カイカイカイ…

霜月 秋旻

壊、壊、壊…

それから僕は、たんたんと壊し屋としての仕事をこなした。仕事を重ねるにつれ、見習いの頃にあったはずのためらいや罪悪感は、消え去っていた。逆に、物を壊すときの快感が、くせになっていた。壊しても壊しても、満たされることは無い。笹井さんの言うとおり、世の中には、まだまだ壊すべきものがある。
パソコンもしくはスマートフォンを破壊してほしいという依頼が最も多かった。その理由は様々だった。息子や娘がスマートフォンにばかり夢中になって、勉強をしないで困っている。夫もしくは妻が、スマートフォンを通じて知らない異性と浮気している。孫が機械ばかりに夢中で、私の話を聞いてくれない。運転中にスマートフォンのゲームに夢中になって事故を起こして、危うく死にそうになった。息子の目が毎日のように赤い。スマートフォンやパソコンは便利だが、人をネット依存に導いたり、最悪の場合死に至らしめる、諸刃の剣だということなのだろう。スマートフォンを壊すことは簡単だった。しかし簡単すぎて、どこか物足りないものがあった。
息子や旦那の部屋にあるエロ本、アダルトビデオを破壊してほしいという依頼もあった。簡単そうに見えるが、まずエロ本を探すところから始めなければならない。なかなか隠し場所に工夫を凝らした者が多くて、探し出して壊すまでに一週間ほどかかったときがあった。
しかし、人々がいままで依存していたものを壊されて、冷静さを欠いて慌てふためく様子を見ると、なんだか面白くて、ニヤニヤが止まらないのだ。人の不幸を喜んでいる。改めて、自分はひどい人間だということを認識できた。
便利な機械が次々と発明されるにつれ、人間の力はどんどん退化していっている。便利な機械に依存して、その機械が無ければ生きていけなくなる。だからこそ、壊すことが必要なのだ。
かといって、スマートフォンもパソコンも、エロ本もアダルトビデオも、どれも人が苦労してせっかく作ったもの。だからこそ壊すのは抵抗がある。勿体無いという感情が起こる。だからこそ、何もかも失って情というものがない人間が壊すしかないのだ。人としての良識など関係なしに、壊すことに快感を得ている人間。<キヅキの森>に自殺しに来た人間は、まさにうってつけだった。もっとも、僕は元々死ぬつもりで<キヅキの森>を訪れたわけではない。元々は、黒沢シロウの妹、アカネに連れられてきたのだ。
そう、僕にとって、壊し屋に入るきっかけとなったのはアカネだったのだ。


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