英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第28話「内乱、ここに終結」

心肺停止。


オデュロセウスの左胸部に手を当て死亡を確認したアランは、ついに限界が訪れたのか【顕現武装フェルサ・アルマ】を解除。大きく息を吐いた。


地に伏したオデュロセウスは、その巨体から湯気を吹き出しながらみるみる内に縮小化し、最終的には元の身長と変わらぬ大きさにまで戻った。


だがそれは、確実に死んだという証明の裏返しでもある。


「お、とう……さま?」


その光景を目の当たりにしたエルシェナが、力の抜けた足を酷使しながら、ゆっくりとオデュロセウスの亡骸へ近寄る。


「お父様?」


返事はない。


「お父様っ」


再び呼びかけるも、またしても無反応だ。慌ててエルシェナはオデュロセウスの首元に手を当てて脈拍を確認するも……拍は無かった。死んでいた。


「どう……して……っ」


必ず助けると、アランは約束してくれた。だが約束を違えてアランはオデュロセウスを殺した。ほんの一瞬、激情の余りにアランへ罵詈雑言を投げ掛けそうになった。


だがそれは違う。


蔑むべきは自分だ。憤るべきは自分の未熟さだ。嘆くべきは決断を他人に委ねた自分の甘さだ。恨むべきは自分の身勝手さだ。否定すべきはアランではない、自分がアランならば出来ると過信した事だ。


そう、このどこにもアランに非はない。アランが背負うべき罪も後悔も、何一つ無いのだから。


そこに。


「はははっ。なんだ、やはり貴方は殺すのではありませんか。僕にさんざん『怠惰』と言わせておきながら、結局は殺した。無慈悲に無表情で無感情で貴方は殺した、殺した、殺したッ!   嗚呼、やはり貴方は英雄になるべき存在に違いない!」


高らかに、嘲るように。下卑た笑みを浮かべながら、ツウィーダはアランを見つめて笑い続ける。知人であるベルダーの顔を、身体を利用して、神経を擦り減らすような声音で嘲笑う。


「自分に想いを向けてくれる相手の親を、自らの手で殺した気分はどうです?   何処へも行かぬ責任を背負い続ける彼女の気分を理解できるますか?   殺してしまった後悔は?   懺悔のための贖いは?   膨らみ続ける悔恨は?   向ける場所を知らない矛先は?   筋道一つ無い絶望は?   消えてしまった幸福な未来は?   そして、それら全てを齢十七の少女に押し付けてしまったという嫌悪感はァ!?   だが気にする事はない。それも全て善意なのだから、正解なのだから!   多くを救うために微小を犠牲にするのは英雄の常だ。全てを救うなど甘言は口に吐くな、汚らわしい幻想を他者に植え付けるな。それもまた怠惰、怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰ーーーー」


「よく回る口な事だ」


狂ったように語り続けるツウィーダの言葉を断ち切ったのは、彼の前に対峙するグウェンだった。割り込んできたグウェンを睨み付けるように見つめるツウィーダは、どこか正常ではなさそうだ。


だが睨まれた程度で、グウェンの態度が縮こまる事は決してない。むしろグウェンは睨み返した。


「貴様はやはり知識を身に付けただけに過ぎない、正真正銘の阿呆だ」


「……なんですと?」


「阿呆だと言った。聴いていれば、やれ後悔だ贖いだ絶望だ嫌悪感だと、好き勝手に言うではないか。馬鹿馬鹿しい、そもそも貴様は根底から間違っている」


「こん、てい?」


そんな言葉知らないとでも言うように、ツウィーダは首を傾げてキョトンとする。それを見たグウェンが見下すような視線を向けながら、鼻で笑う。


「ああ根底、物事の根っこからだ。誰が死んだって?」


「それは無論、オデュロセウス=ツェルマーキン・アルドゥニエ・フィニエスタ皇子殿下が……」


「違う。あれは『死んだ』のでは無い、一時的に『死なせた』んだ」


「…………っ!?」


理解出来ない。そんな顔を浮かべるツウィーダ。だがアランは二人の会話そっちのけでオデュロセウスの死体の元へと向かう。


「済まんがエルシェナ。ここからは時間との勝負だから、少し離れてくれ」


「ぇ?   あ、はい……」


状況が理解出来ない。そんなエルシェナだったが、アランの一言を直ぐに受け入れてアランの後方へと退く。


それを見たアランは乱雑にベルトポーチを外し、自らの傍に置いた。そして上蓋を外して中から竜の骨と石灰を調合して作った灰色の棒状の物と、鉄の筒で作られた謎の瓶、最後に三センチほどの小さな蒼玉サファイアを取り出す。


まず最初にオデュロセウスの周りに転がっている瓦礫を退け、一通り綺麗になった大理石の床に灰色の棒状の物を使って魔術方陣を書き始めた。


アランが忙しそうなので、その間にグウェンが解説を始める。


「ツウィーダ。貴様の【血盟契約】は確かに強力な魔術だ。……だが、これは『呪術』ではない『魔術』だ」


「ーーーー」


グウェンの断定的な物言いに、ツウィーダは沈黙を貫いた。先ほどまでの狂気的な言動からして、それこそ肯定を物指しているとしか言いようがない。


だがグウェンの語りは止まらない。


「今の光景を見れば、誰でも分かるだろうが……オデュロセウスは元に戻った。そう、元の姿に戻った・・・・・・・んだ。呪術ならばそんな事は不可能だと言うのにだ」


呪術はある意味では、魔術よりも破壊力のあるものだ。なにせ死後にさえ、その効果は永続するのだから。


だがオデュロセウスは死に、そして姿が戻った。これはどう考えても不自然だ。


「【血盟契約】は失敗したと、あの時に貴様は言った。だったら何故、オデュロセウスは巨人になった?   なぜお前は巨人にならない?   外でエルシェナを襲った巨人達は何だ?   失敗の結果導かれる姿は決まっているのか?」


そんな事、答えを聞かなくても分かっている。


「【血盟契約】とは巨人化あれを含んだ全てがそうだ。他者の人格を乗っ取った場合も、乗っ取る事が出来ずに自我が崩壊したとしても、どちらにせよそれは成功なんだ」


ツウィーダが発した「失敗」という言葉はあくまで「乗っ取る事に失敗した」という事だ。聞き手にわざと勘違いさせるために、真実を隠して言ったのかもしれないが……今はどうでも良い。


「なのに【血盟契約】は死後に解除され、オデュロセウスは元の姿に戻った。そう、【血盟契約】という魔術はあくまでも『呪術に一番近い魔術』でしか無い、という事だ」


「ーー俺がエルシェナを救いに行った時、三体いた巨人は俺が殺した。敵か味方かどっちかも分からんかったが、取り敢えずエルシェナの身の安全のためにな」


そこでようやくアランも口撃に加わる。


オデュロセウスを中心に二重式の魔術方陣を書き、蒼玉をオデュロセウスの左胸部に置いたアランは、最後の仕上げに鉄瓶の蓋を開け、中に保存してある水銀を三滴ほど蒼玉の上に垂らした。


「倒したは良いけど、デカイから死体処理の時どうしようかと考えてたら……あらビックリ。そこにあった巨体は煙を撒き散らしながらみるみるうちに小さくなりました」


まるで先のオデュロセウスのように。


確信はそこで生まれた。


【血盟契約】という古代から伝わる魔術か呪術か分からなかったそれは、限りなく呪術に近いだけの魔術に過ぎないという事を。


「仕組みさえ分かってしまえばあとは簡単だ。死なない限りは永続する魔術なら、要は一度殺してしまえば良い」


「はははっ、何を世迷言を。一度死んだ人物を蘇らせられるとでも?   それこそ不可能だ。どれほど再生能力の高い鬼族の吸血種の真祖でも、確実に殺してしまえば生き返る事は決して無い。生物の命は等しく一つしか持つ事を許されない。その摂理を蔑む行為は禁忌と言わざるを得ない!   その摂理を踏み躙るのですか?   嘲笑い捨てるのですか?   嗚呼、やはり本当に貴方は怠惰、怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰怠惰ーーーー」


「黙ってろ」


次の瞬間、異変は起きた。


アランが残しておいた最後の魔石に溜めてあった魔力のほとんどを注ぎ込んで、二重式の魔術方陣はようやく発動。これほどに高度な魔術の起動を魔術学者達が見れば、顎と腰を抜かして目から鱗間違いなしだろう。


見せる気は無いが。


何故ならばツウィーダの言った通り、今から行うと魔術はある意味で禁忌。この世に知られてはいけない掟破りの超高度な魔術なのだから。


「ぐ……っ!?」


蒼玉の上に手を置き、体内に残った微量の魔力を駆使しながらアランは魔力を一気に蒼玉へと注ぎ込む。刹那に襲う倦怠感に苦悶の声を漏らしながら、アランは作業を止めない。


すると途端に蒼玉は形状崩壊を起こした。


ゲル状の物体へと変貌した蒼玉は、白と薄紫に輝く魔術方陣の光を乱反射して、さらに輝きを増し続ける。ここからが本当の正念場だ。


だが。


……たり、ないっ。


蒼玉に流し込んだ魔力が少ない。これ以上絞り出す魔力は小指の先ほどすら無いというのに、まだまだゲル状に変貌した蒼玉は魔力を所望している。


このままでは魔術は発動せず、制限時間を切ってしまう。そうなってしまうと……オデュロセウスは死んでしまう。それだけはさせまいと意識を失う寸前まで魔力を流し込むも、雀の涙ほどしか無い魔力では変化は全く見当たらない。


諦めかけた、そんな時だった。


「アラン様ッ!」


アランの手のひらの上からもう一つ、アランよりも一回りほど小さな手のひらが置かれた。それはーーエルシェナの手だった。


「私も手伝います!」


アランの手のひら越しに蒼玉へと大量の魔力を流し始めるエルシェナ。その量はごく平凡なアランとは桁違いの質と量だった。さすが皇族の血筋である。


一瞬だけ躊躇ったアランだったが、エルシェナの今までに見ないほどの真剣な眼差しを見たと同時に、アランは左拳で額を強めに小突く。鈍い痛みを感じたら、迷いは覚めた。


「溶けた氷の水がオデュロセウスの心臓を包み込むようなイメージで魔力を流し続けてくれ」


「は、はい!」


返事に少し躊躇いがあったのは、アランの説明を理解出来ないからか、それとも吸収される魔力量の異常さに対応出来なかったからか。なんにせよ、エルシェナはアランに言われた通りに想像しながら魔力を注ぎ込む。


淡く光っていた魔術方陣は数倍にも輝きを増し、白と薄紫の幾何学的な模様は鼓動するかのように脈を打つ。


そこでアランの手は止まらない。


「これで……!」


完全に液体となった水銀と蒼玉の混合液を指先で掬い取り、二つの魔術方陣を合わせるようにして新たな魔術方陣を書き始める。制限時間はわずか四十数秒、少しの油断も躊躇いも手抜きも間違いも許されない。


新たに書き記されてゆく魔術方陣が、エルシェナの魔力に呼応するかのように深い青色に輝き始める。制限時間と魔力限界リミットアウトが鬩ぎ合うが、そんな事を気にしている暇はない。


人類史上で最も早いのではないかと思わせるほどに正確に、そして高速で一つの魔術きせきを描くアラン。


そして。


「で……き、た……」


限界まで魔力を搾り尽くしたアランは最後の一文を書き終え、そのまま気を失った。魔力限界リミットアウトに至ったのだろう。


ほぼ同時に、現象は起きる。


二つの魔術方陣を吸い込んだ混合液の魔術方陣が青白く輝き始めると、それはゆっくりと縮小してオデュロセウスの元へと向かう。じわじわと近寄る魔術方陣に恐怖を覚えるが、そのすぐそばで満足そうに寝息を立て始めたアランの顔を見て、エルシェナは全てを委ねた。


まるで混合液が元いた場所に戻るかの如く、オデュロセウスの身体を這い、残った混合液と縮小した魔術方陣がほんの少し触れ合った。


その時だ。


「ーーーーッ!?」


まるで雷にでも撃たれたかのように、オデュロセウスが激しく一度だけ震えた。海老反りでもするかのようなその動きにエルシェナはビクリと身を震わせるも、次の瞬間にはそれを上回る事実を目の当たりにした。


「が……がはぁッ!?」


喉の奥底に詰まっていた血溜まりを吐くように、オデュロセウスは吐血した。その血は赤黒いという表現を突き抜けるほどに黒く、既に腐っているかのような異臭を放つ。


間違いない。ーーツウィーダがオデュロセウスに与えた血だ。


そしてそれを無意識とはいえオデュロセウスは自らの口で吐いたのだ。それはつまりーー


「お父様ッ!」


返事はない。……だが、確かに意識はそこにあった。エルシェナの手を掴んだのだ。


「お父様……っ」


今度は憤怒や絶望からではない。安堵と親愛を込めた、喉奥から漏れ出るような優しい声だった。良かったと、アランとそばにいて心底良かったと、その麗しき瞼に涙を浮かべながらエルシェナは思った。


そう、アランは奇跡を成し遂げたのだった。









その奇跡を目の当たりにした瞬間、ツウィーダの身体に確信と言う名の電気が流れた。


「やはり……彼は……」


「あの馬鹿が、どうかしたのか?」


漏れ出るようなツウィーダの言葉を唯一拾えたグウェンが、訝しげに聞き返す。だがツウィーダはその言葉を無視して、ジッと考え始める。


ーー三十秒ほどして。


「……なるほど。あの御方は、これを仰っていたのか」


「……?」


今度こそ本当に意味の分からないーーいや、推測はできるが意味の分からない言葉を述べたツウィーダ。


大罪教「怠惰司教」を名乗るツウィーダが敬う人物はただ一人。大罪教「大司教」。正体不明の最恐最悪の人物だ。


……仰っていた?   それはつまり、大司教とやらはこの事を予感していたというのか?


その可能性を確信に変えるには証拠が何一つ無い。ならば証拠を裏取るすべは一つだけ。


とは思いつつも、現状ではツウィーダを捕縛する事は到底不可能。グウェンの残魔力量も四割弱と心許なく、前衛で盾となるアランは直ぐ背後で眠りこけている。


頼りの綱は、このリドニカのどこかにいるであろうキクルだが……完全に気配を消しているので全く居場所が掴めない。


「交渉をしましょう」


すると、ツウィーダから思いもしない言葉が出てきた。無論、身構えるグウェン。


「交渉……だと?」


「ええ、交渉ですよ。僕の方から提示出来る物は二つ。『此度における戦争の即時停止』と『アルドゥニエ皇帝陛下の安全』を」


それはつまり、このフィニア帝国内乱の停戦を示す言葉だ。ツウィーダ自身にそこまでの発言力があるかは定かでは無いが、この場における戦況が有利な現状で淡々と言い放つ態度からして戯言では無さそうだ。


「そして僕がーーいや、僕達が望むのは『帝国からの安全な退却』を。どうでしょうか?」


微笑むツウィーダに対し、グウェンの心境は乱れまくっていた。交渉内容が余りにも自分達に有利過ぎるからだ。


もしもこの場でのみ交渉を受け入れたフリをして、国境付近にリカルドやジェノラフなど殺戮番号を勢揃いにしておけば確実にツウィーダは捕まえられる。対しこの場からツウィーダがいなくなれば脅威は失せ、アルドゥニエを含んだ全員の安全が保障される。


……何か策が?   いや、そもそも向かうが交渉を反故する可能性は?   敵は?   味方は?   想定を組み立てるのには情報が足りなさ過ぎるぞ!


しばしの沈黙が訪れる。グウェンの思考は絶えず回転し続け、幾多もの可能性を生み出しては数少ない情報を頼りに消去。


そこで一番重要なのは敵の総数だ。


現在リドニカの内側にいる敵軍のほとんどが壊滅状態だ。それは遠方から聞こえる鬨の声を耳にすれば判断出来る。


だが考えるべきはリドニカの外周にいる敵軍。戦局に応じて投入されるはずであった残存戦力。未知数である彼らの総数だ。


このリドニカを覆っている結界魔術を発動しているのも敵側であり、結界魔術が起動している限り内から外へは出る事は不可能。


戦力が固定されているフィニア帝国に対して、敵国であるアルダー帝国の戦力はほぼ永続的にある。このまま戦争を続ければフィニア帝国が陥落するのは自明の理だ。


……なのに、そんな戦況を放棄して逃走を図ろうとしているのは何故だ?


「…………ふぅ」


焦りが滲み出てきた自身の心を落ち着かせるために、一呼吸するグウェン。


一気に考え過ぎた。考えるべきはツウィーダの心根では無い、ここからの現状をひっくり返せないならばどうやって生き残るかだ。


グウェン達は英雄でなければ、ましてや騎士であるつもりすら無い。ゆえにその心には騎士としての自尊心プライドなど存在しない。


無様で格好悪くても、それでもなお生き残る。それが彼らの絶対的な信念だ。戦場で死ぬのは本望?   そんなものは糞食らえだ。


「……アルドゥニエ皇帝陛下の安全を保障すると言ったが……陛下はいつ頃に戻って来る?」


「そうですねぇ……あと三十分といったところでしょうか」


「なら十分だ。その交渉を受けよう」


三十分もあればアランも魔力限界リミットアウトから抜け出して復活する。その間に魔石を利用して、少しでも復活の時間を早めればなお良し。戦力は大幅に上昇するだろう。たとえ交渉後に反故されたとしても、アルドゥニエが殺される前に殺してしまえば構わない。


「…………」


だが、警戒は怠らない。いつツウィーダが交渉を反故して攻撃を仕掛けてくるかは分からない。大罪教とはそういう存在なのだ。


対してツウィーダは突き刺さるような敵意をその身に受けながら、微笑みを絶やす事なくその場に立ち尽くす。三十分後というその時間がやってくるまで。


時刻は午後六時を過ぎた頃。太陽は完全に水平線へと沈み込み、空には幾多もの星々が瞬き始めていた。


戦争がーー終わった。




◆◆◆




アランがオデュロセウスの心臓を停止させる少し前。皇城の地下でのこと。


「おや」


「……どうか、したのか?」


明かりがなければ暗闇である迷宮の中を、一点の光が淡く辺りを照らしている。そこには二つの影があった。


一人はこの迷宮の上にある皇城の主人、アルドゥニエ=ツェルマーキン・フィエンド・フィニエスタ。皇族でありながらその物腰は平民達にも優しく、時に誰よりも厳しく時に誰よりも慈愛に満ちた聖人君子のような皇帝である。


そしてもう一人はーー


「気付かれましたね、彼には。時折殺気を上に向けていたのが仇になったようです」


あはは、と笑いながらアルドゥニエの後ろを歩く一人の少女。


その少女、見るからに気味が悪かった。


存在感もなく気配もない。ましてや日常的に漏れ出すほんの微量の魔力すら感じ取れない。老年とはいえかつては幾多の戦場で名を馳せた経験のあるアルドゥニエが、後ろを向かなければ「そこに居る」と分からないほどに影が薄い存在だ。


年頃は十代半ばくらいか。赤毛の長髪を三つ編みにして後ろで纏めており、身長は百五十センチ後半といたって普通。だが服装は大罪教を示す赤黒いローブの内側に黒のワンピース。こんな少女が大罪教、しかも幹部クラスの人物だとは到底思えなかった。


だが左右の腿部に装備された計四本の短剣が、悉くそれを否定する。最初に出会った時の殺気も証拠の一つだ。


ともかくアルドゥニエは彼女に言われるがまま、謁見の間の隠し通路から裏庭へと出て、そこに封印されていた地下迷宮へと身を投じた。それからかれこれ一時間くらいだろう。


相変わらず迷宮の光景は変わらない。右も左も上も下も、謎の鉱石で作られた四角い岩が延々と続いていた。時折命じられて行き止まりの壁を触れると、どういう事か壁が開くのだが仕組みは理解不能。


一度尋ねてみたものの「秘密です」と言われた。


「彼というのは……アランという青年かね?」


「ええ。アラン=フロラストという妙に鋭い青年ですよ。今度は会ってみたいものです」


「余裕だな。ここから出た時に捕まるかもしれんというのに」


「その心配はご無用です。その時は貴方を人質に国境まで逃げるつもりなので」


「やはりか」


普通に考えれば当たり前なので、いまさら怖気付いたり恐怖に身を震わせたりはしない。それよりもアルドゥニエは別のことに心を震わせていた。


……あの小僧が帰ってきたか。


四年前から一度も会うことのなかった青年。可愛い大事な孫娘のハートを鷲掴みにして離さない、お爺ちゃんポジションとしては一度は話し合っておきたかった青年。


アランが帝国騎士に戻ったという情報は、その日のうちに最速で届けられた。正確には魔道具「魔接機リンカー」を持っていたジェノラフから言伝で伝えられた。


これでようやく落ち着いて話し合える、と思った矢先に始まった愚息による内乱。幸か不幸かオルフェリア帝国から手助けに来てくれたのがアランというわけだ。


「……こりゃあ、生きて帰らんとな」


「無駄な抵抗をしなければ無事に地上までお送りしますので、ご安心を」


「ふん。老体をこれだけ歩かせる奴の言葉を信じられると思うか」


「それもそうですか」


再び迷宮に笑い声が響いた。






ーーそれから十分ほどだろうか。






歩き続けた二人は、遂に目的地へと辿り着いた。


「こ、これは……?」


そこは謎の空間だった。


高さ奥行き共々五メートルに作られたその空間には、四方の壁には無論のこと、天井と床にも巨大な魔術方陣が描かれている。しかもよく見ると……血で書き記されていた。


さらに天井から垂れ下がる何十という錆びた鎖と、部屋の中央に置かれた二メートル四方の謎の台座。その四隅に置かれた謎の金属でできた燭台。


そうそれはまるで、何か重要なものがここに置かれていたかのような光景だった。だがアルドゥニエは知らない、皇帝である彼が知らないという事はフィニア帝国にいる誰もがこの存在を知らないという事だ。


「何なんだ……これは」


「それは私が聞きたいところですね」


後ろにいたツウィーダが、徐にアルドゥニエの前へと出て置かれている燭台に指を添わせる。


「この砂埃……触った感じだと百年、いやもっとも昔には既にここに居なかったと考えるべきでしょうか……」


「『居なかった』?   それはつまり、ここには何かがいたということなのか!?」


「残念ながら、答えは拒否させていただきます」


知りたいという願望を満たすために質問を投げかけるも、ツウィーダにあっさりと拒否されてしまう。しつこく聴こうと試みれば死亡確率が高まりかねないので、アルドゥニエは静観を選ぶ。


……だが、私でも分かる。あの鎖は普通ではありえんほどに錆びている。しかもここに満ちる魔力の量も異常だ。


まるで霧でも吸い込んでいるかのように、ここの魔力密度は尋常ではない。さきほどまで歩いてきた迷宮の道のりが薄すぎたのがどうかは判断しかねるが……やはり異常だ。


「封印は……やはり壊されている。これほどに緻密で完璧な封印を壊すとは。さすが『魔女』と呼ばれるだけはありましょうか」


台座を調べ終えたのか、ツウィーダは不満そうにアルドゥニエの元へと帰ってきた。


すると。


「……はぁ、仕方がありませんね」


「どうかしたのか?」


「別の私が交渉を持ち掛けましてね。貴方の安全を保障する代わりに、私達が逃亡するまでの保障を確約するという話になってしまいました」


「それは……つまり」


「ええ。どうやら此度の戦争は終わりを迎えそうですね」


実に淡々と、さもそれが当然の事だと言うように、少女は終戦を言い放つ。その感覚が気味悪くて仕方がない。


「さあ、早く帰りましょう。三十分以内に帰らないと、どうやら命の保証は無さそうなので」


「う、うむ……」


拒否権はなく、アルドゥニエは静かに少女の背を追い続ける。今ならば少女の腿部にある短剣を引き抜いて殺せるのでは、と考えたが、


……いや駄目だ。返り討ちにあう未来しか予見できん。


そのイメージの全てを跳ね返す様に、たった十代半ばの非力な少女との力の差は、明確だった。額に脂汗を浮き上がらせながら、アルドゥニエはその背から視線を外す事なく、急ぎ足で元来た道を戻り続ける。






二十数分後。ようやく二人は闇の中から這い出てきたのであった。

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