君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

道具

 無風。風はひんやりと冷たいというのに、風は微塵も吹かない。風鈴は動きが止まったままだ。


「町の人も皆、眠っているのでしょう」


 使用人は、服を片付けようとしたのか、服を持ったまま眠っている。夜食を用意してくれた家政婦は、皿を机に置いたと同時に眠ったのか、座った状態だ。
 黒髪の少女は、窓の外を見る。空は異常な程黒く、星すら煌めかない。いや、見ているものは空ではないのだろう。
 ふと、時計を見る。午前0時から、その秒針は動かない。


「困りものですね。もはやこの町そのものが、異界と化しつつあるのですか」


 服を着替える、寝巻きから、白いブラウスに、黒いフレアスカートへ。そして、外に出て、人力車に道具を詰める。


「さて、これを引くのは2年ぶりかしら。でも、なんとかなりますわね」


 か弱い少女が引くには重すぎるはずの人力車を、軽々と引いていく。目指す場所は、戦場の真っ只中。




「あ、あの……お姉さんは、怖くないんですか?」


 お子さんを除いて二人きりになってしまった、この広い家で、お父さんの知り合いは、見ず知らずの私に、紅茶を入れてくれた。


「怜花さん、朱音でいいわ。私は怖くないもの。もっと怖い場所に、昔はいたのよ」


 朱音さんは、お皿にのせて、そっとカップを差し出す。


「夜は長いわよ。私たちはゆっくりするしかないわ」
「で、でも……お父さんも、先輩も、みんな戦いに行っちゃったんですよ? 私たちにできることは、本当にないんですか?」


 朱音さんはそう言われて、顔をしかめる。


「確かに、私だって、力になりたいわ。でもね、お父さんも、先輩も、私の夫も、この町を、私たちを守るために戦っているの。だったら、私たちはただ生き残る。それが一番力になるんじゃないかしら」
「でも……」


 何もしないなんて、やっぱり無理だ。知っているのに何もできないなんて、もどかしすぎる。私だって戦いたい。私だって、力になりたい。
 誰かを失うなんて、もう嫌だ。私はあの人みたいになりたくない。


「私は、戦いたい。悠治みたいになりたくない」
「でも、怜花さん、戦ったことはあるの?」
「ないけど……でも、私だって鳩の子なら!」


 朱音さんは私の肩に手を置いて、諌めるように首を横に振った。


「怜花さん、焦っているわ。それにね、鳩の子がみんな戦えると思ったら、それは間違いよ。それは鳩の能力や、その人の素質に由来するわ。怜花さんは……」


 朱音さんは何かに気づいて、首を強く横に振る。


「ダメよ、戦ったら、絶対にダメ!」


 どうしてダメなのか。私にはこんなにも、戦う気力に満ちているのに、誰かを助けたい気持ちがあるのに、鳩の子が、鳩の争いに参加して、何が悪いの?


「……戦いたい……」
「怜花さん……」
「私はもう、無力は嫌なの。私に力があれば、お兄ちゃんは助かったかもしれないのに! 見てるだけなんて、出来るわけないの! 戦いたい、戦わせてよ、朱音さん!」
「怜花さん、あなたは……」


 どこまでが自分の意思なのか、どこまでが「流れ込んできた意識」なのか。それはもう分からない。だが私は確かに、誰かの為に戦いたい、誰かを守るために戦いたい、その意識だけで、今の自分を保っていた。
 この思いが途切れてしまえば、私は何か、違う何かに飲まれてしまう。それは、すぐそこまで迫っていた。




────怜花。


「お兄ちゃん!?」


 その声は確かに聞こえた。この前、聞いた時から、ずっとずっと、探していた。


「お兄ちゃん、どこにいるの? お兄ちゃん!」


 ずっとずっと、会いたかった。ずっとずっと、救いたかった。お兄ちゃんは私をいつも守ってくれた、恩返しをいつかしよう。そう思っていたのに、お兄ちゃんは一瞬にしていなくなってしまった。


「家の中に入れないんだ。外に出てきてくれるかい?」
「すぐに行くよ! 家の外だね!」


 待ちなさい、その朱音さんの声すら無視して、私は玄関まで走る。


「亮治さんがせっかくかけた、守りの術が意味をなくしてしまう。ダメよ、お兄さんはもう死んでいるの!」


 嘘だ、確かに声が聞こえる。私は確かに、葬儀に出た。お兄ちゃんの遺体も見た。でも、お兄ちゃんはきっとどこかで生きている。鳩の子なんだ、そんなことがあってもおかしくない。
 お父さんは、死界の術って言ってた。死んだ鳩が現界するって。だから、きっとお兄ちゃんも!
……その扉を開けて、外に出る。そこには、紛れもない、あの日、家を出ていった姿のお兄ちゃんがいた。


「怜花、待たせたね。帰ってくるのが遅くなってしまった」
「お兄ちゃん……! 待ってたよ、ずっとずっと、会いたかった!」


 優しく微笑むお兄ちゃんに、私は思いっきり抱きついた。だが、その感触は、どろり、とした、黒い泥を掴んだ感触だった。


「……え?」


 恐る恐る顔を上げると、そこには、右目だけが赤く輝いた、黒い人型の塊があった。手に掴む感触は泥のようで、表情も、心もない。人間ではあり得なかった。


「波長……あった……体、貸してね」
「ひっ……い……や……!」


 いざそれを目の前にすると、声も出なかった。あぁ、こんな気持ちなんだ。私は、誰の気持ちも分かることなんてできなかった。


「死神……! 彼女から離れなさい! 万物よ、捻じ曲がれ。法則は、我が目に収まる。身体の目・りき!」


 朱音さんが駆けつける。その目が放つ波動は、周辺の木を捻じ倒した。しかし、私には当たらず、この人でないものにも当たらなかった。


「無駄……だよ、お姉ちゃん……僕は、物じゃないもの……」


 そう言って、それは私を見つめる。その赤い目は、怪しくも不気味で、だが吸い込まれそうな何かに満ちていた。


 思わず、目を合わせてしまう。それは言っている気がしたのだ「君の願いを叶えてあげる」と。




 黒い塊は、口から怜花さんの体に侵入していく。私の術ではどうすることもできず、ただ、見ていることしかできなかった。その、おぞましい光景を。


「ひひっ、久しぶりに体が手に入った。妹の体だからね、上出来だよ」
「2年前の死神……いったい、どうしてここに?」


 怜花さんの体を使い、赤い右目を輝かせ、不気味に笑う。その動きはまだぎこちなく、それが故に不気味さを増していた。


「お父さんがね、怜花にならチャンネルが合うって教えてくれたんだ。だから、ここまで来たんだよ。ここで君を殺せば、怜花が僕だって知ってる人はいないよね」


 体を低く構え、今にも飛びかかりそうな目つきと姿勢をしている。それはまるで猛獣のよう。血に飢えた真の獣。


「亮治さんも、余計なことを。家に守りをかけて、娘を守った気になっていたのかな? そんなの、物理的なものしか意味ないのに」


 その言葉は、ひどく突き刺さった。あなたに亮治さんの何がわかる。微力ながらでも、娘を守ろうとした父親の気持ちを、平気であなたは踏みにじる。理解できない。


「その言葉は許さない! 亮治さんは、私と娘と怜花さんを守ろうとした! その思いが、あんたなんかに……わかってたまるものか!」
「いいね、戦う気になった? かかってこいよ、鳩の子の最高傑作!」


 もはや、戦いは避けられない。だが、体は怜花さんだ。傷つけるわけにはいかない。私の持つ力では、彼女から死神を引き剥がすことができない!
 思わず、歯をギリッと噛み締める。ここまでか、私にはもはや、成す術はない。家には亮治さんの守りがかかっている。せめて娘だけは守れるはずだ。


「隆平さん、亮治さん、ごめんなさい……っ」


 自分の最後を覚悟したその時だった。先程まで全く吹かなかったはずの風が、勢いよく吹いた。


「神社での争いは御法度じゃ、ここでの争いはやめよ」


 気づけば、目の間に人が立っていた。小学生くらいの幼い見た目をした、白い角を生やし、銀色の髪をなびかせ、巫女服姿の、威厳ある少女。私を振り返ったとき、その目は赤と青に輝いていた。


「二神様、お久しぶりでございます……」
「春に一緒に「げぇむ」とやらをした仲ではないか、そう畏まるでない。そのくせは8年間治らぬのぉ」


 穏やかな話をしているが、その顔に緩みはなかった。すぐさま死神の方を向く。


「僕は二神様と会うことに執着はしていないんだ。僕が求めるのは殺戮、そして、覚元和仁の討伐。僕じゃなくて、鳩の前に現れたらどうなの?」
「無論、わかってはおる。だがわしは、太陽の神と和解をする気にはまだなれぬ。故に、この戦いには参戦せぬつもりであった」
「……そうやって800年も逃げてるんでしょ? 神様のくせに、器小さいね。なのに、僕たちの戦いには首突っ込むんだ」
「話を聞け。鳩の戦いには参戦せぬ。だが、鳩の子の戦い、そして「この神社での戦い」は話が違う。それは、わしと太陽の神、そして分身である鳩のみで争えば良いこと。無関係な子供の世代まで巻き込んだ戦いは許されぬ。ましてや、神社で争うとな? 神域であるぞ」


 怜花、いや、死神の顔がゆがむ。気に入らない説教を聞かされ続けている子供のように、不機嫌になっていく。


「だから、何?」
「わしにかかれば、お前など簡単に引き剥がせると言いたいのだ。死神を名乗り続ける気持ちはどうだ? さぞかし気分が悪いであろうなぁ」
「……黙れ!」


 そのセリフが、確実に死神の怒りに触れた。周りの塵から、小石まで様々なものが浮き上がっていく。次第に力を溜め込んでいるのが、肌にも伝わる衝撃でわかる。


「今すぐにでも、捻じ切ってやる、その首を!」


「その前に、後ろにも警戒したほうが、良いのでは?」


 小鳥のさえずりのような、美しい声とともに、死神の体は打ち抜かれた。その後ろには、弓矢を構えた女性が立っている。


「二神様、これをお使いください! 死神の精神と、彼女の肉体を切り離すのです!」


 女性は短刀を掲げた。するとそれはまるで磁石のように二神様の手元に引き寄せられ、青く輝いていた。二神様は短刀を引き抜くと、なにか見えないものに向かって、刃を振りかざした。
 だが、その時だ、爆発のような衝撃が、私と二神様の体を弾き飛ばした。土煙の中、そこにいたのは、キャラメル色の髪の男だった。


「最上純!」
「お名前覚えていただき光栄です、朱音さん。そしておやおや、二神様まで。太陽の神の封印は解いてくださいますかな? そうすれば、この騒動は丸く収まるのです」
「くっ……鳩か。ならば伝えておこう。わしにはまだ、その勇気はない」


 すると、最上は不気味に高笑いした。


「あはは、あははははははっ! そうか、二神様、太陽の神に恐れをなしたか! しかも、見るからに弱体化しているではありませんか! これは傑作だ!」
「馬鹿にされても良い。今のわしは、太陽の神には適わぬ。故に、無用な争いを避けるために、封印は解かぬ」
「逃げる、逃げる、何度でも逃げる! そうやって800年たった! そのせいで、解くべき時を間違えたようだな、二神様よ」


 汚いものを見るかのように見下し、その首に手を掛けようとしたとき、その体を、一本の矢が射抜いた。


「あら、鳩も鳩の子も、後ろには注意が行かないようね」
「ぐっ……精神の矢か。体に傷はつけないが、精神状態を混乱させる、魔の弓矢。さすが、紀和家の作るものは面白い」


 気味悪く笑いながら、最上はなんとか体勢を立て直す。そして、死神と同化した怜花さんを抱き抱えた。


「この精神状態では、能力に大きく支障をきたす。命拾いしたな、二神様、そして、堕落した鳩の子よ」


 そして、黒い霧のなかに消えていった。霧が晴れる頃には、そこには誰もいなくなっていた。


「や……やれやれ、命拾いしたわ。志乃よ、感謝する」


 二神様からは、さっきまでの覇気が抜け、脱力した少女のようになっていた。


「えぇ、二神様が無事なら良かったです。しかし、精神と肉体を離すまであと一歩でしたね。邪魔されてしまいました」
「あの、二神様、このお方は?」


 私が聞くと、二神様は、まだ話していなかったか? ととぼけた顔をする。この人に会うのは、初めてだ。私とあまり、年が変わらないように思える。


「初めまして。朱音さんのことは存じ上げております。私は、紀和志乃きわしのと申します。結婚祝いの際に、扇を送ったかと思いますが」


 扇……よく私が顔を扇ぐために、そして、術を使う際に使っていた、あの赤い扇だ。結婚祝いに親戚からもらった、と隆平さんは言っていたが、その親戚が、まさか彼女なのだろうか。だとすれば、随分若い上に、かなりの「技術者」であると思える。術を乗せることのできる扇など、普通の人間には作れるはずがない。


「あぁ、あの扇でしたか。実に素晴らしいものです。あなたはいったい……何者なのですか?」


 紀和さんは、ふふふっ、と上品に笑って答えるのだった。


「私もかつて「神の目」が使えたのですよ」

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