カイカイカイ…

霜月 秋旻

僕は弱い

「おはよう快くん。どうして昨日帰っちゃったの?」
喜与味のつるりとした頭は、教室の蛍光灯の光を反射して、輝いていた。あのとき僕は、場違いな自分が嫌になって逃げ出した。それが答えだ。しかし正直には答えたくなかった。
「別に。親に買い物を頼まれていたのを思い出したんだ。いつも早く閉まる店だったから」
適当なことを言ってごまかした。勿論嘘である。
「そうだったんだ。じゃあ今日も行こうよ」
喜与味もアカネと同じ質問を僕にしてきた。それに対して僕は思わずうなずいてしまった。その結果、やはりアカネは呆れていた。
「やっぱり押しに弱い…」
僕だけの聞こえるような小さな声でアカネはつぶやいた。僕は自分が情けなくなった。アカネの言うとおり、僕は押しに弱い人間なのだろう。いままで自覚が無かったが、今この二人によって気付かされてしまった。僕は押しに弱く、優柔不断な人間だと、気付かされてしまった。そう、僕は弱い。人に流されやすい人間だ。
結局放課後まで、僕は昨夜の出来事についてアカネから聞き出すことをできなかった。アカネが<キヅキの森>についてどこまで知っているのかを聞きたかったが、喜与味によってそれは阻害された。授業の合間の休憩時間、喜与味がいつも僕に話しかけてくるので、僕はアカネと会話ができない。そうこうしているうちに、放課後になってしまった。
言いたいことが言えない。本当はあの怪しい森には行きたくないと、言いたいのに言えない。しかし僕は、喜与味の誘いを断りたくはなかった。彼女は僕に興味をもってくれている。そのことが嬉しかった。それが答えだ。喜与味は僕の手をひっぱり、昨日と同じペースで<黄泉なさい>まで歩いた。何分も歩かないうちに、僕の額から汗がにじみ出てきた。どうして喜与味はこんなにも元気なのだろう。頭を坊主にしてからの彼女は、以前と比べて全然別人だ。僕も彼女のように、<壊の書>を読めば同じように前向きになれるのだろうか。
彼女の早いペースに合わせて歩いているうちに、いつのまにかブックカフェ<黄泉なさい>に着いてしまっていた。相変わらず無表情で入り口に立っている咲谷さんに会員証をみせ、中に入った。スマートフォンを預けるように言われたが、昨日失くしたと断った。喜与味もスマートフォンは持っていないらしい。以前、<キヅキの木槌>で破壊して以来、そのままだという。新しく買うつもりもないらしい。あんなものなくても問題ないという彼女が、僕には強くたくましい人間に思えた。
中に入ると、昨日と同じように常連客がいた。赤い着物の志摩冷華という女性と、学ランの中学生くらいの少年。それぞれ小説を書き、本を読んでいた。昨日僕のスマートフォンを破壊した老婆、末永弱音の姿は無かった。
末永弱音はいったい何者なのだろう。昨日、僕の前から突然、彼女は幽霊のように姿を消した。そして<キヅキの森>についてよく知っていたし、<キヅキの木槌>も持っていた。そもそも彼女は、生きた人間なのかどうかもわからない。
僕と喜与味が入ってくるのをみて、店員の江頭さんは一冊の本を僕に手渡した。その本の表紙には、<懐>と書かれていた。

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