英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第27話「選ぶ」

皇帝城。


正式名はエイシェルリア・クロフトラータ・オルフェリウス・シャルダキア城と言うのだが、とにかく言い辛いのでヴィルガが「もう皇帝城で良いじゃん」と言った結果、今ではそうなっている。


初代オルフェリア皇帝から老朽化や戦争によって壊れては改築を繰り返し、今では帝都一魔術的攻撃に対して強い防御力を誇る要塞となっていた。


そしてそんな要塞の中にある皇帝専用の書斎の扉を前に、セレナとアランは立っていた。


アランは幾度と見た扉の荘厳さに相変わらず感嘆し、セレナは皇帝城で義父に会うという自身的に大きい事柄に息を飲む。


昨日会ったものの、あの時は戦闘中で気分が高揚していたこともあって何気なく話せていたが、こう心が平静になると緊張で喉が閉まる。


「ねぇ、私って今日な話に必要なの?   もしそうでも無いって言うならーーーー」


「ヴィルガさん、入りますよー?」


「ちょ、私の話を聞け……って、ああもう!   良いわよ、ついて行きますよ!」


半ばヤケクソになったセレナは、平然と書斎の扉を押し開けるアランの背を追って、ヴィルガのいるであろう書斎へと入った。


その部屋はとても普通だった。左右の壁に天井から床までビッシリと並べられた調書や資料の束、中央に置かれた四つのソファと長方形の茶のテーブル。皇帝という自分の価値を見せつけるためではなく、あくまでも日常で使い易いように設計されていた。


そしてその奥で、未だ働き続けるヴィルガの姿があった。


とても静かに書類に目を通すヴィルガは、まるで戦場に一人で立っているかのような雰囲気を醸し出していた。


「ちょっと……待ってくれ。あと、この資料に目を通したら……話に入るから」


「じゃあ勝手にお茶でも淹れておきますよ」


「頼む」


部屋の中で繋がった隣のキッチンに移動したアランは、慣れた動きで素早くお湯を沸かし始める。その間に棚にある並べられた茶葉入りの瓶の中から自身の好みを選んで、アランは支度を進めた。


「……アンタ、慣れてるわね」


「ガキの頃から何度も来ているからな。そりゃあ、覚えたくなくても身体が覚えてる」


そう言う合間にティーポットに適量の茶葉を入れると、ベストタイミングで沸いたお湯を中に注ぎ込む。金茶に染まった液体が優雅な香りと共に姿を現した。


アランとセレナ、そしてヴィルガの分のカップを用意してお盆にそれらを乗せたアランは、再び書斎へと戻る。


「おお、カルサのダージリンか。よく分かったな」


すると、丁度仕事を終えたヴィルガがアランの持ってきた紅茶の名を当てた。お茶好きのヴィルガにしてみれば、匂いだけでも十分な情報なのだろう。


「俺もこの五年間、辺境の丘で色んな種類の茶葉を見てきましたからね。大抵の物なら見分けがつきますよ」


そう言ったアランは、テーブルにお盆を置きティーポットを手にとってカップにお茶を注ぐ。爽やかでいて品のある香りが書斎に満ちていった。


「ほい、どうぞ」


「済まない、助かる」


実はアラン、セレナの屋敷でもたまに紅茶を淹れるのだが、それがユーフォリア以上に熟練されている。まるで職人そのものが淹れたかのように。


美味しいなこの紅茶はと感嘆したヴィルガは、気を落ち着けると一呼吸置いてから話を始めた。


「……さて、まずセレナ。魔剣祭本戦出場おめでとう。義父ちち親として誇りに思うよ」


「あ、ありがとうございます!!」


ヴィルガから褒め言葉が出てくるとは思ってもいなかった所為か、裏返った声でセレナは言葉を返してしまった。


それを聞いたヴィルガはフッと微笑み、次にアランに向き直った。


「次にアラン。お前が地竜を会場内で足止めしてくれたおかげで、被害は最小限に済んだ。本当にありがとう」


「まあ、仕事ですからね」


「普通、仕事だとしても竜を目の前にして理性を保ってられるのは、第一騎士団のアホ共だけだからなあ……」


「そのアホ共にヴィルガさんも入っていた事をお忘れなく」


「はっはっは、返す言葉が無いな」


一呼吸。


「さて、今回の報酬だが地竜討伐および国家反逆者の確保成功として二百万エルドが国もとい俺から送られるわけなんだが……」


「に、二百万エルド!?」


それはつまり、金貨二千枚がアランの手に入るという事だ。帝都内に住む民間人が金貨五百枚もあれば普通に暮らせる事を考えると、その高額さにセレナは再び声を上げる。


「少ないだろうが、まあそこは勘弁してほしい」


「いやいや、地竜一匹と悪党一人ごときに二百万エルドだったら、普通は高いでしょ」


「そうだろうか?   俺的にはあと百万ほどやっても良いんじゃないか、とは思っていたんだが……」


そこでピタリと言葉が止み、沈黙が書斎を走る。だが次の瞬間、ヴィルガが思いもしない発言をした。






「まあその全額が、お前の借金で消えるけど」






「……は?」


ヴィルガはいま何と言ったのだろうか。いや、分かっている。借金と言ったのだ。


……俺の、借金?


はて、アランはこの五年間辺境の丘で定食屋もどきを経営していたが、一時期経営難にはなったものの借金など一度もした覚えがない。


「あの、ヴィルガさん?   その……借金って一体どういう……?」


「これを見てみな」


するとヴィルガは自分の後ろにある、高く山積みにされた書類から一つを掴み取りアランに渡す。そこには倒壊した建築物、周辺への被害、再建築に必要な費用や物資などが書き綴られていた。


「報告書……帝都内の被害報告書ですか?」


確かに、帝都内は今回の襲撃で全体の三割が破壊されたと聞いている。魔術兵団ではなく合成獣キメラを主軸とした壊滅作戦は、相手側からしてみれば部分的に成功したとも言えるだろう。


だが問題はそこではない。この報告書がヴィルガの言うアランの借金と、どういう関係性を持っているかが重要な話だ。


するとヴィルガは、疲れたような目をアランに向けながら言った。


「ああ、お前が壊した・・・・・・建築物等に関する報告書だ」


「……ほえ?」


何言っているんだこの人はみたいな声を発しながら、アランはヴィルガの言った意味を脳内で反芻する。


……俺が壊した?   いや、何を?


確かにアランは住民区で半血種の鬼族と戦闘を行い、道中も絶えず小型の合成獣に襲われはしたものの、建築物を破壊するような真似をした覚えがない。


「ははは、冗談ですよね?」


「冗談なわけがあるか。お前が昨日、会場内で容赦なく【大地を穿つ神の雷槌ミョルニル】なんぞ使うから、周囲にまで被害が広がってんだよ」


今度は束一つではなく、山ごとアランの前に持ってきた。


「アルカドラ魔術学院の戦闘訓練場の完全破壊、複数施設の半壊。飛来した岩石によって民間の住居計七十二軒を破壊。その他諸々を合わせて二百件近い被害届がやって来ている」


「し、死者は……」


「安心しろ。運が良かったのか、軽傷者数名だけだ」


「はぁ〜、それならまだ良かった……」


一人でも自分の所為で死んでいたとなれば、目覚めが悪いというものだ。


「……で、俺の借金って、いったい幾らなんです?」


「一億二千万エルド」


「……は?」


アホっぽい声が、書斎に響く。


「だから一億二千万エルドだって。金貨総数にして十二万枚だな。良かったな、アラン。お前は一夜にして帝国内で最もお金に困っている人物になれたぞ」


「要らないです、そんな称号」


「まあまあ、遠慮せずに貰っておけ。この借用書と一緒にな」


「借用書?   なんでそんな物をヴィルガさんが……」


取り敢えず受け取った借用書は、正確には契約書みたいな内容がツラツラと書かれていた。それを端的に纏めるとしたら、


「『第一騎士団に戻って来い』って事ですか?」


「そういうこと」


アランは帝国にとって重要な戦力だ。それこそ新人の帝国騎士を百人増やすくらいなら、彼らに与える給料を全額まとめてアランに与えたって惜しくない。


その価値がアランにはある。それを評価してゆえの提案だ。


「それまでは一億二千万エルドはヴィルガさんが立て替えてくれるって事ですか?」


「こんな大金、六貴会の奴らでもそう簡単に払えるような額じゃないからな」


「額を指定した奴が言う台詞ですか!?」


声を荒げて突っ込むアラン。どうやら最初からアランを騎士団に引き戻すつもりだったようだ。


だが、アランにも意思はある。


「無理ですよ……俺にはもう、戦うための理由が無い。恩義も、願望も、復讐心も何もかもを、二年前のあれ・・を転機として捨てたんだ」


とても暗い表情をしてアランがそう言葉を返す。心の奥底で固まった、負の感情を纏めたどす黒い何かを引っ張り出そうとしているようで、終いには歯を食い縛る。


だが。


「んなこと知らん。俺がお前を欲している、それで理由は十分だ」


とても淡白にヴィルガは言ってのける。


「ほんっと、反れないですね……」


「そうでもなきゃ、こんな役職は務まらんよ」


再び沈黙。


「まあ、それほどく話でもない。しばらく時間をやるから、その間に考えろ。実のところ、リカルドの野郎なら一億二千万エルドなんざ余裕で払うだろうしな」


「そう……ですね。クソ親父ならその程度なら貯金しているでしょうし。……けど、アイツには頼りませんよ?   これはあくまでも俺の問題だ。銅貨一枚だって払ってもらうつもりは無いですから」


じゃあこれ貰っていきますねとアランは借用書という名の契約書だけを手に取り、腰を上げて書斎の扉に手をかける。


話の重大さに理解が追いついていなかったセレナはその数秒後に腰を上げ、アランの後を追った。


「……あ、そういえばアラン」


「なんです?」


何か言い忘れだろうか。


「そういえば、そのリカルド知らないか?」


「さあ。また帰り道に美女または美少女でも見つけてた事がミリアさんに知られて、こっ酷く扱かれているんじゃないですか?」


「そうか。ならアイツはまた今度にしよう」


止めて済まないなというヴィルガの謝罪を聞いたアランは、微笑みを返して書斎を後にするのであった。






ちなみにリカルドは、未だ地下迷宮から抜け出せずにいた。






◆◆◆


その日の晩、アランは自室で今日の事について独り考えていた。


「一億二千万エルド、か……」


もし魔剣祭が終わった後に、再び定食屋もどきを続けるとして。月に稼げるのは最高でも金貨数枚が限度だろうし、そこから来月の食材や自分の食費などで差っ引かられると、手元には金貨一枚ほどしか残らない。稼ぎが悪い日が続けば、銅貨数枚が良いところだ。


それに対して帝国騎士はとても高給だ。遂行した任務の重要度によって給付される給料が多様に変わる。何もしなければ金貨一枚程度だが、今日のように危険な竜種を討伐すれば金貨数十枚が簡単に手に入る。


無論、危険は付きものだがそれに見合った報酬に、今は喉から手が出るほど憧れる。


「というか、普通に暮らして払おうなんざ考えたら最低でも八十年はかかるんだぞ?   無理に決まってら……」


はぁと大きくため息を漏らす、その時だった。


「アラン?   入るわよ」


「……そういう事を言うなら、ちゃんと返事を待ってから開けろよ」


「良いじゃない。この家は私の物なんだし」


「ふつう所有権を盾にするか?」


それほど夜遅くでは無いといえ、こんな時間にセレナがやって来るのはとても珍しかった。しっとりと濡れた金糸のような髪がカンテラの光を受けて艶やかに輝いている。おそらく風呂上がりなのだろう。


「……で、こんな時間に何の用だよ?」


彼女は今年で十六歳になる。淑女がどうこう言うつもりは無いが、男一人部屋に侍女の一人も連れずにやって来ては、ユーフォリアあたりが「また誘拐ですか!?」とでも叫びながら心配するだろう。


「うん、今日の事について聞いておきたくてね」


するとセレナは躊躇う素振りを見せず、ストンとベッドに腰を下ろした。


「一億二千万エルド。そんな馬鹿げた損害賠償を求めるなんて、お義父とう様も中々えげつい事をしたものね」


「……まあ、あれでもかなり目を瞑ってくれたもんだよ」


あれからよく考えてみれば、学院の訓練場は歴史的にもかなり価値のあった建築物だし、帝都内の住居も一級建築士達が頭を凝らして建てたものばかり。それら纏めて二百件近い報告書があるのにそれでも一億二千万エルドだと考えれば、ヴィルガはアランに支払わせる金額を最小限に抑えてくれたと思ってもいいだろう。


だが、それは別として。


「それだけ言いに来たなら帰って早く寝ろ。本戦まであと二週間があるとはいえ、一日も無駄にはしたくないだろう?」


本来なら今日を含めて二週間なのだが、特別に一日ずらして明日から二週間となった。帝国騎士達も街の修復で疲労困憊になっており、一日でも多くの休暇を与えてやろうというヴィルガの計らいだ。


「一日程度なら別に良いわよ。自分でなんとか出来るし。それよりも……」


そこでセレナは押し黙る。喉のすぐそこまで出かけている言葉をどう言えば良いのか迷っているようだった。


ならば、こちらから言ってやろう。


「ヴィルガさんの話を受けるのかどうか、だろ?」


「……うん」


セレナは素直に首肯した。


「確かに一億二千万エルドなんてお金を素早く支払うなら、帝国騎士になるのが手っ取り早いって私も思う。けど、アンタはその帝国騎士であるのが嫌になったから『英雄殺し』なんて異名も捨てて、普通の人間に戻ったんでしょう?   だったらそんな……」


「ああ。確かに俺は帝国騎士でい続けるのに何の意味も無いって思ったから、何もかもを捨てて二年間も辺境で定食屋もどきを営んでいた」


だがとアランは言う。


「無理だったんだ。多分俺は、既にその道に足を突っ込んでしまった。抜け出さないんだと思う」


赤黒い血で出来た、殺戮と蹂躙の道に足を踏み入れたのだと自分は納得している。


「……じゃあ、もう決めているのね?」


「ああ。多分だが、これをもらった時には既に決めていたんだと俺も思う」


ヴィルガにもらった契約書をセレナに見せる。その余りにも都合の良い契約内容とは別に、この二年間で一度もアランに戦場に戻るように命じてこなかったヴィルガに対する感謝も含まれている。


「そう。なら良かったわ」


そう言ってセレナはベッドから腰を上げてアランの元に歩む。その年相応に美しい顔には同情や悲哀ではなく、嬉々とした何かがアランには見えた。


「だったら私に秘策があるんだけど……どう、賭けてみない?」


「……秘策?」


アランの謎についてセレナは細密に事を語る。それは一晩に及んで続き、そして答えを得たアランは言った。






「ーーいいな、それ」











それからアランとセレナは仮眠をとって、お昼時。家でゆっくりと過ごすと言ったセレナを屋敷に置いて、アランは再び書斎にやって来た。


「……まさか、一晩で答えが来るとは想定外だな」


「昨日のうちに答えは出ていたんで」


ほう?   と未だ書類整理に勤しむヴィルガは耳だけをこちらに向けて、アランとの会話を続けながら仕事をしていた。


相変わらず書類は山のように積まれており、流れるような速さで処分するもまだまだ終わりは見えてこない様子だ。


「……見ての通り時間が無いからな。率直に答えを聞かせてもらおうか」


ポンと印を書類に叩きつけて、こちらに向き直るヴィルガ。威圧的な視線だが、アランは物怖じする事なく話し始めた。


「はい。その契約、ありがたく受けさせてもらおうと思います」


「そりゃあ良かった!   よしっ、これで今後の作戦にも大きなアドバンテージが……」


「あっ、ちょっと待てくれヴィルガさん。ただし、ちょっと面白い条件付きになったんだ」


「……条件付き?」


これだ、と言うとアランは昨日もらった契約書に合わせて、追加で一枚の羊皮紙を貼り付けた物をヴィルガに渡す。


そこに書かれているものとは。


「『当人アラン=フロラストの代理として、セレナ=フローラ・オーディオルムが今賠償金一億二千万エルドを支払う事により、セレナ=フローラ・オーディオルムが当人の所持権を得る事とする』……だとぉ!?」


「ははは、まさか一億二千万エルドで俺を買ってもらえるとは思ってもいなかったです」


「おまっ、俺の娘に何てことを……」


「ああ、それ言い出したの向こうですからね?   俺はただそれに賛成しただけなんで、責任追及は向こうにどうぞ」


そう、これぞセレナが考えたアランすら出し抜かせる驚愕の案。「アランを我が物にしよう作戦」だ。


オルフェリア帝国において帝国の頂点は、皇帝であるヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。だが同じ皇族であり、アランが帝国騎士に戻る理由の一つである借金を、セレナが全て払う事によってヴィルガが持つアランの拘束力はほぼ無に変わってしまう。


「……何が目的なんだ?」


はぁとため息を漏らして頬杖をついたヴィルガは、その眠そうな眼差しをこちらに向けながら真意を尋ねる。アランは言った。


「別に大した事は無いです。ただこれで俺はセレナ専属の帝国騎士になったわけで、何時如何なる任務で離れても、雇い主セレナが戻って来るように命じればどのような任務でも辞退できるようになっただけです」


「それって、かなり問題だよな?」


それはつまり、アランという帝国騎士の第一優先事項が「セレナ=フローラ・オーディオルムの守護」になり、皇帝であるヴィルガの命令でさえ拒否出来る権限を持つに等しいということだ。


「ええ、国政が揺るぎかねない大問題ですね」


「そこで淡々と言ってくれるなよ、おい!?」


だが、起こった事はやり直しを求めても変わらない。だったらセレナにもう一度検討してもらうように話をするのはどうだろうか。アランとこうして話している間にも仕事は滝水のように増えているが、それでもこれはのちの皇位継承権のバランスに関わりかねない。


「ああ、それと明日にはセレナから一億二千万エルドがもらえると思いますんで、そこんところはよろしくお願いしますね」


「ちょ、待て!   俺はまだ話したい事が……」


「お仕事忙しいでしょうし、早いところ俺は帰ります。ではお疲れ様でしたー」


「あ、だから待てって……ってもう行っちまったよ……」


はあと大きくため息を吐いたヴィルガはふと天井を見上げて、つい最近見ていたはずの青空を懐かしく感じる自分に苦く笑う。


そして。


「相変わらず育て親に似て、自分の興味のある事にしか耳を傾けないな……なあ、リカルド?」


「……ああ、腹立つが全くだ」


キッチンに姿を隠して今の話を聞いていたリカルドが、書斎に戻って来る。さすがのアランもこんな所にリカルドが気配を隠しているだなんて思わなかったのだろう。


「ははは……懐かしいなあ。昔はよく、お前とも喧嘩をしたもんだ」


「お前、言ってる事がなんかオヤジ臭いぞ?」


「俺達も四十路だろうが。いい加減に自分の年齢の事を考えろよ、馬鹿野郎が」


ふん、とリカルドが鼻で嘲笑うように音を出す。だがヴィルガは全くに気にも咎めない。


「……なあ、ヴィルガ。お前は本当にあれで良かったのか?」


「アランがセレナの専属騎士になった事か?   ああ、むしろそれで良かったと思っている自分がいるんだ」


二度のセレナ奪取を企てて失敗した敵が、もう一度セレナを狙わないとは限らない。それに多くの帝国騎士達が修復作業に手間取っているこの時期に、それほど多くの帝国騎士をセレナの監視に派遣させる事は、はっきり言って骨が折れる。


帝国騎士複数人とも当たり前のように戦闘を行えるアランがいれば敵を撃退、または時間稼ぎ程度は出来るだろう。


無論、リカルドもその程度の推測なら出来ている。だからリカルドが懸念しているのは別の部分にあった。


「アランがまた、二年前のような事を起こしかねたとしたら、お前はそれでも大丈夫なのかと聞いているんだ」


「さあね。ただあの時は何とかなったが今度はどうにかなるとは思っちゃいないし、無事で済むとも思ってない。……それでも俺は信じたいんだよ」


「信じるって、何を?」


「……あの子アランが進んだ道が、決して間違いじゃないって事をだよ」


普通の子供達が和気藹々と遊ぶ中、アランはひたすら魔術的知識を勉強し続けた。普通の子供達が安らかに眠る中、アランはひたすらに自身の実力を磨き続けた。


誰もが日々積み上げた努力の砂は、いづれ気付いた時には大きな砂の城に変わっている。誰もが大きさが、積み上げた砂の色が異なる中、アランはとても彩色豊かな努力の砂をかき集めて、とてつもなく大きな城を築き上げたのだ。


誰にも気付かれることなく高く積み上がったそれは、気付けば帝国内の誰よりも高く聳え、伝説の英雄であり義親子であるリカルドですら、迂闊に手を出せない相手になっていた。


それを一番知っているヴィルガだからこそ、アランには幸せになって欲しいと願望する。


「努力をした者はその分だけ報われる。絶対の法則では無いが、それゆえに叶って欲しいと思ってしまうんだよ」


「ふーん……」


沈黙が二人を包み込む。


「……まあ、次にああなってしまった場合は、俺の命を賭けてもアイツを止めてみせる。それで良いだろう?」


「ああ。済まんがそれで頼む」


「了解っと。それじゃあ俺もそろそろ帰るわ。愛しの娘達が待っているだろうからな!!」


「ほざけ、親バカが」


ヴィルガがそう言い投げると、リカルドはにっと笑って書斎を後にする。そしてこの場に残ったのはヴィルガだけだ。


「相変わらず、一人は寂しいもんだ」


寂しさを少しでも紛らわせるために書斎を狭くはしたものの、結局一人で書類仕事をするのならば何も変わらない。


……さて、と。


そんな事は今は後回しだ。それよりもリカルドの持ってきた情報の方が重要だろう。


大陸全土に名を轟かせるテロ組織「大罪教」の復活。皇帝城の地下に在るとされる謎の生物の死体。それを狙う大罪教の目的とこれからの可能性。傭兵団「骸の牙」がセレナを奪取しようと試みる理由。集まった問題は、端に積まれる書類の山以上に複雑だ。


だが一つずつ紐解かなければならない。そうしなければオルフェリア帝国に再び戦火が広がってしまう。それではヴィルガが皇帝になった意味が無い。


「さて、あとひと頑張りしますか!!」


誰もいない書斎に向かって大声で自身を鼓舞する。ヴィルガの戦いが始まろうとしていた。


◆◆◆


こうして若き帝国騎士、アラン=フロラストの苦難と運命を知る物語が幕を開けた。






そう、英雄など存在しない物語が。









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