。本物のツウィーダだった」


アランの【顕現武装】を数分の合間に解析してしまうあの鋭い観察力と深い知識。あれは狂人でなければ至る事の出来ない、踏み入れてはいけない暗黙の領域に足を沈めた者の気配だった。


外見はベルダーだったが、中身は間違いなく奴本人だ。大した証拠は存在しないが、魔術を志す者として本能的に理解してしまう。


「だが奴本人は死んでいる。永続している【血盟契約】と死亡したツウィーダ=キメラニス。そして彼を代理して完成させた合成獣の理論……」


「【血盟契約】が『呪術』に近い『魔術』であると分かった以上、ツウィーダ本人でなければ肉体の乗っ取りは永続的には起こらないはずだ」


「では、あれがもし俺の知っている奴では無かったとしたらどうだ?   そしてその人物は奴の知識を有した謎の存在だとすれば……」


「あり得るな」


「やはりか」


魔術的知識を多量に持つ者同士で語り合う、流れるような質疑応答と考察の連鎖。そして終いには多方面の知識を有しているアランが、ビットの考察に対して可能性を付与させる。


「今から二十年くらい前の論文だったと思うが、『人間の創造』とかいう気味の悪い魔術の論文を発見した覚えがある」


内容はこうだ。


『粘土質の土で象った手のひらほどの人形に、毎晩零時に自分の血を一滴のずつ与える。その人形が血の色に染まった所で、沸騰した湯と女性の血をありったけ注ぎ込んだ大きな瓶に人形を漬け込んでそのまま三十日茹で続ける。そして最後に、腐った人間の精を核となる宝石と共に人形の中心へと埋め込み、女性器の中に六十日埋め込めば完成する』


作者不明、制作年月日も不明。第一神聖語で書き記されている事もあって、理解者もほとんどいないだろう。


「あれが真実か虚実なのかは俺も知らん。……が、本当に真実だとすれば」


「もう一人の自分が産まれるとでも言うのか?   気色の悪い話だ、まったく」


アランもビットも信じたくはない。だがそうでないとしか考えられない。他の可能性が全くもって見つからないからだ。


「……まあ、なんにせよ【血盟契約】の効果で狂的なまでに強い奴らが、最低でも三人はいるって事だ。正直なところ、複数戦で挑まれたら勝ち目が無いぞあれは」


「数も質も規格外か……奇襲作戦で数を減らすのが得策だが、あいにく敵の本拠地は不明のまま。常に受け身というのは最低な気分だ」


チッと舌を打つビットを傍目にアランはコップの中身を口に流し込む。生温くなった水が乾いた喉を潤すが、一瞬のこと。今後の可能性を考えると、ますます口の中は乾き切ってしまう。


アラン単騎で大罪教「怠惰司教」ツウィーダ一人に苦戦する始末。もしもツウィーダが十人前後いた場合、確実に帝都は陥落するだろう。しかし大罪教はツウィーダだけではない。他にも六つの司教と「大司教」を名乗る猛者が残っているのだ。


……これら全員が一気に攻めてきたら、今度こそ帝国は終わりだな。


幾度か帝国が危機に瀕した事はあるが、その度に幾多の犠牲を払いながら帝国は勝利を得てきた。四年前に大罪教幹部が三人現れた時もそうだったように。


あの時は結果として数百人の帝国騎士と臣民を犠牲にした上で、二人の司教を殺害。残り一人は崖まで追い込まれた後に自害した。


そのうちの一人が「怠惰司教」を冠していた覚えがある。あれからたった四年で新たな司教が誕生しているあたり、確実に全てを一気に潰さなければ大罪教という脅威は消え去らないらしい。


「この先が思いやられるなぁ……」


アランよりも有能な先人達が成し得なかった偉業を、アランの手で終えられるはずもなく。ましてや放っておけば確実に身内が危険に晒される。セレナもその内側に入っている存在だ。


死なない程度に、かつ確実に脅威を殲滅する。まるで矛盾するかのような二つの事柄に、アランは思わず脱力する。


不可能だと理性では分かっているのに、不可能だと認めてはいけない。そんな破茶滅茶な思考にアランはただ、苦く笑うことしか出来なかった。









森の優しい香りが鼻腔をくすぐる。


「〜♪」


小鳥のさえずりのような歌声がアランの心を落ち着かせ、心を清らかに浄化していく。まあ、もともと心はそれほど汚れてはいないが。


そしてアランの額に触れる柔らかな手のひら。慈愛と親愛を感じさせるその優しい触れ方をアランは不思議に思い、ついに瞼を開けた。


「ーーあら。お目覚めですか、アラン様?」


「……エルシェナか」


「はい、貴方の未来の妻、エルシェナです」


ふふふ、と微笑む彼女の顔を上空にアランは目覚めたーーーーそこで。


「うおわ!?」


現状を素早く理解したアランは、飛び跳ねるようにしてエルシェナの膝から頭をあげた。エルシェナの答えにツッコミを入れる暇すらなく、残像でも生み出す勢いでエルシェナから距離を取る。


「もうっ、そんなに驚かなくても良いではないですか」


「い、いや……戦闘明けだからな……ちょっとばかし警戒状態なんだよ」


女神すら嫉妬してしまうだろうその美顔を膨れっ面に変えて憤るエルシェナに対し、アランはバレない程度に頬を赤らめて言い訳を述べる。


「あ、あのさ……俺が寝ている間に何もしなかった、よな?」


「責任……取ってください、ね?」


「俺に何したの!?」


おそるおそる尋ねてみると、エルシェナはすごく幸せそうな笑顔でさらりと言った。


どうやらアランが寝ている間にエルシェナは何かやらかしたようだ。だが何も知らないアランは身体の至る所を触っては、だんだんと顔を青ざめさせていく。


このままではセレナにこっ酷く叱られた後に、侍女であるユーフォリアから『前皇帝時代に流行った拷問〜七十二時間フルセット〜』を行われる恐れがある。もちろん前皇帝時代なので、死者が何百人と出ている厳しいにも程がある苛酷な拷問だ。


腹を決めてエルシェナに婿入りするか、それとも自由のために帝都に戻って死ぬかもしれない地獄を味わうか。究極の選択がアランに迫る!


……と、アランが絶望の淵に立った所で。


「さてと。冗談はここまでにして」


「……え、あれ?   さっきのあれは冗談だったのか?」


「いえいえ。アラン様の可愛らしい寝顔が、私のハートを鷲掴みにして離さなかったのは事実ですよ?」


「それ以外は何もしていないよな?」


「ええ。そういう事は正式に夫婦となった時にと、確定済みなので」


「ああ、そう……」


自分が想定していた事よりもかなり外れた結果に、アランは全力で脱力した。その勢いで再び睡魔がアランを襲うが、両頬を思い切り引っ叩いて目覚まし代わりにする。


その始終を見ている間も笑顔を絶やさないエルシェナの隣へと腰をかけたアランは、ベルトポーチから魔石を取り出して魔力を注ぎ込んだ。


「これで外からは何も聞こえないはずだ。……それで、こんな所にどうしたんだ?」


言い忘れていだが、アラン達がいる場所はなんと、皇城の一番高い塔の見晴らし台だ。グウェン達が宴会を楽しむ場所とはほぼ正反対の位置にあり、こういう日だからこそ人気も全くない。とても静謐とした場所だ。


火照りを冷ますためにアランがここにやって来た時にはまだ、エルシェナの姿も気配も近くには無かったはず。ここまで来るための道は、吹き抜けの窓を除けば一方通行なので警戒は常に通路の方へと向けていたアラン。たとえ眠りに落ちたとしてもエルシェナほどの魔力波動を感じれば即座に目を覚ますと自負していたのだが……


「グウェン様に尋ねたのです。『アラン様を見かけ無いのですが、どこにいらっしゃるか分かりますか』と」


「ふむふむ」


「そうしたら『馬鹿と煙は高い所に登ると言うだろう?   だからあの馬鹿は……おそらくあそこにいるはずだ。どうせなら気配を消して驚かせてやるといい』と言われました」


「よし、あの野郎を処刑しよう」


今後の目的が決定した。


「まあとにかく、ここまで来た方法は分かった。……だが肝心な事は聞いてないぞ。どうしてここまで来たんだ?」


別に咎めるつもりは無いが、今日は内乱が終わったその日だ。皇城内にまだ敵が潜んでいる恐れもあるというのに、護衛も無しにここまで一人で来たのだと思うとゾッとしてしまう。


するとエルシェナは身をアランに寄せながら、頬を少し赤らめながら言った。


「ええ……少し、アラン様とお話しがしたいなぁと思いまして」


「話し?   いったい何について?」


「……アラン様が帝国騎士に戻った理由です」


尋ねてはいけない事だとは重々承知だ。それがアランの古傷を抉る行為だとも知っている。だが尋ねずにはいられなかった。


「ヴィルガ様からお聴きしました。アラン様が帝国騎士に戻ったのはセレナを脅威から守るためだろう、と。確かに私もそう思います。思いますが……それだけではありませんよね?」


証拠はない。だが確信はあった。


あとは自信を持ってアランに問いかければ十分だ。


「……ああ。正直俺も辺境で定食屋もどきを営み続けるのは、そろそろ限界だと思ってはいたんだ。料理の腕はあるが、それはあくまでも『普通に美味しい料理』だからな」


なんの才能も手にしないアランは、何をしても天才達の領域に両足を踏み入れる事は出来ない。どれだけ突き詰めたとしてもそれはあくまで「努力の結果」であって、奇抜な物は何一つ存在しない普遍的な物なのだから。


「でも私はアラン様の作ったケーキ、美味しくて好きですよ?」


「ありがと。……けど、俺が食ったことのある本物のケーキはもっと美味かった。俺の数倍は味の次元が違う気がしたんだ」


天才に対して嫉妬心を抱くのも、今となっては既に慣れ過ぎて嫉妬心を当たり前のように感じてさえいる。


だが慣れというものは恐ろしいものだ。劣等感を幾度と感じ過ぎたせいで、アランの心は負ける事に対して希薄になっていく。それがだんだんと染み込んでいけば、いつかはその定食屋もどきも破産していた事だろう。


「結局俺は『料理は趣味』としてでしかしない方が身のためなんだ。仕事として続けていると、品質じゃなくて効率を求めてしまいそうだしな」


「……では、どうして帝国騎士なのですか?   アラン様なら学士という道もあったでしょう?」


 「まあ、な……」


オルフェリア帝国の魔術学者を名乗る老いぼれ達よりもアランの魔術的知識は劣っているかもしれないが、多種多様な知識を有するアランにしか考えられない新たな魔術をアランならば作り出せるはずだ。


事実、アランが作成した術符はオルフェリア帝国ではもちろんのこと、同盟国であるフィニア帝国やカルサ共和国でもかなり重宝されている代物だ。他にも魔石などの魔道具や二重式魔術方陣など、アラン一人で生み出した魔術は数多い。


それだけの魔術作成能力があるならば、別に魔術騎士でなくとも良いのではないだろうか。自ら過去の傷を弄りに行くような道に立っているアランに、エルシェナは疑問を抱いた。


「確かにエルシェナの言う通り、他の道なんて幾らでもあったんだと俺は思う。……けどさ、やっぱりダメなんだよ。十年後でも二十年後でも、たとえジジイになったとしても俺はこの古傷といつかは向かい合わないといけないんだって気付いたんだ」


「アラン様……」


「向かい合わないと俺は俺と言う存在を全否定して生きていかないといけなくなる。そんな人間が何かを成そうなんて……余りにも傲慢だと思ったんだ」


「だから戻ったのですか?」


「自分の過去と戦うために、な。けどまあ再就職からいきなり暗殺者退治するわ、帝都が襲撃されるわ、そんで今度は同盟国が内乱をおっ始めやがった。どんだけ災難続きなんだっての」


「お疲れ様です」


「これはどうもご丁寧に」


まるで児戯のように態とらしく会釈をした二人は、同時に顔を上げて可笑しそうに小さく笑った。先ほどまでの苦々しい話が無かったかのようだ。


ひとしきり笑った二人は息を整えると、気休めのために吹き抜けの窓から身を乗り出して外を見た。市街区は真っ暗で、所々で人が集まり焚き火をしているのが上からは見える。


いつもならば夜遅くになろうとも商人や旅人、フィニア帝国騎士達で賑わっている市街区が恐ろしいほどに暗い。そう思ったエルシェナだったが、


「エルシェナ。上を見てみろ」


「上?…………ぁ」


アランに促されるがまま、エルシェナは首をゆっくりと上に傾けた。疑心暗鬼になら暇すらなく見上げる。そこには、


「うわぁ……!」


満点の星空が見えていた。いつもならば市街区に満ちる明かりでうっすらとしか見えないであろう星空が、背筋に冷や汗が伝うほど壮大に広がっていた。


「綺麗だなぁ……」


「……私とどっちが綺麗ですか?」


「んじゃあ、星空で」


「星空に妬いちゃいますね」


とは言いつつも、エルシェナはアランの肩と自分の肩を触れ合わせる。まるで温もりを欲する赤子のようだ。少し動揺したアランだが、突き放すつもりも無くそのままにしておいた。


その後二人は縁に腰を下ろし、雄大な星空を呆然と見続ける。


「……実を言うとさ、思い出したんだよな」


「……?」


しばしの沈黙の後、唐突にアランが語り出した。それに対してエルシェナは、アランの顔を見上げながら話を耳にする。


「『どんなにボロボロになっても、私達は守るために戦わなきゃ。騎士っていうのは守護の代名詞でしょう?』て言われたんだよな」


二年ぶりに過去を見つめ返すアラン。あの日もこんな感じで荒野にキャンプを張って星空を見ていたのを覚えている。


時折吹く肌寒い乾燥した風に身を寄せながら、彼女と二人で見たのを覚えている。


「『私は人を助けたいから騎士になった。騎士になったから人を助けないといけないなんて、一度も考えた事はないよ。貴方はどうなの?』って、あの時は聞かれたっけか」


「……アラン様は、何て答えたんですか?」


アランに語りかけた女性も気になったエルシェナだったが、アランの傷を抉る恐れを感じて話を進める。


「なーんにも。その後すぐに、魔獣がアホかってほど現れてさ。討伐し終えた頃にはそんな事忘れてた」


「ふふふ、アラン様らしいです」


「けどまあ……今なら何となく言える気がする」


エルシェナに顔を向ける。


「……俺は無能だ。別段誰かよりも才能が秀でている訳でもなければ、剣術も魔術もその他諸々が誰かよりも強い訳じゃない。それでもーー」


「でも?」


「救いたいんだ。もう二度と、あんな虚しくて苦しくて切なくて。悔やんで自分を貶めようとするくらいなら、何がなんでも救いたい。俺の努力で、俺の力で救えるなら絶対に」


「……そう、ですか」


それはアランにとって願いであり、誓いでもあった。もう二度と、あれ・・を繰り返さないための命を賭した誓いだった。


アラン=フロラストという人間は、誰かが思うよりも遥かな犠牲を経て今に至っている。敵も味方も、仲間も仇敵も、友人も悪友も、横に並んでいたはずの悉くを切り捨てて歩いて来た。


それはアランという人間が、無能とは別方向の何かを持っていたからという理由も確かにある。


だがそれだけでは拭えない何かを、アランは心の奥底に住まわせていた。【顕現武装】という未知の魔術を扱うたびに溢れ上がる狂気を、アランは無意識下で理解していた。


……アイツに言われた回数も少ないし。


深層心理に住まう『心の紙片カルマカード』、すなわちもう一人の自分が言ったあの言葉。


それが事実ならば、あと二回でアラン=フロラストという人物は終幕を迎える事となる。それだけ今が崖っ淵という訳だ。


ただし、大罪教という世界的な悪意がアランの護りたい存在を脅かそうというのであれば、アランに躊躇いという言葉は存在しない。


命の捨て場は、もう決まっている。


「アラン様。その『救いたい』という中には、私も入ってますか?」


「もちろん。あの日の夜に言った言葉は嘘偽りなどございませんよ、エルシェナ姫」


「ふふふ、なら最上……です」


そう言って、重心を預けるようにアランに寄り掛かったエルシェナ。しばらくすると静かな寝息がアランに耳に届いてきた。


さすがに限界が来たのだろう。昨晩も話し合いで寝る時間は遅かったし、起床時間も早かった。それに加えて皇帝と私情で対面、魔獣生息域を馬車で一気に走行。自国の内乱をその目で見て、さらには父親の惨状まで経験したのだ。今の今まで耐えたのが不思議なくらいだ。


「…………」


相変わらず艶美なエルシェナを側にして、普段通りに理性的なアラン。他の男性ならば間違いなく襲っていただろう。


「……ま、このままでいっか」


このまま窓縁に腰を下ろしていると、エルシェナがここから落ちてしまわないかとか、風邪をひいてしまわないかとか、色々と心配事もあるが、起こすのも忍びなく、黙って放っておく事にした。


一応はエルシェナに返された「消失の外套」をベルトポーチから取り出して、毛布代わりにかけてやる。


「……あれからもう、二年か」


濃密な帝国騎士時代の記憶は薄れる事を知らず、今でも鮮明に覚えているアラン。特に彼女との記憶は一瞬たりとも忘れる事はない。


瞼を閉じると、


『アル君っ』


『あ、このスープ美味しい!   ねね、どうやって作ったの教えて教えて!』


『誕生日って明日なの!?   もう、早く教えてくれたら良かったのに!』


『えー、私が第一騎士団に入った理由?   んふふ……ヒ・ミ・ツでーす!』


『ふぇ!?   好きな人でもいるのかって……いないいない!   う、嘘じゃないからねっ』


たくさん、それも星の数のように思い出が溢れてくる。まるで昨日の記憶のように、秒間ごとの情景すらくっきりと思い出せてしまう。


だが実際には二年の年月が経っている。少年の面影を残していたアランも、だんだんと大人びた姿へと変貌し、心身ともに強さを帯びている感じだ。


それでもまだ、この気持ちは潰えない。


膨らみ続ける想いは、果てを知らない。


「俺は何か変わったのかな……アカネ」


答えを求める問いかけは、誰かが答えるわけも無く。虚しい心を混じらせて、静かに夜空へと消えていく。


アランが見上げた視線の先には、星が妖しく輝いていた。

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