白い令嬢は愛を知らない
第1章8話
「こちらがわかりやすいものです。魔族になりたてのものや、魔族の子どもでも覚えられる程度のものですので、大丈夫だとは思いますが……」
「人間の知識がある分、それが邪魔しないといいですけれど……」
不安なのは、変に人間の知識に絡めながら覚えることで、知識の吸収を邪魔することだ。
アルクリスタがまだ幼ければその心配も少なかっただろうが、13歳ともなればある程度の知識は保有している。特に貴族ということで平民よりは保有する知識の量も違う。
「まっさらな状態で始めればいいですよね……」
用意してもらったのは、簡単な魔族文字の辞書と絵本だ。
「まずは内容を読んでいきますので、覚えてください」
ここから、アルクリスタの魔族文字を覚える猛勉強が始まった。
アルクリスタという少女は、努力でできている。
勉強はもちろんのこと、貴族令嬢としては必要のない剣技、弓矢、体術や、ダンスはもちろん楽器類などの令嬢として恥をかきそうなものは全て完璧に習ってきた。
料理などの家事全般も必要に迫られ覚えている。
更には領地をもっと豊かにしようと商人の勉強までしていた。……これは、公爵夫人から、反旗を翻すのではと嫌味を言われたのでこっそりではあったが。
兎にも角にも、アルクリスタという少女は努力というもので成り立っていた。
それは、どんな教師よりも本人が一番自分に対して厳しいからこそ耐えられたものだ。
そんな少女が、魔族文字を勉強するというのだ。
本人が誰よりもスパルタであり、自分が納得できる所までは休憩を取ることもなかった。
「……アルクリスタ様。もうお昼を過ぎています。アルクリスタ様」
サンの問いかけは、最早聞こえていない。
信じられない程の集中力に、サンの方が呆気に取られていた。
「……アルクリスタは、勉強熱心なのだな」
隣で仕事をするノワールでさえ、驚いている。
ノワールに書類を届けに来たアレクすら、最初は何をやっているのかと馬鹿にした顔で見ていたが、数時間後にも同じ体勢からほとんど動いていないアルクリスタを見て、さすがに目を見開いていた。
どのくらい経ったのか。
アルクリスタは気付けば、やっと自分のお腹が空いていることに気付いた。
「……あら。私また……」
サンが、やっと声の届くようになったアルクリスタにほっとしたのを見て、アルクリスタは俯いてしまった。
「……ご迷惑おかけして申し訳ありません……」
アルクリスタの弱々しい声に、その場にいたノワールとサンは目を丸くした。
「なんで謝るんだ?」
ノワールが問う。
「……サンストーン様にもお手伝いをお願いしていたのに……私また集中しちゃって……申し訳ありません……気味が悪いですよね……」
確かに、常人じゃあり得ない程の集中力であった。人間であれ程の集中力がある者はいないであろう程度には。
「集中できることは良いことだ。気味が悪いなんてことはない」
「むしろ魔王様は周囲の音を遮断する魔法を使わないとあれ程の集中力は保たないので、そこはアルクリスタ様を尊敬してほしいくらいです」
サンが表情も変えずに言う。ノワールは苦笑いだ。
「誰に何を言われたか知らないが、ここでは気にする必要はない。そもそもお前は人間なんだ。ここには人間基準で言う気味が悪い奴なんて沢山いる。比べるまでもないが、お前は気味が悪いなんてことはないよ」
ノワールはアルクリスタの頭を撫でながら言う。
確かに、魔族にはほとんどいないが、魔物には見るも悍ましいものもいる。
「……ありがとうございます」
アルクリスタは憑き物が落ちたようなどこかすっきりとした表情をしていた。
「ノワール様もサンストーン様もお優しいですわ……私、会ったばかりですけれど、お二人とも大好きです。人間なんかより、全然」
表面や家柄ではなく、ただのアルクリスタを見てくれた。
最初は人間という大枠であったが、今はサンですらきちんとアルクリスタを見てくれている気がした。
「……それよりも、もう夕方です。軽食でも食べないと、夕食まで体が保ちませんよ」
今朝は勉強がしたい余り、朝食を食べずに来てしまったので、これが今日初めての食事だ。
「俺も一緒に食べよう」
ノワールはそう言うと、アルクリスタの部屋へ入る。
「せっかくだからこっちで食べよう。いいか?アルクリスタ」
昨日よりも柔らかい雰囲気のノワールに少し緊張しつつ、アルクリスタは頷いた。
部屋に戻ると、ノワールは既に座っていた。
アルクリスタが向かいの席に座ろうとすると、腕を引かれる。
「お前はこっちだろう」
体が引っ張られバランスを崩し、ノワールの膝に乗るような形になってしまった。
「きゃ……の、ノワール様……」
頬に熱が集まるのを感じた。
「……いいだろう。アルクリスタも先程、俺のことが好きだと言っていたしな」
頬を赤くしながらも、揶揄うような表情のノワールに心臓が締め付けられる。
「……さすがにその……膝の上は……」
「……いいだろう。こっちだ」
アルクリスタをおろし、隣に座らせる。
ほとんど隙間は空いていないが、先程よりもマシだと思い、アルクリスタは頷いた。
(……昨日よりも、ノワール様の距離が近く感じる)
それは勘違いではなかった。
昨日の一件以降、ノワールはアルクリスタを意識してしまっていた。
それに今朝の行動だ。
ノワールは、もう自覚していた。
……アルクリスタに、好意を抱いていると。
(何故人間で、こんな小さな娘なのかはわからない。けれど俺は……アルクリスタのことを好いているのだ)
小児性愛者というわけではない。ただ好きになったのが、アルクリスタだったというだけだ。……なんと言っても言い訳に聞こえてしまうが。
とにかくノワールは、アルクリスタのことを好きだと自覚していた。
だったらすることは1つだけだ。
このペットと主人という関係を利用し、どろどろに甘やかすこと。
甘やかして甘やかして、ノワールから離れられなくする。
今のノワールには、アルクリスタを嫁にしようとかいう考えは浮かんでいない。
ただひたすらに、アルクリスタを甘やかし、手元に置いておくことだけを考えていた。
「そういえば、魔族文字はどのくらい覚えられたんだ?」
野菜とチーズ、猪型の魔物ピボアの上位種であるハイピボアの肉────人間の国であれば貴族すら入手が困難な程出現率が低く高価────が挟まれたサンドイッチを食べながら、ノワールが聞く。
「そうですわね、まだ『魔族文字中級編』が読める程度ですわ。今日中には上級編まで読めるようになりたかったのですけれど……」
「中級編!?」
さすがのノワールも、その時ばかりは誰が見てもわかるくらい目を見開いていた。
「そうですが……」
「……中級編は、魔族の中でも中位魔族以上でないと読むことは困難とされています。魔族の子どもであっても、精々10年は勉強しているかと……」
サンが驚きながらそう告げた。
魔族にもランクがあり、元から人形である者は高位魔族。
魔物が力を得て人形に変化できるようになった者は中位魔族。
見た目は魔物だが会話ができる者は下位魔族と分けられている。
中位魔族はある程度の知識を持つため、本なども読むことができる。
しかし魔物が変化できるようになるには最低でも150年かかると言われていた。
つまり、それだけ時間をかけて覚えるようなことを、アルクリスタはたった数時間で覚えてしまったということだ。
「そうなのですか……?ですが、一応人間としての知識があったからこそできたことで、何も知らなければ逆に難しかったのではないかと思います」
勉強に関してアルクリスタは多少コツがわかっていたからこそできたことだろうと告げる。
しかしノワールとサンは、2人で顔を見合わせていた。
(アルクリスタが間者であれば、この国は滅びるかもしれない)
2人は確かにそう思った。
魔族が時間をかけて覚えることを、たった数時間で覚えたのだ。さすがに2人も危機感を覚えていた。
「少しでもノワール様達のことを理解することができれば嬉しいですわ」
アルクリスタ本人はそんなことを微塵も考えておらず、少しでもノワール達のことを理解するのに必死なだけであったが。
「ハイピボア、初めて食べましたわ!こんなに柔らかいんですね」
初めて食べるハイピボアの美味しさに感動しつつ、軽食の時間は終わった。
ノワールはそのまま仕事に戻る。
「時間も時間ですし、今日はもうゆっくりなさってください」
サンはそう言って、出入り口の扉横の定位置に戻った。
アルクリスタは窓から外を見つめ、小さく欠伸をした。
(さすがに早起きすると、今の時間眠たいですわ……)
軽食で軽くお腹が満たされていることも眠気を誘う要因だろう。
夕焼けの真っ赤な日差しがアルクリスタを照らす。
それはさながら血に塗れた天使のようで、魔族の目にはとても不気味に、美しく映った。
その日の夜も、ノワールはアルクリスタの部屋を訪れていた。
「アルクリスタ、何か欲しい物はないか?」
恒例化してしまったのか、ソファでアルクリスタの横にピッタリとくっついて座り、ノワールはそう聞いた。
「そうですね……今は特に何もありません」
「ドレスや靴、アクセサリーでもいいぞ」
「それらは私に有り余る程用意して頂いてますわ。これ以上は申し訳ないですし、必要ないと思います」
「ならば、してほしいことはないか?」
しつこく聞いてくるノワールに首を傾げるが、してほしいこと……と考える。
「そうですわね…………無理なら仰ってくださいね?」
「なんだ?」
何かをしてやるのが嬉しいという顔で、アルクリスタを覗き込む。
あまりにキラキラとした顔に、アルクリスタは目を瞑った。
「どうした?」
「……ノワール様、自分がどれ程美しいか、自覚した方がいいと思います……」
ノワールだけでなくサンまで、「お前が言うか……」という顔をしたのに気付くこともなく、アルクリスタはふぅ、と息をついた。
「……ノワール様」
「ん?」
「お仕事が終わったらでいいので……どこか、お外に連れて行ってくださいませんか?」
「外……か……」
一瞬躊躇するノワール。
ノワールの庇護下であるにしろ、魔物、魔族が闊歩する森に出かけるのは、正直不安であった。
「無理にとは言いません。まだこちらにお邪魔して2日目ですし……我慢できないと言う訳ではないので」
「そうだな……少し考えさせてくれ」
冷静なノワールに、アルクリスタは頷いた。
「それでは、俺はそろそろ帰る。邪魔したな」
ノワールが立ち上がると、アルクリスタもそれを追いかける。
「今日も本当にありがとうございました。……ペットというお仕事なのに、なんの役にも立っていませんが……」
「疲れを癒やすという意味では十分に役立っている。気にするな」
頭を撫でられ、恥ずかしくなる。
「ノワール様……言おう言おうとは思っていたのですが……」
「なんだ?」
「……私はもう13歳ですわ。小さい子どもではないので、頭を撫でるのはおやめください」
少しムスッとして言うと、ノワールは一瞬ポカンとして笑い出してしまった。
「何がおかしいんですのぉ?」
むーっとした顔をすると、また笑われる。
「はははっ……そうだな。人間で言えば、そろそろ大人の自覚を持つ頃か……くくっ」
笑いが堪えられていない。
「ノワール様!」
「ふっ……すまない。魔族で言うと、まだ赤ん坊のような年齢だ。つい手が伸びてしまってな」
「……人間と魔族では成長速度が違いますわ。もうすぐで私も立派なレディなんですから、そんなに笑われるのは心外ですわ」
頬をぷくーっと膨らませて抗議する。
「……人間の13歳とは、アルクリスタの身長が平均なのか?」
人間でいう13歳とは、魔族でいう50歳程度だ。魔族が成長しきるのは、長くとも30年。10歳前後までは人間と見た目の成長過程は一緒だと思われる。
その年齢の魔族の平均身長は160cmだ。
20歳前後で大体皆170cmを超える。
ノワールの身長は192cmで、魔族としては少し大きいかな、という程度だ。
魔族の男は180cmが平均で、大きい者だと200cmを超える。
「……平均よりは、少し低いですわ……」
膨れるアルクリスタがあまりに可愛くて、ノワールは思わずアルクリスタを抱き上げた。
「ノワール様?」
ノワールの突飛な行動に慣れたのか、アルクリスタは首を傾げた。
「ふふ……ずっと見上げていては疲れるだろう?」
ノワールはこてん、と額をアルクリスタの額にくっつける。
「……やはり、アルクリスタの瞳はとても綺麗だな」
「……ノワール様の方が綺麗ですわ」
恥ずかしげに少し下を向く瞳に愛しさが湧き上がり、ノワールはつい、アルクリスタに口づけをした。
「……!」
一瞬のことであったが、アルクリスタは目を見開いて驚きの表情をし、ノワールの唇が離れると、口元を両手で抑えた。
ノワールも、自分がしたことに驚き顔を真っ赤にしていた。
「す、すす、すまない……!じゃ、じゃあ、また明日」
そのままアルクリスタをおろし、さっさと部屋を後にする。
アルクリスタはその場を動けず、ただ、今起こったことを何回も脳内で再生していた。
「…………アルクリスタ様。私がいることをお忘れですか?」
目の前でまざまざとイチャイチャを見せつけられた挙句、キスまでされたサンは、声にこそ滲み出ていなかったが、目が完全に死んでいた。
「さ、サンストーン様……私今……」
「ええ、はい。キスされましたね。おめでとうございます」
最早感情など捨て去ったかのように言葉をかけるが、アルクリスタは気にした様子もなく、そのまま崩れるようにその場に座りこんだ。
「私……は、初めてだったんです……」
「……え?」
「ふ、ファーストキス……でしたわ……」
目を潤ませ、顔を真っ赤にして言うアルクリスタに、サンは絶句してしまった。
貴族令嬢にとってファーストキスは、大切なものである。お付き合いしているならまだしも、婚約者のいない令嬢が誰ともわからぬ者にファーストキスを奪われたとなれば、最悪傷物になったと嫁の貰い手がなくなる。
もちろん、既に魔王のペットになっているアルクリスタには関係ないことではあったが……それでも、ファーストキスは大切なものなのだろう。
「……魔王様、殴りに行きますか?」
そこはサンも女性である。
アルクリスタが嫌がっていたのであればもちろん、アルクリスタに味方するつもりである。
「い、いいえ!大丈夫です!……ありがとうございます」
すくっと立ち上がり、顔をブンブン振るアルクリスタ。
サンはなんだが、この令嬢を放っとくことができないような気がした。
「……アルクリスタ様」
「なんですか?」
「私、貴女のことが嫌いでしたが……なんだが、好きになれそう気がします」
サンはそれだけ言って、アルクリスタを着替えさせ髪を整え、部屋を出て行った。
「うう……今日は目まぐるしい1日でしたわ……」
たった2日であるが、婚約を破棄されたのが遠い昔のように感じたアルクリスタであった。
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