カイカイカイ…

霜月 秋旻

哀しみの雨

志摩冷華が履いている草履と白い足袋は、森を歩いているうちに泥まみれになっていた。彼女は何度も、末永弱音の名前を叫び続けた。しかし帰ってくるのは木々のざわめきや、風の音ばかり。
それから三十分くらい経っただろうか。叫び疲れたのか、彼女はふらついていた。ふらついているうちになにかにつまずいて、その場に倒れそうになったのを、僕はあわてて支えた。志摩冷華は自分がつまずいたそれを拾った。
「これは…末永さんの…」
靴だった。志摩冷華はこの靴につまずいて転びそうになった。靴は左右揃って置かれていた。その傍に、急な傾斜がある。その下の方に恐る恐る目をやると、そこに誰かが横たわっているのが見えた。志摩冷華はそれをみてハッとし、両手で口を覆った。
「末永さん!?」
志摩冷華は、木に掴まりながら急な傾斜を下りていった。足場が悪く、何度も転んだ。僕も転びながら、それについていった。
傾斜の下にたどりついた志摩冷華は、横たわっている末永の姿を目にして、その場にしゃがみこんだ。嗚咽がもれる。
「わたしのせいだ…わたしが相手にしなかったから…放っておいたから…」
そう言って、彼女は泣き続けた。僕は何がなんだかわからない。僕が以前会ったのは、末永弱音の幽霊だったのだろうか。末永弱音はここで死んで、幽霊となって僕の前に現れたのだろうか。靴が左右ともそろって置いてあったということは、末永弱音は自ら命を絶ったのだろうか。仮にそうだとしたら、何が彼女をそこまで追い詰めたのだろうか。
首の後ろに、冷たい水滴が落ちてきたのを感じた。しだいにその水滴は数を増し、シャワーのように僕らの全身を一気に濡らした。志摩冷華は泣き崩れたまま、その場を動かない。僕は彼女をどうなぐさめていいかもわからない。僕には他人に対する感情が無い。目の前に横たわっている末永弱音の遺体を悼む感情も起こらない。志摩冷華の目から流れ出た涙は、末永に対する悲しみなのか、それとも自分に対する後悔なのか、それはわからない。末永弱音と親しい仲だったのなら、僕も彼女のように、感情をこめて涙を流すことが出来るのだろうか。死者を前にして、こんなときでさえ感情を動かせない、自分の心の堅さを、冷たさを思い知った。涙を流し続ける彼女を見下ろし、感情のない人形のただ立っているだけ。どうしていいかわからなかった。
雨は降り続ける。絶えることなく延々と僕らを濡らし続ける。冷たい。降り続ける雨は、僕らの体を容赦なく冷やしていった。

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