既成事実は口の中。溶けて甘く消えるのを待つ。

tomimato404

間接リップはこうして始まった


 どうして、私は……ここにいるのだろう?

 少年少子の集う学舎で、私は一人取り残された。
 育ちの良い彼等は、もう成人と呼んでも良いくらい。
 場違いを感じる私は、教室の隅に椅子を持って移動した。
 中心で騒ぐ彼等を避けて、窓辺を背にして終わるのを待つ。
 することも無いが、逃げ出すことも出来ない、無為な時間。
 見るものも無く泳ぎ、眺めるとも無く反らした。
 少しでも離れたい。
 しかし、出ることも出来ない空を眺め、諦めて回した首を戻した。

「これっ、新作のリップだゾッ」
「そっ、だかぁ、なっ!?」

 彼女は突然現れて、手を伸ばし、何かを突き出した。
 私の後頭部はガラスにぶつかり、ぐいぐい迫られ、塗られた。

「どうかな? 少し乾いてると思ったから、ねっ」
「……(私とした事が)」

 実に簡単に追い詰められた事が受け入れ難く、思考が止まる。
 唇に触れるソレが彼女の視線で動いた。ようやく浮かんだ言葉を────。
 
「そう──」
「まだ、ダメ! リップ外れちゃうよ? これ好きな人ができるおまじない入り何だって、スゴイよねぇ〜? でも、塗るの失敗すると失恋しちゃう確率アップしちゃうんだよ、ヒドイよねぇ〜? でもねでもね。好きな相手に塗って貰うと、恋が叶うんだって、良いよねぇ、コレ!!」

 ──飲み込んだ。
 彼女の手が、指が、触れそうな距離でなぞり。由来を語る唇が、近づいて。
 彷徨わせた視線に、彼女の瞳が映った。

「……もう、いいかしら?」
「うん、(意外と可愛い!)あっ、『あらっ、貴女、タイが曲がっていてよ?』つってぇねぇ〜」
「……」
「あっ、あぁ〜あはははっ」

 取り繕う彼女の笑いに、少し冷静になれた私は、キャップをする様を眺めた。
 彼女は何がしたかったのか?
 答えは簡単、私と同じで、暇つぶし。
 彼女は、手に持ったソレを仕舞うでも無く、使うでも無く、回して、手の平の上で転がした。そして、離れたと思ったら、椅子を持って帰ってきた。

「隣、良いかなぁ?」
「お好きにどうぞ」
「ありがとぅ、お邪魔しまぁ~す」

 私は、彼女の存在を忘れ。今あった事も忘れる事にした。
 そして、喧騒だけが目の前に広がった。
 横目に見える彼女も、これを見るでも無く、向けていた。

「……いつまで続けるのかしら」
「そうだよね!! でも、授業が潰れるから良いよね?」
「そうね」

 まさか、呟きに答えが返ってくる、とは思わなかった。
 話を閉じた私に、彼女は何を感じるのだろうか。
 特に重要でも無い会話は、そのまま止まり。二人はただ前を向いた。

 彼女は、その場を動かなかった。てっきり何処かへ。誰か別の相手を探しに行くと思ったのに。ポーチにしまって、黙って見ていた。

「リップ、どうかな? ぷるぷるした感触で、キスの感度が超絶アップなんだって?」
「そっ、どうかしらね」
「やっぱり、ホントかな~? って思うよね?」
「そうね」
「そもそもしたこと無いんだけどね」
「そっ、これからするわよ」

 彼女が思い出したように問いかけて、私がおざなりに返し、また途切れた。

 ────ほのかな香りに首を傾げる。とても身近に感じて、口元のそれを指でなぞりすくう。

「ふぉぉおおおおおおおっ、ご褒美キタァ!!!」
「なっ、何かしら?」
「眼福だから、どうぞ続けて!!」
「そっ」

 突然の叫びに、内心を押し隠し気にしない事に決めた。
 香る原因に意識を向ける。指先を嗅いで、疑問が生まれた。
 
「こんな香りだったかしら?」
「おめでとう! それはきっと、恋をしてるからだよ! このリップ、すごいよね?」
「そうね」
「段階的に匂いも変わるんだって!! どうなってるのかな? 気になるよねぇ?」
「そうね」
「因みに、好きな人が近くにいると、匂いが強くなって。それから、匂いに気づいて始めて思い浮かんだ人って、私かな?!」
「そうね」
「その人が、好きな人……えっ?」
「そぅ、なっ!?」

 聞き流した説明に不穏なモノを感じて、隣を見た。彼女の笑顔に迎えられて、私は逸らした。
 隣からの視線が気になって、口元の香りが強くなって、それでも私は前を向いた。何故だかわからない焦りが、消えるまで。

 ────隣からの視線が、ようやく消えて。落ち着いた私は、横を向く。
 気になったのか、それとも逸らしてしまった罪悪感か。
 
「ぅうん?」

 その唇をなぞるモノは、さっき押し付けられたモノで、元々彼女のモノだった。
 
「もう乾いちゃてるのかな? あっ、ソレとも塗りたかったのかな?」
「そっ、そんなはずないでしょ」

 反らすこともできずに、視線がさ迷った。

「両思いだったら良いなぁって、思ってるよ?」

 私の閉じた口元に、
 ────彼女はまた、ソレを塗った。

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