英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第24話「怠慢の王 ②」

数秒間の睨み合いの末に、最初に動いたのはオデュロセウスだ。


「Uboaaaa!!」


床を砕くような一歩にてグウェンの拳が届く位置にまで辿り着く。そしてそのままグウェンを蹴り上げた。


しかし身体を捻りながら寸前で回避したグウェンは、魔術師特有のベルトポーチから取り出した術符をオデュロセウスの脹脛ふくらはぎに貼る。


刹那、大きな爆発が膝を焼いた。術符に込められた簡易型の爆裂魔術が発動したのだ。呻き声と共に体勢を崩したオデュロセウスは、そのまま横向きに倒れる。


「ふッ!」


体勢を整えたグウェンが着地する寸前に、オデュロセウスの背後からツウィーダが踏み込む。刃渡り二十センチほどの白銀色の刃が、グウェンの横腹を狙って穿たれた。


だが寸のところで鞘から剣身を半分ほど抜き放ったグウェンは、それで切っ先を受け止めた。虚空に朱色の火花が散る。


「《炎の精霊集いて、安らぎの光よ、灯れ》」


瞬時に【エレメントスフィア】によって右手人差し指に凝縮された炎の塊は、グウェンとツウィーダ、二人の前で爛々と照りつける太陽のように激しく光りだした。


だが術者であるグウェンは片目をすでに閉じており、光が消えると共に目を開いて鞘から剣を完全に抜き放ち、横に一線。ツウィーダを両断する勢いで剣を振った。


しかしツウィーダは剣圧を微弱に感じたのだろう。寸のところで身を後ろに倒し、眼前を剣が素通りする。


「ごぶぉッ!?」


次の瞬間、グウェンの顎に強烈な打撃が加わった。身体を反らしたツウィーダが勢いを利用して蹴りを繰り出したのだ。


よろめいて二、三歩後退するグウェンに一回転して体勢を整えたツウィーダが追撃を繰り出す。今度は両手に短剣を持ち、懐に潜り込もうと試みる。


予備動作一つ見せないその動きは熟練の暗殺者を彷彿とさせ、本来ならば誰もが気づかぬ間に首を断たれているであろう。


だがグウェンもそこまで甘くはない。揺れる視界を放っておいて、簡易型の結界を作り出す術符を床に叩きつけてその一撃を防ぐ。反動で大きく跳ね飛んだツウィーダに今度はグウェンが攻撃を試みる。


だが。


「Agoaaaaaa!!」


「がぁッ!?」


石ころでも蹴っ飛ばすかのように。オデュロセウスがグウェンを結界ごと蹴る。結界は攻撃を受け続ける強度はあれど、受け止められる限度はある。しかも簡易型なだけあって耐久性は非常に脆い。よって硝子のように結界は割れ、グウェンは壁まで吹っ飛んだ。


結界という壁のおかげで威力は激減していたというものの、その威力は依然として凄まじい。咄嗟に腕で防いだが、左腕の骨に軽くひびが入ったようだ。


……これでいっそう、近接戦が厳しくなったな。


左腕は動くものの、物を掴むような行為の際に刺すような鋭い痛みが襲う。これではどうしようにも剣は握れない。


だが他は異常ない。筋骨、神経、五感、魔力残量……不幸か幸いか腕の痛み以外、大きな被害はなかった。


「やはり二対一は厳しいか……」


一騎当千を実現する殺戮番号シリアルナンバーといえど、この階級の実力者を相手とするとどうしようもない。特にグウェンにとっては。


前衛がいてこそのグウェンにとって、近接戦をしながら詠唱して魔術を使っていては、思考を多様な事に割いてしまい無駄に魔術の精度や威力を減退させてしまう。


「相変わらずあの馬鹿は上で迷っているようだが……ふむ」


アランがいる二階はグウェン達がいる一階とは異なり、かなり入り組んだ構造になっている。客間や従者・召使いの個室、帝国を管理する各部署の書斎や本部、一階にある書庫に収まらなかった古文書や痛んだ本などを保管する部屋。他にも数多くの部屋が複雑に存在し、まさしく皇城の迷路と化している。


地図を持たないと方向音痴になるアランだが、別段「迷っている」という訳でもない。そもそも二階自体が迷路なので、重要なのはアランがどうやって階段を見つけるか、だ。


二階から一階に下りさえすれば、あとはアランの魔力察知能力と【顕現武装フェルサ・アルマ】の雷速移動で一瞬にして来るだろう。そこだけは確実であった。


「戦いの最中に意識を逸らすとは不注意ですね」


「くッ!?」


壁を背にして動かないでいたグウェンに対して、ツウィーダは細い笑みを浮かべながら先ほどまでの短剣よりも小型の剣ーーナイフを投擲した。その数なんと二十。


それぞれに毒と魔力による威力強化が付与されており、無闇に左腕を使えない今、防御よりも回避する方が安全性が高いだろう。そう悟ったグウェンはすぐさまに行動へと移す。


もっとも数の少ない方向、すなわち上へと跳躍して魔力で足の裏面を強化。緻密な魔力操作が必要とされる側面走りを披露した。


壁にナイフが突き刺さる音を背後で感じながら、グウェンは止まる事なく壁を駆け続ける。その間もツウィーダはナイフを投擲し続け、グウェンの退路を断ち切る。


そして。


「Grooooooo!!」


それを見越していたツウィーダは、オデュロセウスを操り進行上にて待機させていた。山でも砕き壊さん位の魔力を込めた一撃。今度こそ喰らえば間違いなく死ぬだろう。


……避けるか!?   いや、それはダメだ!!


何故なら背後にはグウェンが恋心を抱いている少女ーーエルシェナがいたからだ。このままグウェンに拳が当たらず、空振りをしてその余波がエルシェナにぶつかってみよう。九分九厘でエルシェナは死ぬ。


自分の命とエルシェナの命。その両方を天秤に重ねて躊躇うことなく後者を選んだグウェン。重要度なんてはなから決まっているのだ。


だが、諦めるとは言っていない。


今までのグウェンならば、魔術の才能を十全に振るうためにはアランの協力が必要不可欠だった。だがそれではいけない。ゆえにアランが帝国騎士を辞めてからの二年間、死に物狂いで技術だけでなく魔術に関する理解を深め続けた。


「……よし」


だからグウェンは迷わない。この数秒後に迫る死の恐怖に対して、グウェンは膝を屈することは一切なかった。


まずグウェンはアランから渡された残りの結界魔術の術符を右手で取り出した。その数六枚。術符に描かれている魔術方陣を一瞬にして解読。どうやら「物理攻撃」を弾くための城塞型結界魔術らしい。


そしてその六枚の術符を綺麗に重ねると、痛む左手を口元まで持ち上げてガリっと親指の先を噛んだ。


刹那溢れる赤い液体。グウェンは親指を重ねた術符に、擦り付けるようにして一番上の魔術方陣を素早くなぞった。


次の瞬間。


「Agoaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


大地を震わせるような吼え声とともに、グウェンの胴体並みはある大きな拳が振り下ろされる。込められた魔力は普通の魔術師が持つ魔力の約二十倍、すなわち二十人以上が一瞬で魔力限界リミットアウトを引き起こす程度。これを喰らえばオルフェリア帝国最強のリカルドですら只では済まないだろう。


そんな異常な拳がグウェンに向かって叩き付けられるーーその時だ。


「Groa!?」


先ほどの結界とは格が違う、まさしく鉄壁というべき強度を誇る結界が、オデュロセウスの拳を拒んだ。結界は拳撃を受けても、なお境界線を引くかの如く存在し続ける。


拳撃と結界の衝突によって生み出された烈風と衝撃波は床や天井を割り、硝子を砕き、二人の近くにある石の柱に関しては瓦礫と化していた。


「『魔術複合法則』と『触媒による魔術強化』の複合……即興で考えてみたとはいえ、ここまでの効果が得られるとはな」


結界を前にするグウェンは、反動で仰け反るオデュロセウスに不敵な笑みを浮かべながら言った。


そう、グウェンが行ったのはごく単純なこと。魔術学院で誰もが習う『魔術複合法則』と『触媒による魔術強化』の知識を併用し、丁度いい具合に複合させたのだ。


術符に描かれた結界魔術の魔術方陣が血を得る事によって魔術の性能が強化。さらに『魔術複合法則』を利用して六枚の術符を重ねた結果、通常のおよそ三十倍の効果を発揮したのだ。


「ーーーー」


さすがのツウィーダもこれは予想してなかったようで、吹っ飛んで来ると予想していた地点で呆然とグウェンを見つめていた。脳裏で描いていた情景を破かれたように、思考がピタリと止まっていた。


そこをグウェンは逃さない。


「甘いな」


「ッ!?」


背後に詰め寄ったグウェンは右手で剣を抜くーーことはせず、手のひらに持っていた紅い宝石を投げ渡すように放った。


想定外の上にのしかかる想定外。条件反射で動いた身体は次の一手までに動かない。ツウィーダは心の内で舌を打つ。


だがしかし、そうも言ってはいられなかった。放られた宝石に描かれていたのは魔術方陣、しかもそれはつい最近自分が帝都襲撃事件の際に、皇帝と騎士団長達の座る予定だった椅子に仕掛けていた罠と酷似していた。


「ばくれーーッ!?」


「ドカン」


宝石が紅い閃光と共にーー爆ぜた。









「ごほっ、ごほっ……ぐ、グウェン様!?」


爆煙に咳き込むエルシェナが、ツウィーダの近くから離れて側まで来ていたグウェンに向かって抗議しようと声を発した。


だがグウェンはそれに応えない。見向きもしなければ「済まない」の一言すら声をかけてくれない。それだけグウェンにとって切羽詰まった状況だという事だ。


じっとグウェンは舞い上がる爆煙を見つめる。さすがのグウェンもこの一撃で殺したとまでは考えていない。先ほどの投擲をまたしてもしてこないとも限らないので、目を離す事が難しい。


そして。


「いっつつつ……いやぁ、今のは正直に危なかったですよ……」


爆煙の中から無傷・・のツウィーダが姿を現した。大袈裟に咳き込み服についた土埃を払いながら、何気もなく姿をグウェンに見せる。


「怠慢の王……まさか、ここまでとは」


グウェンが放った紅い宝石に仕込まれていた爆裂魔術は、本来ならば地竜の鱗すら破壊して肉体に直接攻撃を加えられるほど、威力の高いように調節されていたものだ。


だが現実は嘘のように真実を伝える。ツウィーダが直立する位置から放射状に爆発の被害が現れているものの、そこにツウィーダが受けた傷を示す血痕は存在しない。


……だが間違いなく虚を突いた。魔石を投げた瞬間に見せたあの顔は、確かに危険だと理解していた顔だ。


これがどのような仕掛けにしろ、ツウィーダに今のような攻撃は有効である事は変わらない。


だが問題はその仕掛けだ。ツウィーダが無傷であるという事は仕掛けには幾通りの思い当たりがあるが……その中でも今回は二通り。


一つ、因果を捻じ曲げる程の超速再生。アランのように【顕現武装フェルサ・アルマ】で自身の霊格を昇華させれば、肉体は自動的に活性化して巻き戻るように回復する。一瞬にして爆破を受け、一瞬にして回復すれば血痕も床には残らない。


二つ、受けた傷そのものを何かに移譲している。いわばこれは呪いの類だ。藁人形の釘打ちのように、対象を指定して怪我や呪いを強制的に移譲する。そうすればまず怪我を負わないし、ツウィーダの服だけがボロボロだという事にも納得がいく。


前者の攻略法は知っている。ただの超速再生ならばその回復力を上回る攻撃を連続して加え、肉体が再生してしまう前に封印するだけ。


だが後者は知らない。呪いの類に関してはグウェンはほとんど無知であり、特に今回の場合に関してはグウェンの常識が通用するとは到底思えない。


「どちらにせよ、俺一人ではどうにもならんか。仕方がない……エルシェナ」


「は、はいっ」


唐突に声をかけられたエルシェナは、身をビクリと震わせてグウェンを見上げる。


「立てるか?」


「ええ……大丈夫ですが」


なにを変な事を言っているのかと、エルシェナは首をかしげながらグウェンの横顔を見つめる。この状況でエルシェナに声を掛けるのは、どうにもこうにも理由が分からない。


だからグウェンは手短に、聞き逃しが無いように鮮明に言った。


「時間は俺が稼ぐ。お前は後ろの扉から出て、上で馬鹿をしているアイツを連れて来てくれ」


「そ、そんな大役……」


「無理か?   ……いや、無理だとしてもやって貰わなければこの戦況は引っ繰り返せないだろう。だからこれは要望ではない、命令だ」


グウェンの口調が少し変わった。おそらく彼も切羽詰まった状態なのだろうと、エルシェナは静かに納得する。


それにこの場にエルシェナがいてもまともな戦力にはならない。むしろグウェンにとって足手纏いにしかならないだろう。


ならば、と意を決した。


「どれくらいまでなら大丈夫でしょうか?」


「五分。それが限界だ」


「分かりました」


くるりと振り返ってエルシェナは戸を押し、その隙間からスルリと通って扉の向こうへと姿を消した。


しばしの静寂。だがそれを破るのは無論ツウィーダだ。


「行かせてしまいましたね……やれやれ」


「行かせて『しまいましたね』だと?   まるで俺がこうする事を、予知していたかのような言い草だな」


「はい。これも計算の内ですからね」


「計算?   一体何の…………」


顎下に指を置いて俯くように考え出す。だがその動作は虚しく、答えは一瞬にして導き出された。


「言葉の意味……計算の内……ここまでの可能性を守備範囲に入れていたという事。それはつまり、この行動をどうにかできる手段を持ち得ているという事……ならばその手段は?」


皇城の中に敵の気配は無かった。魔力波動も謁見の間にいたアルドゥニエとオデュロセウスの二人だけで、謁見の間を守護していた八人の兵士は無惨な躯となっていた。


ではどこにそんな物があるのか。アルダー帝国の合成獣キメラ?   それとも皇城に潜んでいた他の大罪教の一員?   はたまた味方のふりをしていたフィニア帝国兵?   だがそのどれもがアルドゥニエに敵意を持ち、魔力波動を感じればすぐにグウェンだって把握する。


しかし二階から侵入して一階へと下り、奥へと進んで謁見の間に至るまでの間にそのどれもを見た感じたは何一つ無かった。


だが。


「…………」


答えは、


「…………ま、さか」


そこにあった。


「巨人……が、他に……いるのか?」


「ご名答」


ようやく気付いたのかと言いたげな笑みをグウェンに向け、嘲るかのように口角を吊りあげる。だがグウェンはそんな事にいちいち腹を立てているわけにはいかなかった。


すると刹那、扉の向こうからダンダンと床を震わせるような大きな音と、獣のように吼える声が幾つも聞こえてきた。


「しかも複数体……これはマズい」


性能がどうであるかは不明だが、たとえオデュロセウスよりも遥かに弱かったとしても、エルシェナに勝機は毛先ほどすら無い。エルシェナは純粋な学者派の人物だからだ。


すぐに助けに向かわなければ。だがそれをさせじと、前方から突き刺さるような殺気を向けるツウィーダ。両手に持つ投擲用のナイフが夕日に照らさて鈍い光をグウェンに伝える。


「ちぃ……っ!!」


「Aboaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


舌を鳴らしたグウェンの元にオデュロセウスが迫る。現段階のグウェンでは、どうしても二人を倒してエルシェナを救いに行く事は不可能だ。


たとえ奥の手・・・を使って勝利したとしても、魔力限界で眠ってしまう。もはやグウェンは八方塞がりでお手上げ状態だ。


「祈るしかないのか……っ!!」


宗教を信じないグウェンが祈るその対象が神なのか、はたまた別の何かなのか。


それはグウェンのみぞ知る。




◆   ◆   ◆




謁見の間から出て二階へと通ずる階段に向かうエルシェナ。道中に転がる同胞の亡骸を見て、背筋を震わせるがそんな所で立ち止まっている場合ではない。


何故なら。


「「「Ugoaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」」」


「イャァアアアアアアッ!?」


元気いっぱいやる気いっぱいの巨人が三体、エルシェナを見たと同時に盛った獣のように全力疾走で追いかけて来たのだ。無論、条件反射の如くエルシェナは逃げる。


皇族特有の膨大な魔力を惜しみなく迸らせて皇城内を駆け抜けるが、そもそも巨人達の一歩が遥かに大きい。エルシェナが全力で三歩ぶん走れば、巨人達はそれを一歩で埋めてしまう。


だがそれでも追い付かれないのは、三体の巨人が我先にと争うようにしてエルシェナを追いかけているからだ。狭い通路で衝突し合いながら駆ける三体の巨人は、見るからに波長が合っていない。


……この先を左ッ!


子供の頃から幾度と踏み入れた皇城。幼い頃には同年代の貴族の子供達と一緒に探検ごっこまでしていたくらいだ。目を瞑っていたって今いる場所がどこなのか把握できた。


突き当たりを左に曲がる。巨人達はその巨体を制御しきれていないようで、ドンガラガッシャーンと壁を突き抜けてエルシェナの背後から姿を消した。


しかし。


「Agroaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


「ヒイッ!?」


もう壁なんて関係ない。一体の巨人がエルシェナの進路を先回りし、壁から突き抜けて姿を現した。残りの二体も壁の穴から死人ゾンビのようにのっそりと姿を見せる。


……挟まれた!?


まわりを見渡すも窓のような突き抜ける場所はどこにもなく、徐に巨人達が距離を詰める。


……そうだ、魔術!


だが何を?   英才教育で魔術も齧っているとはいえ、その威力は本職である騎士達に遥かに劣る。そんなものを使った所で目の前に立つ巨体をどうにか出来るだろうか。


そんな自己否定をしている間にも、巨体は距離を詰め続ける。先ほどまでの全力疾走と比べて、今は余りにもねちっこく嗜虐的な感じがした。


「何か……何か……っ」


焦るな。こういう時こそアランの言葉を思い出せ。エルシェナは深く息を吸って気を落ち着かせる。落ち着いて考える事が一番重要なのだと言い聞かせる。


今のエルシェナの目的は二階にいるアランを連れて来ることだ。その二階に通ずる階段は、前方の角を右に曲がって二十メートルほど行った先にある。


そこまで辿り着くのに要する時間は二秒弱。時間にしてみればほぼ一瞬だが、その一瞬を生み出すための何かが必要だ。


……グウェン様の推察が正しいのでしたら、この三体の巨人はツウィーダという人が動かしているはず。


果たしてツウィーダはオデュロセウスを含めた四体の巨人を巧みに操れるのだろうか?


答えは聞かなくても分かるーー否だ。


魔術によって傀儡を操ったとしても、それは傀儡師と変わらない。数が増えれば増えるほど、命令は単調なものとなり動きは鈍る。事実、先ほどまで見ていたオデュロセウスの動きと比べて、これらの動きは余りにも拙い。


つまり、この場から逃げ切れる可能性は決して皆無ではないという事だ。では後はその手段を考えるだけ。


エルシェナが持っている物といえば、アランから渡されていた魔道具『消失の外套』だけ。こうなるとは予想していなかった事もあって、軽装のままここまで来てしまっていた。


一時は外套を被って消え、巨人達をやり過ごす事も考えたがそれではいけない。グウェンに与えられた五分という時間を易々と過ぎてしまう。


……ああ、どこかに隠し通路でもあれば、簡単でしたのに……。


嘆くように内心で愚痴を呟くエルシェナ。だがそこで、ふと思いついた。


「通路?   通路が、ない……?」


今思いついた案は、皇族としてかなりしてはいけない事だ。というかここに侍女でもいたならば、「お嬢様、お気を確かに!」などと慌てるに違いない。


けど、どうしてだろう。そんな事をやろうとしている自分を感じるとゾクゾクしてしまうのは。エルシェナは微笑みを浮かべながらそんな事を考えていた。


そう、通路が無いならばーー作ればいいのだ。


そうと決まれば。エルシェナは右手側の壁に向き直り、手のひらを合わせて魔力を込め始めた。


「《荒ぶる旋風よ、其は人を阻む悪意なる暴風なりて、汝の牙を以て立ち向かう愚者を払いたまえ》ッ!!」


基礎魔術【五属の風】が発動した。螺旋状に回転する風の塊が歴史深い皇城の壁を無慈悲に抉り、次の瞬間にはバコン!   という音と共に人が一人通れる程度の穴が生まれた。


予想外の行動に巨人達の動きは鈍い。その隙を逃すはずもなく、エルシェナは壁の向こう側へと飛び込んだ。


飛び込んだ先は従者や執事達の共同食堂だった。簡素なテーブルや背凭れの無い椅子が大量に並べられており、大量の食器皿がテーブルを挟んだ向こう側の食器棚に並べられている。昼食を口にしていないエルシェナは、蒸かしたジャガイモや肉の脂の匂いが立ち込める空間に入った瞬間、くぅと小さくお腹が鳴った。


早くこんな事を終わらせてご飯にしたい。切実にそう思いながら、エルシェナは巨人達の視界から逃れた瞬間『消失の外套』を被った。


「「「Agoaaaaaa!?」」」


追いかけるようにして共同食堂に入ってきたは良いものの、巨人達はエルシェナを見失う。存在感から魔力波動までを外界と遮断する外套の威力は凄まじい。


元々ツウィーダからは「逃亡する人間を捕獲しろ」というごく単純な命令しか受けていない。命令以外の行動は全て禁止されており、こちら側からツウィーダに向けて連絡を行う事は出来ない。


すなわちツウィーダも、現状どうなっているのか分からないのだ。


……このままゆっくりと歩いて……。


『消失の外套』の弱点は一つ。消失状態の時に移動速度が限りなく減速する事だ。詳しく例えるならば「ハイハイを覚えたての赤ちゃん並み」と言ったところか。とにかく凄く遅い。


だがそれでも見つからない事に比べればどうという事も無い。筋骨隆々と化した身長三メートル弱の巨人の足元を、ちまちまと移動するエルシェナ。


しかし事件は起きた。


「……ぁへ!?」


破壊された壁の残骸に足を引っ掛けて、ズッコケた。しかも突然の事過ぎて、エルシェナは顔から大理石の床にダイブ。綺麗なおでこを盛大にぶつけてしまった。


「「「Ugoa?」」」


しかも見つかってしまった。三体の巨人達は足元でズッコケているエルシェナを見て「あ、そんなとこにいたの?」みたいな視線を向けてくる。いや、実際は精気も感じられないほど虚ろな目をしているのだが。


「しま……っ!?」


ズッコケると同時に『消失の外套』は効力を失った。今の今までそこには無かった布切れが姿を現し、同時に巨人達の大きな手はそこへと向かう。


逃げなければ。だが動けない。転けて擦りむいた膝が痛い。自分に向かって来る大きな手のひらが怖い。捕まってしまうという予感に身が震える。動けない、いや、動かない・・・・


そして。


「ぁ……っ」


道端に落ちていた石でも拾うかのように、巨人はエルシェナを強めに掴み、拘束する。その力は凄まじく、まるで頑丈な縄で全身丸ごと縛られているようだ。


「ぁ、あぁ…………っ」


ギリギリという軋みと共に、エルシェナから苦悶の声があがる。ツウィーダの命令が単調すぎた所為だろう、力の加減が全く出来ていない。


痛い。痛い痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!


絹のようなきめ細かい柔肌が圧迫されて赤く染まり、血の気を失った美しい顔がだんだんと熱を落としていく。


このまま圧死してしまう。死を悟ったエルシェナは、最後の足掻きに出た。


「ん〜…………ッッ!!」


自身の持てる魔力を、肉体が崩壊する限界まで放出。脳が危険信号を発しているがそんな事を気にしている余地は無い。


皇族の持つ膨大な魔力量によって生み出される魔力波動は、大地を駆け、空を轟かせる。白壁の内側にいるであろう臣民達は酷い耳鳴りがしているかもしれない。


だがそんな事に感けている訳にはいかない。絶体絶命の危機なのだ。帝国民数十万の危機なのだ。こんな所で死ぬ訳にはいかない。


「ん〜ッッ!!」


筋肉が悲鳴をあげる。骨が限界を訴える。神経が限界まで熱を帯びて、視界がだんだん白に染まる。


だが、それでも巨人の手の拘束からは逃れられなかった。むしろエルシェナの抵抗を無視するかのように、更に力を込める。残る巨人二体もエルシェナを見つめており、例え限界まで粘ってこの拘束から逃れた所で、逃げ場は無い。


「ぁ……くぅ……ッ!!」


そして遂に、エルシェナの限界が訪れる。いくら皇族の魔力量が膨大だとはいえ、使える量にも限りはある。底を尽き始めた魔力量が肉体から迸る魔力の濃度を減衰させる。


このまま魔力による身体強化が無くなってしまえば、エルシェナは巨人の増した握力によって、潰され死んでしまうだろう。


「あ、らん……さま……っ」


助けを求めるように、弱々しく、だが愛おしくその名を口ずさんだ。分散してからまだ一時間程度しか経っていないというのに、もう会いたくて仕方が無い。名前を呼ばれたくて心が疼く。


「あら、んさま……っ」


弱まり続ける魔力の奔流。じわじわと迫り来る死の予感。誰とも知らない人の手によって命を絶つという失望感。走馬灯のように浮かび上がってくる家族と過ごした日々、学友と過ごした日常、憧れる人々に出会った情景。


そして……アランと出会ったあの日のこと。


忘れない。あれは決して忘れるはずが無い。皇族という立場に退屈していた自分を、色彩豊かな世界に投じてくれたあの出来事を。損得や利害を顧みずに、普通の人物として接してくれたあの日の出来事を。


会いたい。会いたくして仕方が無い。死の間際かもしれないというのに、アランの事で胸がいっぱいだ。アランへの想いは、もはや自分の死すら超越しているのだ。


「アラン様……っ」


遂に魔力量の底が見えてきた。迸る魔力の波動は先程までと比べてとても弱々しく、皇族とは思えないほどに力尽きていた。


喉の奥から漏れ出るような、助けを求めるエルシェナの声。それは一滴の涙と共に、皇城に反響した。


だが巨人に情けは存在しない。ツウィーダに与えられた命令の通りに、容赦なく握力を込め続けた。再び全身を縛るような感覚に苛まれるエルシェナ。


遂に死を予感した。


しかし。


「ーーーー何、やってんの?」


声がした。同時に、


ーーシュパン。


何かを叩いたかのような音が、エルシェナの鼓膜を震わせる。


「Agroaaaaaaa!?」


「……ぇ?」


刹那、エルシェナを掴んでいた巨人が呻き声を轟かせた。同時に重力を感じたかのように、エルシェナは地面へと落下し始めた。そう、エルシェナを掴んでいた腕ごと・・・だ。


落下する自分に脳が追いつかない。つい寸前まで死ぬかもしれないと思っていたのだ、脳が正常では無くともおかしくはない。


そして。


「よっ。大丈夫か?」


ストン、と落下が止まる感覚。誰かに抱きかかえられる感触。そして何より待ち焦がれていた主の声がした。


「アラン、さま……」


青黒い髪と翡翠の双眸は、アラン自身が発明した魔術【顕現武装フェルサ・アルマ】によって、灰色の長髪と緋色の双眸に変わっている。


だがこの優しさだけは変わらない。この気怠げそうでも相手に誠実な所は変わらない。年齢と不釣り合いな格好良さは変わらない。


そう、アランが来た。


二階で迷子になっていたはずのアランが、遂に一階へとやって来たのだ。

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