光の幻想録

ホルス

#2 少女と記憶

 空間に飲まれるといった事は前に経験したことがある。それは自分が自分で無くなるような感覚に襲われたり、不確かで歪な幻……例えば空間に飲まれ迷い込んだ悪鬼であったり、飲まれた人々の邪な邪念であったりと。
 そういったものが必然的に可視化されてしまうのが『亜空間』として認定される幻想なる空間。
 しかし今俺が飲まれたこれは明らかにそれらとは違うものだった。辺りに漂うは無数の眼、力強い殺意や警戒に満ちた歓迎とは程遠い眼差しが強く注がれるのみの『亜空間』とは程遠い単なるトンネル。
 ……強い吐き気を催すには十分だった。


 時間にして数刻の後のこと。重く閉じた瞼を開き、不意に入った光に屈しつつも倒れていた肢体を立ち上がらせようとするが体に力が入らない。
 首を傾け辺りを見渡せばそこは何処かの縁側。和の匂いを漂わせ気が付けば付近に1つの茶が出されていた。湯気が出ているからに未だ淹れたての物であるのだろう、小鳥の囀りは心地好い音色にも聞こえ、陽の恰かさが射し込む縁側は昼寝をするには最も快適な場所だと感じた。

「あ、起きた?」

 俺の顔を見るように覗いてきた子は、如何にも現代風とは程遠い姿をした女性だった。華やかに彩られた服装に赤色を濃く示したデザインで見るからに巫女だと分かる。

「……起きたよ。何処か教えてくれないか」

「それは良かった、でもその前に確認したいことがあるの。貴方、自分の名前はちゃんと覚えてる?」

 何で名前を?そう聞き返しても返事をしてくれそうに無いくらい顔を顰めていた。

 ……………………思い出せない?

 不思議な感覚だ、自分の名前を忘れる何て今まででの人生で1度も無かった。当然の様に名乗っていたの自身の名前を完全に忘れてしまうなんて、そんな事考えもしなかった。

「ったくやっぱりねぇ……じゃあここに来た目的は覚えてる?」

「全く分からない」

 女性の呆れたような笑いはどこか和むものを感じた、それにしても本当に此処は何処なのだろうか。和を感じる事から日本か……?

「紫の処置も施されてるようだし害はないわね。 ここは『幻想郷』と呼ばれる私たちの世界。外の世界とは隔絶された別世界。幻想が今も尚現存する神秘の秘境。私はこの世界の異変……まあ問題を解決するスペシャリスト。名前は──」

 聞いた事も無い事を淡々と並べられても分かるはず無かったが、彼女からの説明は妙に胸に透き通り簡単ではあるが理解する事は出来た。

「──博麗霊夢はくれいれいむこの神社でのんびり暮らしてる巫女さんよ。よろしくね、ただの人間さん」

 正直な所、さっきまで警戒という感情を全面的に顔に出していた彼女に無垢な笑顔でそんな事を言われると何とも言えない気分になる。
 まるで緊張の糸が途切れたかのように友達に語り掛けるくらいの口調で……それが彼女の人間性なんだろうか。
 騙され安い人柄とは言い過ぎたもんだが人として良い物だと思う。俺には到底持ち合わせないカリスマなんだろう。

「よろしく頼むよ博麗。ところで俺の体はいつまでこうなのかを教えてくれると助かる」

「霊夢で構わないわよ。束縛は貴方が危険でないと判断された瞬間に解かれる筈だからそろそろなんじゃない?別案として『さとり』を連れてこようかと思ったけど不要みたいだし」

 そう聞いてしばらく待ってみたが何一つ状況が変わらない、何故か逆にその拘束が強まった気すらした……。透明な縄状の拘束具が両腕と上半身を挟んだ状態での拘束と足首の拘束で、強まると両腕の皮膚が異常に紫色に染まっていく。
 どう見ても内出血が悪化しているとしか思えなかった。

「……なあ、そろそろ消えるんだよな?」

「んーその筈なんだけどね。これは本人寝てるんじゃないの?まあ起きるまでの辛抱よ、男なんだしそれくらい我慢なさい」

 その後恐ろしい程の理不尽な状況が数時間続き、俺の腕は見るも無残な姿に成り果て博麗から応急処置を受けることになった。

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