死にたがりの俺が、元いた世界を復活させようと頑張ってみた結果。 

夜明けまじか

老いしを悟る者と未来を切り開く者―視点『ヴァルガ&アオイ』

『名を、聞いておこう』


 巨龍は、この姿を晒すまでに追い込んだ戦士の名を欲した。
 問われた二人は、胸を張って即答する。


「ヴァルガ・タンゼントだぁ」
「アオイ・ヤブサメと申します」


 ヴァルガは不敵に笑いながら肩を鳴らし、アオイは凛とした仕草で丁寧に頭を下げる。そこに一切の気負いはない。 
 この姿を見ても物怖じしない二人の精神力に、グラムは改めて感心した。
 普段人型をとっているのは無闇に他者を刺激しないため、すなわちこの姿を見せるという事は目の前の相手を全力を以って排除する意思があるという事。それが分からない二人ではないだろう、不安も恐怖も感じているはずだ。しかし表面上にはおくびにも出さないその胆力。
 やはり、思う――見事だと。
 残念なのは、自分は直後にこの二人を八つ裂きにしなければならないという事実。
 まだ起こっていないだけの、事実だ。予感や直感など、起こるかどうかも分からない曖昧なものではない。
 なぜなら、目の前の二人の戦士が、




 ――そこをどけ。




 そう、四つの瞳で告げていた。


(まったく……難儀なものだな)


 グラムは……龍の巣にて最古の龍は苦笑する。
 殺すのが惜しい戦士ほど、こうして果敢に向かってくる。本当に戦うのかと最後に訊ねるつもりであったが、どうやら愚問だったらしい。
 ならばこれ以上の言葉は不要。
 迫る激闘の空気に、巨龍はその身を一際大きく震わせた。呼応するように、二人も戦闘態勢を整える。
 その才も未来も全てを食らい尽くす者として、告げる。


『来るがよい。迎え撃つが強者の誉れなり』


 開戦と同時、場に響き渡るモノがあった。


「コオォォォォォ……!」


 特殊な呼吸音。
 ヴァルガが神経にまで行き渡るような、濃く、深い呼吸をしている。宙を漂う微細な魔力さえも、一片残らず染み渡らせるように。
 一枚の紙に、雫を一滴一滴染み込ませるにも等しい、恐ろしく繊細な技法だ。つい先刻までの爆裂じみた魔力の使い方とはまるで異なるものだと、グラムは一目で見抜いていた。
 そしてそれが、嵐の前の静けさであるという事も。


「ふんっ」


 呼吸を止めたヴァルガの全身が盛り上がり、爆発の前兆を見せる。それをグラムは鋭い眼差しで油断なく見つめていた。
 あの男のパワーは尋常ではない。強化されているとはいえ、龍の膂力に匹敵する身体能力……あるいはさらに上があるとすれば、この姿であってもまともには受けられないだろう。


(そして、あの少女も)


 ヴァルガが力を溜めている間、ずっとこちらの動きを牽制するべく魔力を構えているアオイ・ヤブサメ。
 自身よりも遙か格上……本来何十倍もの力量差がある相手に対し、初級魔法を鮮やかなまでに完璧に使いこなし、撃退してみせた。
 この場において間違いなく最も実力・経験が不足している少女だが、決して底が浅いとは思わない。
 恐らく、年単位で考え抜いていたはずだ。己よりも強い敵とぶつかった時、どうすれば勝てるのかと。そしてその思考の中には、龍族も入っていたのだろう。
 この少女は実戦経験の少なさを“想像”で補っている。もし彼女がそれを“想像”ではなく“経験”として吸収していくとしたら――?
 末恐ろしい、そしてそれ以上に、そうなった姿を見てみたい。


『ふ……』


 こういう瞬間、年である事を実感する。
 今この場の勝利よりも敵である少女の将来を気にするなど、老いた証拠以外のなにものでもない。この戦いが終わったら、久々に実家に帰ってみるか。
 そういえば最近、他国との交渉で忙しくてあんまり帰っていないから、孫達から顔忘れられてるみたいなんだよなぁ……あの“おじいちゃんダレ?”みたいな眼で見られる恐怖、ちょっと筆舌に尽くし難い。今度会った時には憶えていてくれるといいなあ……
 老龍がしみじみとしている間に、向こうの準備は整っていた。
 全身が一回り大きくなった男が瞳に戦意をぎらつかせ、動く。


「オオオオオオオオオオオラアアアアアアアアアアアッッ!!!」
『――むっ!?』


 直後に男が見せた一手は、老龍の思慮を越えていた。
 あろうことかヴァルガは横にいた少女の首根っこを掴み、龍に向かってぶん投げたのだ。
 砲弾並みの速度で飛んでくる少女を前に、グラムは驚愕に眼を見開いた。


(有り得ぬっ)


 あの男が突っ込んでくるのならわかる……というより、この場においてはそれしかないと踏んでいた。
 龍族にも引けを取らない力を持つヴァルガが接近戦を挑み、アオイが離れた位置から援護する――それ以外の選択肢は無いように思われた。
 定石だ。そこから外れようとするのなら、無理を通すための“何か”が必要である。


(あるのか?)


 その……“何か”。
 向かってきているのは十代半ばにも満たない少女が一人。しかし先刻の機転を見た後では、否と断じる事ができない。


『ぬん!』


 考えるより先に、体が動いた。
 先の龍達は自負のあまり、先手を与えてしまった。
 年端もいかぬ少女と侮り、所詮は初級魔法と侮り、無防備に攻撃を受けてしまった。その結果がアレだ。
 確かに生半可な攻撃ではこの体は貫けない。しかし、“倒す”事にこだわらなければ手の打ち様はあるのだ。
 故にグラムは、思考がまとまるよりも早く反撃する。
 敵手の狙いが読めなくとも、主導権を渡してしまうというその一点が、いかに戦況に影響を及ぼすかを良く知っているからだ。向こうが思い描いている絵図を、実行される前に打ち砕く。
 そのためならばグラムは、孫娘といくらも年の変わらぬ少女でさえも牙を剥く。
 すべてはそう……


『龍神様の御心のままに――!』


 彼の御方が心乱されずに収まりますよう、願い奉りますれば。
 それだけを胸の内に願い、グラムは脚を振り上げた。飛来する少女の体は低く、爪や牙は届かない。最も早い攻撃手段が、脚による踏み潰し。
 振り上げられた脚を見て、アオイの顔色が変わる。さもありなん、定石外れの奇襲による困惑を狙ったのだろうが、僅かな乱れもなく脚を合わされた。
 主導権を握るための不意打ちに、完全に反応された。彼らの策は、始まる前に終わったも同然だった。


『これが経験の差というものだ。幼き魔法士』
「――ッ」


 正面から戦っても勝ち目はないと即座に策を練り、勝負に掛ける度胸はさすが。これが経験浅い若手の龍であったのなら、あるいは成功していたかもしれない。
 しかし残念ながら、相手はただの龍ではなかった。
 歴史だけならば『龍神』よりもさらに深い、ゲイン・アルムハンドに並ぶこの世界においての生ける伝説……その一人だった。


『せめて苦しまずに、逝け』


 そして振り落とされる。
 狙いは過たず、巨大な影がアオイの体を押し潰していく。


(やはり慣れんな……こればかりは)


 もうあの少女は助からないと確信し、グラムは内心で嘆息した。
 将来有望な若い芽を、その才能が開花する前に摘むのは初めてではない。むしろ、数え切れないほどに当たり前の事だ。若い頃など、敵軍を壊滅した事だって何度もある。
 だとしてもこの感触……到底慣れる気がしなかった。
 血気に逸っていた時分には感じられなかった事が年を重ねるにつれて気になって仕方がない。やはり、老いたという事なのだろう。
 今の自分に出来るのは、相手を一人前の戦士としてみなし、容赦をしないという事だけだ。
 ――いよいよ脚が地面に落ち、少女の体が押し潰されようとした時、


「『リフレクション』」


 あまりにか細く、しかし確かに聞こえた声に耳を澄ませた瞬間――




 たった今振り落とした脚が砕け散った。




『がああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッ!!?』


 予想だにしない激痛には、伝説級の龍であろうと悲鳴を上げる。


(ぐっ……な、何があった?)


 人間の中においても小柄な少女を踏み潰したと思った瞬間、まるで同胞に蹴り上げられるにも等しい凄まじい衝撃を感じた。
 龍クラスの力の激突の結果など、破壊以外にはありえない。事実こうして、グラムの脚は砕かれている。
 だというのに眼下には、信じられない光景がある。


(生きている……だと……)


 破壊された脚の隙間から見えるは人影。
 アオイという少女、多少の傷を負ってはいるものの、自身の脚で凛と立ち、泰然とこちらを見据えていた。
 真っ直ぐに突き出され指先に、挟まれているものがある。


『――魔符か!』
「そうですっ!」


 白い魔力の輝きを纏った紙が一枚踊っていた。役目を果たした輝きはすぐに薄れて消えていき、ただの紙切れへと戻っていく。
 しかしそれで終わりではない。少女の指にはさらに赤い光に包まれた紙が揺れている。


『くっ――』


 グラムにはそれが、誰の用意した魔符かはわからない。だが少なくともアオイ本人のそれではない、彼女にここまで強力な魔法は使えないと、魔力の流れで察している。
 分かるのは、その正体が世界有数の魔法士であるという事だけだ。
 『リフレクション』。
 受けた攻撃をそっくりそのまま跳ね返す、『特殊魔法』の上位級。魔力障壁としては最高クラスの強度を誇り、見ての通り龍の一撃すら反射する。
 その強力さゆえに修得には尋常ならざる才気と魔力適性を要求され、例え学園の者であっても使用者は極めて限られる。
 グラムの知る限り、護符に込められるほど使いこなせるとすれば学園長ゲイン・アルムハンドただ一人。しかし彼女のはずはない……ないのだ。
 では一体――


(いや……考えている場合ではない!)


 今アオイが構えている魔符にも、『リフレクション』に劣らぬ強力な魔力を感じる。
 脚は肉どころか骨までズタズタに破壊され使い物にならない。予想外の反撃に重心は完全に崩されており、とても上位級の魔法など受け切れない。


(飛ぶっ)


 即断して体を折り、飛翔の体勢を整えた瞬間――


「させっかよぉぉぉ」


 背後から聞こえた声に、戦慄が駆け巡った。




(これは違う……違うだろうがぁぁぁ……!) 


 ヴァルガは憤っていた。この状況のあらゆるモノを否定していた。
 つい先刻、アオイと交わした念話を思い出す。


『私が飛び込んで一撃加えます。その隙にヴァルガ先生は背後に回り込んでください』
『あん? ちょっと待てやぁ。嬢ちゃんが小器用なのぁ良く分かったがよぉぉ、あいつはさっきの龍達たぁ格が違うぜぇぇ? 初級中級程度の魔法いくら捏ね回したところでどうこうできる相手じゃねぇぞぉぉ』
『わかっています』
『ならここは俺が前に出てぇ――』
『ですので……“使い”ます』
『!』
『ですがきっと、一撃で倒せる相手ではありません。おそらく、もう一撃の決め手が必要……ヴァルガ先生には、その隙を作り出して欲しいのです』
『……簡単に言ってくれやがるがなぁぁ、ヤロウの後ろは多少の事じゃあ奪えねぇぇ……あの小娘の護符とやらぁ、本当にそこまでの代物なんだろうなぁぁ?』
『大丈夫です! ……たぶん』
『今たぶんって言わなかったかぁぁぁ?』
『きのせいです』
『気のせえじゃあしょうがねぇぇなぁぁぁ』
『ともかく! きっとグラム様は先生が前に出て、私がサポート。そういう形をイメージしているはずです。初手でその構想を崩し、かつミルヴァ先生の護符による一撃……倒す事は難しくとも、背後を取る隙としては十分かと』
『けどなぁ、それじゃ嬢ちゃんの負担が――』
『先生』
『――』
『やらせてください』


 あんな眼を見せられては、何も言えなかった。


(ったく小娘が……『アイツ』と同じ眼をしやがって)


 “覚悟”を決めた奴は、決まってああいう眼をするものなのかと、ヴァルガは既に遠い記憶に思いを馳せる。
 その時心に秘めた信念が、今改めて心の内で燃え盛っていた。
 そしてまた、同等の熱量で以って怒り狂ってもいる。
 グラムには数歩劣るにしても、ヴァルガとて実戦を経験しているベテランの魔法士だ。定石を外す戦法……確かにグラムが想定しているのはアオイの言う通りのものだろうし、それがこの場合において最も有効であるという事、誰に言われるまでもなく理解している。
 だが違う……そういう事ではないのだ。
 グラムが強いからヴァルガが強いからアオイが弱いから――だから弱いアオイを前に出せば意表を突けて有効だ? 違う違う違うそうじゃないだろう!
 定石を外す? 理を外す? そんな格好付けた表現をするから間違うのだ。違う!


(外すしかないだけだろうが!)


 正面から戦っても勝てないからこその奇策、ならば何故そうするしかないのか?
 グラムが強いから? 違う!
 アオイが弱いから? 違う!




 己が弱いからだ。




(クソッたれぇぇ……!)


 グラムの真の姿を見たあの一瞬で、アオイは見抜いたのだろう。ヴァルガでは決してグラムには勝ち得ないと。
 だからこそ奇策と知って、リスクがあると知ってのあの提案。


(クソッタレがああああああああッ!)


 腹が立つ。
 アオイの理屈は正しく、その覚悟も本物――たったそれだけの理由で「俺があいつを倒す」と言い返せなかった自分の弱さに煮え繰り返る。
 だから、


「悪りぃなぁ、グラムさんよぉぉ」


 剣呑な光がヴァルガの両目に宿る。
 あんたは強い、何も悪くないというのもわかっている。その上で、


「八つ当たりさせてもらうぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!」


 やるせない想いの全てを乗せて。
 山をも崩せそうな破壊の拳が、巨龍の背中に突き刺さった。




(――今です!)


 ヴァルガの一撃がグラムの芯を撃ち抜いたのを見て、アオイは符に込められた魔力を開放した。
 赤の符。
 攻撃色の、符。
 そこから発現する魔法が、半端な威力であるはずがなく。


「『プロミネンス――」


 火炎系魔法最上位が一。


「――グレイヴ』ッ!!」


 血の色すら連想させる紅が、桜吹雪の如く一帯に舞い踊った。
 ――灼熱の大槍。
 太陽の熱にも匹敵する、世界最高温の炎槍が、ここに顕現を果たしていた。


『な……あ……!?』


 身体の芯を撃ち抜かれ意識が明滅していたグラムでさえ、その輝きには瞠目せずにはいられない。
 なぜならばその魔法は――


「かつて『龍殺し』の異名をとった魔法士が練り上げた、人類最強の攻撃魔法です」


 自身の十倍近い巨大な炎槍の穂先をグラムへと向け、アオイは告げる。


「あなた方を滅する為に生み出された奥義……グラム様は受け切れますか?」


 砲身が狙いを定めるかの如く、高くたかく掲げられ、


「いっけええええええええええええええええええええええええッッッ!!!」


 音速をも超える勢いで放たれた槍は一直線に飛んだ。
 グラムの心臓部へと。


『――くっ!?』


 その一撃は、百戦錬磨の老龍を以ってしても対処ができない、まさに必殺の一撃だった。
 背中の中心を強打され、全身に痺れが回っている今のグラムにはとても回避不可能。
 ――迎え撃つしかない。
 覚悟を決め、腕を突き出す。
 アオイは切り札の魔符を使い、これ以上は打つ手があるまい。
 ヴァルガは無傷ではあるが、最上位級の強化をこれだけ長時間施しているのだ。既に魔力の限界も近いはず。
 つまり、ここを凌げればまだ勝機はある。
 たとえ腕一本失う事になろうとも、ここを切り抜ける!
 巨体に見合った城を支える柱のごとき強靭な腕が、龍の怪力によって炎愴に叩き付けられ、人の領域を超えた破壊音が響き渡った。
 その衝撃……炸裂音だけで、鼓膜が鉄槌に殴られた様に激痛を訴え泣き叫んでくる。


「――あ、ぐ……くっ……!」


 アオイは痛みに耐えかねるように両耳を押さえる。
 それでも、そんな状態でありながらも決着を見届けるべく、視線は激突する二つの超常へと向けられていた。
 一瞬の拮抗、否。ほんの僅かに龍の爪が炎槍を押し込んだ様に見えた次の瞬間――




 全てを溶かし、炎の刃が龍の腕に風穴を開けていた。 




 大木を引き裂く爪も大地を抉る怪力も、龍殺しの槍の前に成す術もなく貫かれた。
 グラムは自身の腕を貫通した槍がそのままの勢いで、今度は自身の心臓を貫こうとする様子を、停滞した視界で捉えていた。
 己という世界の終末を本能が察し、感覚が何倍にも引き伸ばされている。
 その世界の中で、思う。


(ああまったく)


 人間という種族は、確かに龍に比べて脆く儚い存在だろう。
 しかし……だからこそ、その一瞬の輝きが――


『見事だ』


 龍神の傍役・序列十七位・生ける伝説――様々な肩書きを持つ太古の龍は、最後に一戦士として。
 己の敗北に、満足したのだった。

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