英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第21話「矛盾でちぐはぐで曖昧な青年」

首切りの影。世間でそう呼ばれていたのはアステアルタ魔術大戦より十年前、私がまだ十三歳の頃の話だ。


当時から揺るぎを見せていたゲーティオ=オルフェリウス・バルダガッハ皇帝陛下の地位を維持する為に、暗殺者として育て上げられていた私は多くの人々を殺してきた。


五歳の頃に戦争で両親と二歳の弟を亡くしていた私は、戦災孤児として集められ裏の世界で暗躍する人物を育成するための養成機関に放り込まれた。


そこで好成績を挙げ五年目で卒業した私は、誰かに命じられるがままに動き、成果を上げる事しか生きる術がなかった。


その分昔から影の薄かった私は、取り分け暗殺という稼業に向いていたのかもしれない。そういう訳もあって私は三年もの間、男も女も、老いも若いも、善も悪も関係なく殺し続けた。


顔を外套で隠した謎の人物に毎度渡される似顔絵と詳細な情報を頼りに、状況を組み立てて暗殺を行う。


毒殺が主だったが、時と場合によっては闇討ちも行っていた。大腿部に直接ベルトを巻いて、ロングスカートの中に隠し込んでいたククリナイフをすれ違い様に取り出し首筋を撫でる。それだけで人は簡単に死んだ。


そんな行為を五度繰り返した所で私にはそういういみなが付いたのだ。正体不明、神出鬼没、皇帝の悪い噂をすれば現れる死の影と、臣民達はその想像力を膨らませていた。


だが誰も気付くはずがない。私の特性、父から受け継いだこの力がある限り、そうそう特別な人間でないと私を見つける事は敵わない。


だからこそ、私は驚いた。


「ーーそんな所で何してんの、お嬢ちゃん?」


「…………ぇ?」


暗殺稼業を始めて五年。私が十八歳になった、ある雨の日の事だった。真っ黒の外套に身を包み、ざあざあと雨の降る中で、その声は私に向けられた。


顔を上げるとそこには白銀の短髪をした三十路ほどの男性がいた。身なりからしておそらく帝国騎士であろうか。


「なんだなんだ。もしかして親と喧嘩でもして外に追い出されたのか?   まったく、こんな雨の日だってのに親御さんは考えねぇ奴だなぁ……」


「あ、いや、ええと……」


帝国騎士は何を勝手に考えたのか、私が今ここにいる理由を決め付けて、呆れ果てるように喉奥からため息を漏らした。


よく見るとこの帝国騎士、明らさまに凄まじい気配を漂わせていた。頬に残る一本線の傷からは猛者との戦いの末に受けた名誉の傷を彷彿とさせ、こうして何気なく立っている今でも周囲への警戒は怠っていない。


間違いなくこの男は強い。殺しを営んできた私の経験が、胸の鼓動を証拠として激しく反応していた。


「んで、お嬢ちゃん。お金とかは持ってんの?」


「持って……ない、です」


どうしてそんな話をするのだろうか。もしかして私から金銭を奪い取ろうと企んでいるのだろうか。近年の帝国騎士は臣民への態度が最悪だと聞き及んでいる。特に家柄だ武勲だと、ちまちまとした事に偉そうにしている奴らが跋扈する事が多くなった。つい最近も裏路地で無能な帝国騎士が女性を強姦していた所を目撃した。その時は気絶で済ませたが、今度はそうはいかない。この男からさ凄まじい気配を感じるけど、隙を見て喉元を切り裂き背後からナイフで心臓をーー






「そっか。なら家に来い」






その瞬間、思考が停止した。雨音すら遠のいて、何もかもが不明瞭に化していく。


数秒後。


「いま、なん、て……」


「家に来いよ。裕福なのを自慢するつもりは無いが、困ってる女の子を黙殺するほど、俺は女性に厳しくないんでな」


そう言って男はニッと笑う。下心の無い、企ても何も無い、心から案じた末に出した言葉なのだろう。それだけは私でも分かった。


「まあ、来るか来ないかはお嬢ちゃんが決めな。俺はノロノロと歩いているからよ」


男は言葉の通り、私を置いてゆっくりと帰路を辿り始める。ちらりとこちらを振り返る事がない所を見て、本当にどっちでも良いのだろう。


「……変な人」


それが私ーーキクル=レイディスウェイの新たな物語の幕開けだった。


◆◆◆


何度も感じた感触。それが相手を確実に殺したと証明する、キクルが最も信頼する感触だ。


空気を切るように、背後から若いフィニア帝国騎士の首を切った。コンマ数秒の遅れで頭部が切られた事を思い出したかのように、切断面からずれて行く。


三秒後、石畳の地面に落ちる男の頭部。切断面から噴き荒れる紅い血の雨。死と錆びた鉄を想起させる、臭い臭い命の雨だ。


「き、貴様。一体何を……っ!?」


近寄ってきた三十路ほどの騎士は、キクルが身に纏う藍色のコートとその徽章を見て息を飲む。


金の獅子と横たえる一振りの剣。間違いなくそれは、第一騎士団の徽章だ。


殺戮番号シリアルナンバーNo.3、キクル=レイディスウェイ」


一応怪しまれないように名乗っておく。まあ、名乗った所で味方であるはずの一人を背後から切り殺したのだから、警戒が解かれるはずも無いが。


だがキクルにとって、その事は余りに些細な事だ。彼らが仲間を殺されたと思い、仇を討とうと企てるのであればキクルも容赦なく殺すつもりでいる。


「キクルさん、どうしでしたか?」


とそこに【顕現武装フェルサ・アルマ】を発動し《雷帝の戦鎧トーラ・シャクラ》を身に纏ったアランがやってきた。取り敢えず戦況が安定したので、キクルの話を聞きに来たのだろう。


「これと合わせて二人いた。そっちも殺したけど……良かった?」


もう一人は女性だった。キクルの存在を女の勘で気付いたのか初撃では殺せなかったが、追撃で心臓を一突き。死亡も確認した。


「大丈夫です。こっちも指揮官の影でコソコソしてたおっさんを感電死しておきました。多分これで全員でしょう」


「次は?」


「そうですね……ああ、それなら今から南側に行ってもらえませんか?   人手不足って訳じゃあ無いんですけど、もしもの場合を考えて」


「了解した。それで、アランは?」


「勿論、俺はアイツらを仕留めますよ」


獲物を目で示す。そこには今にも町の被害を考えずに暴れ出しそうな巨大な地竜が五体。彼らの視線もまたアランに向けられている。


うち二体は深傷を負い普通なら動けなさそうだが、痛覚でも無いのかピンピンしている。残りの三体も幾度か硬い皮膚の上から電撃を与えたが、すんとも感じていないらしい。


正に今回の攻防戦における重要な存在ーー敵攻撃の要だ。他にも幾らか駒はあるだろうが、この場においてはこれ以上の強い駒は無いだろう。


……ああいや、一つだけあるな。


大罪教「嫉妬司教」ケッツァの弟子なる存在。ベルダーを装った彼もしくは彼女がリドニカにいる場合だ。


ケッツァの固有魔術【模造変装パーフェクトフェイス】は甘く見られがちだが、使い方によってはかなり有効な魔術だ。なにせほぼ完璧に変装相手に化ける事が可能なのだから、国の重鎮、詰まる所国王にでも変装されて何万の兵士全てを操られでもすれば、さしずめアランでも敗北は必至だ。


それを他国同時にでもされてみよう。堪ったものではない。数年前もこの手でアステアルタ魔術大戦級の大きな戦争が起きかけたのだ。戦争の経験者が多かった五年以上も前ならともかく、いま同様な事が起きれば間違いなく帝都は物量差で押しつぶされるだろう。


……だが、相変わらず気掛かりだ。


アランは思考を深めて顎元に指を添える。


もしもベルダーに変装している人物がケッツァの弟子なる者だとして。どうしてベルダーの変装をするのだろうか。


確かにベルダーはアルカドラ魔術学院で男子生徒にも女子生徒にも人気のある、とても有名な剣術講師だ。それに加えて美形で歳も若い。


だが言ってしまえばそれだけだ。とりわけ高名な家柄の人物でもなければ、皇帝が傍に置きたがるほどの偉人という訳でもない。ベルダーに変装した所で特に大きなメリットがあるとはアランには考えられないのだ。


確かにケッツァも目的と私的は別々に変装をしていた。ケッツァ自身は三十路のヒョロッとした女性だったが、男性にも女性にも変装していた覚えがある。


だがベルダーの格好でエルシェナの父であるオデュロセウスと対面しているとなると、それは目的のためと考えられるだろう。


「……可能性は二つ」


一つ目、ベルダーの親しい存在に接触を試みるため。あくまで今回の内乱に関しては偶然であり、別件でベルダーの顔が必要だったから使っているという可能性。


二つ目、ベルダーの存在もといオルフェリア帝国騎士という存在を利用するため。今回の内乱を目的とした作戦を実行するための、必要な条件材料として利用されたという可能性。


前者に関しては情報が少ない今、可能性としてはいまいちだ。だが、後者はかなり信憑性の高い考え方だと言えるだろう。


未だ帝都で発見されないベルダーの所在。そして同時にリドニカに存在するベルダーに変装した謎の人物。今回の内乱の首謀者であるオデュロセウスとの対面。オデュロセウスの影に存在する大罪教。


そして何より怪しいのが、先週起きた帝都襲撃の時にベルダーとの会話に残る些細な違和感と、ヴィルガの椅子に仕掛けられていたとされる緻密な爆裂魔術の魔術方陣。


これら全てがとある人物によって起きていた事だと考えられるならば?   アランの推測は、憶測の域から未だ超えない。だがアランの勘が訴える。


絶対にそうだ、と。


「……アラン?」


「あ、ああ……いや。別に何でもないです」


ここでキクルに不満要素を与えるのは得策では無いと判断したアランは、何も伝えずに自身の胸の内に仕舞っておいた。


「そう。それじゃあ私は行くね」


「はい。よろしくお願いします」


こくりと頷いたキクルは次の瞬間には視界から消えていた。魔術では無い、これぞ彼女自身が磨いた存在消失の技術。視覚ですら消えたと錯覚してしまうほどの技術に、相変わらず凄いなと感嘆の言葉を心中で語る。


「さて……久し振りに凄いものを見た所で」


向き直る。そこには今か今かと待ち侘びる地竜達の姿があった。荒々しく息を吐き、あの獲物を喰らいたいという欲求が伝わるまでに鋭く禍々しい視線でアランを見つめている。


「お前ら遊び足りなのか?   全く仕様がない奴らだなあ……」


違うと思いますと、背後に立つフィニア帝国騎士達の心中は見事に一致する。だがアランがその言葉に気付くことはなく、身体中から白雷を迸らせながら前へと悠然な態度で歩く。


……今頃グウェン達は、アルドゥニエの下に辿り着いた頃だろうか。


帝国騎士であり殺戮番号であるグウェンならば、幾度か謁見の間には赴いた事もあるだろう。そこにエルシェナもいるのだから皇城の中で迷うという事は確実に無い。


アランの見立てではそこにアルドゥニエともう一人、オデュロセウスがいるであろう事はあらかじめ伝えてある。武力に秀でていないオデュロセウスが、齢六十を超えているとはいえ武人であるアルドゥニエに勝つ事は到底不可能。


だが他の者の手によってアルドゥニエを討ち取った所で、オデュロセウスは満足しないだろう。だとするならばおそらく、二人は互いに睨み合う状態が続いているに違いない。


しかし、策は何重にも講じてこそ策というもの。武人である事を捨て、商人である事を選んだオデュロセウスが薄っぺらい策略を一つしか考えていないとは到底考えられない。商人とは計画、すなわち策を考えてこそ生きる事を繋いで行ける職業なのだから。


だからこそ、先にエルシェナとグウェンを行かせたのだ。オデュロセウスが次策を発令する前にアルドゥニエが安全だと分かれば、アランも余計な心配をせずに思う存分戦える。


「準備いいか、図体だけは立派なトカゲどもよ?」


雷を編んで一振りの剣を作り出し、剣身を肩にあてがい平然とした顔付きで地竜達を見上げる。体高が五メートルもあるのだから、目の高さも普通にアランの身長の倍近くにある。


「「「「「Grrrrrrrrrr…………」」」」」


地竜達も元気一杯にアランを見下ろしている。背後に立つ騎士達には目もくれず、五体全てがアランに釘付け状態だ。


……地竜にモテても嬉しくないんだけどなぁ。と、そういえば。


アランは肩に触れる剣を見て、ふと思い出す。以前までアランは、剣を持つと幻聴がよく聞こえていた。殺せと何度も何度も訴えかけてきた。


だが最近では聞こえなくなってきた。時折剣を握って感じるのも残響のように感じる。


もしかしたらあの声は、アランが剣を持つ事に、戦う事に対して拒否反応を示しているが故に聞こえていたのでは無いだろうか。


しかしそうなると、アランの本心は敵を殺したいと考えていたという事になる。


「俺は殺人狂かよ……」


確かに帝国騎士になった頃は、何百と人を殺した。【顕現武装フェルサ・アルマ】によって何百という人々を殺して、何千何万という人々を救ってきた。


だがその裏で怨念、悔恨、嫉妬と幾つもの負の感情を向けられる事は多々あった。十五歳で異例の帝国騎士就任を成し遂げたアランは、家柄や自尊心の高い帝国騎士らにとってはやっかみ者でしかなかっただろう。


しかしアランは決して後悔などしていない。たった三年間とはいえ、自らの努力によって救えた人、上司の命令を無視して救った多くの人、目を瞑り捨てられるはずだった何百という無垢な命をアランは守る事が出来たのだ。


それがアランの功績となる事は無かったが、それでも救えた人々がアランを見るたびに感謝の言葉を発するだけで、アランは十分に報われていたのだ。


それが二年前のあの事故を切っ掛けに、アランは剣を握らなくなった。いや、握れなくなったのだ。


自分が守りたいものが増えるたびに、本当に守りたいもの、自分の命の次に大切な何かは容赦無く手と手の間からすり抜けて落ちてゆく。だがそれを掴み直そうと試みれば全てを再び落としてしまい、戦火は再び広がり始める。


結果、救えなかった。自分が一番大切にしていたものは、自分が原因で壊してしまった。それと同時に手のひらに乗せていたものの重さに耐え切れなくなり、自分の心は崩壊した。


嗚呼、どれだけ努力で強くなっても限界はあるだって。限界まで強くなっても、救えないものは救えないんだって。他の誰からでもなく自分自身で、その虚しい理屈に気が付いてしまった。


気が付いたはずだった。なのに今、こうしてアランは再び帝国騎士となり、自らの命を削って戦場に立っている。


二年前の後悔は癒えていないのに。


剣を握る答えも不確かなままなのに。


自分の答えも持っていないのに。


他人に答えを与えてもらったままなのに。


何もかもの答えを持たずアランは、アラン=フロラストはこの場に立っている。誰かのためと再び剣を握り、強敵の前に立っている。


「なるほど。俺は殺人狂かどうかは分かんねぇけど、狂人ではあるらしいな」


狂っている。そう、今のアランは矛盾によって全てが狂っている。


戦いたくはない。なのに戦場に立っている。


命が一番大事だ。なのに命を削って戦っている。


救えない者がいると知っている。なのに全てを救いたいと未だ願い続けている。


矛盾でちぐはぐで曖昧な青年は、自分の愚かさを知りながらも再び戦う道を選択した。どうしてかと尋ねられると、なんともはっきりしない回答しか頭に浮かんでこない。


戦いたく無いのならば、無視をすればいい。


命が大事なのならば、争わなければいい。


救えないのならば、誰かに期待すればいい。


この世の大半の人間と同様に、アランもそうすれば良いだけの話だ。どれだけ揶揄されようとも、生きてさえすれば良いのだから。


なのにアランの本能はそれに抗う。逃げてはいけないと、目を逸らしてはいけないとアランの何かが奮え立つ。


狂いに狂い、迷いに迷い、分不相応な力を持った青年は、英雄すら凌駕するその力を以て全てに立ち向かう。


それに。


「「「「「Graaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」」」」」


地竜達が待ち切れなさそうにこちらに向かって咆哮を放った。その衝撃波を受けて家々が軋みをあげ、大地にひびが入り、川や木々がざわめく。


「答えはいずれ、見つけないとなぁ……」


気にも留めないアランはふぅ、と息を漏らして魔力を十分に迸らせる。それだけで周囲の緊迫感がガラリと変わったのを肌で感じた。


「そんじゃ……行くぞ?」


自身を雷と化したアランが、白雷を大地に打ち付けながら剣を構える。それを見た地竜達も身を低く構え、不意からの攻撃にも対応出来るように全方位を固める。


刹那、バチィと音が瞬きアランが消えた。






東側の第二戦目が始まる。

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