「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

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 熱心というよりも、偏執狂と表現したくなるような視線で香川教授の手術用のマスク姿を見ているのを横から確かめた。
 香川教授の顔は、相変わらず大輪の花の涼やかかつ高貴な風情で手術室に無機質に咲いている風情でその点だけは目の保養だったが、その手に握られたメスの先には……見たくないモノが有って嘔吐感がこみ上げてくる。
 ただ、井藤研修医は距離も有るとはいえ横に立った人間が居るのに気付いた様子もなくひたすら香川教授を凝視している。革靴の足音を忍ばせていたとはいえ、俺の場合――自分で言うのも何だが――身長とか雰囲気で気付く人間が大半だった。それが普通なのに、井藤はひたすら香川教授を熱の籠った眼差しで凝視し続けている。時々は不気味な笑みを浮かべながら。何だか宇宙船のコクピットを彷彿とさせる無機質な空間のハズなのに、何だか粘っこい物質が分泌されて空中を漂っているような気がした。
 確かに脳外科の医局に居たうら若いナースが恐怖めいた眼差しを浮かべて井藤研修医のことを言っていた理由が体感出来た。
 それに色々な科の医師に職業上良く会うが、経験則で外科などのいわゆる体育会系のノリというか、明快に病変部が分かる部分を相手にしている人達は精神の病に生理的な嫌悪感を抱きがちな傾向があって、内心不可解だったが何となく彼らの気持ちが分かったような気も。
 それに、時折浮かべる笑みは確かに香川教授の――ほぼ素人に近い自分ですら目を奪われてしまう――秀逸過ぎる手技ではなくて顔や全身を舐め回すような感じで見入っていた。
 下の手術室に居る田中先生が、もしここに居れば絶対に許さないか身体で遮るようなレベルだろう、恋人の義務として。
 どう見ても――こう表現するのは物凄く嫌だったが――目の前の男が同じ性的嗜好を持っているのも明白だった。
 恋人をでっち上げの手術ミス画像で脅して口説いた俺が言う権利はないような気がしたが、それでもそれなりの恋愛経験は積んでいたが、目の前の男は多分片想いの経験しかないような気がしてならない。というより、人としての何かが欠けているような感触を強く感じた。
 俺も人の気持ちを読んだ上でワナに嵌めることは割と良く有るしむしろ得意だが、コイツの場合、人の気持ちなど関係なく自分の欲望に忠実に振る舞うタイプだろう。
 田中先生の危惧や危機感が的中してしまった――彼は外科医としては大変有能だが、精神科には疎いようなので仕方無いのかもしれないが――それよりも酷いような気がして、俺が自分で確かめて本当に良かったと思ってしまう。
 何しろ精神科は恋人や俺の方が詳しいという自負も有った。
 この男に関しては田中先生だけでは対応出来るレベルを遥かに凌駕している、大変珍しいことだが。そう強く思ってしまう。
 昨夜――不備だらけだったとはいえ――思いついた、冤罪をでっち上げてそのまま刑務所コースが最も相応しかったような気がした。
 ただ。

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