ある日、5億を渡された。

ザクロ・ラスト・オデン

器と欲

……帰り道、俺はただ、何も考えずに歩いていた。考えてしまえば、きっと俺は、俺自身に負ける。
 どれだけ母さんが過去を閉ざしたとしても、俺は人間だ、意思を持っていたはずだ。だが俺には、過去を知る意思を持たなかった。それはなぜか、今ならわかる。


「最初から俺に「人間の心」なんてなかったんだ」


 自分を知るという意思を持たない、他人を知るという意思を持たない。どれだけ知ったふりをしていても、結局は、何も知らない。
────例えるならば、ロボットだろうか。最近のロボットは、たくさんの知識を持っている。だが、心を  持っているかといえば、そうではない。俺には、様々な仕事をこなせるスキルがあった。しかし俺に、人間としての心はあったか。そう聞かれれば、そうではないと答えよう。
 考えたくなんてない。でも、昨日と今日の、様々な人物の言葉を思い返してしまう。すべて、俺の「異常性」を証明する言葉だ。


「あんたが不幸になった原因なんだ。全部あんたのせいじゃない! 感情のない、ロボットの癖に!」


 真希に殴られ、言われた言葉。俺はこの時まだ、自分に感情がないことを実感できていなかった。


「誰かのために、そうじゃないと成り立たないお前の正義。悪いがそりゃ、正義でもねぇし、理性でもねぇ! 操り人形の糸探しだわ!」


 優斗に怒鳴られ、言われた言葉。俺の行動原理はすべて「誰かのために」で動いていた。それが、いつの間にか自分を縛っているとも知らずに。


「あなたには、幸せになってほしいの。欲を持ちなさい。じゃないとあなたは……」


 空っぽだ、心の中でそう言い返した母さんの言葉。誰かのために、そのために生きてきた俺は、自分自身の欲望なんて持っていなかった。


「でもね、我慢するのは良くないんだ。現状に甘え、精進を怠ったものに、成功も未来もないんだよ」


 明に優しく言われた言葉。それは一見励ましだが、俺にとっては叱られたも同然だ。欲のない俺は精進しない。心のない俺は現状に甘える。俺には成功も未来もない。


「あなたは職業を変えただけで、満たされてしまっている。ほんの少しの自由だけで、ほんの少しの余裕だけで、あなたは他に何もいらないっていうのね」


 母さんの言葉で、結論に達した。俺には心がない、だからこそ欲がない。変化を望まず、ただ誰かのために生きる。自分という人間は、生きていなかった。
────俺は人間じゃない、ただ誰かの、社会の、操り人形だった。


「……無理だ、今更人間になるのなんて……」


 空っぽなその器は、万人を受け付けるようで、まったくの真逆。コンクリートの壁で囲われた、空っぽの器。そんな器に、5億なんてものは入らない。
……歩みが止まった。これ以上進んだって、これ以上何かを見たって、辛いだけだ、苦しいだけだ。死んでしまえばいい。俺はきっと、そうあるべきだったんだ。落石に遭ってまでも生き残った、それこそが間違いだったんだ。


「あれー、歩くのやめちまったか? すすむん」


 後ろから、気の抜けたような声が聞こえる。振り返るとそこには、昨日と同じような姿で、ヘラヘラ笑った優斗がいた。


「……どうしてお前が、俺の後ろに……」
「忘れちまったか、昨日のこと。アカリしゃちょーが、すすむんに協力しろって言ってな。まぁ、病院にいるだろうと思って後をつければこんなもんだ」


 今の俺には、何も返す言葉がない。誰かのために生きていたはずなのに、結局自分を殺し続けてたと分かった今、誰かと話す気力もない。
 そんな俺を知ってか知らずか、優斗は馬鹿にしたように指を指して言う。


「ひっでぇツラだぜ、すすむん」


 そうか、俺、今……どんな顔してるんだろう。


「俺の顔は……今、どんな顔だ?」
「なんつーか、絶望、苦しみ、地獄の中って感じ? ってか────」


 次の言葉に、俺は心臓を撃ち抜かれたかのような衝撃を覚えた。


「すすむんにも感情があったんだな」


────俺には感情がないように見えていた。ほかの人だって、俺が普通じゃないことくらいわかってたんだ。でも、それ以上に……


「なぁ、優斗。今の俺は、人間っぽいか?」
「あぁ、自分の顔に疑問持つとか、苦しむとか、悩むとか、それって人間の持つ感情だろ。いつもより人間味があるわな」


 今、悩み続ける、今、死のうと考える、今の俺が、人間らしい俺。


「まぁ、言ってみりゃあ、お前って人間としてはどこか異端だよな。欲もねぇし、感情も薄い。誰かのために生き続けて自分を殺す。これっぽいことは昨日言ったよな」
「……ぽいことは」
「でも「完全な無欲」なんてやつは存在しねぇ。お腹すいたとか、楽したいとか、そういうのは普通にある。それがある限り「最低限人間である」って言えるだろ」
「……確かに」
「何ならお前は、昨日涙を流した。欲を持っても、その欲がうまく制御できないってな。涙を流すのは人間の心があるからだろ」


 誰かが隣にいないと、幸せになりたくない。誰かと一緒、誰かのために生きた、俺らしい欲望。そこに自分が主体でないという、異常な欲望。


「お前は、欲も心もある。すすむんは人間だよ。ただ、ちょいとばかし歪んで、異端な人間。自分を考えられない、人間味がちょっと足りない、ね」


 優斗は俺の肩をポンッとたたき、隣で笑顔を見せる。その笑顔は、周りまでも元気にするような力を持っていた。


「まぁ、今からでも遅くはねぇよ。ちょっとずつ、進めばいいの、すすむんは!」


 無理に進まなくてもいい。自分自身のペースで、自分自身を作り出せばいい。そう考えたら、少しだけ気分が明るくなってきた。どうやら俺は、人間として最低限は保証されているようだ。


「じゃ、一緒に家にでも帰ろうぜ、昔みたいにな!」
「あぁ、くれぐれも寄り道はしないでくれよ」
「あったりまえだぜぇ! ヒャッハー!」


 夕暮れの道を、肩を並べ、共に帰る友人がいる。誰かと一緒に幸せを共有することは、決して悪いことじゃない。だって俺は今、こうして、小さな幸せをかみしめているのだから。
 二人なら、秋風も寒くない。誰かと一緒ならきっと、自分と誰かを見比べることで、自分自身が、見えてくる、そう思っておこう、今は。

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