光の幻想録

ホルス

#47 変獄異変 終幕.

 陽が登る、それはこの世界を優しく照らす暖かな希望。地上には1匹足りとも獄獣の姿は無い、あるのは無惨に散らかった肉片と臓物、そしてこの世界の存命を命題とし戦い抜いた者たちの安堵の吐息。
 未だ星が薄く見える曖昧な明るさの空を見上げる巫女、今までにこれ程までに過酷で残酷な異変は類を見ない。あらゆる戦力を投与したとしても滅びの運命は変えられず、今回の異変は解決されず……世界は滅びていたかもしれない。
 あのイレギュラーな存在が無ければ間違いなく──、私は博麗の名を冠する者として弱いのだ。
 異変解決のスペシャリスト……?はっ、笑わせてくれる。私はただそこら辺の妖怪より力のあるただの人間だっただけだ、粋がるのも大概にしておくべきだ。

「終わった……んですよね……」

 額から血を流して右目にかかって開けられずに戦い抜いたピンク髪の少女は不安げに尋ねてくる。
 ──きっと私が不安そうに見えたからだろう。
 だから私は残る気力を使ってこう答えた。

「お疲れさま」

 私の以降の記憶は当分先、博麗神社で目覚めた頃になる。





 俺たちは互いに手を取り肩を並べあって天界のその先、戦闘中に見掛けた宮殿のようなものを見つけ向かっていた。暖かな陽光が照らし気温で冷え切った体を微かに暖めてくれる。

「姉ちゃん俺は大丈夫だ……自分のことを気にかけてくれ」

「私は大丈夫よ。それよりゾロアスターの方が余程酷い重傷、幻影とは言え実体・・のある敵を相手にしていたのよ、今は大人しく従いなさい」

「────……はいはい」

「『はい』は1回」

「はいよ姉ちゃん」

 俺と海色に抱えられた海色とそれを支える人造クローン、名をゾロアスター。俺と瓜二つの見た目でありながら小鳥遊楽の体に封印され自我のみを発現させていた存在体。それがあの状況下で突如肉体を得てこの世に顕現したのだ。
 そうなるには相応の理由がある訳だが、俺にはその心当たりがある、それは『奇跡』と呼ばれる事象。

「……なあゾロアスター」

「言いたい事は分かってる、俺は楽お前から創られたクローンだ。当然思考もそのように設計されてる。その気持ちは十分に伝わっている」

「なら俺が次になんて言うかくらい分かるだろ」

「はぁ……好きにしろ」

「ありがとう。助かったよゾロアスター」

「あいよ楽」

 ゆらゆらとぎこちないあゆみで辿り着いた先は白亜の宮殿、雲の上に幻想的に建立するそれは不思議な感想を抱かせる。綻びも無ければ穢れもない、完全秩序の聖なる砦。
 内部へ続く巨大な扉は不自然に開閉されており、誘い込まれるかのように俺たちは宮殿内へと足を運ぶ。装飾されておらず、ただ純白な空間のみが広がっており無の空間だ。

「不思議な場所だな」

「──ここは、賢者の間」

 透き通る澄んだ声が脳内に響く、直接語りかけられるような不思議な感覚で嫌という訳でも無いが何処かこそばゆい。

「──君の裁決が決議された」

 舌も体も動かず、空間そのものに固定化され一切の身動きを束の間に封じられていた。力を使い果たしているとはいえある程度の身構えはしていたつもりだったが、意図も簡単に捕まってしまったようだ。

「──死。君は死を以て我らが世界を平穏へ導く」

「──臆する事無くその剣を携え斬首せよ」

「──我らが神の思し召しである」

「──尊き命により世界は平穏へ導かれる、光栄に思うが良い」

「──その命を棄てよ、大罪人にそれ以上は求まぬ」

 あらゆる重みが交差する、強制力のあるその声たちは人が頭痛に悶えながら耐えようとも繰り返し機械の如く問い掛けてくる。
 恐らくこいつらはこの世界のトップ、都市で言う忌々しいゴミ共と同帯に君臨する者どもだろう……。

「よしなさい貴女方。例え異邦人で危険性を孕んでいようと我らが幻想に立ち入った事実がある限り、そして博麗の名を紡ぐ者がかの者に名を与えたのです。彼は私たちと同じです」

 これ以上に澄んだ声を聞いたことがなかった。すぅっと空気が流れ込んで来るかのように自然に声が耳に通る。それは聞いているだけでとても心地が良く、つい聞き惚れてしまった程に。
 その声を聞いた途端手足も動く、舌も回る、その事に気が付いた時には既に行動を起こしていた。

「東風谷早苗を出してくれ、俺はその子に用があるだけなんだ」

「──貴方には……いえ、貴方のお父様のお話を先にさせて頂いてもよろしいですか?」

「────」

 …………親父か……。

「俺と貴方だけの席を用意してくれるなら構わない」

「そう仰ると思い、既に空間は手配してあります。どうぞおかけください」

 何の前兆もなく無の空間が入れ替わった・・・・・・。そんな事能力や魔術の類でさえ不可能だ、ましてやこれは説明が付かない……?

「おかけください、博雨光」

「かなり驚いただけだ悪い……それで親父のことって」

「その前に1つ、貴方に確認して頂きたい事があります。私のフード、こちらをお取りになって顔を拝見して頂いてもよろしいですか?」

 罠ではない、そう確信できていたからこそ俺は躊躇なく長方形の長テーブルの横を通りその方のところへと足を運びフードへ手をかける。
 フードを取り終え後ろに流す、その際辺りの空気は何だかとても暖かくなったように感じられた。

「この顔はご存知ですね光」

「嫌ってほど見飽きてるよ……ひな・・

 その顔を見間違えるはずは無い、その顔は先程まで一緒にいた闇色海色と……そして妹ひなと瓜二つ、全くの同じであった。






 「私が貴方の妹であるひなさん、そして闇色海色と同じ顔である理由。私が幻想世界、つまり幻想郷で生きる事死ぬ事を覚悟したひなさん、──『もしもif』の存在です」

 そもそも世界とは1つでは無い。この幻想世界が1つの世界です。そして光、貴方が居た隔絶海洋都市の存在する世界もまた1つの世界。そして貴方が元々存在し産まれ育った世界もまた1つの世界。
 そして原則、1つの世界には1人の人間が産まれ落ちています。貴方が元々居た世界の人間であるとすれば隔絶海洋都市世界にも『小鳥遊楽』は居るでしょう、そしてまた我らが幻想世界にも『小鳥遊楽』は存在する。
 世界と世界は繋がることは無い、それが原則として定められる世界間の掟です。ですが貴方のように世界のトップレベルの者から直接誘われれば問題なく世界の移動は可能になります。ですが異変を引き起こした藤淵閃のような人間などは、その執念の技術や知識のみで世界へ侵入し侵して行く。そのような存在には世界から制裁が下る事が殆どです。
 
 ──さて本題に戻しましょう、貴方のお父さんについてです。

 貴方の父は元々は貴方が産まれ落ち育った世界の人間です、貴方の世界では災害に見舞われ……いいえ、ここは良いでしょう。
 父は娘を救う手立てを捜索していく内に人力では不可能だという結論に至り『奇跡』の成就が成される世界を探し回りました。そして不意に八雲紫と遭遇し奇跡について知る、貴方の父はそこから我らが幻想世界に度々侵入を試みました、その都度紫が対応し侵しには至りませんでしたが、何度か試すうちに貴方の父は寿命を迎え命を引き取ることとなった。
 その無念と願いを貴方に託したのでしょうね、貴方に伝わる『有り得がたき幻想』というものは。

「──親父は俺に全てを話す時間も無く死んでった、残されたのは親父が遺した日誌のみ。だから俺は八雲紫について詳しく知っていたってのはある。だが有り得がたき幻想ってのはまだよく分からないままだ、誘われた時に不意に感じただけで実際それが何なのかは分からない。なあ……あぁ、なんて呼べば良いかな貴女は」

「私はこの世界において真神しんかみ、そう呼ばれ崇められています」

「そうか……神さま、ホントは俺の事殺すつもりだったんだろ?」

 ──ひなは答えない。

「俺がこの世界に何らかの支障をきたしたから八雲紫は俺をこの世界に繋ぎ止めた。そして俺を追いかけ恐らく藤淵が災厄を齎したんだ、俺は生かしておく必要は無いんじゃないか?」

 ──ひなは答えない。

「俺は妹を救う手立て、奇跡が欲しくてこの世界に来たんだ。改めてもう一度聞きたい、俺に奇跡を渡したくなければこの場で殺すつもりで引き止めてくれ」

 ──俯いたままひなは答えない。

「ひな……良いんだな?」

「──好きにしてください、異変を解決してくれた事へのせめてものお礼とさせて頂きます」

「そうだ1つだけ約束して欲しい事がある、奇跡を遂げたら必ず、俺たちを全員海洋都市に戻してくれ」

「──分かりました。その際にまた私に目掛けて声をかけて頂ければと思います。賢者たちには私がなんとか言っておきます、どうかその祈りを遂げてください」






 天界から身を卸した地は妖怪の山、その頂にある寂れた神社に立ち寄った。少し前には妖怪たちが多く存在しあらゆる妖怪が俺にちょっかいをかけてきた。
 だがもうその妖怪たちは居ない、あるのは木々や植物に付着した血痕のみ。それが存在していたという証明だった。

「入るぞ」

 神社の奥へと踏み入る、東風谷早苗との接触封印は既に解呪されているから以前感じた違和感や痛みは発生しない。
 そもそも東風谷早苗は生きているという疑問だが、少なくともゾロアスターが肉体を得て顕現した時までは生きていたはずだ。体内に感じた力の残滓、あれは東風谷早苗を見た時に感じた残滓と酷似していたからだ。

「ん……んぅ……」

 陽光差す園庭の間で顔だけ日光が差し覚醒しつつある緑髪の少女が居た。
 少女は体を起き上がらせ両手を高くあげ猫のように伸びをした後、ふと気配を感じたのか背後に居た俺へと視線を向けた。

「俺が来た意味は分かるな守矢の巫女」

「──賢者さま……?」

 ──違う。

「違う……俺は君の知っている博雨光じゃない。俺は別の世界から来ただけの博雨光だ」

「そう……ですか……では私に奇跡を願いにいらしたのですね」

「──そうだ。俺は全てこの時のために生きて来たと言っても過言じゃない。俺の願い聞き届けて貰うぞ東風谷早苗」

 ──違う。

「願いが叶うと言うのに、何故貴方はそんなに苦しそうに泣いているのですか?」

 俺は泣いていた。それは人1人が東風谷早苗に叶えられる願いは人生において1度のみだと知っているから。
 俺は葛藤している、ひなを救うためにあらゆる犠牲をこの世界で払ってきた。それはこの世界を蹴落としてまで叶えようとした願いがあるからだ。
 俺は苦悶する、その罪を背負ったまま……この地で生きていた者たちを投げ捨ててまで1を救うのかと。多数を捨て1を救う、それでは天秤が大きく傾きただひたすらに苦悩を背負う事を意味する。
 だとしても俺はひなを救うと誓った、だと言うのに俺は……、

「これは私が犯した罪、貴方には落ち度はありませんよ賢者さま。貴方の、懐に抱えたその願いを思うがままに聞かせてください。それが私の囁かな願いです」

 ──俺は、

「──願いを聞き届け緑の巫女。俺の妹、──ひなを奴らの手から救い出し俺の前に呼び戻してくれ……ッ!!」

 ──願いは聞き届けられた。
 緑の巫女から発する光は世界を跨ぎ某所へと繋がりを得る、その光は世界を繋ぐ架け橋にもなり得て人1人を運ぶ事なぞには造作もない事であったと。
 儚く輝く一筋の光は次第にその輝きを失いながら巫女へと収束し1つの形となって俺の前へと差し出される。
 小さな球体のようなものが巫女の両手に支えられ、次第にそれは膨らみを持ち始め人としての形を形成し始める。
 緑の発光が終わり人の形を成した後、ゆっくりとその人物を視認出来るように────、

「ひ……な…………」

 間違いなく、その姿こそ……ついに救い出せた…………幾年の時間を掛けた事か……ようやく取り戻したッ!!

「ん……んんぅ……」

 茶髪で目は黒く、それでいて誕生日にあげた星型の髪留めを付けている少女は深い眠りから目覚めるかのように大きく欠伸をしながら目を覚ます。

「ひな!!ひな!!!!!」

 目の前の少女を強く抱き締める、もう2度と離れさせないと、もう絶対奴らには渡すまいと誓うかのように強く、強く……。

「らく……?」

「あぁ!俺だひな!!」

 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら俺は少女を見つめる。久しく見たその顔は海色と瓜二つそのものだった。

「らく……らく……ッ……怖かった…………怖かったよ…………」

「ごめん……もう絶対に離さねえからな!!もう……2度とあいつらには良いようにはさせねえ!!俺が今度はずっとついてるから心配すんな……!!」

 俺に残った本当に、唯一の家族……親父も死にひなを助け出す為にこの命を擲つ覚悟さえ決めたあの日を思い返す……長かった……親父、俺はやり遂げたよ……。
 もう絶対ひなをあいつらには渡さない、これ以上俺の家族を弄ぶ奴らは全て俺が排除する……例えそれが世界であろうと俺の意思は変わらない。
 再び残されたたった1人の家族を強く抱き締める。

「おかえりひな」

「ただいまらく」






 その後幻想郷で幾日が経過した。
 博麗の巫女がこっこに新たな名前を授けた事により幻想の住民登録が成され、東風谷早苗に奇跡を願う権利が与えられ『幻想郷は以前と同じく妖怪や人間で溢れていた』。
 獄獣に殺された者、獄獣となり身内や友達を殺した者はそれらの記憶のみが書き換えられ抹消されている。それは人が宿していて良い記憶では無い、それは地獄に眠る悪夢だったのだと四季映姫は云う。
 ──だが異変があったことは誰もが覚えている、ただどのような異変だったのかが分からずいつの間にか解決されていたという事になっている。この戦いで息絶えた者にこの話は以後禁止と生存した者たちの間で誓いが立てられたのは昨日の話だ。

「よぉう霊夢!干物くれ!」

「ったくあんたはねぇ、自分の家で作る事くらい出来るでしょうに」

「それは私には合わないな、作るならもっと派手なもん作りたい」

「例えば?」

「んー……爆発キノコとかどうだ?」

 そんな馬鹿げた話を聞かされている身にもなれってんだたく。

「そんなもん食うな栄養が偏るだろ!俺が腕によりをかけて何か作ってやるからこれは没収だ没収!」

「なっ……!?光の癖して偉そうなこと言ってんじゃないわよ!寄越しなさいそれは私の干物よ!!!」

「いや違うな私のだ!だからとっととよこしやがれ光!!!」

 干物でこんなヒートアップしてるとかどれだけ貧しい暮らししてるんだこの2人は……?
 これは念には念を入れてたんと美味い飯食わせてやるしか……、

「ひなは何食いたい?今なら何でも作れる気がするぞ」

「……じゃあ……ううん、らくのなら何でもいいよ!」

 嬉しいこと言ってくれるじゃねえかこいつめ。
 でも何でも良い言われるのが1番難しいのだ、ほんとに何を作れば良いか分からないからである。

「霊夢さんと魔理沙さんは何食いたいんだ」

「「美味けりゃ何でも良い!」」

 ──こいつらッ……!
 いやまあ良い、とにかく手に持ったこの干物に封印を施して絶対に手が付けられないようにして台所へお邪魔しよう。
 外の世界から稀に道具を取り寄せていると言っていたから冷蔵庫があるのは分かっている、ただ不安から中身を確認していなかったのは俺のミスだろう……。
 そっと冷蔵庫を開けて分かったが、この神社には冷蔵庫は要らない気がする、なんと干物しかないのだ。

「一体どうやって食い繋いでるんだ……?」

 感心……?は後だ、今はとにかく材料を調達しないといけないな、人里に降りるしかないか?

「霊夢さん材料買ってくるからお金を貸してくれ」

「ある訳ないでしょそんなもの、私の貧乏度を舐めないで欲しいわ」

「それは自慢する事じゃねえからな」

 弱ったなこれじゃ何にも作れやしない、まさかここまで何も無いとは思わなかった。

「お……?おい光!これはどうだ!?」

 そう魔理沙さんがポケットから取り出したのは銅貨……おい待てそれ10円玉じゃねえか……?

「この世界で取り扱ってる通貨は何だ」

「知らん」

 どうやって生きてるんだこの2人は……。






 魔理沙さんから取り敢えず受け取った10円玉を預かって人里にまで降りてきた、これほどまで人里とは人間で溢れかえってるだな……。
 見渡す限り人、人、人。絹や糸、布を売っている店もあれば魚、肉などを売っている店もある。都市での光景も相俟ってどこか懐かしく感じてしまう。

「らく、ほら買いに行こ」

「魚……そうだな魚を買いに行こう、おいでひな」

 ひなの手を繋いで魚を売っている店の店主に尋ねてみる、

「いきなりすみません、これって使えますかい?」

 預かっていた10円玉を恐る恐る差し出し店主に握らせると、とんでもない顔をした後店の奥へと走り去って行ってしまった……。

「どうしたんだろうねらく?」

「何か悪いことでもしたかな……」

 とんでもない足取りで再び目の前に現れると、10円玉を指差しながら店主は、

「ここの魚全部持ってって良いよ!!!」

 その店主の声に道行く人々は視線を一点に集中させた、違うぞ俺に言ってるからな。

「そんな価値があるものじゃないですが、良いんです……?」

「良いよ良いよ!!これ外の世界の通貨だろぉ!?いやあ滅多に手に入らなくってねえ!お客さん気前が良いよ!!そこの可愛い嬢ちゃんにもこれあげるからいっぱい食わしてやんな!」

 さっき店奥まで走って行ったのは米俵を持ってくる為か、というか10円玉でここまで大事になるとは思ってもいなかった。

「わ、分かったありがとうございます。でも流石にこんな食べ切れないからそこの魚を6切れ、それとお米を少し頂けるだけで構いません」

 そう何度も説明したのに店主は「遠慮すんな!」の一点張りで、結局大量の魚と氷が入った袋を歯で噛み締めながら持ち運び、残った両手には米俵を抱えるという地獄のような持ち運び作業が待っていた。
 魚だけで何キロあると思ってんだあの店主、こんなの残った分が勿体ないぞ。

「ひふぁおもぁかぁなぁいぐあ?」

「大丈夫だよらく、でもらくの方が辛そうだけど大丈夫?」

 ひなもひなで大量の魚と氷が入った袋を1つ抱えているのでこれ以上無理をさせる訳にはいかない、後数百メートルの道のりが長く感じられる……。






「死ぬ……」

 神社に着いた第一声がそれだ、顎が外れたんじゃないかと疑うほどミシミシと嫌な音を立てている。両手ももはや動かせる状態とは言えない。
 ひなもひなで少し手が赤みがかっていて痛そうな素振りはしてないが痛そうではある。

「海色回復をくれえ!」

「はぁいはい、全く私をヒーラーか何かと勘違いしてるんじゃないでしょうね楽」

 奥からスパパっと駆け抜けてくる海色は文句を垂れながらもしっかり俺たち兄妹の手の痛みを癒してくれた、ひなと同じ顔をしているだけにそこは優しいのだ。

「助かったありがとう海色」

「別にいいわよ、ひなちゃんこっちは私が持ってあげるね!」

「ありがとう海色さん!」

 同じ顔を持った2人がこうして話し合っているのを見ると不思議な気待ちになる、俺は成し遂げたのだなという達成感を感じることも出来る。

「なぁにニヤニヤしてんのよ楽」

 同時に守ってやらなければという覚悟も──。

「いや、何でもない。さあ今日は魚だ」

 台所まで荷物を引っ張って移動し、調理器具を見つめる。尋常ではない程錆びれているのだ。あいつ本当に干物だけで過ごすつもりか?
 新たな調理器具を『無』から生成する能力を使用し、それを必要な分だけ生成する。一定時間しか存在出来ないもの達だがこの場は凌げると思う。
 まずは火を炊く、ここでも炎を生成出来る能力を使用して着火させる。次に水……が出ないので海色の能力を使って水も溜め込んでおく。
 次に包丁を手に持ち楓の能力を使用し腸を取り出しておく、水でよく洗い流して──。

「ひな?」

「手伝うよらく」

「疲れたんじゃないか?休んでて良いんだぞ?」

「らくのお手伝いがしたいの」

 唐突にひなの頭を撫でてやる、見ない間にこんなに成長したんだなひなは。

「ありがとなひな、じゃあ──」





  
 ひなの手伝いもあって料理はすぐに出来上がった、質素だが白飯と焼き魚、それと魚の袋の底に店主が隠れて入れていたのであろう漬物の袋があったので漬物を入れた和食セットである。
  5人全員が美味い美味いと豪語しながら口いっぱいに頬張る姿を見ていると幸せを胸の奥底から感じることが出来る、ようやく俺は解放されたんだな……と。
 食器を片付ける際にはゾロアスターが手伝ってくれた、東風谷早苗に誰かが『幻想郷に異変を解決しえる新たな戦力の覚醒』という願いが成就され、内に潜むゾロアスターの人格が肉体を得て別離したと東風谷早苗からは聞いている。
 だが叶えた者の素性は一切を秘密にしているらしい、流石にそこはハッキリさせたかったのだが頑なに拒むので仕方なく食い下がったのは記憶に新しい。

「良かったな、その……お前の妹」

「あぁ、ゾロアスターも姉ちゃんと会えて良かったじゃないか。俺たちの家族だ、共に守ろう」

「楽……お前に言われなくても分かってるっつーの、ほら食器拭いといたからこっちに置いておくぞ。他何かやる事あるか?」

「あーいや大丈夫だありがとう、ひなの相手をしてくれると助かるよ」

「このシスコンが、わあったよ楽」

 ──暴言じみた言葉が胸に刺さるが気には留めない、食器を片付け終えて鈴虫の鳴く園庭に集まっていたので俺も顔を出してみる。
 静かな世界に涼やかな虫の音が微かに流れ、星空輝く夜空に照らされた月光が幻想を照らしゆく。それらが1つになって幻想なのだ、これが俺たちが救う事に成功した1つの世界、そして崩壊を選択した世界。

「もうじきお別れか……」

 そんな誰にも聞こえないような声で呟いてしまった。それは隣にいるひなにだけ聞こえていたのだと思う、恐らくそういった単語に敏感になっているんだろう……。
 何となく人肌が恋しくなってひなの頭を撫でてやる、まるで猫がじゃれて来るかのように目を細めるその姿は愛らしい。

「良い夜だ」

「えぇ、ほんと良い夜。珍しく意見が合ったわね光」

 聞き慣れない声が返ってきたと思いふと顔を横に向けると目の前に亜空間が広がっていて、そこから気味の悪い化け物たちが手を振っていた……。

「げぇ……あんた何しに来たのよ」

「げぇとは失礼ね霊夢。私はこの子たちに用があって来ただけよ、ほらこれ持ってなさい」

 そう言いながら八雲紫が差し出したのは古い御守りのような小さな袋だった、青がかった袋で赤文字で小さく各々の名前が刻まれているようだ。
 赤文字で名前を書かないで欲しいが……特にひなには。

「これを持ってれば幻想郷と行き来が可能になるわ、まあ通行証みたいなもの。無くしちゃダメよ?」

「何で俺たちに……?」

「それは……まあ、気が向いたからとしか言えないわね。賢者の好意に感謝なさいよ?」

 胡散臭いことこの上ないが貰っておけるんであれば貰っておこうと思う、そういって好意は大切にしておくべきだと親父も言っていた。それで以前変なのに絡まれていた気がするが……。

「ありがとう八雲紫。大切にするよ」

「感謝ついでに歩かない?虫の音でも聴きながら少しお話でもしましょ」

 ……若干寒気を感じた暖かな風を受けながら俺はそれを承諾し、園庭の席から立ち上がる。砂利が擦れる音も和風の世界を更に引き立てる、園庭を抜けて神社の階段を降り切った辺りから八雲紫はその重たい口をようやく開けた。

「気が付いているんでしょうね」

 ──────。

「海色の事か」

「当然でしょう──、半ば覚醒・・しつつある事を貴方はどの程度理解しているのか、目醒めたその時にどのような事が起きるのか、そしてその時にする行動を……。貴方は理解しているのか」

 ──────。

「その時は……」

 その時は……その時は…………。
 俺に出来る自信は無い、その時容易に想像出来るのはただ絶望を前にして膝を付く己の姿。
 ゾロアスターは言っていた、今回の異変の元凶である藤淵は『悪性体』であると。
 悪性はあらゆる世界に蔓延る悪性そのもの、遥か古代より存在し人を媒介としてこの世の終焉を齎す災い、1度顕れれば世界に終焉の兆しが呼び込まれると伝えられる。
 そして藤淵の悪性は『不安定』、名は【リリス】。

「正直に言うと自信は無い……覚悟していてもいざその時になったらと思うと良いイメージは湧かない。だからそうならないよう俺が、俺たちがサポートしていく、海色も俺の家族だ」

「やり切れない答え、でもそれが人間らしい答えだと思うわ。その時になって後悔しないよう世界とその子を守る事ね。この世界でしてきたように……貴方が正しいと思う事を貫けば良いでしょう」

 今まで八雲紫からは嫌悪感などを常に感じ、正直嫌われてるんだなと軽く傷付いていたのがある……ただ今のこの人からは、そういった感情を感じられず逆に暖かな笑みさえ浮かべて来た。
 ……本物か?とさえ思ってしまうのは失礼だと知っている、こんな雰囲気を出す人だったか?

「そうだ1つ聞きたかった事があるんだ」

 山道をゆっくりと進みながら俺が連れて来られた理由を尋ねた。元々俺がここに来た理由はひなを奇跡によって救い出すため、それは俺の理由であり八雲紫の理由を俺は知らない。

「博麗大結界、世界と世界を結ぶ幻想郷を覆う結界がある。それが貴方の何らかの影響で揺らいでいた、だから貴方を私の目の届く管轄で監視する事にしたというのが全て」

「その結界の揺らぎってのは収まったのか?それか監視していて何か気付いて解決策が──」

「全くの不明だったわ。ただ貴方が影響を及ぼしているのは間違いない、まあそれが確認出来ただけでも良しとしましょう。揺らぎは次第に弱まっていますからね」

 弱まっているのは俺がこの世界に来ているからか、それともまた別の要因があるのかは八雲紫でも不明だと。この問題は先延ばしでも大丈夫そうだな。

「そうか……ありがとう」

「お礼を言われる覚えは無いわよ光」

「そうか?わざわざ監視してまで、害がある事が分かってまで俺をこうして野放してるじゃないか。それにお礼言ってるんだよ」

「あぁ……別にいいのよ、ほんとに微細な揺らぎですからね、貴方がこの世界から消えたら監視は無くなるから安心なさい」

 そこからも呑気に虫の音を聞きながら八雲紫との雑談は進んで行った、俺の親父の事も軽く聞いたりしてどれだけ親父がひなの為を思っていたのかも、また八雲紫も外部の人間を入れる訳にはいかないのでそちらの必死さも聞いていてよく分かった。

「ここまでで良いよ、色々聞けて嬉しかった、ありがとう」

「貴方と和解出来て良かったわ、私も色々聞けて久しぶりに楽しかった。こんな事霊夢以外で感じた事無いのよ?」

「そりゃ光栄だ。お、ひなどうした?」

 鳥居の下から俺を待っていたのかひなが走って寄ってきた、ギュッと腰に抱きしめられる感覚は本当にいつぶりだろうなあ……。

「ううん、大丈夫」

「……なあひな。寂しかったのか?」

 それを聞いてひなは即座に首を横に振るが、ひなは嘘をつく時すぐに反応する癖がある。

「ごめんな、なるべく離れないから……お兄ちゃんは嘘付かないよ」

「あの……私の前でそんなイチャイチャ具合見せられても困るんだけど……」

「イチャイチャしてねぇよ!!!!」

「してない!!」

 見事にひなとハモって深夜の神社に大きな声が響き渡る。

「そ、そうね……。うん、今日はもう神社に行って寝なさい」






 さてようやく寝床に着いた。ここは藤淵の実験の夢を見て血を壁に吹き散らした思い出したくない思い出のある部屋だ。今では軽くトラウマになってるくらいで大丈夫だと思う。
 さて部屋の中央に敷布団が2つあるだけなのが何ともこの神社らしい、これ他の部屋の布団とか足りてるのかと心配になる。

「それで……ひなはここじゃないだろ?」

「いや……」

 思わず顔を覆ってしまう、ひなももう年頃なんだからとは思うが……まあ意識し過ぎか。

「どうするよゾロアスター」

「そうだな、兄妹仲良く寝ればいいんじゃないか?俺は1人寂しく寝てそうな姉ちゃんとこで寝るよ、2人の邪魔はしない」

「ゾロアスター俺のクローンなんだよな?俺の気持ちくらい分かってくれると思ったんだが……なあゾロアスター?」

「いや正しい反応だろう。俺と楽は思考が似てるだろうがそれは正確に言えば180°、つまり反対の事を考えてるということだ。意味は分かるか?」

「分からないから海色のとこ行って頭冷やしてこい」

 ゾロアスターとは思えないその言動に我が耳を疑ってしまった、さっさと海色のとこに行かせて頭を冷やして貰ってそのまま戻って来て貰うとする。

「眠いよらく……」

 俺の服を片手でつまみながら目を擦るひな、時間は何時くらいだろうか。そんな時間の事を考えたのはもう2度目くらいだな、この世界じゃ時刻があるのかすら分からねえ。

「そうだな先に……いや寝ようかひな」

 さっさと布団に入り込み暖を取る、薄い掛け布団はあるのか無いのか分からないくらい軽く、少し寒いくらいに感じる。

「寒くないか?ひな」

「ちょっと寒いかも……」

「──これ使えひな、俺は大丈夫だから」

 かけていた掛け布団をひなの掛け布団に更に重ねてかけてやる、ほんとうっすいなこの掛け布団……布かなんかじゃねえのかこれ。

「でもらくが寒くなっちゃう」

「大丈夫だって、俺は体強い方だから」

「うー……」

 そんな頬っぺを膨らませて抗議しても俺には効かないぞひな。

「……待て何してんだひな」

 俺の敷布団の横に突然来たひながそのまま掛け布団を2枚重ねで俺にかけ、そのまま空いている部分に体をねじ込んできやがった。

「これなららくも寒くないでしょ」

「いや確かにそうだけど……」

 まあ良いか、そう考えることにした。
 考えても考えても頭が痛くなるだけなのに気が付いたからだ。ひなとこうして2人でいる時間は今までで長い事になる、ただ敢えて聞かないでおいていた事が山ほどある。
 この際に聞いておくか否か、ひなの為にも聞かずにおいておいた方が良いこともある──。
 そう考えていた時に気が付いてしまったのだ……ひながガタガタ震えている事に。
 寒さで震えているのではないことはすぐに分かった、その顔は恐ろしく青ざめ冷や汗が滲んでいた。

「おいでひな」

 近くに寄って肌で感じるその震え具合、確かに俺はひなを奴らから救った。だがそれは肉体面でのみ、精神のトラウマはまだ奴らによって蝕まれ恐怖している……。

「大丈夫だ、お兄ちゃんがついてる。苦しかったよな……辛かったよな……俺がいる、もう大丈夫だよひな。俺が今度は絶対に守ってやる、奴らも俺が倒してやる……だから安心しろひな!俺はもうひなから離れねぇ……!」

 震える小さな体を強く抱き締める、もう絶対に離さないと改めてひなに誓うようにその体を強く──。
 そして俺も改めて自分自信に誓う、もうひなを二度と孤立させないようにする、そしてひなには奴らの事を聞かない、それを俺は誓うと……!

「らく……らく……」

 静かな部屋に微かな嗚咽が聞こえる、俺に残った家族だ。もう邪魔させない、いいようにもさせない!
 ひなが奴らに何をされたのか、何の理由があってひなを攫ったのか……俺が次にやる事はこれで決まった。
 奴らを討つ、ひなにして来たことを何百倍ひしてでも返してやろう。

「俺はここにいるよ、もう眠っちゃえひな。今日はお手伝いありがとうな」

 その頭をゆっくり撫でながら声をかけていく、そのまま様々な事を考えていて気が付いたらすぐ近くで寝息が聞こえていた。
 どうやら眠ってしまったようで、その目にはうっすら涙が流れた痕跡がある。鼻水も出てたのか唇の上が乾燥していて少し荒れていた。

「複製能力:────」

 再び無から生成する能力でひとまずハンカチを用意して乾燥している部分と少し貯まった涙を拭ってやる、起こさないように慎重に済ませたあとに急激に眠気が襲ってきて……俺もそのまま……。

「またいつか会おう小鳥遊楽。──いいや、博雨光、時間があったら何時でも遊びに来ると良い。私は待ってるよ、宙の彼方、地平の彼方、どの世界に居ようと私は君を見守り続けよう。それが私の、闇色海色だった者としての務めだからね」

「もう行かせるのか?まだこいつらは行く気は無かったように見えるが」

「彼らにはまだ役目が残ってるもの、もう役目の済んだ世界にずっと居続けても運命は回らない。その先に過酷な道が待っていようとも彼らなら乗り越えてくれる、私はそう思っているよ」

「残酷な事を言うな神様よ、俺たちはそれに失敗した者共だろうに、こいつらに責任を押し付けるのか?」

「それが定めよ光、私たちにはこうするしか道はない。貴方たちが次に目醒めた時、そこは貴方方が基盤としていた世界でしょう」

 さあ、その秒針を進めなさい。
 ──運命はまた噛み合い始めるでしょう。

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