婚約破棄された男爵令嬢〜盤上のラブゲーム

しみずん

シンクロバード

『何がそんなに可笑しいの?』そんな当然すぎる質問が彼から返ってきました。 

 なので、

「分かりません。ただーーーー」

「ただ?」

「お日様と風がとっても気持ちよくって、目の前の庭園がとっても綺麗で、あなたとここで座っておしゃべりしていると、なんだかとっても楽しいです」

 と、

 何の飾り気もなく、何の気遣いもなく、今、思っている事を口に出してみました。

 まるで、つい先日までのアシュトレイ様とお話する時のように。

 いえ。友人のように、と言った方がこの場合は正確でしょうか?

「そっか……」

 彼はやや顎の角度を上げて、ぼんやりと空を眺めながらそう呟き、

「そうだよね。家の為に、親の為により良い結婚相手を探すだけの毎日なんてつまんないよね……人間なんだから外に出て何も考えずボーっとしたり、のんびりと自然を感じてゆっくりと流れる時間を楽しみたいよね。それが人として生きるって事で、普通だよね。でも貴族はーーーー」

 と、彼はそこでややうつむき、口を止めました。

 私は彼が何を言いかけたのか概ね察する事が出来ましたので、少しだけ意地悪したくなり続きを聞いてみる事にしました。

「ーーーー貴族には、無理でしょうか?」

「えっ ︎」

「人間らしく、普通に生きる事は」

「…………」

 彼は若干驚いた素振りを見せたあと笑う事もなく、当然怒る事もなく、ただ真剣な表情で私を見つめます。

 私が空に視線を戻し、白すぎる大きな雲をぼんやりと見ていると、

「ーーーー君は、出来ると思う? 人間らしく生きる事」

 まるで子供のように純粋な瞳で聞いてくる彼に、私は答えます。

「どうでしょう? でも、私達は所詮人間ですからね」

「うん……」

「…………」

 考えを巡らせる彼を横目で見て、私は空を指差し言いました。

「あ、シンクロバード!」

 シンクロバード。この辺一帯に多く住む体長40センチ程の大きさの鳥。果実や虫などを捕食し、大抵20羽ぐらいの群れで行動する事が多い。空を飛ぶ際、群のリーダーが先頭を飛び後に続く鳥達はリーダーと同じように飛ぶ事からシンクロバードと呼ばれている。リーダーが右へ旋回すれば後続も右へ旋回し、リーダーが急降下すれば後続も急降下する。見事なまでに連携がとれたその飛行術は多くの人を魅了し、高貴な貴族の間でもファンが多いのです。

「見ていて下さいよ!」

 私は得意げにそう言って、右手の指を弾きました。

 パチンッと、辺りに乾いた破裂音が鳴り響きます。

 すると、空を飛ぶシンクロバードの群が私の合図に答えるように、一斉にきりもみスピンを始めました。

「あ、懐かしい……子供の頃によくやったよ、それ」

「タイミングが合うと気持ちがいいですよね。まるで自分がシンクロバード達を操っているようで」 

 などと話していると、シンクロバード達は空の彼方に飛んで行ってしまいました。

 シンクロバードがくれたチャンスをモノにしてお話に花を咲かせているといつの間にか、お互いの緊張も解けて今やまるで古くからの友人のようにリラックスして楽しい時間を過ごしていると、

「ローレライ! どこに行った ︎ ローレライ!」

 私を呼ぶお父様の声に背筋がピンッと伸び、慌ててその場に立ち上がります。

 私はお父様の姿を視界に捉えましたが、お父様はまだ私には気付いておらず辺りを見回しています。幸いにも階段に座りこんでいた事は、お父様にはバレなかったようです。

 本当に良かった。

「お父様! 私はここです」

「おおっ、ローレライ。何をやっているこんな所で」

「少し風に当たって考え事をしていました」

「そうか……。ん? そちらは?」

 と、お父様が視線を送った先、私のすぐ後ろの辺りには彼が立っていて、

「お初にお目にかかります。私はナイトハルト・ツヴァイゲルと申します。お嬢様にはーーーー少し世間話に付き合って頂いていました」

「あ、あぁ……そうかね」

 お父様は少し驚いたような素振りを見せてそう言うと、すぐに視線を私へと向けて真剣な表情のまま口を開いた。

「帰るぞ、ローレライ。すぐに支度をしろ」

「……はい。お父様」

 すぐに踵を返して歩き出したお父様の後を追って私は階段を数段のぼり、上がりきった所で後ろを振り返りナイトハルトと名乗った彼に視線を送って、

「楽しい時間をありがとうございました。それでは私はこれで失礼いたします。御機嫌よう」

「うん。こちらこそ、ありがとう」

 彼は、ナイトハルト様は相変わらず優しく微笑み私を見送ってくれました。

 綺麗に整備された路面の上を木製の車輪が転がり、小気味の良い音が辺りに響いています。

 アヴァドニア公爵家で開かれた大規模なお茶会の会場を後にした私達ポーンドット親子は、大目に見ても決して豪華とは言えない馬車に揺られながら帰宅の途中でした。

「…………」

「…………」

 馬車に乗り込みあれからずいぶんと時間が経ちましたが、私とお父様はどちらも口を開く事はなくそれぞれ物思いにふけっていました。

 お父様が今、何を考えどんなお気持ちでいるのかは私には分かりかねますが、肩を落としずっと床の一点ばかりを見つめているのでとても心配です。

 ただでさえお父様は毎晩遅くまでお仕事をなされて疲れているのに、今日の事で更にいらぬ心配までかけてしまうのは絶対に嫌です。

 お父様に元気になって貰うにはいったいどうしたらいいのでしょう? 何か良い方法はないかと私は必死に考えます。

 そうだ。お父様が大好きなアップルパイを焼きましょう! そうすればきっとお父様は元気になってくださる筈だわ。

 私はお母様ほど上手くアップルパイを焼く事は出来ませんけれど、それでもお父様は私が焼いたアップルパイをいつも美味しい美味しいと喜んで食べてくださるのです。

 なので、誰にも内緒ですがアップルパイは私の得意料理の一つでもあるんです。

 アップルパイ、決まりですね。ああ、今からお父様の喜ぶ顔が目に浮かびます。

 私は高鳴る想いを抑えきれずにお父様に話しかけます。

「お父様! 帰ったら私、アップルパイを焼こうとーーーー」

「……何があったんだ、ローレライ」

 いつものお父様とは全く違う、低く唸るようにして放たれた声に私は背筋が凍り付くような感覚を覚えました。

 冷たさと鋭さを持ったそれが私の背筋に爪を立て腰の辺りから上にゆっくりとゆっくりと、薄皮を切り裂きながら登ってくるような、そんな感覚。

 いつも厳しめなお父様ではありますが、今はなんだか別人のように怖くて恐ろしく感じます。

 ただ、幸いお父様はうなだれるようにして床の一点を見つめたままなので、私はどうにか冷静を装う事くらいはできました。これでもし、鋭い目つきで睨まれでもしたら私はきっと何も喋れずに子供のように泣きじゃくる事しか出来なかったと思います。

 なので、

「分かりません……」

 と、微かに声が震えてしまいましたがお父様の質問にどうにか答える事が出来ました。

 ですが、婚約破棄をされた本人が何も心当たりが無いなんて事がそうそうある筈もないので、お父様がお怒りになって『そんなはずがあるかっ!』などと私に詰め寄ってくる可能性があるのでとても怖いです……。

 ですがさっきも言った通り、私には何の心当たりもない。アシュトレイ様とは二日前に結婚式の段取りについて話し合いをして、にこやかにその日はお別れしました。それから二日経った今日、お会いした途端に婚約破棄。何度考えても、私にはその理由が分かりません。

 単に私が気付いていないだけで、不敬罪にも相当するような大変な失礼を働いてしまったのでしょうか?

 では実際にどんな失礼を働いたのか? と、問われれば繰り返しになりますが私には全く心当たりがありません。

 問題は言葉なのか、行動なのか。せめて何かヒントでもあれば良いのですけれど。

 まあ、奇跡的にヒントを得て婚約破棄に至った理由を知ったとしても今さらどうしようもないのは変わらないのですが……。

 たとえどんな理由だろうと、あんなに優しく紳士的なアシュトレイ様が婚約破棄を口にするほどなのですから。

 普通では考えられないような、無知な子供でも絶対にあり得ないような、そんなとんでもなく失礼な事でもしでかさないかぎり、あのアシュトレイ様があんな事を言うはずがないのだから。

 私は一向に答えが出せないまま、窓の外の景色を眺めました。










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