白い令嬢は愛を知らない
第1章7話
まだ日も昇らない暗い時間。アルクリスタは自然と目が覚めた。
「んん……」
ゆっくりと起き上がる。
部屋は真っ暗だったが、目を覚ましたばかりのアルクリスタは暗闇に目が慣れていたため、部屋全体を見渡すことができた。
「……そういえば」
出入り口の左側の扉に目をやる。
あそこがなんなのかをノワールに聞きそびれたことを思い出した。
出入り口でもクローゼットでもない、別の部屋の扉。
「……入っていいものなのかしら……」
この部屋に扉がついているということは、入ってはだめということはないとは思う。
が、廊下にも扉があったということは、隣はアルクリスタの部屋ではないということだ。
「私の部屋にも扉があって、廊下にも扉……ご主人様の書斎……とか?」
皆が皆入れる部屋であれば、アルクリスタの部屋に扉が続いているというのはあり得ないと思われる。
そこから考えられるのは、ノワールが管理している部屋であるということ。
「……この時間ですし、きっと誰もいらっしゃらないわよね……」
例えノワールであっても、自ら顔を出して会いに行くというのは憚られる。……昨夜のことを思い出しても、顔を合わせるのは恥ずかしいと思えた。
扉の前に立ち、自分の顔に近いドアノブに手をかける。
木製の扉なので、ぎぃ……と音がするが、別段大きな音も立てずに開くことができた。
「……まぁ、本が沢山」
扉の先にあった部屋には、壁に埋まった本棚にたくさんの本が並んでいるのが見えた。
アルクリスタの部屋は出入り口の扉から縦長だが、この部屋はクローゼットが隣にある影響からか横長のようである。
アルクリスタの部屋よりも広く、暗闇では奥までは見渡せなかった。
そっと部屋に入り、本棚に近付く。
見える範囲の壁一面、本で埋まっていた。
「やっぱり書斎かしら?魔族と人間では使う文字が異なるのね……ご主人様に、魔族文字を覚えられる本も頼まないとですわ」
本棚に沿って歩く。
思ったよりも長く、本に夢中になっていたアルクリスタは、近くで何かが動く気配に気付かなかった。
「……アルクリスタ?」
低く掠れた声が、背後から聞こえた。
アルクリスタが驚いて振り返るも、闇が深くてよく見えない。
「ああ……見えないのか」
声がそう呟くと、一気に部屋に明かりが灯った。
眩しさに一瞬目を瞑ると、ごそごそと動く音が聞こえる。
「ん……」
明るさに目が慣れたのでそっと目を開くと……
「……ご、ご主人様!?」
そこには、上半身裸のノワールが、小さく欠伸をしながらベッドに腰掛けていた。
思わず近付く。
「ああ……おはよう」
まだ眠いのか、少しぼんやりとした瞳でアルクリスタを見つめる。
(……やっぱり、お綺麗なのですわ……)
少し乱れた漆黒の髪に、すっと通っている鼻筋、少しとろんとした美しく紅い瞳。
アルクリスタは思わず、その頬に手を伸ばしていた。
「……あ……」
伸ばした手に、寝ぼけているのかすり寄って来たノワールに、アルクリスタは頬を染める。
「おいで」
ノワールがアルクリスタの腰を引き寄せ、自分の膝の間に抱きかかえた。
抱き合うような形で、ノワールはアルクリスタの肩に顔を埋める。
「ご、ご主人様……?」
「……ノワールと。そう呼んでくれ」
まだ寝起きで掠れた声に、アルクリスタは恥ずかしくなった。目の前には、ノワールの裸体がある。
「ノワール……様?」
「……ん」
子どもっぽいようなその返事が可愛くて、アルクリスタはノワールの頭を撫でてしまった。
「……ノワール様……」
「ん?」
耳にノワールの吐息がかかるのが恥ずかしい。
「そろそろ離してくださいませんと……その……恥ずかしいですわ」
その言葉にノワールは我に返ったのか、慌てて顔を離した。
「す、すまない。ベッドでこのような……」
顔を真っ赤にするノワールがなんだか可愛くて、アルクリスタはクスクスと笑ってしまう。
「いえ。……ペットの分際で申し訳ないですが、甘えて頂けて嬉しかったのですわ」
少し物足りない気持ちになったのは秘密だ。
「それよりも……」
「なんだ?」
顔を逸らすノワールの頬はまだ赤い。先程までの積極的なノワールは微塵も残っていない。
「……そろそろ上着を着ていただけませんか?少し……その……目のやり場に困ります」
「……ああ、すまない」
そこは恥ずかしくないのか、そばにかけてあったシャツを羽織る。
正直惜しいような気もしたが、アルクリスタも成人前であろうと女性である。
ノワールは着痩せするのか、思ったよりもがっしりとして程よく筋肉のついた体をしていた。
抱き締められた時も思ったが、正直目のやり場に困るくらいには良い体つきなのだ。
「……ここは、ノワール様の寝室でしたのね。勝手に入ってしまい申し訳ありません」
昨夜のことと先程あったことを思い出し、アルクリスタは俯きながらそう言った。
「構わん。いつでも気軽に入れるように部屋を繋げたのだ。書斎も兼ねているから、昨日言っていた本はこちらから持っていくといい」
魔法で服を着たり髪を結びながら、ノワールはアルクリスタにそう言った。
「お前なら、出入りは自由だ。好きな時に使ってくれ」
「けれど……」
「……気にするな。その……ペットが主人の部屋にいるのは普通のことだ」
優しく頭を撫でられる。
愛しさのこもったその手が、本物なのかはわからない。けれどアルクリスタは、いつか捨てられることになったとしても、今はこの手を信じたいと……そう思ってしまった。
「……ありがとうございます」
「そろそろ日が昇る。サンが起こしに来る頃だろう。部屋に戻った方がいい」
「はい。お邪魔しました」
「俺にお辞儀は不要だ。……手でも振ってくれ」
優しげな笑顔でそう言われ、アルクリスタは頷くしかなかった。
言われた通り手を振り、自分の部屋へ戻る。
「……ふぅ……」
未だにドキドキとうるさい心臓に、アルクリスタは胸に手を当て、鎮めるように努めた。
コンコン、と、軽いノックの音が響く。
返事をすると、サンが入ってきた。
「おはようございます。……お早いお目覚めですね。早速湯浴みに参りましょう。本日のお召し物はどうされますか?」
「今日はシンプルなものでお願いします。昨日のは……可愛かったですけど、普段着るものとしては派手すぎたので……」
「そうですね、私もそれが良いかと思います。色は……本日は薄紫のものに致しましょう」
服を寝室に出したのを確認し、扉に向かう。
「そちらではありません」
「え?」
「朝の忙しい時間に人間が歩いていては目立ち過ぎます。恰好の的です」
サンは部屋の中央に来るように言い、2人で佇む。
「魔王様より、魔王様専用の浴場の使用許可を得ています。そちらに転移しますので、私に掴まってください」
言われた通り、サンの腕を掴む。
「行きます」
そう言うと、薄黄色の魔法陣が足元に浮かび上がる。
アルクリスタは思わず目を瞑ってしまった。
『我が声に応えし者よ、我が望む場所に連れ行け』
サンが短い呪文を唱えると、体が宙に浮く感覚がした。
一瞬の間の後、すぐに足に地面の感触がある。
「着きました」
目を開けると、そこは確かに浴場であった。
しかし、広さがケタ外れである。
湯気で端は見えないが、見渡す程広い浴場は、ダンスパーティーでも開けそうな程だ。
「服は湿気がこないようこちらに置いておきます」
ネグリジェを脱がされ、下着も取られる。
メイドに裸を見られるのには慣れているが、こんなに広い浴場と考えると少し気恥ずかしさがあった。
「こちらに」
小一時間程湯浴みをし、服を着てまた部屋まで転移する。
最後には広さにも慣れ、ゆったりと過ごすことができた。
「お召し物を」
服を着替えさせてもらう。
今日の服は薄紫色をベースに、袖先や裾、コルセットに白いフリルがあしらわれたものだ。
袖は昨日と同じパゴダスリーブだが、透けている薄紫色のレースは清楚さよりも少し可憐なイメージが強い。
胸上までレースが続き、胸元からはハートカットで切り替えがされている。
ドレス自体に柄は入っておらず、コルセットにはドレスよりも深い紫色の糸で花と蔦の刺繍が施されている。
スカートも昨日と同じベルラインで、可愛らしいシルエットを作っていた。これもスカート自体は無地になっており、上に長さの違うレースが2枚重ねられている。それぞれコルセットと似たような刺繍が施されていた。
「昨日よりはシンプルですけれど……」
目立ちそうではある。
「私は完全に無地で構わないのですが……」
「魔王様のペットであるお方が地味すぎる装いはおやめください。少なくとも、そのくらいの刺繍の入ったものを着てくださらないと。……昨日のものはさすがに派手でしたが」
ペリーが選んだのを知っているのか、今にもため息を吐きたそうにしている。
「御髪を整えます。こちらに」
鏡台に座るよう促された。
「今日はおろしてほしいです。あまり髪をいじられるのが……好きではないので……」
「わかりました」
アルクリスタの希望にサンは頷き、櫛を通すだけに留めた。
「本日はどうされますか?魔王様から、自室への入室許可を頂いたとお聞きしておりますが」
「ええ。本をお借りしようかと思って……そうだわ。私、魔族文字が読めないのですわ。良ければ勉強に良さそうなものを教えて頂けないでしょうか?」
サンは少し驚いたような顔をして、頷いた。
「わかりました。幼い子どもでも勉強できる本がありますので、お教え致します。それでは向かいましょう」
「お願いします」
ノワールの部屋に続く扉に手をかける。
朝と同じく、派手な音を立てることなく開く。
「お邪魔します」
「……おや、早速来たか」
そこには仕事着に着替えたノワールの姿があった。
「ノワール様!すみません、いらっしゃるとは思わなくて……今度からはノックをするようにします」
「気にするな。ノックも要らない。アルクリスタが来たいときに来てくれ。それと……」
机に向かっていたノワールは、わざわざアルクリスタの前に立った。
「今後どうしても必要じゃない時以外はここで仕事をすることにした。だから、遠慮なく俺に色々聞いてくれ」
アルクリスタの目線に合わせしゃがみ、そう言う。
「それは大丈夫なのですか?それに、お仕事中に声をかけるなんて……」
「むしろ、後ろでサンと話している方が気になる。……サンも、俺が部屋にいる時は休憩に行っていい」
「ですが……」
「アレクも部屋に来るから気にするな」
「……わかりました。失礼いたします」
正直、書類は山が10はできそうな程あるので、自室でするなど無謀もいいところだ。
しかしノワールはそんなことよりも、アルクリスタと一緒にいることが大事であった。
「……ノワール様、ありがとうございます」
「?何故だ?」
「本もお借りできて、何もわからない場所で一緒にいて頂けるのはとても有り難いですわ」
にこりと微笑んでお礼を言う。
ノワールは表情こそ変えなかったが、満足そうに頷いた。
「おいで」
そのまま片腕に乗るように抱きかかえられる。
「ノワール様!?」
さすがにアルクリスタも慌てるが、当の本人は素知らぬ顔だ。
「普段からこのように移動すれば、部屋の外にも出られるだろう。誰も俺の所有物には手を出さない。……最初からこうすればよかったな」
明らかに機嫌が良さそうな顔で、机へと戻る。
魔法でもう一つ椅子を用意し、アルクリスタをおろした。
「勉強をするならここでするといい。わからないことも俺がすぐに教えられるからな」
そう言って、ノワールは仕事に戻った。
アルクリスタはもう何も言うまいと、本棚に本を選びに行く。
「そうだわ。ノワール様、本を選ぶのは、サンストーン様に手伝ってもらってよろしいですか?」
「いいが……なんでサンなんだ?」
「先程、おすすめの本を教えてくださると言って頂けて……」
「わかった。『サン』」
ノワールが、少し響くような不思議な声でサンを呼ぶ。
「はい」
開きっぱなしにしていたアルクリスタの部屋とをつなぐ扉から、サンが姿を見せた。
「サンストーン様!すみません、先程教えてくださると仰っていた本を聞きたくて……それと……」
アルクリスタはサンストーンに耳を貸すよう手招きする。
「……やっぱりお仕事中のノワール様に声をかけるのは進行の邪魔になるので、良ければ助ける振りをして頂けると……」
もちろん魔法でその声はノワールに聞こえている。が、さすがに聞こえているとは言えないため黙ったままだ。
「……かしこまりました」
サンは、幼いながらに貴族として仕事を思うアルクリスタに、少しばかり態度を改めることにした。
サンも魔王であるノワールの側近の一人だ。正直仕事が遅れてもらっては困ると思っていた。
(しかもこのような人間のために……)
しかしアルクリスタはそれに甘んじるどころか仕事の進行を心配し、自分を嫌っているであろうサンに頼んできたのだ。
サンが思うよりアルクリスタは、馬鹿な人間ではないようであった。
だからと言って心底信じるかと言えば、話は変わるのだが。
それでも、昨日程きつい態度はやめようと思うには至った。
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