君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

助け

「ぐっ……」


 その頃、二上隆平は苦戦を強いられていた。どんなじゅつも、どんなすべも、あの男の前には無に帰す。
 周辺一帯は、泥のような闇に包まれている。触れば、身体、精神ともに犯されそうな、黒い塊だ。ただ隆平の周りだけを残しつつも、その泥はじわりじわりと隆平に迫る。


「その程度か? 二神様の子孫っていうのは」
「まだだ……あんたを許すことなんて、到底できるもんじゃない……」
「ほぅ……許せない?」
「あんたが神を目指さなければ、こんなことにはならなかったはずだ、そう言っているんだ!」


 隆平はよろよろとした足取りで、彼のもとへ歩み寄る。その目つきは、怒りを超え、復讐の域に達したかのような真剣なものだった。


「ははははっ、そうだな、所詮俺は「太陽王」だ。太陽の神にはなれやしない。でも、あのお方の力は、あのままにしておけば弱いものだ」


 力ない隆平の髪の毛を、力いっぱい掴んだ太陽王は、にやりと笑う。


「どういうことかわかるよな? つまり、力の強い俺が、成り代わればいいのさ」
「その弾丸が、体に入っていても?」


 その瞬間、太陽王の表情は一変し、無そのものとなった。隆平を投げ飛ばし、泥のような闇の中に、その体を押し付けた。


「知っていたか、なら殺さねばな」


 その闇は、熱せられた油のごとく、その泥は、汚染された精神のごとく。その闇の泥は、その身を犯していく。


「あ゛あ゛あ゛ああああああぁぁぁぁ!」


 白目を剥き、顔を青くし、唾を垂らしながら悶絶するその姿は、まさに、地獄をさまよう亡霊のようだ。それを見て、太陽王は高く笑う。


────助けなんて来なくていい、死が待ち受けるならそれでいい。
僕じゃダメだったんだ。僕はどこまでも、役立たずだなぁ────


 地獄をまるで終わらせるかのように、一本の刀が、その身を貫いた。




「大参、無事か!」


 その声で、視界はまた、暗い夜の闇を写す。まるで、さっきまでの日和との会話が幻だったかのように。


「世津……どうした、お前。結構ボロボロじゃねぇか」
「まぁ、和仁にやられたんだ」
「にしては、かなりスッキリした顔してるな。負けてよかったのか」
「あぁ、彼は彼の道を行く。それは、大人がどうこう言う問題じゃないようだ」


 それよりも、と世津は俺の後ろを見る。少し距離を置いたその先に、似非は立っていた。


「アサシンとは、お前が被りたかがっている、殺人鬼の呼び名に過ぎない。それは、自分自身から逃げるための名前だ。真の名で生きる気にはなったか」


 世津はその状況を冷静に捉え、似非に質問した。似非は俯いている。


「俺は死んだ身だ。生きるもどうもない。まだ俺は、死ぬことを諦めてはいない」


 それでもだ、似非悠治は顔を上げる。


「俺に未来がなくても、他の誰かの未来を作るために戦えるなら、今は似非悠治として戦う。似非悠治として、何かを踏み倒してまでも、進む勇気が、今はある!」


「よく言った! ちゃんと前が向けたじゃない、悠治!」


 ふわりと、俺の中から優しく何かが出ていく感覚。振り返ると、そこには、透けているが14年前と変わりない日和の姿があった。


「ん、やっぱり透けるわね。まぁ、いいわ。期間限定だもの」
「日和、お前、その……」


 俺はその先の言葉が出なかった。心象世界の中だけではないのか、実体化できるのか、と。


「私はニンジン野郎の瞳の中にいるの。あんたから離れなければ、決められた未来から解き放たれた今なら、こうすることも可能よ」
「覚元……か。久しいな」


 その様子を見て、小さく呟いたのは、世津だった。呆気にとられたかのように、世津の顔に、力はなかった。


「久しぶりね。福徳高校と志田高校の科学部合同合宿以来かしら。私のもうひとつの可能性さん」


 二上は数時間前、俺に言った。もし今も日和が生きていたのなら、それはおそらく「彼女がラプラスの瞳を持った未来」だろう、と。
 それすらも、日和はわかった状態で、自らの定められた未来を受け入れたというのか。なら、すべて知っていて、全て変えられないと知っていた日和こそ、一番辛かったのではないか?


「その言葉はとても刺さるな。「世界」がどちらを選んだか、どちらに未来を託したか、それだけで変わってしまった結末だ。未来視に似たものは、俺だって出来ていたんだからな」
「それすら全て決まっていたことよ。私の死は不変なの。この世界線ではね。いや、正確には「和仁のいる世界線」かしら」


 まぁ、それはラプラスと私だけがわかってればいいんじゃない? そう言って、日和は耳元の髪の毛をそっと掻揚げ、怪しげに頬を上げた。


「初耳だぞ、和仁のいる世界線が影響しているなんて」
「あら、気づかない? だっておかしいじゃない。彼にはあるべきはずの「もしもの世界」が存在しないのよ。彼がこの世界での中心なの、それ以外の人物ですら、平行世界の有無は、彼に影響する」


 日和は思考停止してしまっている世津に近寄り、デコピンする。


「私がラプラスの悪魔になった世界には、和仁は存在しないわ。だって「この世界そのものがイレギュラー」なんだもの」


 世津は顔を押さえて隠す。痛かったのか、何を思ったのか、すぐには理解できなかった。だが、世津は何かに気づいた顔で顔を上げる。


「イレギュラーの原因が、あなたの近くにいたこと、気づいたかしら? 答えを確定させるために言うけども「世界」に関わった、私にも世津くんにも、平行世界は今のところないからね」


 日和は世津の口元に人差し指をそっと置く。


「ラプラスと私の秘密ね」
「あぁ、ならば君がここにいるのは」
「確定された未来が終わったの。ここからは和仁の動きで未来が変わる。だから私たちは、幸せな未来を掴むために戦うの」
「じゃあ、俺は何をすればいい」


 日和は世津を見たあと、俺と似非を見つめる。


「決まってるじゃない。覚元和仁の完全勝利へ協力するだけよ。私たちの未来は彼にかかっている。彼じゃなきゃ、この町は救えないの。そして、災厄を呼ぶのも彼なんだから」


「それでは、是非ともその勝利のお手伝い、できないでしょうか?」


 そこへ、見たこともない女性がやってきた。白いブラウスに黒いフレアスカート、お嬢様という雰囲気そのもののか弱い女性が、似つかわしくない、荷物がたくさん入った人力車を引いていた。


「お前、志乃か?」
「こうやって会うのは13年ぶりですね、悠治さん」
「いや、なんつーの……昔と変わらねぇな、と思ってさ」


 その顔は、少し赤く染まっていた。日和はそれを笑顔でビンタする。日和が似非をビンタする理由が、なんだか分かる気がする。


「あら、一途に私じゃなかったのかしら?」
「ちっ、違う、誤解だ! 神具をもらったんだよ、志乃から!」
「なんで顔を赤くするのかしらねぇ」


 そう言って日和は、引きつった笑顔で手を振り上げる。少しは俺に構ってくれたっていいじゃないか、心の声がもれそうになる。


「可愛いと思ったんだよ! でも日和が一番だから!」
「あら、悠治さん、素敵な告白ですね」


 志乃の思いがけない言葉に、似非も日和も顔を真っ赤にした。仲良くしているなぁ、嫉妬心でまた喧嘩してしまいそうだ。しかし対する彼女は、ふふふ、と上品に笑って、それを崩さない。上品ながら、裏が読めそうになかった。


「さて、気を取り直しまして。私は、二神様に捧げる神具を作る、紀和志乃といいます」
「ん!? 紀和志乃さん!?」
「あら、大参先生、今気づかれました?」


 随分と大人びて、教師目線で言っていいのか分からないが、とびきり美しくなっていた。
 そうだ、彼女の存在を忘れてはいけない。彼女は2年前、志田高校の生徒会長だった生徒だ。そして、話では死神と戦うために神の目を使った、とだけ聞く。
 しかし、騒動の後まで、事故の療養という理由で、学校には来ていなかった。先生同士の会話では、無遅刻無欠席だったので留年はないだろう、と話題に登っていたこともあった。
 その不自然に、その時気づくことができなかったのは、あくまで死神の問題を、生徒たちだけで解決しようとしていたからだ。
 それほどまでに、大人は信用されなかった。それと同時に、死神そのものも学生であり、ターゲットもまた学生だったこともその理由なんだろう。


「かつて死神と対峙したことがありまして、その際、自らの無力さを痛感いたしました。そこで、皆さん専用の神具を作って参りました。戦いに少しでも協力するためです。是非、受け取ってください」


 まずは世津さんに、そう言って、紀和さんは荷台から金色のシャーペンのようなものを取り出した。


「こちらは力を通しますと、拡大し、槍になる万年筆です。力によって、その効果は左右されるので、世津さんは空間を裂くことができるかと」


 世津はその万年筆を手に取ると、目を金色に輝かせ、力を通す。すると等身ほどの金色の槍に姿を変えた。


「なるほど、戦いに向かない俺も戦えるわけか」


 そして、大参先生にはこちらを。そういって差し出したのは、茶色い革のグローブと靴だった。靴は足の甲に赤と青の石が、グローブには中指の下に赤と青の石が着いていた。


「こちらは音速で動く体を守り、また支えるための防具となっています。音速の拳を支え、力を増幅させるためのグローブ。音速で動く足を支え、また、跳躍を可能とする靴です」


 そういえば、幽霊を素手で殴っていたわけだが、いくら相手が幽霊だからといっても、それなりに痛みは伴うし、次第に汚染もされていく。確かに、グローブは必要だ。


「確かに必要だ。ありがとう、紀和さん」
「いいえ、これくらいしかできませんので」


 最後に、これを。紀和さんが最後に似非に差し出したものは、黒い手袋だった。それも、左腕の。


「悠治さんには、戦える全てを渡しました。必要なものは、あなたが前に進む勇気だけだと思っていました。それが、今のあなたに揃っているとすれば、足りないものはひとつだけです」


 その手袋を、紀和さんは丁寧に似非につけた。


「その左手が、不本意に人を殺さないよう、覚元和仁の毛髪が組み込まれた、封印の手袋です。あなたに一時の平穏を与えた、和仁くんの力です」


 そして、紀和さんは、その手を優しく握った。


「その手で救ってください。未来を作るのは、一人ではできないんですから」


 似非は黙って、その手を強く握った。すると紀和さんは微笑んだ。


「大丈夫ですね、悠治さん」


 紀和さんは手を離し、俺たち一人ひとりの手を握り、最後に日和の目の前に立った。


「準備は整えました。あとは引っ張ってもらえますね」
「えぇ、もちろんよ。最高のサポーターね!」
「お褒めいただき光栄です」


 それでは、と言って、紀和さんはお辞儀をして、人力車を引き、どこかへ行ってしまった。その凛とした立ち振る舞い、戦場には似合わない、戦士を癒す一輪の花。
 それが、彼女なりの戦い方なのだ。


「行こう、鳩を探すんだ」


 世津が呼びかけたその時、一話の白い鳩が、手紙を落として去っていった。鳩は去っていく途中で、煙のように、ふっと消える。
 俺はその手紙を拾い、中身を読んだ。


「アサシンこと似非悠治へ、怜花の体が死神に乗っ取られた、すぐに助け出せ。そして、隆平の反応がない、こちらでも手は尽くしているが、何かあったと思われる、すぐに探し出せ」


 その手紙を、気づけば輪になって全員で読んでいた。


「これは……まずいことになったわね。どうする、世津くん」
「二手に別れよう。「世界」の関係者が二手に割れたほうがいい。怜花さんのもとへは、似非と覚元が。二上のもとには、俺と大参で行こう」
「わかったわ、世津くん、ニンジン野郎を頼むわよ」


 日和は真剣な顔で、世津にお願いする。なんだ、気にかけてくれていたのか。少しだけ嬉しいな。だが、そんなことを考えている場合ではない、すぐにでも、二上のもとへ行こう。


「ラプラスの瞳で、場所を探す。少し待ってろ……!?」
「どうした、世津!」
「何だあの、マンションの上の闇!」


 それは、望遠鏡を使わずともわかった。この周辺で一番高いマンション。その屋上から、黒い泥のようなものが流れ落ちている。あそこが観測するもなにも一番怪しい。


「やっぱり、二上はあの屋上だ。何があるかわからない、空間移動で上に向かう」


 世津が俺の手を取り、同時に空間の裂け目へと入る。出た場所は、もう屋上の上だった。世津の力で宙に浮いていたが、とても降りれるような状況ではない。
 その闇の中で、目を疑う光景を目にした。


「ふ……二上……!?」


 闇の中、彼の体は屋上の冊に寄りかかっていた。体に「刀」が突き刺さった状態で。



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