「気分は下剋上」 森技官の優雅な受難

こうやまみか

「では大臣、これで失礼致します」
 何故、俺がこんなことをしなければならないのかと内心忌々しく思いながらも、笑みを浮かべて無駄に豪華な大臣執務室から出た。
 厚労省の事実上のトップは事務次官だが、その上は厚労大臣だ。本来ならば事務次官が報告するのが筋というものだが、あいにく事務次官と大臣は控え目に表現しても犬猿の仲だった。というのも、同時入省でお互いが足の引っ張り合いをして、事務次官が勝利した形で退省した。天下り先は――その悪しき慣習については言及を控えるが――山のようにあるので、どこかの団体の理事とか製薬会社の役付きなどになるのかと思いきや参議院選に出馬し、国会議員様にお成りになった。その後、省のことには詳しいだろうということで厚労大臣に指名されたのだから。
 究極の下剋上のパターンだった。
 だから、事務次官も大臣もお互いを避けているというか嫌っているのは仕方ない。
 下剋上と言えば……。
 K大付属病院の看板教授でもあり、心臓バイパス術の世界的権威の香川教授とその恋人の田中医師の関係性もそうだろう。
 仕事上は――実際病院でランダムに選んだ人間に直接聞いていたので確かだ――香川教授の懐刀として上司を立てているものの、二人きりの時間には田中先生の方が主導権を握っている。
 それに、田中先生の言うことであれば教授は唯々諾々と従いそうな感触だった、法律的に問題がなければ。
 ただ、田中先生はその奥の手を敢えて封印しているような気がする。何故それが分かるのかと言うと俺に似た性格の田中先生には容易に思いつくハズのシロモノだったからだ。
 逆に香川教授は絶対にそういう発想は出ない。そもそも何故二人と関わり合ったかというと、専攻の精神医学には未だ興味を抱いていたので学会にも積極的に参加していた。その時の講演者が、俺の好みの具体化とはこういう人だと実感したからだった。
 そして当然の手順として弱みを握ることを考えた。多分、田中先生が同じ立場だったらそうしたと今でも確信している。スミレの花の可憐さに似た呉先生はK大附属病院の不定愁訴外来というブランチの長で――といっても所属する医師は一人、そして看護師も同様というささやかさだ――病院への帰属意識が物凄く高いのは火を見るよりも明らかだった。
 だから病院の看板教授でもある香川教授の執刀ミスのMRI画像を母校で捏造して身体の関係を結んだ。身体さえ陥落すれば後はなし崩し的に腕の中に入って来るという直感めいたものがあったので。
 その手術ミスの画像を恋人は――当時は未満だったが――心臓外科所属の田中先生に見て貰ったせいで心臓外科と精神科という接点など普通はないような人間関係が構築してしまったというわけだった。
 その恋人の待つ京都にこれから帰れるのかと思うと幸せな気分になったが、懸念材料も存在した。
 京都で待ち受ける仕事の数々を思うと――半分以上は自業自得だと自覚している――ため息の連鎖がまた復活しそうだった。
 当面の最大の懸念、それは。

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