「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

19

「田中先生に会ってもこの内規を読んだことは内緒にお願いしますね。
 彼にだけは予習をしてきたということを伏せておきたいので。まあ、俺が思いっきり怒られたということにしておいてくださいね」
 恋人は、ドアチャイムの音に――多分ドミ○ピザの宅配だろうが――気を取られていて生返事だった。
 まあ、その程度は暴露されても良いような些細な問題だが、同族嫌悪だと自己分析している田中先生には優位に立っておきたいのも正直な気持ちだった。
 その点、香川教授は「俺に備わってはいないもの」を全て持っているにも関わらず、それを特別だとも思っていない点が却って清々しく思えてついつい特別扱いしてしまうのは本人の人徳だろう。
 そして、田中先生は俺とは異なってそれほど庇護欲を持ち合わせているタイプには見えないが、それでもついつい庇ってしまうのも本人が恬淡としているからに違いない。
 あれだけ恵まれている人というのも珍しいが、その極めて稀な才能とか容姿を全く鼻にかけることがない点がより一層の煌めきを放っているような気がする。そして同僚か部下に欲しいと心の中では思っている田中先生ほどの人間がそういう性格をも愛していることも痛いほど分かる。
 ただ、俺の場合は雨に打たれた大輪の薔薇が悄然と咲いているよりも、雨に向かって文句を言う可憐な野の花のような人間が好みだという違いだろう。
 田中先生もケンカ友達という言葉がぴったりだが、俺の恋人だってケンカをしながら仲良くなるというスタンスだった。
 しかし、香川教授は以前、俺の恋人に「真顔」でケンカをしたことがないと深刻な感じで相談を持ちかけたことがあって、それを聞いた時には正直なところ笑ってしまった。
 そういう点も含めて田中先生の庇護欲をそそっていることに本人の自覚がないことに。
「ほら、今度は甘みも加えた豪華版だぞ。アップルパイはメープルソースをたっぷりかけて一緒に食べよう。嬉しいだろう?それともエッグタルトにするか?」
 また三箱も買っている上にサイドメニューは甘いものが欲しくなって注文したらしい。
 苦手だと言っているのに、この人がこういう買い方をするのはよほど腹が立っているのだろう。
 全ては井藤とかいう狂気の研修医に。

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