英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

第17話「金と銀」

魔剣祭レーヴァティン学院生徒枠出場予選大会六日目。その日は穏やかな、いつも通りの日の出から始まった。


帝都リーバスの民達はいつもの様に朝の支度を始め、朝市では活気のある声を轟かせ、昨日とは違う驚きを所々に与え、また感じながら生活を営む。


「……」


そんな風に誰もがいつも通りに生活を過ごす中、セレナは静かに空をーーいや、空の上にあるように見えるほど高い山の上にある、一つの白い古城を見つめていた。


その古城の名は「フリーゲルの幻想城」。大陸中の誰もが知りながら、未だかつてその城にまで到達した者はいないとされる、伝説にして幻の古城だ。


彼女の夢は、帝国騎士となりいつかあの城に辿り着くこと。そのためには一介の帝国騎士では駄目だ。生きる伝説リカルド=グローバルト並みの騎士にならなければ、許可は貰えない。


だからまずは、その布石としてこの予選を突破して、帝国騎士の騎士団長達に自分の力を証明しなくてはいけない。


……身体は……大丈夫ね。


先日のアランとの特訓は、たった半日とはいえ今まで以上に苦を強いるものだった。比喩的表現ではなく、本当に身体の内から何もかもが壊れてしまいそうになるほど、厳しい特訓をした。


一時は諦めてユリアとの試合を投げ出そうかなどと考えたが、それではセレナの夢は潰えてしまう。


そんな自身との葛藤を何度も繰り返して、ついに特訓を果たしたセレナはどことなく確信を抱いていた。


ーーこれならユリアに匹敵する、と。


確証はまるっきり無い。今までユリアとしてきたのは授業としての勝負だけで、真剣に戦いをするのはこれが初めてなのだから。


そんな感じで約十年の日々を思い出す事に耽っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえ、部屋の外から聞こえてきた。


『お嬢様、朝食の準備が整いました』


「分かったわ、すぐに行くから」


はい、と侍女のユーフォリアは返事をすると、気配は遠くに消えていく。昔から気配を消すのが得意な彼女だから、もしかしたら今もすぐそこにいるのかもしれない。


……まあ、関係無いけどね。


思考を切り替えて試合の装備を再確認する。


アランから渡された魔道具として、「魔石」が五個と「術符」が十二枚。どちらもアラン特製の最新魔道具だ。そして今は亡き母親、リエル=フローラから手渡された大事な剣。


全てが揃っている事を確認すると、ふぅ、と息を吐いて今日の試合について再確認。


相手はリカルド=グローバルトの息女であるユリア=グローバルト。学院始まって以来の才女であり、誰よりも早くから人数倍の努力を続けてきた努力の子。とても強くて、とても仲の良い親友だ。


これは壁、以前アランの言っていた高い高い大きな壁。全てを以て挑まなければ、到底超えることすら困難な壁。第四回戦で戦ったクォントよりも圧倒的で壮大な壁。


この壁を超えなければ、高みにはいつまでも辿り着けない。だが今日、昔から何度も思い知らされてきた存在の前までやって来れた。


故に、これは好機だ。自分の実力を知り、他者に知らしめるための大きな機会だ。


よし、とセレナは意を決して、扉を開けて朝食を食べに向かうのであった。




◆◆◆




会場への入場が始まり、今日の試合を観に来た観客は、貴賓席に座る各人を見て驚愕を覚えた。


貴賓席の数はまず少ない。なにせ貴族の数がたったの六家となり、商業や工業のほとんどを団体として一括りにした結果、代表者と呼ばれる者達の数がここ数年で急激に減少したからだ。


なのに席はほぼ満席だった。『六貴会ヘキサゴン』の代表者六名全員と第一騎士団長を除く第二、第三騎士団長とその側近、帝都の商業および工業団体の団体長もその身を会場に現していた。


そして何より、誰よりも圧倒的な存在感を醸し出していた者が一人いた。


ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。五年前の革命の首謀者にして、帝国民の英雄王となった人物である。


ここまでの猛者達が、この会場にやって来ているのは間違いなく、今日の試合の一つを見るためだろう。


英雄王の娘、セレナ=フローラ・オーディオルムと、生きる伝説の娘、ユリア=グローバルト。


二世同士の戦いは、彼らにも刺激的であり、かつ見るに値する物なのだろう。


今か今かと待ち続ける彼ら。今行われている試合には一切の目を向けず、彼らは彼らなりに議論を広げている。


だが彼らは知らなかった。






二人の試合が昼後だという事を。













「体の調子はどうだ、セレナ?」


昨夜は一睡もせずに魔石作成と術符の改良に勤しんでいたアラン。もはやその目に生気は残っていない。


今は、昼食に食べた激辛スパイスたっぷり配合のサンドイッチのおかげで、辛うじて意識を保っていた。


「ええ。アンタの忠告通り、術式はだいぶ馴染んできたみたい」


「ならオッケーだ。けど用心しろよ?   その魔術は予想以上に魔力を使う。お前の魔力量と魔石の魔力残量からして、使えるのは精々六、七分ってところだ。だからーー」


「だから使うのは最後の決め手としてだけ。試合開始直後から使うと間違いなく負けるからな、でしょ?」


「分かっているなら宜しい」


以前と違ってセレナはとても落ち着いている。目も据わっているし、なにより魔力に乱れがない。


……これがお前の凄いところだよ。


アランと違い彼女は当初、戦術としての知識を全くと言って良いほど持っていなかった。だがしかし、たったの一週間で彼女はアランの知り得る知識の過半数を難なくと吸収し、今では自身の武器として存分に振るっている。


飲み込みの早さ、彼女は異常なほどに素晴らしい速度で剣術、魔術、知術、詐術を吸収し、そして今度は最短でも一週間は必要だとふんでいた魔術をたったの半日でほぼ完成にまで追いやった。


もしかしたら彼女ならユリアを追い抜く日が来るのかもしれない、と期待さえしてしまう。


だが今は、今この時だけはユリアが実力的に勝っている。剣術も魔術も知術も詐術も、戦闘におけるあらゆる知識はユリアの方が圧倒的に豊富だ。


「その魔術は言わば諸刃の剣だ。決して驕るなよ?」


「当然。もとから驕れるような武器なんて、何一つ無かったんだもの。これはあくまで切り札。あの子との決着の瞬間だけ使うって最初から決めていたのよ」


「……そうか」


ええそうよ、とセレナは言って、会場を挟んだ向こう側の選手控え室を見る。暗がりで見えないが、そこには間違いなくユリアがいるはずだ。


……お腹すいたな。


昼食は胃の中に何かあると吐き出してしまいそうだったので、何も食べなかった。おかげて少し空腹だ。


けどその程度の空腹は、緊張と高揚感で容易く薄らいでいく。


そして薄らいでいくのと同時に、腰に提げた剣が重い。身体強化をしていない状態でも持てるように少しは特訓をしたが、未だアランのように鮮やかに軽々とは振るえない。


……というかこの男、まだまだ余力がありそうなのよね。


眉ひとつ動かさず、セレナは眼前で欠伸をするアランを見つめる。


魔力量は血族遺伝が大きいが、ごく稀に農民でありながらも膨大な魔力を得て生まれる場合がある。魔力に関しては未だ知らないことが多い。


そして魔力量は一生変わらないが、精神力メンタルの強さによって絞り出せる魔力の量が増えるのだという。


今現在で最も魔力量が大きいと思われるのは、やはり英雄王のヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。その次にリカルドといったところだ。


そしてアランが曰く、セレナも魔術量が大きいので騎士よりは魔術師寄りなのだという。


よく見ているのねという関心と共に、だがそこで疑問を覚える。アランはどうなのだろうかと。


こうして見てみると、決してアランの魔力量は大きそうには感じない。貴族という感じはしないし、なによりリカルドやヴィルガと違い強そうな威圧を感じない。


でも違う。アランにはまだ自分に隠している何かがある。そうセレナは悟った。


……っとと、いけない。今はユリアとの戦いに向けて集中しないと。


どうせ後々になれば分かる事だろう。隠れ蓑が月日を経てば、いずれ廃れて分かりやすくなるのように。


「……にしても、今日はど偉い観客の数だな……おっ、貴賓席にも人が大勢いやがるな」


控え室の影から隠れて、セレナも貴賓席を見る。そこには騎士団長や商業団体の団体長、そして義父であるヴィルガが退屈そうに試合を眺めていた。


……あの人、来てるんだ。


義父とはいえ家族なのだ。だがセレナは余り気にならない。なにせオーディオルム家の中でも唯一セレナだけが皇城に住んでいないゆえに、余りにも接点が無いのだ。


会う事といえば、年に一度の誕生日と母リエルの忌日だけ。それも最近では無くなってきている。


そんな彼を父親とは当然思わないし、思えない。彼はヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルム。オルフェリア帝国の五年前の革命の英雄王で、現皇帝。ただそれだけなのだ。


「緊張したか?」


気づけばアランがセレナを見て、なにやらニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。


「別に。あの人達も所詮は観客。だったら気にすることも無いでしょう?」


「それもそうだな」


ポン、とセレナの頭の上にアランは手を乗せて優しく撫でる。最初の内は不満そうにするも、セレナも次第に気にしなくなっていった。


「それにしても、あんなに帝国騎士がいるのに、あの魔術・・・・を使っても大丈夫なの?」


「心配いらんだろう。元々その魔術はお前にしか働かんし、知っているのはあの中で唯一ヴィルガさんだけだからな」


「……お義父様が?」


以外だったようで、セレナはキョトンとした顔で、アランの顔を見つめる。アランはそれに微笑みながら言葉を続けた。


「ああ。ヴィルガさんは旧皇帝の時代に第一騎士団の副団長だったんだぜ?   『炎の金獅子』とか『虚無の魔王』とか。あだ名も結構あったっけか」


「え……でもそんな話、今まで一度も聞いた事がーー」


「だろうな。なにせ第一騎士団は結構な秘密主義だからな。俺の事だって知らなかっただろう?   貴族会の上位貴族の次期当主が戦場で人を殺してました、なんて広まったら評判に傷が付くから秘匿扱いにされていたんだ」


「へー……」


中々面白い事を聞いたわ、とセレナは驚愕を隠さず顔に表す。しかしそこで、再び自分が他の事に気を取られているのに気がつく。


……いけない、いけない。だからユリアの試合に集中しなきゃ……。


集中よ、集中、集中………。そうブツブツとつぶやくセレナを見て、アランはただ不思議な視線を送り続けるのであった。









そして昼食時を過ぎ、時刻は一時半。


第六回戦はたったの二組しか無いので、午前の部と午後の部に分けて行う必要も無いのだが、そこは広報部のなにかしらの策略を感じるので放っておこう。


午前の三年女子と三年男子の三十分にも及んだ戦闘は観客達の心を未だ強く掴んでいる。


だがそれも束の間。


会場に広がる帝国騎士達の剣呑な雰囲気に、一般人の心は冷静さを思い出す。


『……さて、皆さん。ついにこの時がやって参りました……』


実況のシルエット=レスターも声が震えているのがよく分かる。


『帝国騎士の皆さんは勿論の事ながら、学院生の誰もが初戦敗退を予想していた彼女、我らが英雄王ヴィルガ=ヘクトヴェルム・オーディオルムの息女セレナ選手。学院では剣術、魔術ともに至って平凡……いや、それ以下としか言わざるを得なかった彼女』


その実況にほんの少しの殺意を覚えながら、セレナは再び耳を傾ける。


『ですがそんな彼女は、すでに過去。初戦では一分足らずの勝利、第二、第三試合も難無く勝利を獲得した彼女。そして第四試合では優勝候補と支持されていたクォント選手ですら倒しての準決勝への進出。……彼女はもはや、数週間前の彼女とは何もかもが違うのです』


観客達はその実況説明にひたすら耳を傾ける。試合を見なかった彼らには、彼女の強さを知る情報が無い。一字一句、聴き漏らす事のないように、彼らは言葉を紡がない。


『そして今日、誰もが予想だにしなかった戦いが。誰かが望んでいたかもしれない戦いがついに、ついに実現するのです!』


気合が上がってきたのか、シルエットはバンと机を叩き身を会場中央へと乗り出す。


『さあ、堅っ苦しい前置きはこれでお終いとしましょう!   ではでは選手入場です。西の方、セレナ=フローラ・オーディオルムぅ!』


わあっ、という歓声と共にセレナは会場に身を現す。頂点へと至りかける太陽の陽光に当てられて輝く金糸のような長髪に、ぞっとするほど鮮やかなサファイアブルーの双眸は、強い意志を持って次の選手入場を待ち構えている。


『そして東の方、伝説の英雄の息女。今大会の優勝候補筆頭、ユリア=グローバルトぉ!』


刹那、セレナ以上のけたたましい歓声が会場どころか、学院すら越えて帝都中へと響き渡る。


銀糸のような耳のあたりまで伸びた細い髪に、滾る血のような真紅の双眸はどこか眠気を感じさせる。身はとても華奢で、剣など持ち上げる事すら困難だと思えてしまう。


「ユリア、ようやくここまで来たわよ」


「うん。私もセレナの戦いは見てたから知ってる」


相変わらず眠そうな顔つきでそう返すユリアは、んー、と大きく伸びをして身体をほぐす。


「セレナだからって容赦はしないよ?」


「もちろん。はじめから本気でかかって来ないと絶交だからね」


「……分かった」


刹那、すっとユリアの瞳から眠気が失せる。正真正銘、本気の合図だ。それをかわきりに二人は距離をとる。互いに五歩ほど離れた距離は約五メートルと、身体強化状態ならコンマ数秒で駆け抜けられる距離だった。


だが審判は何も口を出さない、いや出せない。


二人から溢れる、友情すら超越した敵意が審判達を圧倒しているのだ。


「……試合」


審判の一人が静かに腕を天へと上げると同時に、観客達からの歓声は消失する。結界が張られたのだ。いや、結界がなくとも歓声は消失していた。


途端に静かになった辺りに身震いをしながらも、セレナは静かにユリアを見つめていた。


……敵意は感じる。けど、構えから次の動きが予測出来ないなんて、さすがだわ。


今までの学院生なら、構えの一つからでも次の動きが断片的とはいえ予測が出来た。だがユリアはそうはいかない、アランに教え込まれた技術が、数年を経てさらに熟達しているのだろう。


……けど、やる事はただ一つ。


左手で剣帯に触れ、右手で柄を掴む。ユリアに魔術戦は通用しないし、この距離で魔術詠唱などしていたら、それこそ即敗北だ。


剣術戦、それがセレナの選択だった。


そして。


「……開始ッ!」


伝説の幕戦が、始まった。


そして。


「ッ!?」






ユリアの姿がーーーー消えた。













「あの剣は……」


アランは知っていた。ユリアの持つ、その剣を。


かつてアランが帝国騎士時代に愛用していた特注品の剣。国境付近のとある遺跡から発見した特殊な金属を利用して錬成した唯一無二の剣。


その剣にはとある特殊なの力が備わっていた。別に無詠唱で魔術が使えるとか、あらゆる物を切り裂けるとか、そんなたいそうなものでは無い。


ただ「魔力の通りが良くなる」だけ。


たったそれだけなのに、アランは愛用していた。その理由はーー


「セレナ……っ」






ーー異常なまでの、身体強化が出来るから。













セレナは目を疑った。開始直後、ユリアの姿が消えたのだ。だが、


……思考を止めるな!


魔術詠唱は無かったが、間違いなく魔力の揺らぎは感じた。つまり術符ではなくただの肉体的運動。目で追えない超速度で動いたと判断出来る。


目で感じていては間に合わない。物理限界すら超えていそうなその動きは、動体視力でどうこうなるとは考え難い。


魔力だ。呼吸をするように自然に魔力を感じるように意識を深く整えろ。そう自分の身体に教え込み、セレナは静かに息を整える。


そして。


「うしろッ!」


二割の確信と八割の勘を信じてセレナは背後に向けて剣を薙いだ。すると案の定、ユリアの剣がセレナの背に向けて振り下ろされていた。


一撃を防がれた。ユリアは少し驚愕を覚えるも、瞬時に思考を切り替え、再び超速度で行動を始める。


……ユリアの剣、今までの試合と違う物だったわ。


ユリアの剣は剣身が少し厚く、切っ先が白銀に輝く物だったはず。だが先ほどの剣は全く違う。剣身はとても細く、叩き切るというよりは切りつけるというニュアンスを感じる。


刃の色も陽光に青白く輝き、まるで蒼穹をセレナに想起させた。


「いずれにしても、その剣がこの速さの正体って事でしょ!」


ギャリィン!   と今度は右脇腹を狙った切り上げ。セレナは軌道を変えていなすも、続けざまに切りおろしがやって来る。


「ふッ!」


タイミングを合わせて自身も剣を切り上げ、正面から叩きつける。


キィィィン、と金属音が会場に響き渡る中、二人は一歩も退かずに激しい剣撃を繰り広げた。


ギャギャキャ、と鋼同士がぶつかり合うその音は、審判の心を逆撫でし、耳をつんざく。


……アランと訓練しておいて、良かったわ。


ユリアほどの速さでは無いとはいえ、代わりにアランの剣撃には多様性があった。それに加えて強弱やタイミングをずらして攻撃を仕掛けてくる所為で、一瞬たりとも気を抜けない。


それに比べればユリアの攻撃はただ速いだけだった。


「そこッ!」


大きく弾き上げた剣の隙間を狙って、セレナはユリアの鳩尾に掌底打ちを叩き込む。魔力による身体強化の上からとはいえ、衝撃そのものをダメージとして与えるこの攻撃は、通常の打撃よりも遥かに高いダメージを与える。


「く……っ」


ユリアは苦悶の声を喉奥から漏らすと、瞬時に足に力を込め一気にセレナの懐目指して突っ込んだ。


「はや……」


「たァァァ!」


「ーーがはぁッ!?」


重い突きをセレナは剣の腹で防ぐも、威力は衰えずそのまま十メートル以上後方の壁にまで吹っ飛び、壁に亀裂を走らせるほどの衝撃を諸に身体で受ける。


「いっつ……」


咄嗟に背中を重点的に強化しても、背骨から全身に痺れが回る。とても重い一撃だ。


……この突進、次受けたらやばいわね。


そう思ったセレナは、ベルトポーチからアランに貰った術符の一枚に魔力を通し、ユリアとのあいだ目掛けて投げた。


刹那、二人の間に薄黒い霧が生まれる。


「……【ミストアイ】」


視覚阻害魔術だと即座に判断したユリアは、躊躇うことなく前へと駆けた。


しかしセレナは、


……かかった!


術符をもう一枚取り出して、魔力を通した。


霧はつまりは水。ならば雷属性の魔術を拡散させる力を持つということだ。


セレナは即座に術符に描かれた【五属の矢】を発動。通常の三倍ほどの魔力を込めた雷の一矢が霧を目掛けて飛来する。


だが、


「《風の精集いて、安らぎの光よ、灯れ》」


間髪入れずに【エレメンタルスフィア】を発動。凝縮された空気が刹那爆散し、ユリアの周辺の霧ーー水蒸気だけを霧散させる。


そしてユリアは再び地を蹴って一気にセレナへと詰め寄った。剣を振り上げ、残像すら見える速さで振り下ろす。


ギャリィン!   と再び甲高い音が鳴って、辺りに烈風を巻き起こす。


……本当に強いわね。


……セレナ、強い。


互いの心を読んだようにニッと笑い、二人は距離を取る。


二人には観客席からの声は聞こえない。だが唯一アランは知っていた。


この場にいる誰もが言葉を紡ぐことすら忘れ、ただひたすらに試合の結末を見守っている事に。









魔術騎士(または魔術師)同士の戦いは、遠距離戦の場合は必ず魔術戦と相場が決まっている。


だが、この二人の戦いで詠唱を紡ぐ声は一切と言っても良いほど聞こえない。


セレナはアランから預かった(というか貰った)術符を惜しみなく使い続け、片やユリアはその全てを剣術、または簡易な魔術で無効化し続ける。


コンマ数秒が敗北の切っ掛けとなりかねるこの戦い。控え室から見守るアランも、一瞬たりとも気が抜けない。


すると、


「こんな所にいたんですか、アランさん」


「ん……ああ、ベルダーか」


目を向けることなく気配と声質、魔力の性質だけで見事名前を当てるアラン。ベルダーはそんなアランの行動を咎める気は無く、すっとアランの横に立ち並んだ。


「ユリアさんの速さの切っ掛けは……あの剣ですか?   僕が知る限りではあのような剣を見た事が無いものですから」


わずか半年足らずで帝国騎士として働く事を諦めてしまったベルダーは、それでも剣術に対しては真意だ。


そしてその剣術の要となる剣に関する知識も豊富だ。帝都内で作られた新作の剣や、古代遺跡から発掘された特殊な力を持った剣、他国から輸入されてくる刻印型の剣も全て知っている。


だがそれでもあの剣は知らない。知らないのと同時に、知りたいという願望が強くベルダーの心を動かした。


「……あの剣は俺の特注品だよ」


アランはあの剣について説明をする。手短に、かつ要領を得て。


ーー数分後。


「なるほど。つまりあの武器は古代武具となんら変わりの無い物だと言うわけですか」


「そうなるな」


古代武具。現代の技術では到底作成のしようが無い圧倒的な文明力で作られた、強力な力を持つ武器のことだ。


おそらく元来の古代武具よりは劣るとはいえ、それでも現代の刻印型の武具よりは圧倒的に希少価値も、性能も高い。


「ったく……。ユリアには散々俺の部屋には入るなよって言っておいたのに」


「ははは。大好きな兄の部屋ですよ?   そんなもの約束を破ってでも入りたいに決まっているじゃないですか」


「お前が言うと犯罪臭しかしないから止めなさい」


でも確かに、これはアランの誤算だったかもしれない。急いで家から抜け出した事もあって、帝国騎士時代に使っていた武器の大半は自室に放置したままだ。その中には未だ世界が真似出来ないような技術品も幾つかある。


……あの剣だけなら良いんだが。


どうにも嫌な予感がする。そんな思いがアランの心を容赦無く掻き乱すのであった。

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