カイカイカイ…

霜月 秋旻

するどい視線

自分でも、何故ここへ来たのかわからない。気が付いたら、ここへ来ていた。あの貰い物ばかりの部屋へ帰ることよりも、僕は無意識のうちにここへ来ることを選んだのかもしれない。この<キヅキの森>へ。
「いらっしゃいませ。会員証をご提示ください」
ブックカフェ<黄泉なさい>の前には、相変わらず無表情の咲谷さんが立っていた。僕は財布から会員証を取り出して咲谷さんに見せた。そして、中に通された。
中に入ると、店員の江頭さんが立っていて僕に会釈した。客は僕のほかに一人しかいなかった。いつも本を読んでいる学ランの少年も、喜与味もアカネも、末永弱音の姿もない。いたのはただひとりだけ。赤い着物に、黒髪のおかっぱ頭で白い肌に赤い口紅を塗っている、まるで日本人形のような女性。志摩冷華だった。奥の席でひとり、万年筆を走らせている。アカネの話だと、彼女は小説家。僕が入ってきたことに気付いているのかいないのか、関係なしにただひたすら原稿に目を向けている。
彼女の執筆の邪魔をしたくはないので、僕は彼女の席から一番離れた店の入り口付近の席に腰を下ろした。僕は座りながら、彼女の方に目を向けた。原稿から目を離さず、万年筆の動きを止めない。物凄い集中力だ。締め切り間近で余裕がないのだろうか。
執筆に夢中になっている志摩冷華をみていると、彼女が羨ましく思えてくる。まわりを気にせずに夢中になれるものが、今の僕には無い。真剣なまなざしで原稿に立ち向かう彼女の姿がとても美しく魅力的に見えて、格好良くも思えた。
しばらく僕が彼女を眺めていると、彼女の筆の動きがピタリと止まった。そして原稿に向けていた鋭いまなざしを、そのまま僕のほうへ向けてきた。目が合ってしまった。
彼女と目が合った瞬間、僕の背中に何やら冷たいものが走ったような気がした。緊張感のような何かが僕の全身をただよう。まるで僕の心を覗かれているような鋭い視線を僕に浴びせてくる。いまにも何かを喋りそうな様子だ。しかしこの店では、口での会話が禁じられている。なので彼女からそんな一言が発せられることはなかった。僕は耐えかねて、彼女から目をそらした。そしてこの場に居づらくなり、来たばかりではあるが、僕は席を立った。
彼女に背を向けて、店員の江頭さんに会釈をし、僕は店の入り口のドアノブに手をかけた。するとその瞬間、ドアノブのすぐ左脇に突然、万年筆が突き刺さった。あと二センチくらい右にずれていたら、僕の手に刺さるところだった。そう考えると恐ろしい。驚いて後ろを振り返ると、志摩冷華がするどい目つきで僕を睨んでいる。帰るなといわんばかりに彼女の目はこっちを、僕を睨んでいる。そして彼女は、彼女の席の右隣にある椅子を引いた。ここに座りなさいという合図なのだろう。僕は、ドアに刺さった万年筆を抜き取って、彼女の方へ持っていった。そして彼女の右隣の席に腰掛けた。

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