英雄殺しの魔術騎士

七崎和夜

序話「無職な俺とお節介な義父」

正義の味方というものに憧れていた。


勇敢な正義の味方になりたかった。


昔過ぎて詳細には忘れたが。いつからか、そんな事を思うようになっていた。


苦しむ民のために、戦うことが出来ない誰かのために。自己犠牲に躊躇うことなく、我先にと武器を持ち掲げるような、そんな立派な人間になりたかった。


下々の苦しみなど微塵に知らぬとでも言いたげな、劣悪な地獄を強いる極悪で卑劣な貴族達を、この世から消し去りたかった。


武器を手に。殺して、殺して、殺して、殺して、ーーーー殺して。ただ無慈悲に殺し続けた。


見つめる光景が血で染まっても。吸い込む空気や呑む込む唾が血の味に染まっても。剣を握る腕の骨や皮膚や神経が、千切れるように痛んでも。たとえ、屍の山や血の河を幾つ築こうとも。


理不尽を、不平等を、非常識を、不合理を、卑劣を、独占を、外敵を、偽善を、極悪を、混沌を、災厄を、傲慢を、怠惰を、醜悪を、罪過を、切って切って切り続けた。


自分の過去など振り返る暇はなく、目の前に広がる期待と信頼と希望を腕いっぱいに抱えながら、ただ必死になって戦場を駆け巡った。


たった一度の敗北すら許されず、常に訪れる甘い勝利に酔いしれることも許されない。


敵は雑菌のように生まれ続ける。いくら見た目を綺麗にしようとも、根深く残った悪は憎悪、執念という栄養を吸収して再び生まれ続けた。


挫折は幾度となく経験した。終わりのない果てに恐怖すら感じた。何もかも捨てて逃げてしまいたいと、いつしか戦場に赴くたびそう考えてしまうようになっていた。


数々の雑念が日を追うごとに弱々しくなる覇気を食い破り、無駄のある思考が絶えず自分に問いかけ続けた。


いつになったらこの地獄から解放される?   と。


そんな答えはいつしか無くしていて、いまの今までその事にすら気づくことはなかった。


殺すことに可能性と意味を抱かなくなったのはそれから数ヶ月が経った頃。


今日も鉄と死の臭いを漂わせる戦場に、数多あまたの屍の山を築き上げた少年は、ボロボロになった剣を捨てて言った。








「あぁ……もう、疲れたよ……」






その日青年は、ついに剣を握らなくなった。




◆◆◆




とある日の早朝。小鳥がさえずる穏やかな朝。


誰もが目を覚まし始め、煙突から出てくる白い煙が朝の蒼穹へと霧散していく。


そんな村のはずれにある、小さな丘に建つ一軒家にて。騒ぎは唐突に起きた。


「喜べ、アラン!   今日はなんと、お前に良い仕事を持ってきてやったぞ!」


緑の麻服を着た四十路ほどの男ーーリカルドは、赤子を見るような無邪気な笑みを浮かべながら言った。不揃いな無精髭と頬に残る一筋の傷跡から、いかにも数多の戦場を駆け巡った歴戦の猛者の趣を感じる。


「いらん。だから帰れ」


しかし、そんなリカルドに向き直ることもせず、朝食の準備を進める青年ーーアランは、無表情に淡々と言い返した。


「がっはっは!   言うようになったじゃないか、アラン。……あ、それと朝飯食ってないから頂戴」


リカルドはその程度ではへこたれぬ、とでも言うようにあっけらかんと笑い飛ばして、テーブルに帝国貨幣である銀貨を三枚置いた。


「自由気ままだなぁ……。まぁ、良いけど」


それをやはり向き直ることなく掴んで、シンクのそばに置いてあるガラス瓶に無造作に入れると、食器棚から白い皿を取り出す。


「なぁ、こっち向けよー。二ヶ月ぶりに帰ってきたパパへの対応がそれかよー」


「誰がパパだ。血が繋がって無いだろうが。……またあいつに『お父さん、臭い』とでも言われたのか?」


「ぐべはぁっ!?   な、何故それを……?」


「先週ミリアさんから聞いた」


リカルドの妻の名前を出すと、むぅと納得のいかないような声を出す。というか次第に青ざめて、


「まさかお前、ミリアとそんな関係に……っ!?」


「黙れよ、この妄想変態中年クソ親父!   さっさとメシ食って、職場に戻れ!」


ほら!   と、溶けて無くなるまで煮込んだサルハ豆のスープと目玉焼きとベーコン、薄く切ったバケットをリカルドの目の前に叩きつけるように置き、正面の席に腰を下ろした。


いただきます、と同時にリカルドは右手に木杓子を取り、スープを飲みながら左手でパンに齧りつく。


「うーん、やっぱお前の飯は美味い!」


「それ、絶対にミリアさんの前で言うなよ。あの人、ああ見えてかなり頑固だからな」


かつて料理対決をした事を思い出し、呆れたようにため息を漏らす。すると、自分にもスープをよそい、飲み始めた。無論、自分で作って飲んでいるだけなので無料だ。味に問題が無いことを確認してほっと一息。


さて、連戦練磨のような圧倒的な覇気を纏うリカルドとは対照的に、アランはどこにでもいそうな普通の青年だ。


ーーいや、『普通』とは言い難いかもしれない。


年齢は二十歳はたちほどだろうか。漆黒に似た黒にほんのりと見える青は、まるで星の輝きだけが照らす、鮮やかな夜空を想起させる。リカルドの姿を写す透き通った鉛色の双眸は、見る者に静かな威圧を与えていた。


幼さを残しながらも整った顔つきは、異性の保護欲と支配欲を掻き立て、無駄な贅肉のなく程良く筋肉のついた身体は、いかにも彫刻のような肉体美を醸し出す。


詰まる所、アランは一国の美形な王子にも勝らずとも劣らない容姿を持ちながらも、こんな辺境の小さな丘の上に家を建て、独りで静かに暮らしているのだ。


「……で、話を戻すんだが……」


そこでスープを飲むアランの腕が止まる。


「だから『断る』って言ったろうが。どんな仕事だろうと俺は今で十分満足なんだ。これ以上こだわる理由なんてどこにもーー」


「そんなこと言わずに、頼むよォォォ!!」


「うわ、泣くなよ立派な大人が!   てか服に鼻水を付けるな!   汚れるだろうが!」


アランは麻服の上に着たエプロンに鼻水を付けてくるリカルドを全身全力で引っ剥がすと、壁の端まで後退りした。


「アァァァラァァァンゥゥゥ〜……」


地下遺跡から姿を現したうごめく死体のように、ズルズルと木の床を這うリカルド。涙と鼻水でグシャグシャになったその顔は、もはやただの変態でしかなかった。親の威厳はどこへ行った。


……こうなると、素直に首を縦に振るまで終わらないしなぁ。気が乗らんが。


疲れを表すような重いため息を、喉の奥から漏らして言った。


「……なら聞いてやるよ。一応は家族な訳なんだし」


「ふっ、仕方ないな。良いだろう、特別に教えてやる」


ほんの一瞬だけ、殺意を覚えた。


先に折れたアランを見て、唐突に態度を変えるリカルド。額に指を当て、顔を覆うようにして格好良くポーズを決める様は、アランの怒りを限界直前にまで押し上げる。


これを突っ込んではいけない。突っ込めば終わりのない悲惨な劇が始まってしまう。胸中でそう判断したアランは、とても冷めた目でリカルドを睨みつけた。


だがそんな事お構いなく、リカルドは自分勝手に話し始める。


「実はお前に剣術指南役として、とある人物の元で働いて欲しいんだよ」


「……それで、その『とある人』っていうのは?」


「ふっふっふ……このお方だ」


散々溜めた挙句、最後は木綿用紙に名前を書いてアランの前にスライドして寄越す。質の良い用紙に苛立ちを感じながらも、素直にそれを受け取った。


そこに書かれたその人物の名は、


「…………嘘だろ?」


あり得ないとしか言いようが無かった。流石のアランも気が抜けるほどに驚く。


流れるように書かれた第二神聖語の名前は、オルフェリア帝国に住む民ならば誰もが耳に、そして目にした事がある者の名前だった。


「残念ながら事実だ。これは直々に依頼をもらったから非公開だが、向こうはすでに受け入れの準備も済ませているらしいぞ」


「……それって既に俺が働く事確定してね?」


「うん」


「そうか……」


アランは穏やかな笑顔をリカルドに向ける。プシュー、とケトルの湯が沸いた音がしたので席を立つと、






「ブッ殺す」






殺伐とした笑みを浮かべたまま、銀製のナイフを取り出した。使い込まれた銀ナイフが、朝日を受けて鈍く輝いている。


「ごめんなさい、だってそうしないと俺の首が飛ぶと思ったんだもん!」


「お前の首で済むなら喜んで差し出すね!」


「酷い!?   それでもお前は俺の息子か!?」


「それはこっちの台詞だ!   なに勝手に人の働き口決めちゃってんの!?」


あまりのイライラにナイフをテーブルに突き刺す。目の前にいる四十路の男は本当に自分よりも二十年も生きているのかと、幾度となく味わった疑問を久々に抱いてしまう。


「まぁ良いじゃないか。ミリアに聞けばお前、最近は全く稼いでなくて、貯金も底を尽きかけていると言うじゃないか」


「ぐ……っ」


リカルドの言う通りだ。最近は副業である食事処に立ち寄る兵士や呑気な市民も、ここしばらくで頻繁に降った雨のせいで減りに減って、今では育てた少ない農作物を村に売ったお金で生活の大半を遣り繰りしている。


お金が欲しいかと素直に尋ねられれば、もちろん喉から手が出るほど欲しい。


だが、リカルドに職を紹介されて、そこで働いて稼いだお金で私生活を潤すと考えると、胸中で何とも言えないモヤモヤとした気持ちがアランの心を支配した。


「……ちなみに給料は?」


それでも耳にはしておこう。アランの下衆い心がそう耳打ちをした気がした。


その言葉を待っていたとでも言いたそうに、ニッと笑うと残ったバケットとスープを食して言った。


「上限無し、だそうだ」


「っ、はぁ!?」


声が一度つかえてしまうほどに驚いた。


それはつまり、仕事の成果に応じて給料が上がるという訳だ。これほどにおいしい稼ぎ仕事があるだろうか。


だがそこで、ふと我に帰る。


それほどに破格の条件が揃った仕事を、どうして自分などに与えるのか。


リカルドはオルフェリア帝国で帝国魔術騎士、第一騎士団の団長を勤めている。アランよりも教育面として腕の立つ魔術騎士や騎士は、探せば何十人、いや何百人といるはずだ。そしてリカルド本人の頼みならば、喜び謹んで承るだろう。


だというのに、この男はこんな朝早くにアランの元へとやって来て、断られる可能性の高い仕事の話を持ちかけてきた。これを怪しいと思わないはずがない。


それに依頼人の名前が余りにも著名過ぎる。そんな人物がこんな春真っ最中の時期に、剣術指南役を雇用したいなどと考えるのも、些か変な話だ。


様々な可能性が脳裏をよぎり思案が絶えない中、アランが導き出した答えは、


「よし、ことわーー」


「んっ」


……ヒュン。………ザシュン。


アランの左頬を、何かが掠めるように通った。それはアランの少し伸びた黒髪をハラハラと散らせながら、背後のキッチンの壁に突き刺さる。


「あ、あのー……リカルドさん?   これは一体、どういう事でしょうか?」


振り返ると、そこにはナイフが見事なまでに石壁へ突き刺さっていた。いかにナイフが銀製も硬度の高い物だとはいえ、投擲ごときで石壁に易々と傷をつけられるはずが無い。


つまりリカルドヤツは、『魔力』を宿したナイフを、義理とはいえ息子であるアランに殺意も気配も感じさせない速さで投さげつけたのだ。


帝国に訴えれば、魔術騎士の勲章剥奪されかねないレベルの罪を犯したリカルド。


だが本人は、


「いやー、すまんすまん。手が滑ったわー」


見事なまでの棒読みをしてから、アランに食後のお茶を所望する。どうやら断れば命は無いらしい。


「手が滑ったからって、魔力を宿したナイフをあんな速さで投げるヤツがあるか!?   今の確実に仕留めるつもりだったろ!」


「うるさい!   これを断れば俺の首が危ういって言ってんだろうが!   あと紅茶で良いから早く頂戴!」


「テメェの勝手で俺が過去にどれだけ災難に遭わされたか覚えてねぇのかよ!?   ほらどうぞ!」


すでに準備をしていた紅茶を少し高級そうなカップに注ぎ、言葉とは裏腹に優しくテーブルに置いた。


再び椅子に腰を下ろしたアランは、終わりそうに無いリカルドとの言い合いに、疲れたように項垂れた。


「……だいたい俺は、もう二度と剣を握らないって決めたんだぞ?   それはクソ親父も承諾したはずだ。……今更もう一度剣を掴めと言われても、掴む気にはならん」


暗い顔でそう言った。自分で言って過去に遡りそうになる自分の思考を振り払い、自分も紅茶を飲む。仄かに甘い香りは、廃れた心を癒してくれているようだった。


「……そうか」


アランのその言葉を聞いて、どうやら答えを得たようだ。紅茶をグイッと飲み干して、今まで重たかった腰を上げ、テーブル横に掛けてあった愛剣を掴むと、






「ーーどうやら実力行使しかなさそうだ」






シャン、と鞘から剣を抜き放った。剣身の鈍い輝きがアランの鉛色の瞳に反射する。年季の入ったその剣からは、使用者同様に殺伐とした覇気を、つかからきっさきまでくまなく感じ取れた。


「あぁ、まったく……」


なんとなくそんな気がしていたアランはふぅと脱力しながら息を吐き、軽やかに席を立ち、


「ふざけるなぁああああああッ!!」


リカルドの背後にある扉を叩き壊すように開け、全力で外へと駆け出した。あまりの速さに、目尻から漏れる涙が線を描いて宙を舞う。


「逃すと思うなよぉおおおおおッ!!」


そんなアランを狩人のようにリカルドが追いかける。その顔には焦りや怒りではなく、笑みを浮かべていた。


そんな二人のやり取りを、近くに住む村人達は優しげな眼差しで見つめるのである。そう、誰も止めないし咎めない。なぜならこれがここ最近の普通だからだ。


「いィィィィィィやァァァァァァッッ!?」


「はっはァァァァ!!」


二人の叫びが青いお空に木霊する。そんな二人のやり取りを、近場にいた農家達は愉快そうな笑みを浮かべて眺めていた。






今日も今日とて、帝国は平和である。

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