アナザー・ワールド 〜オリジナルスキルで異世界とダンジョンを満喫します〜

Blackliszt

259 I am strong

「また、殴った・・・」

 そして続け様にナノカは同じ言葉を漏らした。本日2度目の驚嘆である。

「また殴ったぁああ!!!奇襲に気を取られたマーナの隙を突く我らが雷姫の重い一撃、なんてシビれる稲妻の如き速さ、そしてリトルウルフは落ちたスコルを追って完全にこの場から離れました!見事な連携!!!」
「腹パン!ミリア様の臓物にズシンと響く一発が、縄に拘束されて動けないマーナの横腹を捉えたぁ!? ど、どうなってるのぉおお!?」
「見事すぎて見事以外の言葉がでてこねぇ」
「・・・素晴らしい」

 ダブルMCのリッカ、それから解説のダリウス、ルキウス含め感想はほとんど同じである。

「スコルが殴られるところなんて初めて見た・・・」
 
 リアムのとった恐れ知らずの行動にナノカ以外の会場中の熱が一気に冷え切った。急速なクールダウンによって思考と現実の狭間にヒビが入る。しかしそのギャップも束の間に、胸の奥底から湧き上がる興奮が、停滞を呼ぶ冬の思考を一気に溶かす。吹き荒れる突風。そうして一回り、群衆の理解が追いついた時──。

「ワアアアアアアア!!!」

 会場は、街は、新年を迎えた慶びをも優に超す興奮の嵐に支配される。

「ルキウスさん、ダリウスさん!」
「はい、なんでしょうナノカさん」
「一体何が起こったのでしょうか!スコルたちと共に雷の中から現れたと思えば、あのスコルを・・・スコルを殴り飛ばしていて!」
「いや、殴ったんだろう・・・見たままに」
「今のは見たまま、だけじゃ全てを説明できない・・・ダリウス、ちゃんと解説しなくちゃ」
「わかってる!俺たちが映像でみた以上の事が行われていたのはわかっているが・・・今の一連の攻撃の面裏を網羅して言葉に集約させるには少々時間がかかりそうだ」
「・・・ホント、何が起こってるの・・・信じられない」
「リアムの奴、あいつ・・・一体どんな視野で・・・ここにいる誰よりもスコルとマーナに一番近いところにいながら、この戦いの大局が一番見えてるのは紛れもなくあいつだ!」
「だけど、上空から戦況を観察していたウォルターの重要性を忘れてはならない。いち早く転がり落ちたスコルの位置を把握、スコルの即時復帰不可をリアム君に伝達して作戦続行を判断するための情報を提供した。もしスコルが上手く転がりおちてないでどこかで引っ掛かりでもしていたら、ダメージも少なく、より短い時間での復帰が可能となる。と、なれば各個撃破を狙っているのであろう彼らの作戦に支障をきたす。もちろん善後策は講じているのであろうが、事前に組み立てた理想の作戦に変更がないことが一番望ましい」

 喝采が埋め尽くす会場では最早、2つ名があろうとなかろうと関係ない。ウィリアムに忖度する必要性も今やほとんどない。リアムらと普段から接点のあるダリウスたちはいつの間にか、普段通りの呼び名で彼らを呼ぶ。

「だが、しかしだ!一体誰が想像した!まさか、まさか!」
「・・・誰も、想像できなかっただろう・・・今、この時までは」
「まさかスコルが舞台から転がり落ちて!」
「場外に出るなんて!!!」

 映像魔道具の1面には、傾斜が非常にきつい断崖の如き岩肌を転がりおちてダメージを受けたスコルが立ち上がろうと必死に踠いていた。炎と雷を司る彼の狼の周りの雪たちは溶けて水となり、すぐ様蒸気へと形態を変化させている。

「いや、リッカさん、ナノカさん。我々が舞台と思っていたエリアの外にリアムくんが押し出したというのが正しいんじゃないかな!」
「それもそうですね」
「ホント、まだ信じられない・・・」

 舞台上では、好奇心を爆発させて興奮に身を任せたルキウスが溌剌と解説を続けている。

「そんなことってあるか・・・だってさ、片方倒した時に飢餓で引き起こされる気象異常だって山頂でしか起きないはずじゃ」
「・・・それが間違ってたんだ。あれは山頂で引き起こされる現象じゃなかった」
「ウィリアム、カミラ」

 正に目から鱗だった。これまで幾度となく繰り広げられてきたボス達の戦場は更に別の空間にあって、つまりは絶対に限られたエリアに設けられていた。そのために、最後の戦場もそうであろうと・・・思い込んでいた。他のどれとも似つかぬ毛色の違う剣を抜き取る儀式も、儀式という形式では直前のエリアFでも戦利品を捧げる儀式はあるにあったわけだし。

「ダメよ・・・そんなこと、あっちゃいけない」
「意図的なもの、とでも・・・」
「冗談じゃないわ・・・だって、そんなのおかしいじゃない」

 魔法陣もゲートもない。ただ、階段を登っただけの世界は限られた空間なのだという先入観が植え付けられてしまっていた。

「アイナ、エドガー、リゲス・・・」

 会場、また、この映像を見ていたスコルとマーナ攻略のダンジョン事情を知るすべての人間の顔が青ざめている。これではまるで葬式だ・・・──誰の?

「どういう原理なの? じゃあつまり、離れすぎたらやっぱり相方を失った時のように飢餓が?」
「・・・今のスコルを見る限りそうじゃない。おそらく魔力か何か、目に見えない繋がりでエネルギーを巡らせているんじゃないかと思う。・・・だけど、よくよく考えてみたらそうだよ。どちらか片方の喪失に合わせるように残ったスコルかマーナがパワーアップして気象が変化していたんだ。舞台が2頭に合わせて変化したんじゃなくて、リミッターが外れたがために片割れが天気を狂わせていたのだとしたら天気が追随するのは当然・・・」
「ちょっと待って・・・ということはもしかして、最後の・・・テールのラストボス戦の戦場はまさか・・・」
「やめてくれ・・・それじゃあ俺たちは、スタートラインの上からすら動けてなかったってことじゃないのか」
「気をしっかり持て。まだ始まったばかりじゃないか」
「・・・とんだ勘違いだ」
「勘違い? そんな戯言のレベルじゃない・・・!」
「しょうがない・・・と、思いたい。だって、これまでのテールのボス戦は全て・・・戦場が・・・ボス戦のバトルフィールドは全て区切られた空間にあったんだもの」
「いいや、それは違うぞアイナ。あの戦場は確かに区切られておる」
「・・・たしかに、区切られております・・・公爵様のおっしゃる通りです」
「どういう事だ・・・」
「元、アリアのリーダーウィリアムともあろうものが気づかぬか・・・ならば習うがいい。お前の息子がしたように、今度はお前が息子に習う番だ」
「大局を見なさい、ウィリアム」

 ブラームスとマリア、ヴィンセントに促され、ウィリアムを含めた元アリアの面々は再び映像に視線を戻す。

「あ・・・」

 そこにあったのは、まるでリアムたちのいる世界を閉じ込めるようにして映す6面体だった。

「気付いたか。そうだ・・・お前たちが今までの取り違えを苛烈に呪ったように、我々は酷い勘違いをしていたものだ。ラストボス、スコルとマーナ戦の戦場(いくさば)があのコルト霊峰の頂を賭けた神聖な舞台のみではなかった事に起こり・・・彼らは天雷を生む最高峰の頂の主人にして、このダンジョンの王である」

 ・・・言い得て妙だ。

「この戦いは玉の取り合いだ。結末からして最も強いプレイヤーを守りきった方が勝つ。パーティーの最大戦力を軸に添えたお前たちの戦術は間違っていなかった・・・シンプルにいこう、いいか」 
「シンプルにいこう・・・何ぬるい事言ってるんだ・・・スコルとマーナと死闘を繰り広げるだけの価値?・・・あの山がそれだけの価値もないちっぽけな山に見えるか? ふざけるな!」
「だが、コルトをも内包するダンジョンという一つの空間の方がどれだけの価値を擁するか」
「私たちはあの水晶舞台にまんまと・・・クソッ!」
「落ち着きなさいカミラ」
「これが落ち着いてられるかよ!なんだこの有り様は!この半年間、先輩面して講釈たれてた私たちが馬鹿みたいじゃないか!」
「私の言い方が悪かったな・・・事は非常に複雑だ。故に一旦冷静に、思考を整理するためにも出来事を簡略化しようとした・・・いいか、もう一度だけ言う。シンプルにいこう。過去のお前たちの戦術は最も正当なものだ。だから、現在あそこで起っている事を理解して取り乱したのだろう・・・悔しいのだろう。しかしリーダーのリアムは敵を格上とは見ず、常に同等の存在として扱いシミュレーションしてきたのではないか。例え現実にはそうでなくとも、そうあろうと常に心がけてきた。そして作戦の域を無理矢理にでも1つ、2つ、3つと広げた。これまでの戦いで幾度となく冒険者たちの足元を見ていたスコルとマーナをあの子たちは同じ戦場に引き摺り下ろした・・・いや、現在まさに自らも登って見せている・・・まだ、両者共に登山の途中だ・・・敵も完全に失墜したわけではない・・・」

 登っている・・・笑える。対の火の王はもう山から転がり落ちたのに。

『違う・・・リアムが前回、マーナを一人で潰してることを他のみんなは知らない。同じステージなんて既にリアムは跳躍している。あいつは今、同じ景色を仲間たちとみるために、彼らを引っ張り上げる事に専念してるんだ』

 ただ、リアムのようなリーダーが側にいてくれるあいつらが羨ましい。・・・みんなはどう思ってるだろう。こんな情けない男がリーダーだったことに、失望したりはしていないだろうか。

「これから始まる。頂を制する覇者を決める競走(レース)の始まりだ」

 これから頂を賭けた競走が始まる・・・先に、欠けた宝石(なかま)が頂へと戻ってきたチームがこの戦いを制するであろう。もしくは宝石が頂へと戻ってくるまでに、欠片を嵌める王冠を守り切った方がこの戦いに勝つ。

「さて、今起こったことを改めておさらいしましょう。本来サポート担当のフラジールはレイアと一緒に拘束魔法(バインド)を使っていたので、アルフレッドが代わりに前衛に向かうメンバーたちに強化魔法(ブースト)をかけた。身体を強化する魔法も人体に作用する魔法だ。そういう類の魔法は彼の実家であるスプリングフィールド家の十八番だったはずです」
「そして、次にエリシアが作り出したあの闇魔法の踏み台だ。その踏み台を踏んだのは計3名。順番にティナ、ミリア、そしてラナ。空間魔法を使えるゲイルがマーナの上にロープを転送し、初めに踏み台を踏んで飛び出したティナがそれを掴んで体に巻きつけた。それをフラジールとレイアが遠隔でバインドを使って固定して動きを封じ──」
「体に縄を巻きつけられて、リアムからティナへとよそ見によそ見を重ねたマーナの隙を突いて、離脱したリアムと入れ替わるようにカバーに入ったミリアが攻撃態勢に入る。その隙間を縫うように間髪入れずにラナがナイフのようなものをミリアの射程内に置いて、攻撃の機会を譲り渡した」
「あの、なぜナイフを? 普通にラナさんが刺して、ミリア様が殴る・・・分担したままでもよかったのでは?」
「今の攻撃でのラナの役割はアタッカーではなくポインターですね。目の前に置かれたナイフは尋常ではない速さで移動して攻撃態勢を満足に整えられなかったミリアの焦点を定める役割も担っていたんでしょう。同時に、皮を裂くだけでなく肉まで届く深傷を負わせる物理的な付与を施した。・・・見てください。柄底を平らに加工されたナイフは栓をするようにマーナの腹に刺さったままです。加えて毒でも塗ってあったのかな、拘束を全く剥がせないほどにマーナの動きが鈍い。俊敏なマーナが本来のスピードのままにあのまま動けば刺さった刃は確実に肉を抉っていくし、傷が開いてナイフが一人でに落ちてくる頃には周辺の内出血も相まって相当出血、当然他の組織にもダメージを残しますから、この一手間を加えるだけの価値は十分にあったと言えます。それから、使い魔に乗って空から戦況を見ていたウォルターの役割は先ほども説明した通りです。作戦をより確固たるものにするために丁寧に磨きをかけた。見事な連携です」

 ルキウスの解説通り、ラナが置いてミリアによって打ち込まれたナイフにはポイズントードの痺れ毒と体内に入れば内臓系にダメージを与えるキマイラの尾の蛇の毒が塗ってあった。また、刃には細く鋭い針のような返しがついた特注のナイフだ・・・太さの比率と角度に多少疑問の余地は残るが、その出立はまるで十字架のようなナイフである。

「見事な連携です・・・じゃねぇ!いや見事な連携であった事には俺も同意するが、あの縄を使った拘束魔法!あれお前が得意な魔法じゃん!どうしてフラジールとレイアが使えてるんだよ!」
「いやぁなんか、できちゃったんだよね」
「なんかできちゃった!? 物質に干渉して強化するだけならまだしも、何本もの複雑な縄に命令を出してまるで生き物みたいに・・・お前ちゃんと聞いてる?」
「聞いてる聞いてる・・・同じ仕事場で働くエドガー先生にバフ・回復以外でもチームをサポートできる魔法がないかと相談されてね、2人とも素晴らしい魔力操作の才能の持ち主だったから・・・僕の教えたことをこうして実践で役立ててくれて感謝してるよ。我がスクールの生徒達は卒業生も含め本当に優秀な子ばかりで鼻が高い。でも・・・ふむ・・・ねぇダリウス。質問の途中で悪いけど、今映像の中で僕の十八番よりもっと驚くことが2つ起きてるんだけど・・・」
「2つ・・・更に2つだと・・・ッ!?・・・なんだあの目・・・あれじゃまるで魔眼じゃないか」

 会場中がどよめく。前線にでたミリア、ティナ、それからラナの目が虹彩の色に合わせて強く輝いているからだ。

「光の呼応からして、腕にはめられたブレスレットに秘密がありそうだが・・・」
「・・・どういうからくりだろうね、アレは」
「魔眼を強制的に開眼させる力ですか!? 」
「何それ!? 私もあのブレスレット欲しい!」
「虹彩全体の輝きが増したミリア様とラナとは違(たが)って、瞳孔の深淵にて静かに燃ゆるティナの魔眼は魔眼の中でも獣眼と呼ばれるものですね。闘志を燃やすように煌く獣人や竜人の魔眼は神秘的(スピリチュアル)な自然のエネルギーに満ちた輝きを放つと聞いたことがあります」
「進化論ですね!呼び起こされし血の記憶!太古より受け継がれし猛る本能・・・ロマンですね!」
「はい、ロマンです。ですのであの魔導具の仕組みは僕にもさっぱりわかりません!」
「ルキウスでもわからないのか?」
「わからないものはわからないんだもん。さ、次々」

 魔道具の仕業である。特大容量の魔石を用いた魔力の貯蓄と放出という単純な仕組みであることをそう締めくくることでミスリードし、ルキウスは話題を早々に次へと移す。まぁもしこの単純な仕組みに気づいた者がいたとしても、実行できるだけの魔石を用意することは困難だ。

「・・・茶番だ」

 カミラは周りの雑音を遮るように呟いた。彼女は自分と、それから家族と友人と、それから画面の向こうで戦うアリアのメンバーたちだけが介入を許された世界にいる。

「こうなったら最後、あいつらには鈴魔眼なんていらなかったんじゃないか・・・」
「嘆くな・・・辛気臭い」
「そういうお前が一番辛気臭い顔してるじゃないか」

 カミラに説教しようとしたウィルであったが、見事に鸚鵡返しを食らって黙り込んでしまう・・・いてもたってもいられなかった。

「お前はこれを茶番だと卑下するのか」
「これが茶番ではないというのならそれ以外のなんだと? 公爵なんて大層な身分にあれば、私たちでは到底敵わない数多の口撃にも耐えてきたのだろうな・・・貴族としての責務に追われながらも、逃げず、戦ってきたあんたは相当にキツイ修羅場を踏んできたことだろうよ・・・そんなあんたが・・・茶番以上にこの悲劇を表すに相応しい形容があると言う。ならばぜひ教えて欲しいものだな・・・悲劇でなければ、喜劇か。外野からはそう見えるのか? 惨めな道化が躍り狂う様はさぞおかしいだろうな」
「悪いがお前たちのこれまでを知りながら、戦場における心得を教授するだけの研鑽を積んできたと平和ボケを晒すつもりはない。むしろ私が知りたいくらいだ。だから、お前に質問したい。これが茶番だと言ったお前に質問だ。そもそも、戦力を分散させて一頭を討てるほどの火力を当時のお前たちは擁していたのか」

 ブラームスの切り返しによって今度はカミラの瞳が大きく見開かれる。しかしそれも束の間、カミラは直ぐに眉を潜ませると唇を強く噛んで悔しさに顔を歪ませる。

「見なさいカミラ」

 スコルが落ちたコルトの山の中腹にて、頂より落ちて負ったダメージを押してようやく立ち上がった巨躯の隻影のすぐ側に、雪上を滑り落ちてきた小さな影が舞い降りる。

「・・・弱い犬ほどよく吠えるというが、礼儀(シツケ)のなってない犬ならどんな犬だろうとよく吠える」

 漆黒に濡れ、雷を纏う夜の暗に溶けていたスコルの毛が所々熱を帯びて赫く輝く。

「今まで冒険者たちを舞台の外に出さないよう気を使いながら戦ってきたのか? お前らが本気で突進すればこの体格差だ、簡単に場外まで飛んでいっただろうに」
「ヴルル・・・」
「なんだその恨めしそうな目は。ただの戯れだとか、遊んでいただけだとか、このダンジョンの食物連鎖の頂点に君臨するお前がそんなチャチな言い訳をするのか? せっこ」

 これまで数多の冒険者たちが戦いを挑んでおいて、誰一人として舞台の外に放り出されていなかったことに疑問を持つのは当然であろう。冒険者たちを水晶舞台の外に出ないよう神経尖らせながら戦っていたのだとしたらこいつはとんだ食わせ者だ・・・この臆病者め。

「残されたもう1匹はタコ殴りだ。いつも隣で息巻いてるだけの相棒は呆気なく墜ちた、もう助けは望めない・・・お前の態度を見るに遠からず折れるだろうなぁ・・・ほら、言わせておいていいのか? それともお前ももう折れちゃったの? 打たれ弱すぎ・・・噛み付いてみろよ。その自慢の牙で・・・傷つけてみろ、プライドだけで固められたひ弱なその爪で・・・この僕を!!!」
「ガアアあああああ!」

 毛を逆立てて、正に狂った獣の形相で怒ったスコルが噛みつきにかかる・・・が、真正面から突っ込んだスコルは再び──。

「──ギャッ!」

 鼻先を蹴り上げられて、地に背をつける。

「今のは僕を含め、これまでお前にコケにされてきた人たちの分だ。いい加減わかったら敬意を持ってこの戦いに臨め! そして駆けるがいい、全うするがいい!お前が天寿の全て賭けるぐらいの意気込みで臨まないと、僕の日和見は誘えない!」

 報復の威も虚しく、今度は足に黒い霧を纏ったリアムにあろうことか背中から地に落とされたスコル──。

「あいつ・・・スコル相手に遊んでやがる・・・」

 このダンジョンを象徴する存在と、熱雷に肉を焼かれることを恐ない少年の一騎討ちが今始まろうとしている。 

「おまけにガンまでつけて・・・」
「なんと大胆不敵な・・・」

 再び起きて臨戦態勢に入ったスコルへと自ら近づいていく。映像の中で起こっている遠く離れた場所での出来事・・・そうと分かっていても体が勝手に畏怖してしまう。コンテストを見ている全ての人間が、開戦の・・・蓋の開く瞬間を固唾を飲んで見守る。

「僕が日和るのが先か、お前が鎮火するのが先か・・・気合入れて燃やせよ・・・お前の全てを!」
「ヴヴヴアアアア!!!」

 夜はまだまだ長い。決着が一切見えぬ戦いに命を燃やして臨む覚悟を決めた獣が溢れ出す欲望を更に掻き立てるように唸る。ただし、唸りに留まり吠えはしない。先ほどのリアムの言葉が無意識のうちにスコルの本能を抑えている。唸ると吠えるの中間、ギリギリ境界を保ちながらの我慢の時。

「こい・・・もう、亡霊に取り憑かれるのはたくさんだ」

 鼻の先にリアムの吐き出した息が触れる。先ほど蹴られた痛みがまだ残っていて、神経が過敏に脳に感覚を伝える。

「・・・!」
「・・・!」

 跳躍しての1、2、3歩、両者が後退した。

「ガアアア!!!」

 激突の時。スコルは強い衝突が起こることを確信する。大口を叩いて喧嘩を売るだけの実力の持ち主ながら、噛みつくまでもなく呑み込むに足りるまだ小さき体。我が貴様を呑むのが先か、貴様が我が牙をへし折るのが先か──。 

「・・・ギリッ!」

 しかし、来るべくして訪れるはずだったタイミングに両者の刃が相見えることはなかった。

「鏡花」

 最後まで目で捉えられなかった観客たちはさぞ肝を冷やしたことだろう。大きく開かれた口の中にリアムが吸い込まれたように見えたはずだ。

「牙を一本へし折ったところで、残り何本の牙が襲ってくることか・・・あの一瞬でお前の牙全てを折れるだけの技は流石に持ち合わせていない」

 リアムはテレポートを使って、スコルの口に吸い込まれる直前に脱出しスコルの背後へと移動していた。

「ヴルル!!!」

 何故だ・・・何故、貴様は魔法を使わねば我を見上げることしかできぬ小さきもののはず!不意打ちに歪んだ呻きを聴きたい、自慢の刃が絶対に届かないと知ったときに上げる悲痛の叫びを我に捧げるがいい! この湧き上がる欲望を律して貴様の誘いに乗った我は殊勝に見えたであろう! 

「日和ったわけじゃない、勘違いするな。トレードオフのための肩透かしだ・・・油断を1ミリ残らず切り捨てるために、徹底的にお前を辱めてやる・・・そういう覚悟で格上の相手に転がされる気分はどうだ?」

 言葉のブーメランは何故起き得るのか。それは他を責めて己を是正できるだけの価値観を持っていないからだ。価値観即ち基準。自分を責めるという基準を持たず、自尊心の塊であるお前に本気で挑む姿勢を取らせるには、こちらもどこまでも悪道を突き詰める必要がある。失った誇りを奪い返すために誠実さを捨てなければならないのなら、僕は喜んでそれを差出そう。

「餌をぶら下げるだけの浅知恵で罠に引っ掛けられると思ったのなら、ほとほとお前には愛想が尽きた。付け入られる隙を自ら作り続けていることにまだ気づかない。救いようのないどこまでも愚かな弱者・・・仕返したければ追ってくるがいい」

 リアムがスコルに背中を見せる。

「面白いくらいに釣れるな」
「ギャン!」

 今度は音もなく忍び寄って背後から襲い掛かろうとしたスコルであったが、再び瞬間移動して後ろをとったリアムが尾の毛をむしりケツを蹴る。ここまで傲りを捨てきれないスコルの慢心にトドメを刺す一撃だ。

「孤影悄然はお互い様だ・・・そして、お前に勝ち目はない・・・僕はお前より強い」

 さも一方的に、競争(レース)の始まりをここに宣告する。そしてスコルのプライドを粉々に砕く台詞を残すと、リアムはスコルの熱も届かない暗く冷たい闇の中へと消えていった。

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