試行錯誤中

色鳥

『初夜』2

鈴木の部屋に入るなり鼻をついたのは味噌汁の匂いだった。

「仕事を終えて帰宅したら恋人が手料理を作って待っていてくれた」ともなれば、本来は幸せいっぱい超絶リア充な光景なのかもしれないが、それをやってくれたのがこのチンピラだともなれば味噌汁並にしょっぱい気持ちになる。

お前は俺の彼女か。
彼女なのか。

声には出さず、胸の内で突っ込みを入れた。

「……腹減ってんなら飯は出来てっけど」

だからお前は彼女か。

「……何作ったん」
「肉じゃがとサンマの塩焼きとほうれん草のお浸し」

所帯じみたメニューにもはや言葉を失った俺は、それでも腹は減っていたので静かにテーブルの前に腰を下ろした。
そんな俺に対して鈴木はと言えば、まるで新妻のように甲斐甲斐しく米や味噌汁をよそい料理を取り分けたりするものだから、俺はもう何から突っ込めばいいのかも解らなくなって考えること自体を止める事にした。

目の前に飯があるのならただ食えばいいのだ。
幸いにも鈴木の手料理はどれも美味そうである。
そうして食った料理が見た目を裏切らず非常に美味くて軽く驚いたが、しかしそれを作ったのは目の前の俺様男なのだと言う現実に、やっぱり俺は訳が分からなくなって食事の間中一言も喋る事が出来なかった。

「ごちそーさん」
「おう。あ、皿そのまんまでいい」
「あ?んでだよ。洗うくらいすんぜ」
「いいっつってんだから座れや」
「はあ?」

食事を終え、まあなんだかんだ言ってご馳走になったのだからと後片付けを申し出ると、何故だか頑なに断られた。
そこ頑なになる必要ねえんじゃねえの、と思わず訝しむと、どうしてか奴の目が一瞬泳ぐ。
一体何だってんだ。

「何、お前勝手に家ん中いじられんのヤなヤツ?片付け手伝ったら迷惑なんかよ」

そう問いかけながらも、目の前の男からはそのような繊細さは到底窺えなかった。
事実鈴木は妙に歯切れの悪い口調で「別にそういう訳じゃねえ……」と呟いている。
俯むき加減なその姿に、知らず溜息が漏れた。

(……あーもーめんどくせえー。やっぱ俺人と付き合うとか向いてねえ)

そもそもこの男と知り合ったのもここ数ヶ月の間の事で、何か特別な馴れ初めがあったわけではなかった。
仕事帰りにふらりと立ち寄ったバーの店員がこいつで、何となく居心地のいい店だったので通っているうちに、声をかけられたのである。
「今度どっか遊びに行こうぜ」と。

それはまるで昔馴染みの友人に語りかけるかのような口調で、到底客に対して使うものではなかった。
その為俺は「何なんだこいつは」と僅かに目を見開いたものの、申し入れを断る理由は特になかった為気付いたら頷いていて。

それがそもそもの始まりだった。
それからと言うもの、鈴木は頻繁に俺の仕事のシフトを聞いてきて、互いの休みが会う日は何かしらの約束を取り付けてきた。
それは単に飯を食いに行く事だったり、買い物に行く事だったり、ドライブに出かけたりと様々だった。

(何とこの男は車を持っているのである)

そうして何度目かに遊んだ夜の事。
その日は確か、鈴木が見たい映画があるからと言って夕方から俺を映画館に誘い出したのだった。
ヤツが見たいと言ったのは海外のサスペンスホラー映画で、まあ内容はそれなりだったのだが、何と言うかホラー映画独特の後味の悪さを俺は引きずっていて、ぶっちゃけ金出して映画館で見るほどではねえなと思っていたのだが。

(しかしながら映画のチケット代はヤツ持ちだった)

そんな俺に対してヤツは何故だか深く押し黙っていて、どうしたんだと、この後はどうするんだと問いかけようとした時の事。
不意に顔を上げた鈴木は真っ直ぐに俺を見つめてこう言った。

「お前が好きだ。付き合え」

それは到底ホラー映画を見た後に使われる言葉ではなかったので、一瞬今し方見た映画の台詞か何かだろうかと思ったのだが思い当たる節はなく。
目を瞬かせる俺をじっと見つめながら、段々とじれたように唇を噛みしめる鈴木を見てようやくそれが愛の告白なのだと思い至った。

「そうか」

別にいいぜ。

僅かに呆けた俺が出した答えはそれだった。
そんな俺の答えに対し、鈴木は特段嬉しそうにするでもなく、むしろ何処か不服そうな顔で小さく頷いただけだった。

そうして始まった恋人関係だったが、ここ一ヶ月の間特に問題もなく進んでいる。

(最も、元来の性格が合わない所為か今日みたいな口喧嘩ばかりしているので、それを上手く行っていると言えるのかどうかは些か疑問に思うところではある)

しかしながら多分、恐らく、いや絶対に、俺たち二人の間に大きな亀裂が入らない理由は恋人の欠点も美点も特に気にしない俺の重度の無頓着さと、本来超絶短気であるはずのあいつが俺への愛故に様々な面で多大な我慢をしているからに違いなかった。
でなければこんな不一致だらけの人間二人が一ヶ月以上も付き合いを続けているはずがないのである。

しかしながら、俺にとっては特段毒にも薬にもならない関係だが、今日みたく些細な事で中高生の女子のようにブチ切れてしまう短気な鈴木にとって、俺たちのこの関係は毒にしかならないものであるに違いなかった。
それでも関係を続けたる理由が俺にはさっぱり解らないので、多分この男は頭が可笑しいのだと思われる。

「……まあ、洗わなくて良いんなら洗わねえけど」

そんな事を考えながら大人しく引き下がると、ヤツは一瞬眉を寄せながらも、「……おう」と小さく呟いた。
そうしてがしゃがしゃと音を立てながら二人分の食器をキッチンへと運んでいく。
その後ろ姿を眺めながら、何だかなあと溜息をついた。

(……何で、って聞いて欲しいんだろうなあ)

無頓着で面倒臭がりな俺は、物事の理由を深く追求する事をほとんどしない。
だから今みたいに口論が起きてもいつだって俺の方で一方的に完結させてしまうのだ。

だけどあいつは違うのだろう。
俺に告白をするまでにだって、きっと色々な事を考えていたに違いない。
フられた時はどうすべきかとか、どうしてだと聞かれた時は何と答えるべきかとか、一見何も入っていなさそうなあの脳味噌で必死に考えていたのだろう。
ひょっとすると、それを聞かれる事を望んでいたのかもしれない。

だけど俺はそれをしなかった。
する必要性を感じられなかった為である。

俺のこの究極の無頓着さはもはやチャームポイントと称してもいい閾に達している為、これから先変わる事はないだろうし、当然ながら改める予定もない。
その為もし鈴木が俺との間に恋人らしい意味のある問答や意志の疎通を求めているのだとすれば、それは到底無理な事なのだと言う事に早急に気付いてヤツの方で見切りをつけるしかないわけである。

(黙って女侍らしてればよかったものを、バカなヤツだな)

俺なんかに惚れちまいやがって。

恋人に対してそんな事を思う時点で可笑しな話だが、それが俺たちの関係なのだから仕方がない。
そんな事を思いながら、俺はテレビのチャンネルをくだらないバラエティ番組から更にくだらないお笑い番組へと変えた。


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