君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

決意

 夢なんか、しばらく見てなかった。もう見ないと思ってた。だが、その夢は、自分自身のものではない。「誰かの」心を映していた。
 月もない真っ暗な夜。どこか見覚えのある校舎、その屋上。校舎は赤く燃え盛り、屋上も炎に包まれていた。しかし、不思議と煙は上がらず、校舎が焼け落ちることもない。ただ炎に包まれている。熱い、地獄のような炎に。
 赤い炎が、暗がりの中、校舎を照らす、唯一の光。それが例え、地獄でも。


「ここは……」


 この場所に、何度も見覚えがあるはずなんだ。なのに、どうして思い出せない。何度も目に焼き付けた、その恨みを、決意を。


「そこには本当に恨みだけ?そこには本当に負の感情しかなかった?」


 その炎の先に、俺がいる。水底から手を伸ばす、あの俺がいる。


「気づいたはずだ。あいつは、そういうやつじゃなかったんだよ」
「そうじゃなかったんだ。あいつは殺したんだよ」
「あいつが殺したって言うなら、お前だって殺したことになるだろ?」


 思い出す。2年前の光景を。腕の中で親友を失った、あの無力な自分を。


「あいつは殺してないんだ。お前だって殺してない。思い込みは自分を殺すぞ」


 わかっているとも。そうであっても、最初に抱いたその恨みが、消えることはないんだ。どこかで疑ってる。お前が殺したんだって。


―――――もう一人の俺の向こう。炎の中、一人、誰かが屋上から飛び降りた。自らの罪を、償うために。


「あんたは、死を選んだんだよな。なのに、死にきれないなんて、どれほど辛いだろうか」


全てを知ったなら、どれだけ憎いあんたにも、同情するよ。




 目を覚ますと、心配そうな顔をして、孝人さんが覗き込んでいた。その途端、夢の内容を全て忘れる。


「いったい、何のために外出なんかしたんだ。外で倒れていたよ」


 あぁ、また俺は倒れていたのか。しかも、また何か忘れている。しかし、心は落ち着いていた。その記憶がないことにひどく安心しているんだ。


「すみません、何度も心配をかけました」
「まぁ、いいんだよ。和仁が無事なら」


 孝人さんは少し表情を曇らせると、しばらく黙り込んだ。その間が、ひどく怖い。いつもの孝人さんではない気がした。何もない空白に、恐れを感じる。だが、自分の記憶に、恐れは感じない。


「なぁ……その……最近、よく外で倒れているよな。なんで外に出ていたか思い出せるか?」


 自分の記憶に恐れは、もう感じない。
―――――2年前が思い出せなくても、意識を失う前すべてが消えたわけじゃないから。
 自分が死にたい理由を、ぼんやりと覚えている。2年前を完全に忘れたわけじゃない。似非怜花さん、アサシンを覚えている。屋上であったこと、下の駐車場であったこと、墓参り、すべてを覚えている。
 ただ、その時に自分が何を思い出したか、それだけがぼんやりと見えないだけ。
 あとはただ、死ぬだけ。生きるべきでないと、自分自身の罪に突きつけられる。それを贖うために、俺は死ぬのだ。


「俺のせいで、似非は死んだんですよ」
「まさか……思い出したのか?」


 その事実に、孝人さんは驚きを隠せない。顔は苦しそうに歪み、焦りの色が見えている。


「あぁ、やっぱりな……一度進みだした足は、止まらないんだったな」
「俺は、死ぬべきなんですよ。親友の一人も守れない、自らの過ちで殺してしまったんですよ」


 涙が溢れ出す。その事実が、一つ、また一つと記憶の中に湧き出てくる。そして、湧き出た水は、乾いた大地を潤し、水はやがて繋がって、大きな水たまりとなる。その水たまりは次第に広がりながら、乾いた大地を、世界を変えていく。


 2年前、俺は、何かを追っていた。何か大事な事実を追っていた。似非と二人で、謎に迫っていたんだ。だが、似非の方が早く、事の真相にたどり着いてしまった。俺はその時まだ、全く気づくことができなかったんだ。全ての真相にも、似非の心にも。
 似非は「死神」に戦いを挑んだ。たった一人で。俺が似非の心を汲み取ってやれたならば、一人で戦わせることなんてさせなかった。
 気づいたときには、もう遅かった。必死に町の中を探し回って、ついに見つけた時……似非は、死神に体を切り裂かれていた。
 例え、体が裂かれようとも、俺の「神の目」の力が強ければ、きっと治るはずだった。しかし、その時、力の全力を出すことはできなかった。結果、彼は俺の腕の中で息絶え、死神はそれを見て嘲笑ったのだ。「あぁ、運命に翻弄された、馬鹿な兄弟だ」と。


 その記憶だけが、唯一、水たまりに映し出された記憶だった。俺の過ちとは、肝心なところで全力を出せなかった、その無力さだ。そして、似非の心に気付かなかった、馬鹿な自分だ。


「似非が死んで……俺が生きていていいはずがないんですよ。あいつには、妹だって、家族だって、友達だって、たくさんいるのに。どうして……どうして何もない俺が生きてるんですか!」


 頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。頭を抱えたまま、また、静かに涙を流した。俺自身は「無」だ。空っぽなんだ。必要とされるべき人が死んで、必要でない人が生きるんだ。おかしい、間違ってる。この運命は間違っているんだ!


「……全て気づいたら言おうと思ってたんだ」


 孝人さんは小さな声を出した。その声に、ふっ、と顔を上げる。


「それは誤りだよ、和仁。和仁のせいで死んだわけじゃない」


 そんな……そんなわけ無い。湧き上げる全ての感情を全否定する。俺は、死ぬべきだ。


「嘘だ、俺にだって出来ることがあった。俺じゃなきゃできないことだってあった!」


 その無意識の発言に、ふと、疑問を抱く。孝人さんは真剣な顔でうなづいた。


「そうなんだ。和仁にしかできないことがある。それを思い出すまで、もう一度……」


 孝人さんは、俺の頭に手を掛けようとした。それが何を意味しているか、わかる、忘却だ。


「汝は神の片鱗に触れしもの。全てを贖い……」


 そんな、忘れたら、本当に大事なことが思い出せないじゃないか。これを鍵に、本当の記憶を思い出さなきゃいけないのに。
 たった今、忘れたくないと思った。たった今、死にたくないと思った。生きなければ、本当に記憶の全てを思い出さなければ、俺が本当にすべきことは思い出せないんだ。


「嫌だ……俺は、もう……死なない、忘れない、恐れない!思い出すんだ。全部思い出して、俺の本当にすべきことを、成し遂げなければならないんだ!」


「よく言った、和仁。また一歩前進だな!」


 体の中から元気のいい声が聞こえ、それが煙となって出て行く。腕を形成すると、その腕で孝人さんを突き飛ばした。


「まさか……体の中でそいつを収められるのか!?」


 体を完全に形成した、アサシン。孝人さんは、それにはあまり驚かず、怒りをあらわにしていた。


「邪魔をするのか、お前は」
「邪魔をしてんのはてめぇだろ。誰だって、人の死には向き合わなきゃいけないんだ。悲しみ、恨み、罪、すべてを抱えて生きなきゃいけないんだ。その決意を固めさせるのが、大人の役目じゃねぇのかよ」
「……いいか、誰だって、苦しみからは逃れたいんだよ。それが張り付いていたら、生きていくのだって難しい。忘却とはそのために存在する。彼が少しずつ前に進むために、途中で転ばないために、俺は忘却させる」


 顔をしかめ、真剣な眼差しでアサシンを見つめる、こんな孝人さん、俺は知らない。常に笑って、おっちょこちょいで、俺を心配してくれる、優しい孝人さんの面影はどこにもない。
 それを見たアサシンは「はっ、そういうことかよ」と鼻で笑った。


「術が下手くそだと思ったが、全ての術を二上がかけたわけじゃねぇ。いくつかはお前がかけていたんだな。だが……今、目覚める前に忘却させたのは二上だったな」
「あぁ、よく知ってるじゃないか。和仁の体の中から、いつから見ていたんだ?」
「似非怜花に2年ぶりに会った時だ。ま、俺が怜花と協力していても、不思議じゃないだろ」
「お前なら、な。てっきり14年前に絶縁したと思っていたが」
「はっ、そういうんならお前ともだぜ。2年前に出会うべきでなかった俺たちが出会った。こればっかりは不思議だよなぁ」


 それを言われた孝人さんは、頭を落とし、ため息をついた。そしてもう一度顔を上げ、あの赤と青の目で、アサシンを睨む。


「……よく言うよ。誰ひとり守ることもできず、失うどころか殺すばかりで、結局いつも見てるだけじゃないか。14年前も、2年前も。人の死に向き合えないのはお前のほうじゃないか?」
「……黙れ、死も罪も受け入れることができない弱者が」
「それはそっくりそのまま返すよ。結局、俺たちは似た罪を被った、同類だ」
「なら、忘却に逃げずに、受け入れればいいのによ」
「じゃあ、某観せずに、怜治くんを、和仁を、助けてやればよかったじゃないか」


俺を……?似非を……?その時、アサシンの目は今までに見たことがないほど、赤と青に光っていた。


「てめぇ……捨ててないのか。その目を!それに……俺が助けられなかったことを言うな。お前だってその目があるなら、運命にだって逆らえたのによ!」
「俺にだってできなかったんだ!」
「なら、俺の気持ちは少しくらいわかるだろ!」
「理解できるものか!結局、お前は殺してるんだ。何人もその左手で殺して、何人も見殺しにした!それこそお前の罪だ!」


 そして、最後に放った孝人さんの言葉に、心が衝撃を受けた。


「お前は、日和ひよりを殺したんだ!俺たちの、大切な……」


 水底から勢いよく腕を引かれる。衝撃で何も考えられないまま、ただ沈むことを選んだ。


「まずは2年前だよ。そうじゃないと、14年前を思い出しても、心が耐え切れないだけだよ」


 俺自身のその言葉に、安心する。その水に、懐かしさと暖かさを感じた。今は、何も考えず、その水の中を漂えばいい。
――――まだ生まれる前の赤子のように、暖かい水の中で、静かに……眠ろう。

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