「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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 ナースが車椅子を押していたり、大きな樹の下で涼んでいたりするパジャマ姿の初老の男性などが居る庭園のような場所に出た。
 夏の陽射しは容赦なく照りつけていたものの、木陰に入ると思いの外快適だったので、入院患者とかナースは俺よりも良く知って散歩を決行しているのだろう。
 太陽の光りは精神にも良いし、患者さんだって病室に閉じこもっているよりもこういう場所に来た方が良い気分転換にもなるのだろう。
 田中先生と会う時は――いくら気持ちの距離が縮まったとはいえ――やはり身構えてしまうので一分の隙もないスーツ姿でいないと俺の美意識が許さない。
 ただ、この入院患者のために開放してあるような中庭では――いくら田中先生が目敏いとはいえ、こんな場所までストーカーチックに追いかけてくるほど暇ではないだろう――ジャケットを脱ぎたくなった。ついでに、先程、モニタールームから見せられたとしか表現出来ない手術の生々しい情景が頭の中に忌まわしくフラッシュバックする。
 見せられた――あくまで主観的な感想で、井藤研修医が勤務時間にフラフラと手術見学に行ったせいだ。俺の知る限り、研修医はベテランのナースからは怒鳴られたり、指導医や医局の先輩に付いて一人前の戦力になるように勉強したりするのがごくごく普通だ。
 田中先生も言っていたが、やはり井藤はそういう下積みの努力から免除されているような――悪く言えば野放し状態とでも表現したい――治外法権的な力に守られているような気がする。
 俺的には、井藤の姿と香川教授の手技は――「霞が関詣で」と揶揄される「優秀な」外科医と当省で定めた外科医ならば、お金を積んででも見たい手技だろう――血や内臓が生理的にダメなのでお金を貰っても見たくない類いのモノだった。ちなみにすれほど血が流れているわけではなかった、多分。
 そんなことを思うと妙に息苦しく感じたのでネクタイも解いてスラックスのポケットに入れた。
 すると、携帯電話が着信を知らせた。
 今日病院に行くと恋人に知らせてあったので、もしかしたら愛しい恋人の声でも聴けるかも知れないな……と期待を込めて画面を見た。
 まあ、それ以外の――何しろ、今日ここに来ることは急に決めたので放置している仕事も山のようにあった――部下からの相談かも知れないが。
 藤宮にも――ちなみに彼女を霞が関の本省に置いているのは、俺が知りたい情報だけを厳選して送ってくれるからだ――近い将来大阪に入って貰わなければならないので、その旨を知らせておかなければなと思いながら画面を見た。
 すると。

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