英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第17話「老いの戦士」

不動の白狼。


今となっては「白老」と重ねて二つ名になったジェノラフ=ゴドレットの伝説は、いまから約四十数年ほど前に遡る。


学院生時代から魔術の才能が乏しかったジェノラフは、ただひたすら寝食を削って特訓と研鑽に励み続けた。だが初等部や中等部の頃はそれで良かったものの、高等部になるとそれは次第に弱点となり始めた。


ジェノラフが学院生時代の頃は、まだ魔術至上主義(魔術が戦場で最も有効であるという思想)であった事もあって、魔力はあれども魔術を行使する才能がないジェノラフは、生徒達からは蔑むような目で、そして講師達からは哀れむような目で見つめられ疎まれながら三年間を過ごした。


ただそれでも、ジェノラフはひたすらに努力を続けた。努力に見合った結果が生まれずとも、ひたすらに、懸命に励んだ。


しかし、ここでジェノラフの人生を左右する事態が発生した。学院生のほとんどが高等部の卒業と共に受ける、帝国騎士への入隊及び配属試験だ。筆記と実戦演習を兼ね備えた二段階のこの試験は、全員合格する時期もあれば一人も合格しないという常識外れな場合もある。


だがジェノラフは十八歳とは到底思えないほどの知識で筆記をほぼ全問正解し、実戦演習も他を追随させぬ実力で合格判定をもぎ取ったのだ。


もはやジェノラフが帝国騎士となるのは確実なものだった。


だがしかし、とある試験官がこう言ったのだ。所詮剣術だけの対魔獣戦にしか使えない雑魚だよ、と。


実はその年、試験官の息子も同様に帝国騎士試験を受験していたのだが、ジェノラフ他数名の実力が際立ち過ぎて息子は容易く落ちてしまったのだ。おそらくその発言は、これへの当てつけのようなものだったのだろう。


だがそれを耳にした試験管達は確かに、と頷いて審議を行った結果、ジェノラフの合格は取り消しとなったのだ。


不合格の理由は説明されなかったが、ジェノラフを知る誰もが魔術に関する何かを基準として不合格になったのだろうと、勝手に決め付けた。


十分な実力を有しながらも帝国騎士になれなかったジェノラフ。しかし全くへこたれていなかったジェノラフは、ならばと次の手に出る事にした。


それは傭兵だ。この時代、高い実力を有する傭兵はとても重宝され、時にはたった一日で十万エルドを稼ぐ人もいるほどなのだ。


こうして傭兵となったジェノラフは、わずか十九歳にして数々の戦場を駆け巡った。その中には敵兵だけでなく魔獣も数多くおり、だがジェノラフはその悉くを両に持つ剣で滅多斬りにしていった。


これが伝説「不動の白狼」の始まりだ。


名前を付けた者は不明だが、由来が「戦場で敵を倒すジェノラフのたなびく後ろ髪がまるで狼の尻尾みたいだったから」という伝えから、味方であることは確実だった。


何にせよ、ジェノラフはそのまま帝国騎士にはならずに傭兵を続け、年に二十万エルドという普通ではありえない額を稼ぎあげたのだ。


それから二十年が過ぎようとしていた頃。ジェノラフはとある戦場の帰りに、一人の青年に出会った。


短く切られた白銀の短髪に、血がべっとりと付いているのかと錯覚しそうなまでに赤い瞳。


その青年が纏う覇気は、まるで常に戦場に立っているかの如く鋭く冷ややかで、そして味方に向ける笑顔はとても和らぎがあった。


これこそ「生きる伝説」と異名が付く前のリカルド=グローバルトである。その横にヴィルガやリリアナもいるのだが、今は放っておくとして。


凄まじい若者もいたものだな、と感心したジェノラフは、次第にリカルドと話をするようになり、遂には傭兵と帝国騎士という関係を超えた友情で結ばれた仲間となったのだ。


そして、そこから更に十年と少し。アステアルタ魔術大戦の終結と同時に勃発した革命によって帝国騎士を三つに分断し、殺戮番号という制度を持ち込む事によってジェノラフは遂に帝国騎士となったのだ。





斬の一撃は丁寧に、かつ素早く。


叩くのではなく、撫でるように。


腕でなく、身体全体で威力を付ける。


初等部から誰もが学ぶ剣術は、基礎としてこの三つを最初に学ぶようにされている。この次に魔力を帯びた状態で剣術を学び、最終的には魔術を混合させて剣術を学ぶ。


だが大抵の学院生は口を揃えてこう言う。「所詮剣術は非常時の守り手段。魔術さえ鍛えていれば、戦場など易いものだ」と。


こうして剣術を見損ないがちな今日だが、きっと彼らもジェノラフの剣術を見てしまえば、くるりと考えも変わるだろう。


東大門側の戦場にて、ジェノラフを越える魔術騎士はおそらく存在しないだろうから。


「ふッ!」


刃先にのみ魔力を集中させた剣の一撃は、容易に敵兵の盾を両断し、その向こうの鎧すらバターのように切り裂く。


リカルドとは違い前方からしか敵は来ないので、ひたすら前を向いて戦うジェノラフは、年相応とは思えないほどの気迫を纏いながら両手に剣を握りしめた。


ジェノラフの剣術は二刀型だ。装飾など全くされていない、レイピアに近い細さの質素なロングソードを使い、一振必殺の通りに一撃で敵を絶命させる。


絶妙なタイミングで振るわれる二つの剣は、相手の剣撃を捌き、弾き、そして空いた懐めがけて剣を振り下ろす。振るわれる剣の速さはもはや肉眼では捉えきれず、切っ先から漏れた魔力が宙空に剣筋を描き残していた。


「ぐごぉッ!?」
「がばッ!?」
「ぐ……っ」
「げぶふぅッ!?」


次々と倒れ行く仲間を見て戦々恐々とする兵士達は、進軍の足を緩やかに停止を始めた。そこを帝国騎士達は見逃さない。


「魔術隊、矢を放てッッ!!」


『《ーー悪人たる其の数はシーゼスト》ッ!!』


東門の壁上に並んだ数十の帝国騎士達が同時に【五属の矢】を放った。こおりでんきかぜいわを伴った色とりどり数万の矢がさながら時雨のように降り注ぎ、戦場を爆発と呻き声で埋め尽くす。


無論、前線には数十人の第一騎士団がいるが、これが躱せないようであれば、むしろ第一騎士団の名が廃るというものだ。彼らも全力で回避をしながら安全域まで退却する。


たった一人を除いて。


「な……っ!?」


敵陣の安全域に立っていたこの軍隊の指揮官は、その異様な光景に絶句した。


なんとジェノラフは、この矢の雨の中を恐れることもなく平然と前へと駆け続けているのだ。その顔に焦燥や捨て身覚悟といったものは無く、まるでこの矢の雨が小雨だとでも言いたそうに見えた。


これが実力の差か。指揮官は歯嚙みをしながら心底そう思った。


「ぐ……魔力砲を準備しろ!!」


本来ならば最終局面にまで保存しておきたかったが、このままでは使う所無く負けてしまう。瞬時に判断した指揮官は、後方に控えてあった長さ三メートルほどの砲身をジェノラフに向ける。


魔力充填は既に済ませており、いつでも発射可能状態だ。砲身の端から桜色に似た淡い光がサラサラと漏れ出ており、その威力が絶大だということを指揮官は悟る。


砲撃一発によって成体の合成獣キメラをまとめて十体は屠ることが出来る悪魔の武具。


「撃てぇ!!」


それがいま、放たれた。


ドヒュゥン!!   という音と共に放出された魔力の塊は、一直線にジェノラフを狙い襲い掛かる。その凄まじい速度ゆえに回避は不可。たとえ回避できたとしても背後に東門を守護しているがゆえに防ぐしか手段はない。


「ほほぅ、これは……」


魔術師十数人分に匹敵する魔力の圧倒的な質量砲。これを防ぐにはいまの剣では絶対に不可能だ。魔力強化を施しても、直撃と同時に折れてしまうだろう。


そう悟ったジェノラフは、


「な……っ」


カチンと剣を鞘へ納めた。ありえない行動に指揮官は驚愕を示す。


魔力砲は純粋な魔力による砲撃だ。【プロテクションシール】などといった防御系魔術を使ったとしても、魔術による攻撃の数倍上をゆくので容易く破壊されてしまう。


まさかアイツは受け止めるつもりか!?   などと冗談にしては笑えない事を考えた指揮官だが、ジェノラフは突如、フッと笑みを浮かべた。


両手を前に突き出して、両手の手袋に・・・・・・魔力を注いだ。刹那、手のひらに描かれた魔術方陣は青白く光り始め……その手に掴まれたのは。


「さて、やりますかな」


二振りの不思議な直剣だった。





左手に握られるのは、剣身が淡く赤に染まる炎の如き直剣。まるでつい先ほどまで熱されていたかのように、光り輝いている。


そして右手に握られるのは、剣身から稲妻が迸る雷の直剣。まるで雷そのものが剣の形を成したかのように、手袋越しにもその満ちたエネルギーを感じる。


その両剣を右半身に構えて腰を下ろし、すぅと息を吸うと、


「ぜぇぁッ!!」


ズパァン!   という爽快な音と共に空気が裂かれた。ジェノラフが二振りの直剣を重ねて空間を一気に切ったのだ。そしてまるでそこが境界だとでも言わんばかりに、魔力の砲弾は二つに分断された。


分断されて威力が弱まったからか、はたまたジェノラフの一撃で軌道が逸れたのか。魔力の塊は大門の前で地面に衝突し、鼓膜を劈くような爆音と共に膨大な熱力を伴った土埃が舞い上がった。


……なんて常識外れな!?


驚愕のあまりに、指揮官は大きく目を見開く。


本来、あの魔力量が一瞬にしてやって来ると理解していて、なおそれに立ち向かおうなどと普通は考えない。自殺行為とも考えられるほど無謀だからだ。


だがジェノラフはやってのけた。常識を無視して防いで見せた。それほどにまで、彼の剣術は英雄の域に至っているということだ。


そして。


「あの剣……あの剣は何なのだ!?」


ジェノラフの魔力に呼応するかのように、左の緋電と右の紫電が虚空で弾ける。まるで剣に加工されて、なお生きているかのように。


しかし、当のジェノラフは。


「……さすが、としか言い様が無いですな」


剣の性能にすこぶる満足そうな笑みを浮かべていた。


実はこの二振りの直剣は、アランが作成したジェノラフ専用の魔道具である。


十年ほど前にリカルド達で退けた五大竜の一角、雷電の黄竜ボルティーナとの十日間に渡る長き戦闘の末に手にした竜鱗を利用して作った物だ。


たかだか竜一体に十日間?   と考える者も多いだろうが、その考えはとても命取りになる。


ボルティーナは常時雷を身に纏い、雷速で移動をする事が特徴の竜だ。物理攻撃なんざしようものならば、感電で死ぬ。かといって魔術では速すぎて捉えきれない。


ただしアランの《雷神の戦鎧トーラ・シャクラ》とは異なり、雷を纏っていても常時肉体は存在しているので、移動中に攻撃を喰らえば無論怪我をする。だがそもそもが知覚できない速さなので、一撃とはいえ怪我を負わせたジェノラフの怪物ぶりがアランには目に見えた。


兎にも角にも、ボルティーナから剥がれ落ちた鱗にも同様に雷が纏わり付いており、触れるだけで普通の魔術騎士ならば感電死する程度には帯電している。


それを五年前までは保管庫に厳重に保存してあったのだが、アランが【顕現武装フェルサ・アルマ】によってボルティーナの鱗が触れる&魔道具作成の熟達者という事もあって、数年かけて作成し、完成してあったそれを今日ようやく【マテリアルゲート】を利用して渡す事ができたのだ。


ちなみに剣の色が異なるのは、ボルティーナの鱗が背に向かうほど赤くなっているからだ。背中に近いほど硬度は高く、帯電量は少ないが切れ味が凄まじい。


そして腹部に近いほど鱗は黄色く、赤色よりも硬度や切れ味には劣るが帯電量が多く、常時空気にその電気を霧散させている。


そんな物をアランがどうやって加工したかは企業秘密だそうなので不明だが、期待以上の性能に敵味方関係なく驚愕していることには間違いない。


だって……ほら。


「ど、どどどどういう事だ!?   魔力砲が効かないぞ!?」
「俺、実験の時に見たんだけど、さっきの半分くらいの威力で地竜は殺せてたよ?」
「は……てことはまさか、アイツは生身で地竜よりも強いって事か!?」
『バケモンじゃねぇか!!』


と敵さん達は白髪の爺さんを化け物扱いしているし、


「やっぱすげーなー、あの爺さん」
「第一騎士団の殺戮番号シリアルナンバーって言うんだろう?   あの『生きた伝説』も入っているって言うさ」
「つまりは同格と考えるべきか……」
「リカルドさんと?   いや、あの人の方が上でしょう?」
「いやしかし、純粋に剣術だけではジェノラフ殿の方が上なような気が……」
「はぁ?   リカルドさん舐めんなよ。あの人、メッチャすげぇんだからな?   単独で三万の敵軍に嘲笑しながら突っ込んだんだからな?」
「はっはっは。それしきの事、ジェノラフ殿もやっている。しかしジェノラフ殿は、リカルド殿すら手に負えなかった五大竜に傷を付けた御仁だぞ?」
「あ゛あ゛?   ちょいお前。え、何、喧嘩でも売っちゃってますかねぇ?」
「ふむ、いい度胸だ。その言葉通り格安値段で売ってやろうではないか」
「「よし、白黒付けよう(ではないか)」」
『その前に仕事をしろッッ!?』


四十路になっても性欲フルバーストな娘溺愛変態オヤジと、孫娘のためならば火の中水の中という狂的な愛情を抱く白髪爺さんに信仰心を抱く二人の帝国騎士が、戦場の傍で雌雄を決する闘いころしあいを始めようとしていたので、慌てて周りの仲間に拘束されて取り押さえられている。


そしてジェノラフは、


「これで撤退してくれませんかねぇ……」


などと半ば願望的に一人呟いていた。そうです。背後の会話なんて聞く耳持ちません。これぞ経験の賜物です。


なんにせよ、ジェノラフは少々疲弊していた。


元傭兵で殺す事に慣れていたとしても、やはり人を切り殺すというのは心が痛い。せめてもの思いとして苦しませずに一撃で命を刈り取ってはいるが、六十路に至った老ぼれにこれ以上は心苦しい。


だが、敵兵達の目から察してまだ撤退をする気は無いらしい。この程度防衛戦が始まってから四時間が過ぎている。こちらの負傷者が目で見て数えられるものだとして、相手は死者を含めるとその数十倍もいるのだ。この門だけでもそれだけの戦力差がある事は、敵の指揮官もとうに理解しているだろう。


それでも退く事がないとすれば、考えられる可能性は幾つかある。上位者に人質をとられている、撤退した場合に待っているのは死、だから退けないといった所だろうか。


そして最も考えられるのが。


「これは、アル坊ちゃんの言っていた通りかもしれませんな……」


ヴィルガに教えられる前に、ジェノラフはアランから手短に内容だけは尋ねていた。


アランの推測。それは「第一騎士団の足止め」だ。フィニア帝国との国境間にある橋の検問所が壊された事にしろ、その検問所あたりに大罪教のと思しき服の切れ端が残っていた事にしろ、わざわざ自分達の居場所が知られてしまうのに検問所の帝国騎士を一人だけ生き残らせた事にしろ。


それは余りにも不自然ではないか?   と考えたアランは、次に「まるで敵が第一騎士団をオルフェリア内に留まらせようと考えているみたいだ」と推測。


オルフェリア帝国におけるおよそ八割の戦力を担う第一騎士団。その中でも殺戮番号が一人いるかいないかで、戦況は大きく変わる。


フィニア帝国で内乱が起こっていると確定したいま、親交国であるオルフェリア帝国から支援がやって来るのは敵側としては非常にまずい。


ならばこそ、内乱側と手を組んでいるアルダー帝国は力を尽くして妨害を行うはずだ。そしてその仮定は見事にいま、実現している。


……いやはや、ケルティア殿の教育は恐ろしい。


アランの観察力や洞察力は、ケルティアの教育の賜物と言えるだろう。高齢のケルティアが知識欲の高いアランに与えたこの推理術は、第一騎士団の頭脳だ。帝国騎士として帝都にいた頃に提起した推測はほぼ的中。その頭脳は二年経った今でも衰えてはいない。


だが、だからこそ、今この場にいない事を悟られるのは避けたい。敵が魔剣際レーヴァティンの準備期間であるこの二週間を利用してフィニア帝国で内乱を起こさせたのは、決して偶然ではない。


この事件の黒幕は、オルフェリア帝国についてかなり熟知している者と考えても良い。それはつまり、帝国市民以上の存在ーー帝国騎士や商会の関係者が協力者であるという事だ。


アランが少人数で出て行ったのも、おそらくその協力者に気付かれないためだろう。今頃はフィニア帝国内に入り込んでいるはず。


……ならば向こうは、二人に任せるとしましょうか。


意を決して剣を構える。剣から滴るような濃密な殺気と魔力に、敵兵達は固唾を飲みながら一歩退く。


と、その時だ。


「ほ〜れ。ちょっとそこをどいてくれよぉ?」


なんとも気楽そうな声音が、敵兵達の背後から聞こえた。その声は次第に集団を掻き分けて、突如ズボッとジェノラフの前に現れる。


歳は二十後半から三十前半といったところか。ボサボサの茶髪に八の字に曲がった眉。コルク色の気怠げな双眸は、全く覇気が感じられない。せいぜい腰に携えた二振りの剣と少し厚めの革鎧から兵士である事が分かる程度だ。


だが、分かる。ジェノラフにはこの男が尋常ない人物だと理解できる。


「お前は……『骸の牙』ですな?」


「ん?   おぉ、へへへ。そうだよー、俺は『骸の牙』の傭兵団団長さ」


やはりか。ジェノラフはそう思いながらぎゅっと柄を握りしめる。眼前でヘラヘラと笑っている男に僅かながらの殺気を立たせる。


「おいおい、そんなにビンビンに殺気を立てんなよ〜。酒が不味くなるじゃねぇか、ジェノラフ=ゴドレットさん。いや、むしろこう言うべきかな…………」


名を当てられて驚く事はない。なにせジェノラフ自身が、その事について一番よく理解しているのだから。


そんなジェノラフの顔を見ながら男はニヒヒと笑い、指差しながら言った。






「傭兵団『骸の牙』の元団長・・・、となぁ」









男の発言を皮切りに、周囲がざわめきだした。前方は無論、敵兵達から。そして後方はジェノラフの後からやって来た第一騎士団の団員達からだ。


「んん〜……どうやらアンタ、自分の過去を隠してその場に立っていた訳かい?   こりゃあ面白い。傷一つなかった氷にヒビが入ったような感覚だ!」


男は愉快そうに嗤う。その傷を、ヒビを作ったきっかけが自分自身でありながら、男はそんな事お構い無しにぐびぐびっと酒瓶を口に咥えて仰ぐ。


「『骸の牙』の……元、団長……」
「う、嘘、ですよね?   ジェノラフさんがこんな畜生どもの仲間だなんて……」
「きっと聞き間違いだよなっ。ジェノライとかジュノラフとか、別のやつに決まって……」


帝国騎士達は激しく動揺する。知らない事は不安に繋がる。だが知り過ぎるのも毒だ。それも重々に理解している。


第一騎士団には秘密主義な連中がゴロゴロといる。他の騎士団と比べて色々と問題児が多いからだ。だからその分、知らなかった事実を知った事に、余計に団員達の動揺は激しさを増す。


その瞬間を、男は逃さない。


ニタリと口角が吊り上がったと、団員達が目の当たりにした次の瞬間。


ーー男の姿が、消える。


『ッ!?』


団員達が剣を構えるが、その時には既に遅かった。ズパパパッ!   という音が虚空に響き、肩口や脇腹から赤い滴が宙を舞った。虚を突くように移動した男に、ジェノラフの背後に立つ団員達が切られたのだ。


……疾い。


姿がぼやける程度には、だが。ジェノラフの動体視力を凌駕はしていないものの、ほぼ脱力状態からの縮地のような移動。敵を騙す事に特化した戦闘スタイルに、ジェノラフは覚えがあった。


「パーンズ……貴方でしたか」


「おおっ。ようやく思い出したかい?   そうだよ、アンタの一番弟子のパーンズさ」


ジェノラフが威圧気な視線を向ける男ーーパーンズは、相も変わらずニタニタとした顔付きを変える事なく、足元で痛みに蹲る団員達を足蹴にする。


「アンタが傭兵止めてから五年。俺はアンタの代わりに『骸の牙』を纏め上げて、ついに団長になってみせた。どう、凄いだろう?」


「どうでもよい」


「つれないなぁ。こうしてアンタの前に顔を見せたのだって、そういう報告をするためだってのに……あ、それともコイツらが切られて怒ってるの?」


「相変わらず、口数が多い奴ですね……」


はぁ、とジェノラフは息を漏らす。だが視線は落とさず、突き刺すのかというくらい鋭い眼光をパーンズに向ける。


パーンズもまた、その視線に応えるかのように蹲る団員を踏み付けた。


「ッ!!」


「おっとッ!!」


刹那、ジェノラフの姿がパーンズの視界から消えると同時に、背後から重い剣撃が振り下ろされた。パーンズは団員を踏み付けている右足を軸にしながら半回転し、腰の鞘から剣を抜いて軌道上に置く。


安い挑発行為だ。力任せではなく剣に魔力を込めて溢れた電撃でパーンズの剣を弾き、パーンズが後退した瞬間に叫んだ。


「負傷した味方を連れて退がれ!   私はここでコイツの相手をする!」


『りょ、了解!!』


咄嗟に出された指示に、瞬時に従う団員達。


「あ、あの……ジェノラフ殿……」


「心配しなくても大丈夫。私は既に傭兵ではなく帝国騎士だ。退がるお前達の背中はしっかりと守ってみせるとも」


そう言ってにっこりと微笑んだジェノラフが団員の返事を聞かなかったのは、良くも悪くも自分の精神状態に左右すると判断したからだろう。


ギュッと大地を踏みしめると、足の筋肉を活かして瞬時に前へ。緋電が迸る左の直剣を、高く振り上げて一気に下ろす。


「ぎぃッ!!」


受ければヤバい。そう悟ったパーンズは、無理やり身体を捻って回避行動をとった。左頬を薄く裂きながら、剣は足元に落ちてゆく。


だがジェノラフの攻撃は終わらない。


「でぇぁッ!!」


逆手に持った右の直剣でパーンズの右脇腹を狙う。咄嗟に剣に魔力を宿して辛くも防いだパーンズは、二メートルほど砂埃を巻き上げながら退いた。


「ひゅう。やっぱりアンタの双剣術は疾い。それに加えて化け物級の武具ときた。こりゃあ勝ち目がないかもねぇ……」


「ならば退がれ、もしくはね。お前と遊んでいる暇はないんですよ、パーンズ」


「ええ、良いじゃないですか団長〜。もっと俺と遊んでください……よッ!!」


今度は自分の番だとでも言うように、パーンズが駆けて姿が消える。やはり疾い。だがジェノラフはキュッと半回転すると、唐突に双剣を振り下ろした。


刹那、ギャリン!   と火花が散る。


「忘れたわけではあるまい。お前に剣術を教えたのは、他でもない私なのですよ?」


「ああ、ド基礎だけをなッ!!」


パーンズの戦術は主に死角からの一撃必殺。相手の警戒心の糸が最も緩み、緊張が解れてまばたきをした瞬間を狙っての高速移動。首や脇などを切りつけるのだ。


ジェノラフと同じように魔術に長けていなかったパーンズは、騙し討ちや闇討ちといった悪質な戦術を得意としていた。だがそれを非難する者はいない。なにせ傭兵に「正々堂々」という概念は無いのだから。


そしてそれを教えたのは誰でもない、ジェノラフだ。


「それよりもアンタの方こそ大丈夫かい?   年が年なだけに、剣の腕が落ちてるんじゃないのかい?」


「……そうかもしれないな」


いや、事実だ。今のジェノラフの剣術は、全盛期の三十路頃に比べて格段と落ちている。体力も魔力も回復は遅いし、咄嗟な判断力も少し鈍い。今もパーンズの攻撃を読むのだけに、かなりの集中力を行使していた。


だが、とジェノラフは言う。


「今の私を数回の攻撃で倒せないお前に、私を切り殺す事は出来んよ。それに……」


「それに?」


ジェノラフは目をカッ!   と見開いて叫んだ。


「来週には私の可愛いシェリーたん(孫)の誕生日なのでな!!   こんな所で死ぬわけにはいかんのだよ!!」


「……ここで孫バカっぷりを見せつけてくるとはな……良いぜ。だったらその残り短い人生に、俺が引導を渡してやるよ!!」


刹那、互いの魔力が跳ね上がる。溢れた魔力が空気を叩き、地面を叩き、衝撃波を撒き散らす。まるでそこに壁でも生まれたのか如く、周囲に佇む敵兵達との間に不可視の境界が発生した。そして魔力の波動はさらに激しさを増す。


「行くぞ、愚弟子」


「来いよ、バカ師匠」


互いに顔を睨み合い、次の瞬間に粉塵巻き荒れる激しい剣戟が始まった。

「英雄殺しの魔術騎士」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く