君の瞳の中で~We still live~

ザクロ・ラスト・オデン

零と一

「うっ……」
 頭や体がズキズキと痛む。覚元和仁が目を覚ますと、そこは自分の部屋だった。何をしていたのか何も思い出せない。
 ただ、そばには何事もなかったかのように、本を読みながら、世津が座っている。和仁は何があったのかを聞いた。


「俺は、体が痛むような何かをしたんですか?」
「いいや、倒れていたから寝かせただけだ。打ちどころでも悪かったんだろう」


 目も合わせずに答える世津は、いつもどおりではあったが、少々表情が硬い。威圧感を感じる。
 何かしたのか……そして、和仁は彼女の存在を思い出す。どこか忘れてはいけない、その人を。


「似非……怜花……さん。その人が訪ねてきたんだったな」


 今まで苦労していた、意識がなくなる前のことを、意外にもすんなりと、思い出すことができた。確かに、彼女にあったことは覚えている。それより後のことはさっぱりだが、少なくとも、ゼロに戻ったわけではなかった。


「少し、前向きだな。和仁くん」


 世津も、それには少し驚いた様子だった。その言葉には確かに頷けると、和仁は小さくうなづいた。どことなく、前に進む気持ちが、自分の心の中に確かにあった。それは自分の思いなのか、はたまた誰かの思いなのか。


「じゃあ、目も覚ましたことだし、俺は帰るぞ。また意識を失う可能性があるから気をつけろ」


 和仁の方を向くこともなく背中で語ると、世津は靴を履いて、さっさと帰っていってしまった。


「似非怜花……さん。どこに住んでいるのか、孝人さんに聞いてみよう」


 こんなこと今まであっただろうか、誰かに前に押されているような、そんな気がした。




 とある教授はアパートから離れると、すぐに電話をかけた。その顔に冷静さはなく、眉をひそめ、暑いからではない汗を流す。そこには危機感があった。


「どうなっている!記憶は思い出さないんじゃなかったのか!」


 静かに怒鳴ると、電話の相手は流石に慌てていた。


「和仁が動いたんじゃない、似非怜花が動いたんだ。あぁ、予想外だったよ、動くはずのない未来が動いたんだからな。こんなこと、本来はあり得ない。何か別の力がかかっているともとれる」


 電話の相手は、しばらく黙り込むと、質問をしてきた。状況はどうだったのか、と。


「誰に出会った、と聞いたとたん、記憶を思い出したかのように喋ったさ。だが、あれは彼であって彼でない。時間を超えた、彼の意識だ。俺が言っているのはそこも大事だがそこじゃないんだよ」


 どういうことだ、と、電話の相手は聞き返す。


「意識を失って目覚めるとき、直前の記憶をほとんど忘れるように「したはず」だ。だというのに、直前に出会った、似非怜花の名前を覚えていたどころか、気力を取り戻している」


 つまりは、結論を急がされる。


「ゼロに戻らなくなった。彼は着々と前に進むだろう。一歩でも前に進んだら、もう止めるのは難しい。だから聞いているんだ、記憶は思い出さないんじゃなかったのか、と」


 すると、電話の相手は、こうではないかと、空想理論を答えた。


「なるほどね……こちらでは観測不能な「あの存在」がやはり鍵になっているのか。しかし、どうする。明日か今日にでも、大参と一緒に会議を開いたほうがいいんじゃないのか」


 そうしよう、と電話の相手は答えた。


「じゃあ、大参に伝えておいてくれ。切るぞ」


 そうして、電話を切った。教授は空を見上げ、ため息をつく。セミの鳴き声が耳に張り付いた。


「あぁ……この調子じゃ、8月28日、彼はすべてを思い出してしまうな。彼にとって、何が幸せなのか」


 セミは、夏は、時は、どうやら無慈悲らしい。和仁だけじゃない、封印したはずの箱が、開く時が来る。




 ……空は、快晴だ。家のベランダから私は空を見る。暑い、早く中に入って涼みたい。それでも、この暑さは季節が変わろうとも、絶対に忘れたくない、身に刻みたい。似非怜花は悲しげに空を見上げる。


「8月28日で2年経つのか……早いな……」


 2年でいろいろあった。覚元和仁は昏睡状態で、兄のことを教えてもらえず、あれまで町を騒がせてた殺人鬼の情報は立ち消えた。怜花自身は高校生になり……


「お兄ちゃんは死ぬし……」


 ホント、今頃天国で何やってるんだろ、あのバカ兄は。いつもみたいにヘラヘラ笑って過ごしてるんだろうか。怜花は心の中でつぶやく。
 本当は、苦しみながら死んだんじゃないだろうか。あの笑顔の裏で、抱えきれないほどの闇を抱えて、それを抱いたまま死んだんだろうか。どれだけ考えても、誰にもわからない。


「死んだら何も分かんないじゃん。お兄ちゃん……」


 怜花の瞳から、思わず、涙がこぼれた。泣いたところで、何も変わらないのは分かっているが、それでも、神様が居るのなら、兄を返してくれと言いたかった。
 すべてを知っているのは、覚元和仁、彼本人。兄のことも、殺人鬼のことも、全部知っているのは、彼だけ。そう、そのはずだ。心の中にとある誰かがよぎるが、あれはもうどうでもいいと、怜花はただ一心に願うことにした。




「だからこそ、お願いです、先輩。どうか私を思い出して……」


なぜ、そう言ったのか。怜花自身もわからなかった。


「きっと思い出してくれるよね。だって、お兄ちゃんは先輩と……」


夏風が吹き抜ける。汗ばむシャツが、一瞬だけ涼しくなる。


「怜花……」


誰かに呼ばれた気がして、怜花は振り返った。しかし、そこはただ風が吹き抜けるだけで、何もない。兄のいなくなった、兄の部屋。


「お兄ちゃん……私を一人にしないで」


伸ばした手は、何も無い空を切る。誰もいない。誰も真実を教えてはくれない。どれだけ、そばにいたとしても、どれだけ、近づいたとしても。






記憶、とは認識しなければ記憶ではない。それは単なる記録である。


忘れてしまった、思い出せない。それは認識できなくなったということだ。


だが、もしも、それが「認識できなくなった」ではなく「認識しなくなった」だけだとしたら


それは本人の精神しだいになるというわけだ。


つまりは、今の彼は「精神が拒絶している」のか、はたまた完全に「肉体が衰えた」のか


誰でも、思い出したくないものには蓋をするものだ。


その蓋は、本来は自分自身がするものだ。それが他人にできるとしたら、術かなにかだろう。


自分自身ならそれは精神か、はたまた「自分の力」か。


あぁ、話が長くなってしまったね。そろそろ世界を進めないと。


俺が誰だって?まぁいいじゃないか。




これから始まるんだよ「覚元和仁」の話はね。





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