「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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「あのさ、井藤のように精神疾患が有る場合はさ、おかしいなと思ったら指で触ってみてその反応を確かめるってクソ高価たかい教科書に書いてあっただろ?
 つまりさ、キャンディバーという隠語で『お誘い』した時に思いっきり拒否られたんだろ?
 それってつまり相手が動揺しまくっているということで、その千載一遇のチャンスに美樹さんに、井藤の肌を触って貰って反応を確かめるってコトをどうして言っておかなかったんだ?バカか!」
 氷よりも冷たい口調で平淡な言葉使いが物凄く怖い。
 そして、俺は確かにそんな指示を美樹に与えてはいない。その上、ウツだろうとなんだろうと肌を直接触った反応で大体の精神状態が分かるというのも確かに教科書に書いてあった。
 それに思い至らなかったとは我ながら迂闊うかつ過ぎるというか、明らかなミスだ。
 俺の恋人も、ソコを怒ってアソコを強く握っているのだろう。
 これが田中先生が美樹の指導役だったら――と言っても、厚労省ナンバー2追い落としの作戦の時に田中先生と美樹とは同じ料亭には居たが役目は別々だったので顔を合わせていない――俺の恋人も懇切丁寧に説明しただろう。
 何しろ田中先生の専門は心臓外科だし、救急救命室で精神的におかしな患者さんが搬送されるということも有るらしいが、その場合は直ちに尿検査を行って違法薬物を摂取していないかを調べるというウチの省の作ったマニュアルが存在する。9割5分までは薬物中毒患者なので、程度によっては警察に、そして警察では対応しきれない場合は速やかにウチの省の人間が身柄を引き取りに行って薬物専門の施設に入れることになっている。もちろん、専門の技官も居れば隔離施設も完璧だし、そのための薬も揃っている。
 しかも田中先生は「精神医学……そう言えばそんなものを学んだ記憶は有りますがすっかり忘れてしまいました」とカラっと笑っている。まあ、高度に細分化された大学病院勤務の医師は殆どがそんなモノだが。
 しかし、曲がりなりにも精神科を専攻した俺がそんな「精神医学の初歩の初歩」でミスるとは。
 自己嫌悪に、心が痛い。俺の恋人に掴まれている場所はもっと痛かったが。
 ただ、俺の恋人は「説明しなくても分かるだろう」と信頼して任せたにも関わらず基礎的なコトで俺がミスったのが許せないらしい。実は俺も同じ気持ちになってしまっていたが。
 だから。
 
 

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