君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

空間

「あの日の……覚元が屋上から落ちたあの日のことを、お前に話す。いや……俺の記憶をお前に移す。この神の目を通じて」


 そして、アサシンは、俺の手を握ろうとした、その時だった。


観測不能アンオブザーバブル空間スペース


 その声とともに、俺の体は宙に浮いた状態で止まった。体は言うことを聞かず、唯一動くのは口のみ。いったいどうなっている!
 すると、空間の裂け目が現れ、その中から、見慣れた人物が出てきた。その光景に、思わず息を飲む。そして、目を疑った。あの有名な教授……世津達見さんだ。いつもと変わらぬ風貌だが、一つ違うのは、
独特な詠唱を聞くに、俺と同じ力を持っているのか?だが、俺とは種類が違う……


「世津……てめぇ、いいところなのに何しやがる!」


 アサシンはなんとか自力で起き上がるも、世津さんが手をかざした瞬間、動きが止まってしまった。


「くそっ……体が重い!空間操作かよ……」
「なんだ、お前なら知っていると思ったがな」


 世津さんは冷酷に告げると、俺の方を向いた。


「何故、こうなったと思う?」
「ほとんど俺が、思い出したからですか?」
「流石、頭がいいな。正解だ」


 世津さんは、宙に浮く俺の周りを、ゆっくりと歩き、回り始める。


「世界の欠片……世界という概念を形にする、どんな武器よりも強いもの。しかし、それを複数の人間が持つとどうなると思う。無論、世界のパワーバランスは崩れる。お前がこの力を持つまでは、俺がバランス操作をしてきたわけだ。そう、お前が「時の欠片」を手にするまでは」


 横目に見てもわかる。その顔は、静かに怒っていた。


「アサシンは言ったはずだ「お前がいなければこの町は救えない」と。だが、鳩の子である死神や「異常な鳩」の駆除、その他、この町に古くから蔓延る、無残な霊など、この町にあるすべての問題を、世界の欠片が使えるから、罪に汚れていないから、生きる意味を与えたいから、ただそれだけで、和仁全てに戦いを押し付けるのは、間違っている」


 それにだ。そう言って、世津さんはさらに表情を歪ませ、続けた。


「世界の欠片を扱う、鳩の子なら、ここにだっているんだ。無理に和仁が、世界の欠片を使う必要はないし、和仁が戦う必要はない。だからこそ、俺は和仁の記憶を忘却させていたんだ。全ては世界のバランスのために、全ては未来あるお前のために。大人の気遣いを、無視してもらっては困る」
「世界の欠片を使う、鳩の子……?」


 その言葉を、聞き逃さなかった。世津さんは静かな顔で、俺を見上げた。


「あぁ、俺の父親も鳩だ。鳩や鳩の子を倒すのが、お前の使命だというのならば、俺も全く同じだろ。だから、お前である必要はない」


 そうだ、確かに、世津さんの言う言葉は、間違っていない。何もない俺が唯一できること、それはこの町を救うこと。それが何もない俺に与えられた生きる意味であり、使命だった。
 孝人さんの言った、お前にしかできないこと、とは、これだったんだ。
 大人は必死で、守ろうとしてくれた。俺を辛い現実から避け、俺に戦わなくていい道を勧めてくる。俺が普通のなんの変哲もない学生なら、そうしただろう。でも、それは違う。
 何のためにここまで思い出した。何のためにここまで進んできた。死者を忘れるなど、冒涜だ。絶対に忘れてはならないはずだ。どれだけ辛い現実でも、それが死者を忘れていい理由になんてならない。
 そして、その人達がいるからこそ、俺は仇を取らなければならない。死んでいった人の気持ちを少しでも汲み取れるならば、俺は戦う。
 どれだけ悲しい現実を思い出しても、恨み、憎しみ、悲しみで体が汚染されても、戦って傷だらけになろうとも。俺は、すべてを思い出し、すべてを受け入れる決意を固めた。
だから……俺は……


「それでも、俺は戦う。それは、俺のすべきことだと思っているから」
「さっきまでの話を聞いていたのか。お前のすべきことじゃないんだ」
「でも! 死んでいった人の思いを、少しでも救えるのなら、俺はその道を選ぶ!」


 世津さんは大きくため息をつき、頭を抱えた。


「馬鹿なのか。その先は地獄だ。ならば、もはやこうする他ない!」


 世津さんは伸ばした手を、ぎゅっと握り締める。


「ローレンツ収縮・空間の凝固・動くものは収縮する・観測不能アンオブザーバブル空間スペース!」


 その時、今、決意を固めたその意志も、記憶も、意識も、何もかもが、箱の中に閉じ込められ、真っ暗な闇に落ちていく。すべて、無に帰る。
―――――あぁ、俺はここまでやってきたのに。どうして、こうもうまくいかない。


……死ぬよりはマシじゃないか。次に目を覚ましたときは、全て思い出しているよ。


―――――本当か?


……あぁ、だから、少しだけ「体を貸してくれ」




 目の前で、世津の手によって、和仁が動かなくなる瞬間を見た。俺は、また、救えなかったんだ。


「アサシン……いや、似非。案ずるな、ただ意識を空間の中に閉じ込めただけだ。生きているよ」
「何が生きているだ!どこが生きているんだ、体だけ生きていても、そんなの生きてるなんて言えるかよ!」


 すると世津は、はっ、と鼻で笑った。


「生物学上は問題ないと言っているんだ。彼が眠っている間、お前や俺で、鳩の子を倒せばいい。和仁が動く理由なんてない」
「……てめぇ、本当は怖いんじゃねぇの」
「何?」
「世界の欠片を使う人間が、もうひとりいることだよ!」


 世津は俺の胸元をガシッと掴み、俺を睨みつけた。


「怖いものなどあるか。彼のためだ」


「本当に、そうなのかな」


 今、聞こえるはずのない声が聞こえた。世津は俺の胸元から手を離すと、後ろを振り返った。そこには、さっき確かに意識を空間に閉じ込め、目覚めないようにしたはずの和仁が、何事もなかったかのように立っていたからだ。
 世津は、静かに舌打ちをする。


「観測不能の覚元和仁。今の和仁を裏で操る張本人。お前はいったい何者だ。何のために、時を越えた。ここは本来、お前のいるべき時空ではない。お前は未来にいるべきなんだ。現代に口を挟まないでもらえるか」


 すると、謎の和仁はニヤリと笑った。


「俺が未来に帰っても、覚元和仁に平行世界、もしもの可能性はない。だから、俺が放置していても、この時代の俺は、あるべき未来へと向かう」
「ならば、なぜここにいる」
「逆に、こうとも言える。覚元和仁に平行世界はない。ならば、俺が、過去に来て、和仁があるべき未来にたどり着くまで離れられない、これもまた変えられない事実なんだよ」
「では、お前が歩むべき人生は確定しているのか」
「そうだよ。俺たちには一つの未来しかない。俺は、平行世界が存在しない特異点だからこそ、世界の欠片を掴むことができる。そう、世界の記憶であり、概念であり、また一部である、世界の欠片をね」
「では聞こう、この先、どんな未来が和仁に待っている?」


 すると、謎の和仁はにやりと笑って「さぁね、お楽しみだよ」と怪しげに答えた。


「貴様……どこまで俺を馬鹿にすれば気が済む!」
「ラプラスの悪魔であっても、世界の欠片を持っていても、お前に俺たちは観測できないよ。そんな観測不能が何よりも怖いんでしょ。万能の科学者さん」


 そして、言うだけ言うと「じゃあね」と手を振り、和仁はまた、地面に倒れ込んだ。
 何も言い返せなかった世津は、悔しそうに拳を握り締める。そして、地面を力強く踏みつけた。俺が今までに見たこともないくらい、世津は憤慨している。世津は普段、怒るような人間じゃない。


「覚えていろ……未来の和仁!」


 当の本人がいない場所へ叫ぶと、世津は空間の裂け目の中に消えていった。俺は完全に無視だった。


「……まぁ、無視ってのもいいけどよ。問題増えちまったよ。どうすんの、俺」


 ため息をついて、俺はしばらく地面に突っ伏していた。




観測不能アンオブザーバブル空間スペース。起きろ、大参」


 世津は大参の家に来ていた。大参はしばらく眠らされた状態で、たった今起こされたが、状況がよく理解できていないようだった。


「しばらく眠っていたようだが、調子はどうだ?」
「あぁ……どうして……俺は、和仁を止めようとしたはずなのに……」
「お前は、世界の欠片を使った和仁に負けたんだよ。音速の敗北だ」
「そうか、大体わかったよ。それで、世津。どうして俺を起こしに来た?」


 世津は大きくため息をついた。「和仁、ほとんど思い出していたんだ。だから、意識ごと箱の中に閉じ込めた」
 すると、大参は目に涙を浮かべた。


「全部思い出したら、きっと辛かっただろうな……その辛さにきっと耐えられないはずだ。家族だってみんな死んでる。親友も死んでいる。そして、死神を殺しかけた。心にかかった負担は、計り知れないはずだ」
「だが、どうやら、お前が同情するほどもないようだ。あいつは、死んだみんなのために戦うと言い出した。それなりに自分の中で、決意を固めたんだろう」
「乗り越えたのか……?」
「乗り越えていなくても、それでも前に進むと決めたんだろう。あいつには平行世界がない。別の選択肢なんてないんだ」


 大参の目から涙がこぼれ落ちる。


「そうか、俺が無理に忘却させる必要なんてなかったんだな。和仁は、和仁なりに、前に進むんだ」
「だが、前には進ませない。戦うことは許さない」
「っ……! どうして! 和仁にしか、できないはずだ。鳩の駆除なんて!」


 必死に訴える大参の胸元を掴んで、世津は静かに言い放つ。


「子供を守るのが教師の仕事なら、俺たちがやればいいじゃないか」
「それは……そうだけども……」
「ならば、一緒に戦うよな? その目を持っているんだから」


 大参は静かにうなづいた。それを見届けると、世津は胸元の手を離し、空間の裂け目の中に消えていった。
 誰もいなくなった部屋の中、ひとり、頭を抱える。叫びたい気持ちをぐっとこらえ、歯を噛み締めた。


「無理だよ、俺でも、似非でも……鳩には適わないんだ。世津だって、わかっているはずだ。その力が、戦いに向いていないことくらい」


 大参のつぶやきは、虚しく空間に溶けるだけ。誰も聞くこともない。誰も逃げ道を与えてはくれない。


「逃げてきたのは、俺の方だった。似非、お前よりも俺が、ずっと愚か者だったよ」


 そのまま、掛け布団に顔を押し付け、誰にも聞こえないよう、静かに泣いた。

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