ある日、5億を渡された。

ザクロ・ラスト・オデン

後悔と別人

……店から離れようとする大柄な男性を、優斗は追いかける。男性もすぐに気づいたようで、後ろを振り返った。


「あぁ、ゴミくず坊主か。どうした」
「……誰の差し金かは聞かないでおくが、ずいぶんと引っ掻き回してくれたな」


すると、大柄な男性は、ため息をつくように笑う。


「えぇ、そりゃあそうでしょ。潰して来いって言われたしなぁ」
「ほう……にしちゃあ、手段が雑だし、確実性がない。甘いな」


 今度は優斗が笑い返した。男性の眉が、不機嫌に歪む。だがそれもほんの一瞬だった。


「まぁ、この流れからしたら、旦那の心は折れないなぁ……だがまぁ、そこはお前だ。期待しておくよ」
「……なんだと、クソジジイ」
「────」


────次の男のセリフに、優斗は駆け出した。中学生時代から、意識を沈めるときに得意としていたその拳を、走りぬきざまに腹に当てようとする。
……しかし、男はその拳を片手でつかむと、そのまま背負い投げしてしまった。優斗はすぐさま受け身を取るが、ここはアスファルト、それでも痛みは確かにある。


「甘いな、ゴミくず坊主。お前の一撃が、俺に通用すると思ってんのか?」
「うるせぇ、クソジジイ。道を外れたお前なんか、本気を出せば……」


 手の筋肉の強張り、その一瞬を見抜いた男は、優斗から手を離した。優斗もすぐさま距離を取り、男を睨みつける。そこには、今にも殺し合いが始まりそうな緊張感が漂っていた。


「おっと「後継者」に本気を出されちゃ困る。その本気は、別のために使うんだろ? 俺のためじゃあない」
「……黙れ、お前を泳がせている「あいつ」にでも感謝してろ」
「ほぅ……やはり泳がされていたか。こうしちゃいれねぇ、俺は坊ちゃんのためにいろいろやらなきゃいけないからな」


 余裕を持った、ゆっくりとした足取りで、男は去っていく。その姿は、何かの頂点に立つような振る舞い。しかし、そこはどこか孤独。それを冷たい目で睨みつけながら、優斗は小さくつぶやいた。


「本当は誰のためだよ。俺が告げ口しないだけ、ありがたいと思え、クソジジイ」


 そして、優斗は駆け出した。優斗は、彼のためにやらなければいけないことがある。あの男と同じように、誰かのために人生をかけた。そうだった、そこはどれだけ憎むべき相手でも、似てしまったのだ。優斗はそう思った。お互いに、それはわかっている。だからこそ、核心には触れなかった。
────走れ、その先に、どんな結末が待っていたとしても。






────その頃、俺は何とか仕事を終えた。同級生とも、ほかのお客様とも、社員ともうまくやっていけた。手助けもなく、社長としての仕事をこなす進に、冬馬さんも何も言わなかった。微笑みながら俺の後片付けを見ている冬馬さんは、授業参観を静かに見守る母親のような感じがする。
 そんなお母さんのような冬馬さんに見守られ、影山モータースでの仕事は、今日で終了。同級生たちも、またここに来ると言って、修理を終えて帰っていった。何とか、最初の思っていた通りにできたんじゃないだろうか。この周辺の客層は確かにつかみつつある。同級生もつかめれば、もう問題はない。
……そう思っていた。しかし、最大の問題点を残したままだったことに気付く。まだ俺は────出羽を潰していない。


「冬馬さん、帰りに、出羽のバイクによってもいいかな」
「はい。今回の視察では、両方の客層を見て、経営を考えるものでしたが……」
「そうです。俺は結果、一度も立ち寄っていない」


 そこに冬馬さんは、本当は縋りたい、その言葉を口にする。


「仕事は終えられたのですから、もう良いのでは?」


 その言葉は確かにそうだ。もう用事なんてない。もうこれ以上、トラウマを蒸し返す必要もない。でも、それでも俺が逃げないのは────きっと、変な自信がついてしまったから。


「やっぱり、俺はどこか異常ですね。逃げてもいいことなのに、今は逃げる気が全くない。あれだけ逃げたかったはずなのに、今は立ち向かえる気がして仕方ない。俺って、どこか狂ったロボットですよ」
「そうですね……その気の変わりようには、どこか統一感のなさを感じます。それはやはり、異常であるかと」


ですが、と言って冬馬さんは続ける。


「それでも、そうやって迷い続けるのは、生きている証なのかと。迷い続ける限り人は、人であり、そして成長の可能性を持っていると思いますよ」


 そうか……俺はこうもどっちつかずで迷い続けてる。だから俺は、人なんだ。どれだけ人として歪んでいようとも、どれだけ人として成り立っていなくても、冬馬さんの中では、俺は人間なんだ。


「一人で……行ってきます」
「……わかりました。では、この影山モータース駐車場にてお待ちしております」


 そういって、冬馬さんは深くお辞儀をした。俺も小さく会釈すると、過去へけじめをつけるために歩き出す。今こそ、すべてを変える時だ。過去さえも、俺は乗り越えて見せる!
……そう決意し、裏路地に入ること三軒。あっけなくもそこに出羽のバイクはあった。よくもまぁ、こんなに至近距離で出会わなかったもんだよ。歩いていけるラスボスか。
 夕日に照らされた玄関のチャイムを押す。こんなこと、中学生時代もやったことはなかった。いや、一回あったか。罰ゲームで、休んだ出羽に、連絡帳を届けに行った時だ。あの時は、連絡帳を奪うように取られて、睨まれたんだっけか。


「あいよー、どちらさん」


 チャイムから数十秒後、懐かしい顔がドアを開ける。彼は驚いていた。決して来ることのないはずの人間が、ここに堂々と立っているのだから。


「……あぁ、ビンボー人の矢崎か。あの時以来だな。楽しかったか、中学校生活は?」


 その言葉に、心の傷は抉られ、怒りさえも湧き上がってくる。しかし、今の俺は冷静だ。この傷は何度も抉られた、そのたびに何度も乗り越えてきた。もう痛まない。いや、もう何も感じない。
 突然の来訪者に、にやけが止まらない彼────出羽は、余裕を讃えていた。今更だ、こんなやつに何ができる。こんなやつが何をしに来たんだと。


「おかげさまで、全然楽しくなかったよ」
「そうだろうな。それを面と向かって言いに来たのかよ」
「いいや、そうじゃない。過去にけじめをつけに来た」


 その言葉に、出羽は思わず顔を不機嫌そうに歪ませる。


「今更、なんなんだ。もうあれから何年も経ったってのに」
「今だからこそ、聞けることもある気がして」


 その声は、詰まることもなく、すらすらと出ていく。そこに迷いがないからだ。そこに恐れがないからだ。だからこそ、トラウマを前にしても、別人のように冷静でいられる。そこにいるのは、矢崎進の記憶を持った何か────別の人間。


「……お前、本当に矢崎か?」


……それには、出羽も気づいていた。気づいていないのは、進だけだ。

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